いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2013年04月30日(火) 中山恭子参議院議員に同行@弘前&青森

 私は、22歳で独立起業して以来、月末が「怖かった」。バブルのころは資金が潤沢だったが、バブル崩壊以降、月末に支払うべきお金が足りるのかどうか、毎月冷や冷やの日、それが月末だった。したがって、月末の日には、一切の予定を入れないのが習慣になっている。資金の不安をしなくてもいい最近でも、月末の私の手帳が真っ白であることが多い。

 ところが、今日は例外である。中山恭子先生から「青森まで言って欲しい」との要請。月末の一日青森へご一緒することになった。以下、そのスケジュールである。

羽田(10:30)==青森空港(11:45)==昼食==弘前市民参画センターにて講演会==弘前さくら祭り==青森市福祉センターにて講演会==青森空港(20:15)==羽田(21:35)

 文字にしてしまうと大したことはない、と感じられるかもしれないが、いや、なかなかどうして大変だった。それにしても、失礼ながら私より年上の、中山先生、疲れたお顔もせず、いつも笑顔で素晴らしい。ただ者ではないとは思っていたが、流石である。

 青森の講演会では裏方に徹したが、弘前ではDVDの装置が用意されてなく、会場の事務局に借用に行ったり、映写技師(?)をしたり、さらには、「夏まで中山恭子忘れないで」と叫んだり、と出しゃばってしまった。


 弘前市民参画センターの2階にDVDレコーダーを借りにいって、不思議なものを発見した。なんと、椅子の足に、硬式のテニスボールが履かれているのだ。職員さんにうかがうと「床の保護と騒音防止に私が考えました」とのこと。すばらしい!たかだかのことだが、その工夫する心が素晴らしいではないか。


 桜祭りではすれ違う観光客に、リーフレットを渡したり、花見をやっていた居酒屋さんに突入したり、と「ここぞ、わが出番」とばかり張り切ってしまった。


 青森空港のVIPルームで、中山先生とお弁当を頂き、帰宅したのは夜10時を回っていた。お疲れ様でした!そして、優しい青森県の皆さん、ありがとう!



 



2013年04月29日(月) 無責任か自立した個人か?逃亡税理士の場合

 私は基本的にケチである。幼いころ、スーパー貧乏な父子家庭に育ったので、ものは捨てれないし、食べ放題の店では「命がけ」で食べるし、という具合である。したがって、22歳で起業してからも、税理士や社会保険労務士、コンサル等と言う人々に払う顧問料をけちって、すべて自分で手続きをしていた。

 特に、会計処理は上智大学のコミュニテイスクールで後藤弘(明治大学教授)先生のわかり易い授業を受講し、そこそこのレベルであると自負しているし、社労士なんぞいらないと思っていた。

 ところが、会社を倒産させた時、親身になって下さった弁護士さんを見て、「次に起業したら専門家を雇おう」と心に決めていた。そしt、数年後、懲りずに起業したのだ。税理士、社労士もお願いした。

 ただし、まだ「ケチ」のくせは消えず、毎月の顧問契約ではなく、税理士は決算時のみ、社労士は「補助金申請」のみ、という具合だ。

 さて、そこで明日が法人確定申告の期限である。(2月末日決算で2ケ月後申告)今日の3時に税理士が来て決算書類を渡し、決算調整など行って明日提出という段取りをしていた。

 ところがである。必死に伝票類のチェックをして「先生、3時には無理なので、少し遅く来てくれませんか」と電話を入れた。すると、税理士氏「今年は、僕のサインんなしで提出してください」ときた。えええええええ!!!

 なんてこった!「ふざけるな!無責任野郎」と怒鳴りたかったが、最近、中山恭子先生とご一緒する機会がふえ「少しだけ」品がよくなってきたので「ハイわかりました」と応じた。

 まあ、税理士でも、弁護士でも最終責任は、依頼主にあることは当然だ。町工場等の経営者の相談を受けて、売上や売掛金の残高を聞くと「税理士に聞かないと」という回答が多い。これでは会社がうまくいくはずがない。経理や法律の専門家ではなくとも、会社経営の責任者は「士業」のセンセイ方ではない。自立した個人になるため、いぬぶし、今晩は徹夜覚悟だ。

 さあ、それからが、大変である。決算書はパソコンソフトが作ってくれるが、その間違いを見つけ、仕訳ちがいを訂正。さらに、消費税の計算をして、申告書に添付する各種計算書を作成する。

 なぜ、こんなに急ぐか。明日は、中山恭子先生に同行して一日、青森なのだ。したがって、今日中にしあげて申告(郵送または夜間ポスト)しなければならない。

 午後9時、目がショボショボしてきたので、遅い夕飯を取り再挑戦。終わったのが深夜0時前。終わっちまえばこっちのものだ。明朝のゴミ出しなどして事務所を後にして、蒲田税務署の夜間ポストに投函。

 やったぜ!我が辞書に不可能という言葉はない。なんちゃって!

 税理士報酬もいらなかったし、よかった、よかった!もう来年は頼まないぜ!おっさん!



2013年04月28日(日) 主権回復記念日@大阪〜兵庫県川西市

 今日は、61年前我が国が屈辱的占領から独立した主権回復記念日(という呼称は勝手に私がつけた)である。いままで政府主催の式典は行われなかったようだが、今日は、憲政記念館に天皇皇后両陛下をお迎えして挙行されたのは、遅きに失したとは言え、安倍総理大臣の快挙と言えよう。

 昭和27年4月28日以前に公布されたあらゆる法令(憲法を含む)は、占領という「自由を剥奪された状態」あるいは「脅迫」により行われたものと解すべきで、これは当然の帰結として「無効」である。したがって、現憲法は「改正」ではなく、遡って「無効」なのだ。憲法改正要件の96条以前の、法律学科の学生なら誰でも知っている「無効」である。

 ところが、マヌケな民主党は、この期に及んで「憲法を軽々しく変えるべきではない」などと、改正要件である96条の緩和に反対する意向を示した。まったく風を読めないシーラカンスである。戦後憲法を改正していない国は、敗戦国のドイツ、イタリアを含めて、日本以外は皆無である、という「国際常識」をわかっていない民主党。もはや、社民党同様に、消滅の途を歩んで欲しいものだ。

 さて、そんな今日、私は昨日に続いて中山恭子先生と共に、大阪いる。午前中は、在阪の有力者と中山選対の打ち合わせ。午後からは、大阪中央公会堂で開催された「日本再生シンポジウム」に参加した。

 大阪中央公会堂は歴史ある風情で、快晴の青空と河と緑の木々に艶やかに凛として建っていた。そこへの移動中、中山先生から「綺麗ですね。写真を撮りましょう」と、驚愕の提案があり、以下のようなことになってしまった。なりあき先生ゴメンナサイ!


