■ 豆文 ■
 2006年12月21日(木) 【 中毒奇譚:8 】

【注意書き】

 初見の方はまずこちらをご覧下さい(『はじめに』のページです)

【店主の経営メモ:本日のお客様──思い出したくない】

 店主はぼんやりと考えていた。
 最近は平和なものであった、と。特に痛々しい客も来ず(そもそも痛々しい事を言いたいだけ言って逆ギレをする輩は、客と呼びたくもないらしいが)
 しかしまぁ、結局避けられたものではないのだな、と、ぼんやりと考えていた。それにしても、クリスマス直前に訪れなくても良いのでは、とも。

「……」
 店主はにこり、と微笑んだ。店主の微笑みには三種の意味がある。『本当に良い客だと思った時の笑み』『完全な営業スマイル』そして、『さっさと帰れこのキチ(自主規制)』
 今の笑みがどれであるかというと、
「──お客様、それは無理です」
 だからさっさと帰って昼寝でもして好きな夢でも見やがりなさい、という意味のようだった。

「何故ですか……何でも叶うって聞いたんですよ……」
 返ってきた声は弱々しい。目の前に背筋の力が抜けたような状態で座っている人物がいる──その人物の声である。店主は、困った客のテンプレート台詞集だ、と思いながら、笑みを崩さず諭すように告げた。
「それは噂でございますよ。勝手に世間で囁かれている、不本意な噂です」
「で、でも……実際に叶っているじゃないですか……! 私は見ましたよ、言っていた人は、本当に叶ったって」
「それは、そのお客様の求めたものが、現実的なものだったからですよ。僕はしがない一般人ですからね、一般人が行う事が可能な範囲でならば、何だって致しましょう。出せるものは出します。ですが、繰り返しますが一般人を脱せぬ程度に」
 あぁ、さっさと引き下がらないものか、と店主は笑顔の裏で呟いた。そもそも、この客は今まで訪れた招かざる客よりも更に──何と表現をしたものか、店主は困り、結局『濃い』と結論づけた。纏う空気も、ぎらついた目も、その他も──
「でも、でも……! 私はものすごく、期待して、来たんですよ……だって、だってとうとう願いが叶うって……」
「ご自由にすれば宜しい」
 店主の柔らかな口調が一瞬、崩れた。この客の要望を聞き入れたら、店主は一般人ではなくなってしまうからだ。それは望む所ではないが、客が自力で何とかする分には、好きにすれば良いと感じるのがこの店主である。
「そこまで難しい事では無いでしょう。僕は、犯罪者になるのはお断りなのですよ」
「だっ……だって、どうしたって私は、何をどうしても……! ほ、ほら、クリスマスも近いんです、お願いします、お願いします!」
 がたん、と音を立てて、客が立ち上がった。切迫した表情で声を荒げた客に対し、店主は座って手を組んだまま、それを冷静に見つめている。ネジの飛んだ客の相手は慣れている。そして、店主は季節ネタにはあまり興味が無い(更にそんなプレゼントはお断りである)

「お願いですから、私を死なせてくれませんか!」
「嫌だと言っているではないですか」

 店主は、頭痛を感じつつ、客──かなり外見がアレな青年に、そう告げた。
 それにしてもその格好は、人を殺してきた直後のように、酷い。

   :
   :

「死ねないんですよ……何をどうしても、私は死ねないんです……でも死にたいんです……」
「それはまた器用ですね、いや、不器用ですか?」
「そういうのではなくて……とにかく死ねなくて、試せる事は全部試して、でも死ねなくて……」
「なら普通に生きれば良いではないですか。何がそんなに、この世が不満であると?」
「不満は無いです……住んでいる所もいい所で、店の事を教えてくれたのはそこの人なんですけど……時々美味しいご飯をくれるいい人です……不満なんて無いです……」
「では、何故」
「何故だって良いじゃないですか……! 私は死にたいんですよ……」
「理解に苦しいのですけれど」
 まるで駄々をこねる小学生の如くである。中高生の主張であるならば、無視をしてしまいたいレベルだった。
「私にクリスマスプレゼントを……!」
「僕は手錠なんざいりません」
 店主の顔に、とうとう──極めて珍しく──怒りが浮かびかけた、その時、

