いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2003年04月30日(水) 初登庁 当選証書を頂いた

 今日は、当選証書授与と、説明会のため区役所へ。議会事務局のみなさんに拍手と「おかえりなさい」の声で迎えられる。控え室は、自民、公明、共産のような政党は変わらないが、こちらは、相手次第で、場所も変わらなければいけない。とりあえず、以前の控え室にはいる。以前の控え室は、無所属(今回、区長に出馬)1名、民主2名(1名は都議補選へ出馬)が構成する「親政クラブ」と同じ部屋だった。ところが、この部屋に入ると、様子が違う。今回の選挙では、民主党が大健闘をし、全員当選をしたのだ。5つしかない机と椅子に、5名の民主党議員と私。わかったよ、俺が出て行くよ。議会では、政策の同じ議員が「会派」というグループを作る。大田区では、3人以上の会派を「交渉会派」とよび、議会運営委員会、幹事長会への出席、各種審議会、協議会の委員、正副委員長などのポストが割り振られる。私は、過去4年間、「大田区議会自由党」を名乗り、一人でやってきたが、今回は、上述したような理由から、誰かと会派を組もうか、とも思った。が、相手がいない。
 「非自民」を標榜する自由党本部は、多分、自民党との会派には難色を示すだろう。では、民主か?今回、当選した民主の女性候補は、日教組の支持を受けている。多分、組合から「いぬぶしとだけは組むな」と厳命されているだろうから、ここも無理。緑の党の、野呂さんとは、役所に対する考え、議会についての考えは、おおいに共感するのだが、残念ながら、その思想信条は到底、共に会派を組めるものではない。まあ、また、一人で行こう。区民与党「いぬぶし」!

 ちなみに、民主党の当選者のバックボーンは以下のとおり(敬称略)

 山崎: 松原代議士、名取都議各秘書 連合推薦
 岸田: 司法書士 名取都議の絶大な支援
 つの: 日教組推薦
 沼田: 島田元都議 糸瀬、仲田元区議の支援
 田中: 最年少候補 元みずほ銀行員 松原代議士秘書

 予想される会派構成

 自由民主党大田区民連合 19名(1名落選)
 公明党         12名(全員当選)
 共産党          8名(3名落選)
 民主党          5名(全員当選)
 ネット無所属連合     3名(ネット全員当選)
 無所属(金子富雄議員)  1名
 緑の党          1名
 自由党          1名    



2003年04月29日(火) ふう〜やっとまともな休日だ

 ここ半年ほど、まともに休日を取っていなかった。今日は、支援者の皆さんにもお断りして、休日を取らせていただいた。いや、そのるもりだったが、忘れていた。4時(朝です!)に、朝起き会の皆さんを、府中にある多磨霊園の創始者の墓参りに車で送迎する約束をしていた。おきたのは4時15分。車は、昨晩飲んだので、家の駐車場にはない。あちゃ、すみせん。タクシーでかけつけ、ごめんなさい!昼は、家族3人で、ラーメン屋さんに。そんな、当たり前のことが、ずっと出来なかった。自衛隊から、連休で帰宅している長男は、家族よりも彼女らしい。デートに出かけた。
 しかし、夕食は、この長男が「祝勝会」をやってくれるというので、ご馳走になった。生まれて初めて、息子におごってもらった。それも「祝勝会」なのがうれしい。選挙中、おにぎりやら、弁当が多かったので、焼肉をリクエストした。幸い、GW中で、「焼肉半額」という看板が、蒲田の駅前にあったので、その店に向かう。選挙中とは違い、駅前には宣伝車もなく、静かだった。つい、数日前は、あのロータリーで、必死に声をからして訴えていたのに、今は、普通に雑踏を家族と歩いている。何か、不思議な感じがする。おごりの晩餐は、彼女も参加して盛り上がった。ところが、支払う段になると、「おやじ、金貸してくれ」という。どうやら、自衛隊では、新卒の隊員に多額の現金を渡すと心配なので、「金銭管理」という名目で、給料を預かってくれているようだ。用途を明らかにすると、いつでも引き出せるとのこと。誠にありがたい教育だ。まあ、労働団体の活動家に言わせれば「管理の強化はんた〜い」「人権侵害!」となるのだろうが‥
ありがとう、わが息子!後で金返せよ



2003年04月28日(月) さあ、開票だ!