 その後、中山恭子先生はシンポジウムで1500名の聴衆を前に、憲法改正の重要性と拉致被害者の救出こそが、国家の重要課題あることを訴えられた。普通、ビッグネームの講演者は、自分の講演が終わると退場するものだが、中山先生は「中西 輝政先生(京大名誉教授)のご講演を聞いてから」と、約1時間、保守の論客である中西先生の講演を聴かれた。


 午後2時、新大阪へ向かい、中山恭子先生は東京へ、私は兵庫県川西市へ向かった。まったく土地勘のない梅田の地下街を迷いながら川西能勢口駅に到着。「救う会大阪」主催の拉致被害者救出の署名活動に参加した。ご当地の高校に通っていた女子学生が拉致された、と歌えても連休の昼下がり、なかなか足を止めて下さらない。

 そんななか、法衣姿の僧侶が署名をして下さった。その祈るような署名の後姿、流石に仏法を学ばれた方の慈愛を感じた。我が国の公立学校教育に懸けているのは「宗教」と「政治」である。いずれも、生活の道筋として重要なのに避けているところに、公教育の弱さがある。

 ところで、余りの忙しさに「昼食」を忘れていた。16時すぎ、救う会の方の車をお借りして、一人密かに弁当をいただいた。まだまだ、お付き合いしたかったが、17時に失礼して帰京。

 自宅でお風呂につかり、発泡酒!嗚呼、極楽、極楽。



2013年04月27日(土) 大手町〜日比谷〜大阪〜兵庫県川西市へ

 今日は、拉致被害者救出国民大集会が日比谷公会堂で開催された。平成11年、区議会議員に初当選した当初から拉致問題には関心を持ち、西村眞悟代議士、土屋敬之都議などと共に署名活動や、啓蒙活動に取り組んできた。当時は、国会議員でも、ほとんど拉致問題には興味を示さなかったが、最近では「ファッション」のようにブルーリボンをつけている国会議員、地方議員が多いのは嘆かわしいことだ。
 
 我が陣営は、大手町から拉致解決を訴える民間団体のデモ出発式にエールを贈るべく蒲田から街頭宣伝車で出発した。政党名が書いてある看板部分には、支援者のサイン屋さんの社長が作ってくれた「日本人を返せ」の横断幕をはっての出陣である。


 大手町の集合場所には、いつものことながら、警備の制服警察官に混じって、私服の公安刑事、自衛隊情報本部、公安調査庁などの面々が勢ぞろいだ。そして、我が宣伝車が到着すると、私や運転手の顔をカメラでとりまくり、私の演説には、一生懸命メモをとる。お仕事柄仕方ないのだろうが、そのマンパワーを北朝鮮に向けてほしいものだ。

 デモが出発した後は、日比谷公会堂へ向かう。公会堂の駐車場入り口には、顔見知りの国会議員秘書さんが警備にたっていた。「いぬぶしさん、困ります。今日は国会議員しか駐車できません」「中山恭子先生の代理だ」と、強行突破。これは嘘ではない。別の講演会の講師のため、止むをえず国民集会を欠席した、中山恭子議員の代理もかねている。

 安倍総理の挨拶も聞けずに、浜松町から羽田に向かう。大阪で開催されている「学校を守る、教育を守る」講演会に出席している中山恭子議員と合流するためである。地理が不案内の梅田で地下鉄に乗り換え、会場到着は、終了5分前。それでも、主催者のご好意で挨拶をさせていただいた。

規則を教えるべき学校で、日教組の教員たちは違法活動をしている。中山恭子先生のご主人である中山なりあき先生は、「日教組は教育の癌だ」と正しいことを言って大臣を辞めた、田母神航空幕僚長は「日本はいい国だった」との論文を書いて罷免された。日本は正しいことを言うと首になるのか!よい国のため、憂国の士、中山恭子先生の夏の陣に勝たねばならない。、と。


 終了後の懇親会では「終了5分前に来て、あの挨拶。ずうずうしさと、熱い内容に感動した」と、元NHK記者さんから妙なお褒めを頂戴した。ほろ酔い加減の皆さんと、中山恭子議員は、きわめて親しく親交をあたためた、とてもいい会だった。

 私は、といえば兵庫県川西市からの講演会参加者の要請で、明日16時からJR川西駅前で「拉致解決の署名活動」に参加することになった。はたして、明日中に東京に帰れるのだろうか。

 がんばるぞ!お!!梅田の繁華街のラーメン屋、「生ビール200円」とある。

 すみません!生ビールと豚骨ラーメン。え?200円は20時までだ!残念。



2013年04月26日(金) 産経新聞「国民の憲法」に見る我が党

 産経新聞社は、創刊80周年、雑誌「正論」40周年を記念して「国民の憲法」を発表し、本日シンポジウムを開催した。我が、中山恭子陣営からも、公務のため出席できない議員にかわり、才媛の美人秘書さんが参加した。

 この「国民の憲法」は、ほとんど「たちあがれ日本」の提唱したものと酷似しているもので、大いに結構と諸手をあげて賛成したいところだが、組織の一員としてはそうもいかない、複雑な事情がある。

 この草案に対し、日本維新の会のお二人の感想は以下のように相反しているからだ。

橋下徹共同代表:自分の思いだけ出したような憲法案は国民に通らない。感覚的に中央集権体制丸出しの憲法になっている。朝日と産経の中間ぐらいを目指していくべきでは。僕は、あんな憲法が通ったら日本を脱出します。

平沼赳夫国会議員団代表:私が「たちあがれ」のときに発表しあものと内容的にほぼ同じ考え方だ。たとえば、天皇陛下を元首にすること、自衛隊を国軍にすることなどだ。全文も私が書いたものとほぼ変わらない。さすが産経新聞だ。

 私は、昨年の12月まで東京都内唯一人の「たちあがれ日本」所属の地方議員だった。そして、いまは「たちあがれ日本」の創立メンバーの一人、中山恭子参議院議員の選対事務局長という「お役」まで頂いている。当然のことながら、平沼赳夫国会議員団代表の意見と同様であり、産経新聞を評価すべき立場だ。

 が、組織論から言えば、橋下徹共同代表は、「わが社」の社長さんである訳だ。社長さんと取締役の考えが違う場合、「支社長」の私はどうすればいいのだろうか。

 せっかく小異を捨て、一つの政党になったのだから、東京だ、大阪だ、マスコミに書かれないように、聊か想いの違う案件については、「取締役会」で議論を尽くされ、共通認識で発表していただきたいとは、末端支社長の心からのお願いである。

 でないと、マスコミに、またまた「面白可笑しく」書かれてしまう。彼らは、「真実の報道」よりも、「面白おかしく」がミッションなのだから。



2013年04月25日(木) あっぱれ安倍総理、中山恭子参議院議員@靖国神社

 昨日、多数のか閣僚を含む168人の国会議員が靖国神社の例大祭にあわせて昇殿参拝をされた。いつもながら、中国、韓国が大騒ぎの抗議を始めた。いつもの光景だが、聊か違うのは、総理大臣ら政府要人の態度である。

 参議院議員会館のテレビに映された参議院予算委員会での答弁は、実に心強いものだった。安倍晋三首相は「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保している。当然だろう」と述べた。(以下産経新聞より転載)

 首相は韓国が反発していることに「靖国の抗議を始めたのは盧武鉉(政権)時代が顕著になったが、それ以前はほとんどない。なぜ急に態度が変わったかも調べる必要がある」と強調。

 中国に対しても「A級戦犯が合祀(ごうし)されたとき、時の首相の参拝に抗議せず、ある日突然抗議をしはじめた」と不快感を示した。

 また「歴史や伝統の上に立った私たちの誇りを守ることも私の仕事だ。それを削れば(中国や韓国との)関係がうまくいくとの考えは間違っている」とも語った。

 靖国神社を参拝した麻生太郎副総理は「世界中で、祖国のために尊い命を投げ出した人たちに対し、政府が最高の栄誉をもって敬することを禁じている国はない」と指摘。古屋圭司国家公安委員長は「国のために命をささげた英霊に哀悼の誠をささげるのは当然だ」と述べた。(以上転載)

 まったく、異論のない政府の首脳をして非の打ち所のない答弁である。拍手喝采を贈りたい。


 そして、わが陣営のリーダーである中山恭子参議院議員。当然、平沼赳夫国会議員団代表とともに、参拝された。残念ながら、衆参57名の国会議員を擁する日本維新の会の議員は、25名のみの参加であった。全員行けよ!