「ここにいたのかい!」

 ばん、と店の扉が開き、若い男性の声が飛び込んできた。青年と店主は思わず固まり、そして同時に視線を向ける。
「……あ、」
 青年が呟いた。知っている顔なのだろうか、虚ろな目が少しだけ大きくなった。店主はほぼ無意識で、さささと表情を元に戻し、そして微笑んだ。
「いらっしゃいませ、お客様のお知り合いの方でございますか?」
「ええ、や、すみませんご迷惑をお掛けして……探したよ、全く」
 入ってきた人物は男だった。見た目は30代前半程、赤みがかった銀縁フレームの眼鏡をかけた、頭の良さそうな男。人当たりの良い顔に今は苦笑を浮かべ、店主に小さく頭を下げてから、青年の方へと向き直した。
「すみません……私、話を聞いて思わず」
「君が外に出るなんて、近所のドラッグストア以外に無かったから驚いたよ。ドラッグストアを隅々まで探していたら、あの人にここへ来ていると教わってね。……迷惑をかけたらいけないだろう?」
 真人間だ。そう店主は思った。有り難い、これで僕は助かる、救世主にお茶を出そう。そう思いながら愛用のお茶道具に手を伸ばし、片耳だけを会話に対して傾ける。

「だって、だっていつになっても私は死ねなくて……もうどうしたらいいか分からなかったんですよ……」
「何度も言ったじゃないか、君はそういう身体なのだから、と。理解をしてくれないか?」
「理解……したいですよ……ですけど、それ以上にやはり私は死にたいんです……」
「嗚呼……いや、それが僕のせいだという事は分かっているんだけどね……」

 僕には何が何だかサッパリ全然分かりません。と店主はお茶を入れながら思った。
 置いてけぼりにされている店主に気付いたのか、男が話を中断して店主の方を向く。店主が無言でお茶を差し出すと、男は小さく会釈をしながら青年の隣に腰掛けた。
「僕もこの店の噂は時々聞いていました……入ったのは初めてですけれど」
「左様ですか。一般的なものであれば、一通りお出しする事は出来ますが、犯罪幇助は不可能です」
「申し訳ない限りです……彼は見ての通り、諸事情から死にたがりで」
「その、見たのが僕でなければ即行で通報されていそうな外見も、誰かを手にかけてきたものではない、と」
「違います。努力の賜物、ですね……」
「世の中には珍妙な努力があるのですね、勉強になりました」
「ですが……細かい事は省かせてもらいたいんですけど、彼は何をどうしても死なないんですよ」
 安堵と困惑がない交ぜになったような、どこか不思議な表情を男は浮かべた。青年はそれを見て、切なそうにうつむいた。
「難儀な話ですね」
 店主はとうとう、適当な相槌を打ち始めた。真人間だと認識をしたそれが、早速歪み始めているようだ。
「結局、人様に迷惑をかけない程度に、という約束をしたのに……分かってくれていると思っていたんだよ?」
「ごめんなさい……」
「部屋の掃除は僕がしてあげるさ、綺麗にした瞬間に真っ赤にされても怒らない、それが僕の義務だと思っているからね。でも、僕以外に我が侭を言ってはいけないよ」
 男に諭すように、そして少し悲しそうに言われ、青年はしゅんと黙り込む。
「……失礼ですが、お2人の関係は」
「僕が保護者のようなものです」
 はぁ、と息を吐きながら、出されたお茶を口に含む。普段ならば気落ちした人を落ち着かせるお茶も、今日の男にはあまり効果が無いらしい。これ以上の介入は、こちらにとって更にマイナスだな、そう判断した店主はどうしたものかと視線を落とした。
「──ともあれ……保護者の方であると言うのならば、出来れば連れ帰って頂けませんでしょうか。僕としても、これ以上はちょっと」
 困ります。店主はハッキリとそう告げた。
「ええ、勿論です、ご迷惑をおかけしました……」
 しゅんとうなだれた男はカップをテーブルの上に戻す。
「それにしても、僕も噂では聞いていたのですが……来たのは初めてです」
 この店の事を言っているのだろう。訪れた客がよく言う台詞のひとつだ。店主は表情を変えずに聞いている。
「噂を聞いて僕は笑ったクチなんですけどね。夢があっていいですよね」
「夢と現実を混同されると少々困ってしまいますけれどね」
 淡々と返せば、男は「はは」と笑った。
「現実、そうですね。……でも、クリスマスくらいは、奇跡が起こってもいいかな、とか思うんですよ」
「はぁ」
「そう、彼はこう見えてもとても純粋なんです。好いた人には笑顔を浮かべる、とてもいい子なんですよ」
 男が顔を上げた。店主は僅かに目を細めた。
「いい子にしていると、プレゼントが貰える。これは定説です」
「そうですね」

 見つめ合う事、3秒間。

「……彼は殺しても罪になりません。……本当に殺せません?」
「帰れ親馬鹿」
 店主の口調が、完全に崩れた。


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