 さあ、開票日。春風と新緑が目にまぶしい。選挙に没頭している間に、いつのまにか世の中は春まっさかりだったんだ。投票所に入って、開票状況を確認できる「開票立会人」は、66名の候補から、抽選で10名が選ばれた。残念ながら、当陣営はハズレたので、現場には誰もいっていない。支持者の方が、午前9時ごろから集まりだし、気が気ではないが、選挙管理委員会からのFAX速報(今回から取り入れられた)を待つしかない。第1回の発表の10時半を過ぎても、選管からのFAXはこない。すると、投票所にいっている知人から携帯に電話があった。「おめでとう!3000票だ」そんなわけないでしょう。まだ、1回目ですよ、300票の間違えでは、と問い返す間もなく、別の知人が、同じように現場にいる、都議の秘書より得た情報として「3000票」と連絡してくれた。マサカ!地域のほかの有力候補が1000票台なのに‥
 信じられない気持ちと、うれしい気持ちが交錯しながら、皆さんに発表。
拍手がわく。FAXには、選管からではなく、支持者からインターネットのデーターが届き、改めて3000票を確認できた。66名中3000票は一人だけだ。ほんとうかいな?一瞬「トップ当選」という文字が脳裏を掠める。
結果4692票、第9位だった。本当にうれしい。負け惜しみで言うわけではないが、まったく大きな支持団体がない唯一のヒトケタ当選候補。つまりトップだ、といばってもいい位いただいたと思う。私以外の上位当選候補は、なんらかの大きな支持母体の持ち主だ。「純粋区民派」の支持は、本当にうれしい。また、トップ当選すら射程距離といわれていた候補が、以外にも伸びなかったことは驚きだった。彼は、地元のすべての町会の新年会、忘年会、盆踊り、お祭り、そして、ありとあらゆる会合に出席して「顔を売って」いた。当然、「会費」も大変だったろう。道を歩けば、私の100倍の人を知っていると思われた。ところがだ‥有権者は見ている、ということだろうか。
 夜は、一部の支持者の方と、選挙反省会。ボランテイアで活動していただいた方であっても、会費を頂かないで、このような会を催すと、事後買収になる。趣旨はわかるが、なんとも無粋な法律だ。しかし、会は感動的で、本当に、いい方々に囲まれた選挙をさせていただいた。
お名前も存じ上げない「あなた」ありがとう!



2003年04月27日(日) 今日は投票日!いよいよきたぞ〜

 一週間の選挙戦も終わり、今日は投票日。投票日は、何もできない。選挙事務所が、投票所から300m以内だったので、事務所の看板、ポスターなど一切撤去しなければならない。(公職選挙法による)
やることがなくても、5時前には目が覚めてしまった。そうだ、せっかく早起きしたのだから、「早起き会」に行こう。この会は、文部科学省所管の社会教育団体である社団法人倫理研究所が主催しているもので、大田区内10ケ所で毎朝5時から、勉強会を開いており、私も会員になている。残念なのは、まともな組織なのに、新興宗教の一派だと勘違いしている方が多いことだ。
 糀谷の会場に出かけ、ご挨拶。その後、地元の町会会館でやっている会場に参加。6時からは、今日、区民プラザで開催される、この団体主催の講演会のチラシのポステイングのお手伝い。その後、日課になった六郷神社への参拝をし、帰宅、朝食。投票をしに投票所へ向かうと、公設のポスター掲示板の前で、悩んでいるカップル発見!ここで、投票依頼をすると、違法になる。しかし、もったいない!そこで、ポスターの前を通り過ぎることにした。通るだけなら文句ないだろう。おっ!わかってくれたようだ。
その後、区民プラザの講演会の設営のお手伝いに出かけた。さすがに、「来賓」として招待した区議の出席は一人だけだった。みんな、何やってるんだろう。選挙のセオリーだと、投票日には「●●事務所ですが、投票にいかれましたか?」と、業界用語で《棄権防止活動》というのをやるのだが、ミエミエなので、当方はやらなかった。
 まあ、いいや。もはや終戦。普段にもどろう。すばらしい講演会。500名を超える参加者があった。
 午後8時、投票が終わった。家で夕食を、と思っていたら、支持者の皆さんが事務所に集まり始め、即席の選挙反省会が開催された。翌日開票なのに、みんな心配で集まってくれる、ありがたい。
党と連絡をとると、即日開票の区市で、自由党候補が健闘しているらしい。トップ当選もでているという。そんな中、元自由党員で無所属で立候補した女性候補から落選の報が‥「ご苦労さん」以外に、言葉がでない。私自身の経験によれば、こんなときに、どんな慰めの言葉も凶器に感じる。お疲れさんでした。さあ、もう寝よう。