2013年04月24日(水) あらためて日本維新の会衆議院東京都第4選挙区支部設立

 昨年末、日本維新の会本部(大阪)に、落選者が集められた際「開票日をもって支部長は全員解任」と通告をされた。参加者からは、しばし待って欲しい、等の要望が出たが、執行部は譲らず、私も「解散届」を東京都選挙管理委員会に提出し、ちゅうぶらりんの身分だった。

 ところが、急転直下、3月30日の党大会において、東京都で3名(うち23区では唯一人)の衆議院選挙区支部長として「再任」をされたのだ。一昨日、党本部より支部「設立」のための書類が届いたので、昨日、東京都選挙管理委員会に「設立届」を提出受理された。

 紆余曲折があった衆議院選挙の前後だったが、これで「腰を入れて」次回の闘いに挑むことができる。志を捨てないで頑張っていくので、読者諸氏には変わらぬご叱責、ご指導をお願いしたい。

 支部設立と同時に、党本部から「参議院選挙のガイダンス」を行うから、参議院候補者陣営と、衆議院選挙区支部長は参集せよ、との連絡がはいった。自らの衆議院支部長の立場と、中山恭子議員選対の立場と二人分出席しなければならない。

 私自身、自らの選挙を6回(うち落選2回)、都知事選1回、衆議院選挙4回、参議院選挙3回を選対に入って戦った経験から、「公職選挙法はオレに聞け」と豪語しているのだが、謙虚に参加することにした。

 受付で「衆議院の支部長で、参議院候補者の事務方です。2セット下さい」というと、怪訝そうな顔をされたが、顔見知りの党本部職員さんが、出てきて無事、2陣営分ゲット。

 藤井選対委員長の挨拶に始まって、総務省の担当官から公職選挙法における、政治活動と選挙活動の違いなどの説明があった。配布された資料には、運動員買収について細かく記載をされていた。近畿地方で、多くの逮捕者が出た反省からだろう。


 忙しいだろうが、国政選挙の候補者に応募するのなら、公職選挙法ぐらい全文覚える覚悟で臨んで欲しいものだ。立法府のメンバーになる自覚が求められる。



2013年04月23日(火) いぬぶし@国会議員会館

 4月16日から正式に参議院議員中山恭子先生の、選挙対策本部事務局長に就任した。四谷の後援会事務所、議員会館、そして、蒲田の自分の事務所それぞれに「机」がある、という生活が始まった。

 特に参議院議員会館の机は、たまたま「そこが空席だった」からだろうと思うが、秘書さんたちの机の一番窓側、一般的に「偉い人」が座るような位置で、いささか居心地が悪い。

 今日は、午前中は蒲田の事務所で、事務処理などをこなし、午後から議員会館へ出かけた。衆議院第一議員会館の喫茶店で打ち合わせの最中に、遠方から来客が、参議院議員会館にあった。打ち合わせを一時中座して、衆議院第一議員会館(衆一と言うらしい)から、地下連絡通路を参議院に向かって走る、走る!途中、動く歩道があるものの、端から端なので、結構しんどい。

 参議院での来客の面談を終わり、また衆議院へ走る、走る!こりゃ、痩せるかも。

 議員会館の部屋には、国会の様子が見れるテレビが置いてある。たまたま、参議院予算委員会が開催されており、興味深く見入った。区議会と、その流れは違わないが、質問者と答弁者の質が違うのが明らかだ。

 大田区議会では、本会議でも予算委員会でも、質問者は用意した原稿を読み、答弁者(区の管理職)も、事前に質問者(区議会議員)から質問原稿全文を入手してあるので、安心して「答弁原稿」を棒読みする、というセレモニーが続けられている。たまに、私のようなハグレ者が、質問原稿を渡さないと大騒ぎになるし、優秀な答弁者が原稿なしで答弁しようものなら、私の拍手喝采を受ける。

 さて、そんな光景を13年間もみなれてきたので、国会の予算委員会には驚いた。たまたま、山東昭子議員の質問だったが、質問者も答弁する総理、副総理、大臣、全員がノー原稿。ご自分の言葉で質疑が行われているのだ。私は、国会議員が区議会議員等の地方議員より偉い立場だとは思っていない。職務が違うだけだと。が、少なくとも、委員会の質疑を見る限り、格段に能力の差がある。いつか、あの場で質問者に立たねば、と奮起する時間だった。

 夜の会合をこなし、深夜自宅マンションに戻ると、入口の受付にステキな花がいけられていた。同じマンションに住む、お花の先生が善意で、いつも置いて下さるものだ。いけなくてもだれも文句を言わないし、いけても誰からも感謝されない。無償の、そして評価すら求めない、ステキな行為である。なかなか、できないが、そんな生き方が私も出来たら、もう少し「大人」になれるのかもしれない。


 今日も呑み過ぎた!反省



2013年04月22日(月) ありがたいネットのご縁!静ちゃんへの手紙

 インタ−ネットの世界は、不思議なご縁と作り出してくれる。いまお付き合いしている多くの友人も、ネットがなければ知りあわなかったであろう方々だ。

 そして、今日は、Facebookで見つけた陸上自衛官の書き込みに感動してしまった。まったく見知らぬ方である。公開されている写真から見る限り、若い2等陸曹だろうか。

 毎日「今日の一言」という書き込みをされている。この一言一言がなかなか内容の濃いもので、失礼ながら防衛大学校出身の幹部でも書けないだろうと思う。流石である。いささか長いが、4月20日の「今日の一言」を転載する。(以下引用)

【今日の一言】

“静ちゃんへの手紙”

 
 『静ちゃんお便りありがとう。何べんも何べんも読みました。

 お送りしたお金、こんなに喜んでもらえるとは思いませんでした。

 神棚などに供えなくてもよいから、必要なものは何でも買って、つかって下さい。

 お兄ちゃんの給料はうんとありますし、隊にいるとお金を使うこともありませんから、これからも静ちゃんのサイフが空っぽにならない様、毎月送ります。

 ではお元気で、おじさん、おばさんによろしく。』

神風特別攻撃隊、大石清伍長

 
 昭和20年3月の大阪大空襲で父を失い、その後重病だった母も亡くなった。たった1人の肉親は妹の静恵さん(当時小学生)は、大石伍長が特攻隊員として戦場に赴いたためおじさんに引き取られた。
 昭和20年5月、大石伍長は、最後の手紙を整備担当だった大野沢威徳氏に預けて出撃。

 『なつかしい静ちゃん!おわかれの時がきました。

 兄ちゃんはいよいよ出げきします。この手紙がとどくころには、沖なわの海に散っています。

 思いがけない父、母の死で、幼い静ちゃんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、
ゆるして下さい。

 兄ちゃんのかたみとして静ちゃんの名であずけていたゆうびん通帳とハンコ、これは静ちゃんが女学校に上がるときにつかって下さい。

 時計と軍刀も送ります。これも木下のおじさんにたのんで、売ってお金にかえなさい。

 兄ちゃんのかたみなどより、これからの静ちゃんの人生のほうが大じなのです。

 もうプロペラがまわっています。さぁ、出げきです。

 では兄ちゃんはいきます。

 泣くなよ静ちゃん。がんばれ!』

 預かった大野沢氏は、遺書とは別に自分の手紙を添えている。

 『大石静恵ちゃん、突然、見知らぬものからの手紙でおどろかれたこととおもいます。

 わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。伍長どのは今日、見事に出げきされました。そのとき、このお手紙を私にあづけて行かれました。おとどけいたします。

 伍長どのは、静恵ちゃんのつくった人形を大へん大事にしておられました。いつも、その小さな人形を飛行服の背中に吊っておられてました。

 他の飛行兵の人は、みんな腰や落下傘の縛帯の胸にぶらさげているのですが、伍長どのは、突入する時に人形が怖がると可哀そうだと言っておんぶするように背中に吊っておられました。

 飛行機にのるため走って行かれるときなど、その人形がゆらゆらとすがりつくようにゆれて、
うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました。

 伍長どのは、いつも静恵ちゃんといっしょに居るつもりだったのでしょう。同行二人。仏さまのことばで、そう言います。苦しいときも、さびしいときも、ひとりぼっちではない。いつも仏さまがそばにいてはげましてくださる。

 伍長どのの仏さまは、きっと静恵ちゃんだったのでしょう。けれど今日からは伍長どのが静恵ちゃんの仏さまになって、いつも見ていてくださることと信じます。

 伍長どのは勇かんに敵の空母に体当たりされました。

 静恵ちゃんも、りっぱな兄さんに負けないよう、元気を出して勉強してください。さようなら』

 大石伍長、大野沢氏の置かれた状況や静ちゃんを思いやる気持ちのためだけではなく、小学生の静ちゃんが読みやすいように使われた平仮名とわかりやすい言葉。

 「沖なわの海」「出げき」「大じ」

 そして「わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です」という一行のなんという胸が詰まる優しさ。

今日われ生きてあり

いつもありがとう

今日も1日しっかりやっていきましょうね(^_^)b

感謝

(以上引用)

 こんな素敵な感性を持った方が、陸曹(下士官)として我が国の平和と独立を護ってくれているのだ。ありがたい。そして、大石伍長のような純粋に国を想った若人が祀られている靖国神社に詣でることに何の遠慮がいるものか!



2013年04月21日(日) 神様VS地元町会@六郷神社例大祭

 私は自他共に認める「神道信者」である。「信者」というのは適当ではないかもしれない。日本人として、当たり前の「常識人」と言い変えたほうが適切だ。天照大神を御祭神とする神道は、我が国の歴史と伝統の継承者でもあるから、それは「宗教」ではなく、日本人としての「暮らし」そのものだとも思っている。

 子供たちの節目の行事、息子の結婚式、選挙の「事務所開き」など、必ず地元の氏神様である六郷神社にお願いする。さらに、毎月1日には「一日早朝参り」の会に参加をするという具合だ。したがって、靖国神社も「宗教法人」などとは認めたくはないのだ。

 さて、今日は、大田区中で「こどもガーデンパーテイ」が開催されている。各地区で様々な「こども向けのイベント」が、地元町会、青少年対策委員会などが中心となり行われている。

 最近、わが六郷地区で町会関係者がこのようなイベントで集まると、必ずと言っていいほど出る話題が「お祭どうなった?」というものだ。毎年6月の第二の週末に行われる六郷神社例大祭は、地元にある町会がこぞって参加して、おおいに盛り上がる地元の大イベントである。

 ところが、最近このお祭をめぐって聊かの議論が行われているのだ。それは、お祭につきものの「奉納」についてだ。神社側からは、その年の「氏子(実際は住民)数」に基づき、各町会毎の「奉納額」が提示され、いままではその金額を神社に納めていた。ところが、数年前に、ある町会が「奉納なのだから、額はこちらで決める」とばかり、10万円を神社に持参したところ「受け取り拒否」にあってしまった。

 この町会は止む無く「町会主催のフェステイバル」として、神社の「御霊」の入っていない御神輿を担いで町内を巡行した。

 そして、今年の「奉納金」である。町会長らが話し合って、各町会50万円で統一することが決議された。ところが、神社側(実際には、神社総代会)が「奉納額はこちらで決める」と、この提案を拒んだ。さらに各町会で検討を重ねたところ、数町会が「神社の提示した額」を奉納することに転じた。

 提示される奉納額は、町会によって違うが、40数万円から80万ぐらいらしい。景気が良い頃は、企業の寄付が集まり、大変ではなかったが、昨今は寄付もままならず、町会の予算を圧迫している、というのが今回の減額の背景だ。(町会によっては、政教分離のため、祭礼は別組織にしている場合もある)

 今月26日には、この問題を協議する「神社総代会」が開催されるそうだ。子供と大人が一緒になって「地域に住む」ことを体感できる六郷神社例大祭が、神社、町会相互に理解しあいながら円満に開催できることを願ってやまない。



2013年04月20日(土) 日本維新の会 大田区初顔合わせ@居酒屋

 野合だの、選挙互助会だのとマスコミが面白可笑しく書きたてる我が日本維新の会。大田区では、私、衆議院東京第4選挙区支部長、都議会議員候補柳ケ瀬裕文氏、同永井敬臣氏、3名の関係者がいるが、今日まで話し合ったことがなかった。

 同じ会社の支社長と営業所長が、本社から辞令をもらいながら、地元では勝手に営業活動をしていた、というのがいままでである。「党勢よりも自らの選挙を」という気持ちも理解できるが、「日本再生」のミッションは一人ではできない。

 そこで、本日、大田区で都議会議員選挙公認候補予定者になったお二人にお声掛けをして、初の会合を蒲田の居酒屋でもった。

 柳ケ瀬裕文氏、民主党蓮舫(台湾旧姓謝、日本旧姓斎藤、現姓:村田)議員秘書から転じて大田区議会議員半期(2年)、都議会議員1期(現職)。永井敬臣氏、大田区議会議員8期(自民党)、区長立候補(減税日本推薦)落選。の2名だ。

 蒲田の居酒屋では終始和やかな雰囲気で話し合いがもたれ、今後都議会選挙まで協力していくことで一致した。

 柳ケ瀬氏は、反原発などから、どちらかといえば旧大阪維新の会に近い感じだろうか、反面、永井氏は、永年自民党の区議を務めたこともあり、原発容認派、旧太陽の党や石原前知事に思想的に近そうだ。地域的にも、柳ケ瀬氏が大田区の西部地区、永井氏が東部地区に支持層が厚いことから、すみ分けはうまくいきそうだ。

 都議会議員選挙まで残り1ケ月余り、参議院選挙までは80日を切った。日本維新の会が「一つの政党」として戦うことが出来れば、必ず勝利の女神はほほ笑むに違いない。 



2013年04月18日(木) 明日、参院可決も、相変わらず訴えにくい公職選挙法

 今日、公職選挙法改正案が今日の参議院特別委員会で可決され、明日の本会議において成立する見込みだ。これにより、いままで禁止されていた、選挙期間中のホームページ更新や、メール発信、ツイッターなどが解禁になる。ただ、これらが解禁になっても、若者の政治参加意識が高まらなければ、一部のネットマニア相手の「時間浪費」になる恐れも秘めている。

 また、ネットで解禁されて紙で禁止、という矛盾も発生する。「当選させていただきありがとうございました」これを、紙やFAXで送信すると違反文書となり、メールだと合法。「●●大臣、いぬぶしの応援に来る」などという案内も同様だ。すると、ネットを見ない層や高齢者には、断然不利になる。

 欧米では、当たり前の個別訪問も「買収の可能性」があるため、相変わらず禁止だ。一軒一軒訪問して、自らの政策を訴えることは、当然だと思うが、我が国の歪な感覚、「政治家」と「軍人(自衛官)」は、何をするかわからないから、規制する、という異常の産物だろう。一般大衆に直接訴えることを規制して、得をするのは、既存政党、それも組織政党であることは明白だ。

 日頃の政治活動でも、つまらない規制がある。公職の候補者となる者の氏名を書いた看板は、40センチX150センチの大きさに限られており、選挙管理委員会(又は中央選挙会)に届け出て証票を貼らなければならない。