2003年04月26日(土) 最終日!辻説法、駅前演説で訴える

 今日は、いよいよ最終日。よく晴れた土曜日。在宅率の高い午後は、地元の大きなマンション、団地を辻説法でまわった。「いぬぶし秀一、いぬぶし秀一」と連呼したところで、自己満足にすぎない。いくら「政治離れ」といっても、やはり政治の原点は、演説であり、辻説法である、と思っている。確かに、新年会、忘年会、盆踊りと、古典的選挙を繰り広げる議員も多いが、強固な支持基盤をもたない私の、唯一の武器は演説だ。
マンションの下で演説を始めると、一人、二人とベランダに出てくる。最初は、物干しを拭いたり、関係ないことをされるが、そのうち聞き出し、最後は拍手、そして手を振ってくださる。この変化がうれしい。
 蒲田の駅前でも同じことがおこる。何気なく通過する人々が立ち止まる。そして、聞き始め、一歩前に近づいて聞く。拍手がでる、手を振ってくださる。さらには、その後、メールで励ましをおくってくる方もいる。この感触がたまらない。宣伝カーをまわして、沿道の方が手を振ってくれて「手ごたえアリ」という候補もいるが、よほど地元でもない限り、宣伝カーへ手を振るのは「社交辞令」だと思ったほうがいい。しかし、街頭での演説は違う。確実に「手ごたえ」がわかる。
 19時より、事務所前で打ち上げ。多くの支持者が集まってくださった。前回の選挙とは随分と様子が違う。選挙を手伝ってくれた、多くの地元町会の皆さん、異業種交流の仲間、PTAの仲間、誰一人として義理できているわけではない。私に「利権」があるわけでもない。純粋に、「いぬぶし頑張れ!」と集まってくださった皆さん、ありがとう。
そして、街頭演説で、ネット上で、声をかけていただいた、多くの”お名前も存知あげない多くの皆さん”ありがとう。
 多くの人々の善意と協力により、今までに経験したことのない、すばらしい選挙を、心おきなくやらせていただいた。これで、落選したとしたら、私は、もはや当選できる術がわからない。
本当に、すばらしい出会いの7日間だった。しかし、つ か れ た!



2003年04月24日(木) 選挙妨害の色々

 選挙の前から、その最中には、様々ないやがらせがおこる。ある団体、または政党の関係者が組織的にやっていると思われるもの、また、その末端の構成員が、くやしまぎれにやっているもの、さらに驚くのは、自由党支持者が流すものもあるのだ。まあ、本当に、くだらないが、毎回おこる。前回と、今回の事例をいくつか紹介しよう。
 
 *いぬぶしが、京浜蒲田でビール券を配っていた、とデマをとばす
 *事務所の前に駐車すると「駐車違反」で110番される
 *すんでいる賃貸マンションのゴミ置き場に、いぬぶしのパンフを多数ば  らまく
 *駅前で演説をしていると、「行儀の悪い事務所だ」と運動員にクレーム  をつける
 *住んでいるマンションのエレベーターの非常ベルを押し「いぬぶしさん  が乗っていった」という
 *小沢のために死ねるか?などと支持者を装って、長電話をよこす
 *宣伝車の鍵穴にガムをつめる
 *インターネット2CH(掲示板)へ、事実無根の書き込みをする

 まあ、いずれも冷静に考えれば、くだらないとわかるし、その実行者や、その方の参加している組織も概ね補足している。まあ、なさけない。
いくら選挙が戦いだといっても、もっと、政策や、演説でケンカせいよ。
可哀想だったのは、蒲田西口で、「私たち公務員をいじめないで、区長をいじめろ」と、ヒステリックに2回も、「突撃」してきた女性区職員さん。
反面、インターネットの私のメルアドに、実名で「大田区の職員はおかしい」と訴えてくれた職員さんには頭がさがる。
 これからも、誹謗中傷なんのその!頑張る公務員の応援団、いぬぶし!