 どうでもいいじゃないか、と思うが、これ以外の看板は違法なのだ。今日は、中山恭子選挙対策本部事務局長(本部長は、ご主人の中山なりあき代議士)として、秘書さんと共に、この看板の設置に、中山議員の出身地である、群馬県前橋市、館林市にでかけた。

 「看板に集票効果はあるのか」との議論もあるが、看板を設置していると、品のいい年配のご婦人が声をかけて下さった。「あら、恭子さんネ!懐かしいわ。選挙ですん。」と。中山恭子議員の母校、前橋女子高校のご出身だそうだ。やはり、「想い出していただく」という効果はありそうだ。


 前橋から60キロ以上はなれた館林に看板を設置し終わったのが夜7時。走行距離400キロ、ふう、大変だった。

 お!妻からメールが入っている。「高崎に行ったのなら、だるま弁当を買ってきて」冗談じゃないぜ!そんな暇ない。さあ、参議院選挙公示まで、77日。

(参考)
選挙の公示:天皇陛下が内閣の助言と承認により行う選挙公示
衆議院選挙、参議院選挙

選挙の告示:選挙管理委員会が行う選挙告示
地方議員、首長選挙および、国会議員の再選挙、補欠選挙



2013年04月17日(水) 何をやっても許されるのか?左翼的市民運動

 左翼、革新系、市民運動、様々な呼び名があるが、彼らに共通するのは、一般の国民に「受けそうな」、攻撃対象を常に見つけて、大衆運動と称して、自分たちの組織拡大につなげることだろう。そして、その活動には勝手に「超法規的」をくっつけるのも特徴である。

 例えば、捕鯨反対の連中の過激な抗議活動。反原発運動の、経済産業省前の国有地占拠事件などが好例であろう。いずれも、国家は悪、捕鯨は悪、それに立ち向かう自分たちは「善」だから法令違反は許される、という勝手な理論である。

 同じようなことが、沖縄県の普天間飛行場周辺でも起きていることが、我が国唯一のマトモな新聞社である、産経新聞の取材で明らかになった。

 それは、反対派の異常で過激な行動だ。飛行場周辺で赤旗(なぜ、赤旗なのだろうか?)をかかげてデモをする姿は報道されているが、過激な行動や違法な活動は報道だれない。

 米国兵士に対する暴行事件は沖縄県警も被害届を受理しないことがあるという。また、米軍兵士の車に砂や土を投げつける、道路に寝そべって暴力的、攻撃的な嫌がらせをsるなど目に余る行為が繰り返されている。

 彼らは、よく「人権」を口にする。では、米軍人に人権はないのか。勝手な勝手な解釈としか思えない。権利を主張するが義務を果たさない、日教組教育とまったく同じ構図だ。

 さらに、普天間飛行場ではヒドイことが行われている。反対派が、飛行場を囲むフェンスに「オスプレイ反対」と「普天間飛行場廃止」の抗議行動として、赤色のテープを巻きだしたのだ。

 街の景観を汚し(公立学校の卒業式でも汚らしい格好をした連中がビラを配っていたが、汚らしいのは左翼共通の姿か?)、違法な活動に異を唱えた若者が昨年9月に、このテープの撤去を始めたそうだ。

 それが、フェイスブックなどで、拡がり「フェンスクリーンプロジェクト」として恒例化し、いまでは毎回50〜60人が参加するそうだ。参加者のなかには、米軍人も含まれており、良識ある沖縄県民と米軍人が共同して「違法な」テープを剥いでいる。

 一部のテープには、この活動を妨害するためか、ガラス片やハリガネが巻き込まれていて危険な作業だそうだ。

 普天間反対運動は、全国的に報道されるが、常軌を逸した反対派の抗議行動や、このようなクリーン活動は報道されない。合法的なデモや抗議行動は、憲法に保障されたものだが、それに乗じた異常で過激な行動は「テロ」に匹敵する野蛮で非難されるべきであり、それは決して「市民運動」などではない。



2013年04月16日(火) 宝塚市長選挙は「維新」の惨敗ではない!反日の勝利

 いやはや、地方自治体のなかには、日本が嫌いで仕方がない「日教組」や社民党、共産党の手先のような首長(市長、町長等)と議員がいる、とは聞いていたが、これほどヒドイ自治体があったのだと知った。

 それは宝塚市である。日曜日の市長選挙で、わが日本維新の会の公認候補が敗れたことが大々的に報道されたが、問題の本質は別のところにあったのだ。

 二期目の当選を果たした中川智子氏。なんと、社民党の代議士を務めており「土井チルドレン」と呼ばれていいたらしい。生粋の反日左翼出身者だ。その発言の変遷も左翼独特の「ご都合主義」が見え隠れする。

自衛隊について:戦地地域に行くのは反対だが災害の時には助けて欲しい。(なんじゃい!存在そのものに反対していただろう)

消費税について:代議士になるまでは反対だったが、代議士になると撤回、賛成に。

伊丹空港について:市長になるまで廃港を主張つるも、市長になると「増便も訴えていきたい」だそうだ。

とめよう戦争への道、百万人署名呼びかけ人:市長になり辞任

 さらに、この恐るべき反日自治体の市議会議員2名が、毎週水曜日にソウルの日本大使館前で行われている「反日集会」に出席し、嬉しそうに大使館に向かって抗議をしているのだ。この「反日集会」に参加した宝塚市議会の議員は、大島淡紅子議員(社民党)と、北野聡子議員(民主党系・市民ネット宝塚)の2名だ。


 反日議員と市長に毒された宝塚市議会は、平成20年3月に「従軍慰安婦問題につき誠実な対応を求める請願」を賛成多数で可決している。これには、今回落選した維新の候補である多田前市議以外全員賛成だったというから、あきれた反日左翼自治体である。

 これでは、まともな保守市長を選びたくない訳である。また、日本一職員の給与が高いことを是正しようと訴えたわが方の多田候補には、職員労組が大反対をし、反日市長を総動員して応援したに違いない。

 我が妻も時たま「ムラ入り」などと称し、友人と宝塚に観劇に出かけているようだが、拉致されないよう注意を促しておこう。

 日教組教育のマインドコントロールから目覚めよ、宝塚市民よ!



2013年04月15日(月) すてきな階段@大田区蒲田清掃事務所

 とかく「杓子定規」と言われるお役所の中に「人間臭さ」を感じると、とてもほっとするのは私だけだろうか。随分前に、警視庁池上警察署の車庫証明の窓口に着席すると、年配(失礼、ベテランが正しい)の女性警察官の方から、「飴よかったらどうぞ」と、カウンターに置かれたアメを勧められた。うかがうと、この方がポケットマネーで買っているとのこと。さっそく、本欄で取り上げたところ、「心無いマヌケな上司」に咎められたのだろうか。次に訪問したときには、アメはなかった。きっと、優秀な上司だったのだろう。

 さて、今日は地元の町会の依頼で、蒲田清掃事務所に出向いた。すると、なんともステキな「人間臭さ」に出会った。蒲田清掃事務所は、蒲田駅から至近の距離にあるが、古い建物と「清掃事務所」の業務から、お世辞にも「しゃれた建物」ではない。いや、どちらかと言えば、古くて暗い感じすらする。


 が、階段をあがって、その印象が一変したのだ。な、なんと最初の踊り場には、チューリップなどの造花が置かれ、次の踊り場には、クマさんの人形と造花が置かれているではないか。すばらしい!

 きっと、収集したゴミの中にあったものを、心ある清掃職員の方が、洗って置いてくれたのだろう。別に、そのまま処理場にしまっても「職務上」なんの問題もない。そして、階段には、何も置かなくても誰も文句を言わないだろう。


 殺伐とした事務所の階段に「色を添えよう」という、職員さんの小さな気遣いが、清掃事務所を訪れる区民や業者の心を和ませてくれる。

 ありがとう!素敵な空間を!ありがとうステキな心を持った職員さん!



2013年04月13日(土) 哀れかな湯本良太郎君、都議公認取り消しbyみんなの党

 政党、特に歴史を持たない党は極めて事務的で非情であるのが常だ。人と人の繋がりや情を大切にするような政党では、激変する政局に耐えられないというのだろうか。しかし、その政党にロイヤリテイ(忠誠心)を尽くすのは、やはり相互に「情」があるからではないか、と思っている。その意味では、たちあがれ日本、そして改編された、太陽の党は「情」に溢れていた。今所属している日本維新の会も、是非そのような政党に成長し、若い候補者が、「この政党で骨を埋めよう」、と思える党になって欲しいと願っている。

 さて、今日は驚愕の報は、みんなの党で都議会議員の公認候補となった湯本遼太郎氏が、公認取り消しになった、というものである。

 彼は、自民党の区議会議員から区長選挙に出馬して敗れ、今回は万を持しての都議出馬だった。渡辺喜美氏とのポスターもつくり、地元回りをはじめたばかりの悲報だ。心中察するにあまりある。

 取り消しを決定したのは、風で当選したコーヒー屋の創業者の国会議員らしいが、「落選」や「どぶ板」を経験していない「能書き野郎」にちがいない。地べたをはいずって選挙を戦っいる候補者の苦労などなんのその、党の方針で簡単に公認を取り消す、このような「情」が理解できない人間に政治を委ねるわけにはいかない。

 一番喜んだのは、他党の候補者ではない。みんなの党のもう一人の候補者である、柳瀬吉助氏だろう。電通のコンサルから2年前に区議になって、今回都議に転身だ。私の経験からして、区議1期目では、まだ何もわかっていない状態だ。もう少し、せっかくだから区議で学ばれたらいいのに、と残念である。

 自民党でも同様だ。大田区に3名いる現職都議は、実は仲良くない。自民支持層のなかで敵は民主ではなく、自民党の他の都議だからだ。日本維新の会はさらにその感が強い。

 日本維新の会都議候補の一人、柳ケ瀬裕文氏は、もともと民主党蓮舫(本名名乗れ!:村田蓮舫)氏の秘書で、労働組合の「連合」支援候補として都議に当選した。したがって、日本維新の会の石原慎太郎代表とはいささか考えが違うかもしれない。

 もう一人の候補、永井敬臣氏は自民党の区議会議員として8期務めた後、区長選挙に減税日本推薦で出馬するも落選。今回、日本維新の会の公募に応募して公認候補になった。したがって、この二人の出自はまるで正反対と言ってもいいが、いまは同じ政党である。

 そして、両氏ともに、わが日本維新の会の公認候補でありながら、お互いに、なんの連携もないし、私も彼らの行動につき何も知らされていないのだ。これではだめだ。日本維新の会が戦うべきは、自民党であり民主党であるはずだが、なぜか身内がライバルになってしまうのは情けないではないか。

 我が党が、真の第三極になるためには、「大阪系」だとか「太陽系」などといっていないで、戦う一つの集団とならなければだめだ。直近の選挙をひかえている都議候補お二人には、私共々、是非とも連携してご一緒に支援の輪をを広げていこうではないか。

 湯本良太郎君!滅びゆく「情」のない、党に固執せず、区民のため、都民のため、さらには国民のため連携していこうではないか。頑張れ湯本!



2013年04月12日(金) 証明書発行機、法務局が出来て、区役所が出来ない訳

 今日久しぶりに東京法務局城南出張所(大田区鵜の木)に、法人の印鑑証明書を取りに出向いてたまげた!な、なんと、法人の印鑑証明書、登記事項証明書(通称、登記簿謄本)が、自動発行機で取得できる、と書いてあるのだ。

 さっそく、持参した印鑑証明カードを機械に挿入すると、法人代表者の生年月日を聞いてくる。それを入力して手続き完了。手数料相当の収入印紙を購入すると、すでに証明書は窓口に用意されていた。その間、所用時間2分ぐらいだろうか。

 窓口で職員に渡す従来の方式だと、10分から混んでいると20分はかかったので、大変な効率化である。

 実は、区議会議員の当時、再三にわたり区議会で「住民票や印鑑証明などは自動発行機にせよ」と訴えていたが、区役所側は「個人情報保護の観点」という意味不明な理由で拒否していた。お役人にとっては、自分がやらないと決めたら「出来ない理由を」、やると決めたら「やらなければいけない理由を」こじつけるのが重要な仕事である。

 私の妻の実家がある栃木県宇都宮市役所では、スーパーの中で土・日でも「自動発行機」で住民票や印鑑証明が取得できる。大田区と宇都宮市で「個人情報」への取組のなにが違うのか?簡単な話である。宇都宮市の担当者がマトモだっただけである。

 さて、では、なぜ法務省管轄の法務局で、自動発行機が設置できたのか。それは、発行業務(乙号業務という)が平成20年度から一部の法務局で市場化テストにより民間委託されたからである。そして、平成23年度からはすべての法務局の発行業務が民間委託された。

 民間企業は、効率化が重要である。いかに少ない人数で、与えられた仕事をこなすか、「仕事の量に見合った社員数」が重要だ。そこで、人件費を節約して利益をあげるには、有給休暇も社会保険もいらない「自動発行機」を導入したほうがいいに決まっている。反対に、お役所は、職員の数だけ「仕事を作らなければならない」から、効率化は不要である。

 ところが、大田区役所の住民票や印鑑証明発行の窓口は、平均年収750万円の地方公務員があたっているのだ。これを「自動発行機」に替えられては、公務員の仕事がますますへってしまう。働かない公務員の組合である「自治労」傘下の大田区職員労働組合も、組合員数が減ってしまうのは困る。

 大田区の松原忠義区長は、区長選挙にあたり、自民党、公明党、民主党の推薦に加え、労働組合である「連合」の推薦も受けている。「連合」傘下には、日本が嫌いでお馴染みの教員の労組「日教組」や自治労がある。

 つまり、区長としては、区長選挙の応援団である「連合」の傘下である大田区職員労働組合が「困る」ことは、例え区民サービスが向上しても、するわけにはいかない、という推論が成り立つのだ。

 ITと事務効率化後進自治体の大田区さん、悔しかったら「自動発行機」を言い訳ししないでつけてご覧!

 ちなみに、区職員平均年収750万円。自動発行機1台250万円。どっちが、区民にとってお得かしら?



2013年04月11日(木) 平日のデモに来なくていいから仕事しろ!公務員労組め

 今日は、午後から参議院議員会館に出かけた。高速を降り、首相官邸方向へ向かうと、横断歩道を長いデモ隊がのぼりをあげて行進をしていく。のぼりには、共産党の支援組織である「民主商工会」、日本が嫌いで仕方ない教員団体である「日教組」、さらには働かない地方公務員の団体「自治労」、共産党系国家公務員労組などが続く。


 訴えているのは「消費税あげるな!」だった。ちょうど、経済産業省前の国有地を不法占拠して、「反原発」運動をしている左翼の連中が、エールを送っていた。嗚呼、情けない連中よ!