2003年04月21日(月) 公職選挙法を厳守!しかし、大変なことです

 公職選挙法を遵守する、候補者にとって、当たり前のことが、実は、選挙の実態と乖離していて、結構大変である。
以下、選挙違反になる事例を‥‥

選挙事務所に、酒を差し入れる→菓子類はいいが、酒は不可
選挙事務所の外にポスターを山ほど貼る→看板、ポスター含めて3枚以内
支援者が、材料を持ち込んで炊き出しをする→弁当のみ可(1000円以下)
ボランテイアのために、近所のファミレスで食事を出す→ボランテイア本人                     が支払って、実費弁償はOK
時給を支払った者が、街頭で「投票依頼」をする→運動員はすべて無報酬で      なければいけない(単純労務者、運転手、うぐいすはのぞく)
未成年の候補者の親戚、家族が選挙活動をする→未成年者は一切できない
一食15人前以上の弁当を用意する→一食15人前以内、一日45食45000円以内
自転車にポスターを貼って、連呼しながら走る→移動の手段以外は不可
候補者の名前を大書したノボリを持って歩く→文書の掲示、頒布違反
数人が列になり街を歩く(通称:桃太郎)→気勢をはる行為となり違反
候補者が、歩きながら演説をする→立ち止まらなければいけない
学校、病院周辺での連呼→静寂を維持する施設につき違反

 結構、どこの陣営もやっていることだが、以上の行為は、すべて公職選挙法に違反する。これを守りながら選挙を戦うのは大変だ。



2003年04月20日(日) 告示日のくじ引きは、誰が?

 今日は、告示日。区役所内で立候補の手続きをする。ただし、実際には、66名の候補予定者が、すべて事前審査を受け、今日は「提出」するセレモニーだ。まずは、8時半までに出席した候補者により、くじを引く順番を引くくじを引く。ちなみに、このくじを引く順番は、早いもの順だ。私は、49番目にきたらしい。そして、くじを引く順番のくじは、61番。私の二人前まで、なんと届出番号「1」が残っていた。よっし!1番引くぞ、と意気込んでいたら、同じ地域の候補者の代理人に取られてしまった。26番をひいて、まずは安心。1回目落選したときは、掲示板の一番下。前回、当選をしたときは、一番上。今回26番は、上から二番目の位置だ。まあ、視線の位置だからいいだろう。現職候補で、本人がくじを引いたのは、私を含め二人だった。やっぱり、人にゆだねられないな〜。
 さて、面白いのは、現職古参1名と、自民の2回目の候補者が、この抽選に参加しなかった。8時半以降の候補は、抽選に参加せず、その一番後の届出番号になる。つまり、抽選に参加しなければ間違いなく、掲示板の一番左側の、一番上か、その次にあるのだ。このお二人が、そう考えての遅刻か、本当に遅刻なおかは知る由もないが、戦術としてはウマイかもしれない。なお、91歳の候補も、最後に届出をすませ、66番をGETしたが、大田区内で、この候補のポスターを見ることはなかった。
 届出を済ますと、今度は、警察にいき、設備外積載許可をもらう。これも、事前に審査をすませているので、簡単な確認ですんだ。ただ、数日前に、事務所の近くに、私服刑事さんが、「犬伏さんの家はどこですか?」と聞き込みにきた、との情報があったので、立ち会った刑事課の刑事さんに、私の住所および連絡先一覧をお渡しした。大丈夫、公職選挙法を徹底して守っていきますから!
 さあ、一週間頑張るぞ!



2003年04月18日(金) 議員控え室の私物を片付け、事務局へ挨拶。また戻ってこれるかな?