 少し行くと、右翼らしき宣伝カーが彼らデモ隊に並列して大音響でしゃべっている。「共産党の諸君!消費税反対だ?しかし、君らが推進している生活保護費は、消費税をあげなければ払えないんだぞ!」おっしゃるとおり、と拍手を贈りたかった。

 衆議院、参議院と車をすすめると、各院の「陳情受付所」には、「日本共産党陳情受付所」と大書された看板がたてられ、デモ隊がその前で、共産党の国会議員団に、陳情書をわたしていた。

 なんでも反対、いい施策が実現すると「我々の要求が実現した」と言い張る、共産党に陳情して何ぼのものか、と思うが「共産主義がパラダイス」と洗脳されているのだから止むをえまい。

 しかし、平日の昼間の時間帯に、国会までお出まし頂く時間があるのなら、仕事しようよ!中小企業の社長さん、教員、公務員諸君!特に、教員、公務員の諸君の今日の有給休暇の「有給分」は、消費税を含む税金から出ていることをお忘れなく!



2013年04月10日(水) 憲法9条で止めてみろよ!北朝鮮ミサイル発射を

 社民党、共産党を含む「平和ボケ」の諸君!「憲法を護れ」結構じゃないか。では、諸君の主張されるように、「憲法9条があったから日本は平和だった」のだとすれば、是非とも今日にも発射される、北朝鮮の中距離弾道ミサイル「ムスダン」に向かって、六法全書から切り取った「憲法9条」の条文を紙飛行機にでもして飛ばして欲しい。きっと、ムスダンは「憲法9条」に恐れをなして、方向変換をするに違いない。さすがである。諸君こそ真の愛国者であろう。

 冗談じゃないぜ!日本が平和を維持できたのは、「憲法9条」の規定により中途半端は身分を強いられながら、時には政争の具に使われながらも、粛々と任務をこなしてきた、24万人の自衛官が存在sるからだ。そして、同盟国である、米国の庇護があったからだ。

 諸君らの論理でいくならば、「警察官職務執行法」があるから街の安全が保たれていることになり、「消防法」があるから火災は発生しない、ことになる。立派な意見である。街の安全は、各地に勤務する警察官が日夜、警戒をして下さっているからであり、火災を最小限に食い止められるのも、消防官の献身的努力によることは、小学生でもわかっている。

 日本国憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と書かれている。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」とは、世界中の人々は、みな平和を愛し、公正で信義に篤いから、信頼していれば大丈夫、というまったくノウテンキな発想である。

 北朝鮮のチンピラのような行動のどこに、公正と信義があるというのだ。我々、まともな国民は、国際社会と連携して、このチンピラに二度と愚行を起こせないよう、お灸を据えなければならない。



2013年04月09日(火) 義務を果たさず、権利の主張by地方公務員の皆様

 大田区議会議員として、4期13年間、大田区を含む地方公共団体の職員さんたちの「インチキ」と戦ってきた。真面目に住民サービスに汗を流している多くの職員のなかに、「驚くような権利を主張」する強者も存在する。

 JR車内で泥酔し隣席の乗客をぶっ飛ばし、傷害罪で蒲田署に逮捕され豚箱に拘留された男子職員から出された「有給休暇」を認める、などという異常な権利の行使が、公務職場では日常的に行われている。そのことを、国民、納税者に公開し改善させることが、私の使命のひとつでもある。

 本日の権利の主張は二件。

 1件目は奈良市役所の職員さんの「わがまま」である。奈良市では、職員証を機械にかざして出退勤時間を管理していたが、職員証を退庁時に他人に委ね、翌日は、その他人が代わりに打刻させる「代打ち」が横行。そこで、市当局は、手のひらの「静脈認証」を導入する、と発表した。

 すると、自分たちの不正行為である「代打ち」を棚に上げた労働組合は、な、なんと「職員を犯罪者扱いして個人の身体というプライバシー情報を取得するのは許せない」と反発した、というのだ。「代打ち」十分に詐欺罪だろうし、地方公務員法違反である。市職員労組がすべきは、「不法行為を反省し、組合の責任において代打ちを止めさえる」という態度である。

 2件目は、大阪市役所の清掃職員5名。河川のゴミ収集中にゴミに混じっていた現金を着服して懲戒免職になった。当然である。が、このことを不服として、大阪地方裁判所に提訴したところ「裁量権の乱用」で勝訴した、というのだ。いやはや、以前「裁判所が道徳を壊す」と書いたが、地方裁判所判事は、社会性の欠落したおかしな連中が混じっているのではないだろうか。

 ずいぶん前になるが、日教組の大田区の組織で「教員に名札を着用させるのはプライバシー侵害だ!」「名札不着用は、重要闘争項目」などと書いていたことがある。バカもんである。こんな連中が、税金で雇われて、子供たちを教育していると思うと、背筋が寒くなる。

 こんなことでは、地方公共団体の業務のうち、公権力の行使に関わらない部分は、すべて民間委託か指定管理者に替えてしまうべきである。

 時代の流れをつかめよ!KYの組合さんよ!

 

 



2013年04月08日(月) 本国に買ってもらえば?朝鮮学校防犯ブザー@町田市

 町田市教育委員会は、市内にある朝鮮学校に対し、区内小学校に無償配布している防犯ブザーの配布を「最近の北朝鮮情勢を受けて」中止していた。賢明な判断である。

 ところが、世に「存在価値」が問われている教育委員が「けしからん」とばかり反発して本日、配布を決定した。「けしからん」のはどっちじゃい!!

 大田区でも、朝鮮学校に1000万円を超える税金を補助金として交付しており、再三私が中止を訴えても馬耳東風である。そして、一部区民も「朝鮮籍のこどもたちに罪はないのだから」と、養護する。

 正論ではあるが、そのバクボーンを考えない駄論である。朝鮮学校では、「拉致は捏造である」と教え、豊臣秀吉の時代から「多くの朝鮮人が日本に拉致された」と教えている。さらには、共和国と金ファミリーへの忠誠教育が毎日行われているのだ。

 2月の「人工衛星」の発射後には、朝鮮学校の代表児童・生徒が北朝鮮に招待され、テレビカメラに向かって「我が国のミサイルが発射され、日本人が驚く姿を見て誇らしかった」とまで語っている。

 そんな教育を行っている学校に、なぜ税金で補助する必要があるのだろうか。疑問である。地方自治体であっても国家観を持たなければならない。どうか、見識高い町田市議会議員のみなさん、45個配布された予算の執行を阻止していただきたい。そして、良識ある町田市民各位には、教育委員は連帯してこの費用全額を町田市に返せ、との住民監査請求をお願いしたい。

 私は、北朝鮮が独裁体制を転換し、民主的国家として生まれ変わり、国際社会と協調し、北朝鮮国民が豊かな生活をおくり、拉致被害者全員が帰国したならば、朝鮮学校の建物を我が国の税金で建てたとしても文句は言うまい。

 毅然とした態度を取ることが、ならず者の対する唯一の対抗策である。ヤクザにみかじめ料を払うがごとき町田市教育委員の判断には到底承服できないのである。

 だから教育委員会を廃止せよ!と訴えているんだ。



2013年04月06日(土) ふざけるな!袴はダメだと?大田区立小学校卒業式

 「その場凌ぎ」「言い訳」これは、お役人業界の常識である。4期13年、このインチキと戦ってきた。今日は、またまた見つけた大田区立小学校のインチキをご披露しよう。そもそも、大田区では執行部から平職員まで、日本が嫌いな人々が紛れ込んでいる「反日自治体」であるのは有名なことである。

 先月の末、大田区立小学校では卒業式が行われた。大田区の小学校の卒業式は、多くの児童が、中学校の制服を購入する業者から無料レンタルで借りた洋服を着て参加する。

 今回、地元の小学校で「袴(はかま)」を着用して参加した児童が複数いた。素晴らしいことだ。我が国の伝統的服装で人生の節目である式典に参加することは、褒められこそしても、非難されることではない、はずだ。

(この画像は保護者の許可を得て掲載している)

 ところが、この話を聞いた他校の「まじめな保護者」が、子供の通うI小学校に確認の連絡をした。

保護者「袴で卒業式に出席していいですか」
学校「一人だけ目立ってしまうのでやめてください」

 おかしな話である。我が国の伝統的服装で式典に出るな、というのだ。もし、韓国、北朝鮮籍の児童がいて「チマチョゴリ」で出席したいと言ったら、否定はしないだろう。権利や平等という名の差別がおこなわれているのだ。

 私が区議会議員在職中に行った一般質問がある。

私:大田区の男子職員でミニスカートで勤務している職員、Tシャツ、Gパンで勤務している窓口職員は、区民に対して不快感を与えるから改善指導せよ。

人事課長:地方公務員法に、男子職員がミニスカートを着用してはいけない、という規定はないし、Gパンも同様である。法に規定がない以上、「着衣の自由」である。

 バカもんである。では、蒲田の銀行で、男子行員がミニスカートで勤務したらどうか。即刻異動だろう。

 今回の事例は、このようなマヌケな事例と比べる問題ではない。伝統的服装で式典に参加しようとしたら断られた。では、区男子職員がミニスカートで勤務するこたが許されて、男子児童が袴をはいて卒業式に出席出来ないことの、合理的理由を示せ!

 「事なかれ主義」と「横並び平等主義」の公立学校教育では「強くて強かな国」を作る人材は育たないぞ!



2013年04月05日(金) いぬぶしが、なんと中山恭子参院議員選対本部長就任

 世の中の人の出会いは、とても面白い。私の人生など「出会い」で成り立っていると言っても過言ではない。必要な時には、必ずと言ってよいほど「必要な人」が表れるのだ。特段の宗教を信じている訳ではないが(神道は宗教ではない!)「偉大な力の采配」を感じてしまう。

 衆議院選挙に落選し、当然、3位で当選した大田区議会議員も自動失職(公職選挙法の規定による)してしまった。先月30日には、日本維新の会党大会において、衆議院東京都第四区支部長に再任をされ、実質的には次期衆議院選挙への戦いが開始された。が、自民党、公明党の安定多数の政権は、よほどのことがない限り、解散総選挙を仕掛けることはないだろう。4年後だとすると、気の短い私には長すぎる。

 ところが、過日、立ち上がれ日本の時代から親しくご指導を頂いていた、中山恭子参議院議員ご本人から「手伝って欲しい」旨のご連絡を頂戴した。拉致問題の解決に尽力された中山先生の許で、闘いのお手伝いが出来ることは、光栄としか言いようがない。即座にお請けした。あの、品の良い話しぶり、お人柄の中山先生と、品のなさでは天下一品を誇るいぬぶし、一抹の不安が残るが…

 来週には四谷に開設される、後援会事務所に詰めることになる。なんとしても「夏の陣」に勝たねばならぬミッションを頂いたのだ。各々方、よろしゅうお願い申す!

********ご参加のお願い*******

中山恭子国政報告会

日時:平成25年4月9日(火) 正午〜13時半

場所:ホテルルポール麹町「ルビー」

昼食を食べながら、国政報告会を行います。お申込み、費用などはメールまたは電話でお問い合わせください。

info@inubushi.com
電話03-5711-6980

 



2013年04月04日(木) 宮内庁さん、そりゃないぜ!春の園遊会

 今月18日に赤坂御苑で開催される春の園遊会の招待者が発表された。招待者は、法務・社会事業から地方公共団体の長・議長まで20の業務区分ごとにわけられて招待されている。

 例えば「労働関係」という括りでは、あの亡国民主党支持団体である連合副会長が招待され、「運輸事業関係」では元海上保安庁水路部長も招待されている。ところがである。「防衛関係」という括りがないのだ。

 当然、自衛官の招待もない。国家元首(天皇陛下)主催のパーテイー(園遊会)に、軍人(自衛官)が招かれない国は、世界広しといえども日本だけだろう。情けない国である。

 当然、この招待者の選定には畏れおおくも天皇陛下が関わっていらっしゃる訳ではなく、宮内庁の役人が各省庁と協議でいて選んでいるに違いない。そこで、軍隊などろいう「いかがわしい」集団の代表を天皇陛下の許に招待するわけにはいかない、と「配慮」したのだろう。とんでもない輩たちである。

 あの東日本大震災における自衛隊の活躍について、天皇陛下は自らのお言葉で「感謝と敬意」を表明された。陛下にうかがえば必ず「自衛官を招待せよ」とおっしゃるに違いない。

 我が国の叙勲の最高位である大勲位菊花章頸飾や大勲位菊花大綬章は自衛官には与えられないが、在日米軍司令官には授与される。本当におかしな国である。

 さらにたまげたのは、大田区の誇るお茶目な区議会議長、高瀬三徳氏が招待されていることだ。

 宮内庁さん、少しは考えろよ!

 本件とは関係ないが、わが政治の師である西村真悟先生が、「西村真悟の時事通信」に、自衛隊生徒について書いて下さり、さらには「犬伏頑張れ」というコメントまで下さった。ありがたい。




2013年04月01日(月) 身体は正直者?「あの」いぬぶしにもストレスが…

 私は、何が起きても「それがいい」と生きてきたつもりだ。20年以上経営してきた会社が同時多発テロの影響で廃業せざるを得なくなった時も、「それでいい」と開き直って生きてきた。したがって、私の辞書には「ストレス」という単語は存在しない。と思っていた。

 ところがである。昨年11月ごろから、両手、両足の皮膚が切れるようになった。しもやけのようになり、切れてささくれてどうにもならないのだ。インターネットで調べると「亜鉛」不足では、との素人判断をした。

 さっそく、亜鉛が含まれているというレバとカシスナッツをコンビニで購入し、家でガツガツ食べていたら、娘に笑われた。「サプリて知らないの?」と。なんと、レベやカシスを山ほど食べるyほりも、安くて効率のよいサプリメントというものがあるというではないか。さっそく購入し、翌日からのんだが、症状は悪化の一途。

 やむなく皮膚科を受診した。医師は皮膚をとって顕微鏡で確認し「水虫菌」はいないので、皮膚の炎症でしょう。塗り薬を出します、と。1週毎に通い、そのたびに「少し強いクスリにしました」と言われ1ケ月。そのまま、衆議院選挙に突入してしまった。選挙の定番の「握手」ができないのだ。これは、とても困ったが、とにかく乗り切り選挙が終わった。

 症状はなったく改善せず、セカンドオピニオンをもとめるべく、別の皮膚科を受診すると同じ見解で、塗り薬をいただだいた。このころになると、爪にヘコミと変色が見られるようになった。医師によれば、ヘコミができたころ「強いストレス」があった、のだそうだ。


 受診した1月にはヘコミは、7mm程度のとこrだったので、11月後半から12月にかけてストレスがあったのだろうか。衆議院選挙の時期と一致する。負け惜しみではなく、私は、さきの衆議院選挙は多くの善意と友情に支えられ「最高に幸せ」を痛感した選挙だったと思っている。したがって「強いストレス」などあり得ないなずなのだが。

 確かに、突然の候補者、突然の選挙、早朝から深夜までの選挙戦で体は疲れ果てていたが、心は元気いっぱいだった。が、そうではなかったのだろうか。選挙が終わって3ケ月以上が経過し、皮膚の症状はずいぶんと改善され、ほとんど痛みは感じなくなったが、水道水やお風呂にはつけることが出来ない。


 爪は、相変わらず「人に見せられない」汚さである。体が「少し休め」と言っているのだろうか。自分の肉体ながら、不思議な発信の驚いているこの頃である。


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