 区議会議員には、区役所10階に控え室が与えらている。会派ごとだが、私は一人なので、「新政クラブ」という会派と同じ部屋を使っている。この会派は、当初4名だったが、2名が都議会議員選挙へ(いずれも落選)、1名が区長選挙に立候補を予定しており、いつのまにか、民主党の議員1名になってしまったという、珍しい会派だ。10畳ほどの部屋に、それぞれの机が1つ、書庫とロッカー、共通の応接コーナー、といったつくりだ。
この控え室も、今日までに整理せよ、との文書がきたので、私物を整理した。最後に事務局に鍵を返し、4年間のお礼を言う。面白い世界だった。来月、また戻って来れるだろうか。
 夕方は、一人で街頭演説に出かける。糀谷商店街、萩中通り商店街、西糀谷商店会と、辻説法で政策と活動報告をする。話終わると、近所の商店主の方が話しかけてくれる。この瞬間が、とても好きな時間だ。
事務所に戻ると、地元町会のメンバーが、あさってから始まる戦いの打ち合わせに集まってくれている。まったく無償の厚意に、感謝感謝!
頑張るぞ〜



2003年04月17日(木) PTAの役員決めと、お任せ民主主義

 今日は、PTAの専門委員会である。各委員会の委員長、副委員長、会計、書記を決めるのだ。そして、これが大問題。PTAは必要だ、学校や教員との連携は必要だ、みんな思っている。しかし、自分のことになると、まるで、お役人のように「出来ない理由」の連呼が始まる。そんなに忙しくて、学校にこれないなら、子どもなんか作らないで、夫婦二人でいればいいのにね〜
保育園の延長保育、児童館など、働く親の都合だけが考えられている。そこに入所する子どものことは、「子育て支援」の名のもと、忘れ去られていく。
 選挙もそうだ。日本の政治は3流だ、駅前の演説はうるさい、チラシなんか受け取らない。でも、政治はおかしい? 冗談でしょう。選んだのは、3流の国民だし、投票にも行かない、3流の有権者でしょう。
PTAの役員は誰かがやるだろう、政治は誰かがやるだろう、このような「お任せ民主主義」が、この国を蝕んでいる。また、夜のPTAなら、オヤジでてこい!
 本年も、昨年に続き、ある団体に所属する会員さんが、この学校のPTA会長さんに就任された。あのきつく、いそがしい職務を三代にわたり、この団体の会員さんが引き受けてくれたことは、父兄として感謝に耐えない。そのことを問題にする父兄や、地域の有力者もいるが、では、誰がやるのか。誰かがやる、では何も変わらない。
 PTAも、政治も、「あなた」が主役!



2003年04月16日(水) 街頭演説での出会いは楽しい!

 私は、政治を志す者の第一歩は街頭演説である、と思っている。亡き新井将敬代議士が、初めて立候補された時、蒲田西口で、ビール箱の上にのって演説していたのを聞いた。そして感動し、コーラを差し入れた記憶がある。
もちろん新井先生の足元にも及ばないが、毎朝、どこかの駅で演説をしている。とくに、小さな駅が好きだ。小さな駅は、電車を待つ間、演説を聞かざるを得ない。まさか耳をふさぐわけにはいかないから、電車がくるまでの数分は、「即席演説会場」が実現するのだ。そして、電車がホームにはいると「いってらっしゃい」で締めくくる。このタイミングがおもしろい。原稿があるわけではないから、話しながら、次の話題を考えるという技も求められる。昨日は、雨の糀谷駅、熱心にホームから聞いている男性が、電車がくると手を振って乗っていった。また、おとといは、偶然、私のチラシをもらった女性から「自らの状況と、区職員の恵まれた環境を比べ、涙が出た」とメールが来た。さらには、大森の初老の男性から「息子が、あんたのチラシを持ってきて、この議員はいいよ、と言ってきた。頑張れ」と電話を頂いた。
 こんな、見も知らぬ方々からの応援がある街頭演説は、やり始めると病みつきになる。
チラシをお渡しする一瞬、目を合わせた一瞬、その一瞬以外、その方と出会えない。その偶然の一瞬に笑顔を返してくれる「あなた」がいるから、明日も街頭に出かけよう。駅前で出会ったら、手を振ってくださいね!



2003年04月15日(火) 最後の委員会、最後のお給料日!

 毎月15日は、区議会の常任委員会が開催される。今日は、今期(14期だそうだ)最後の委員会となる。多くの報告が役人からあった。今日のトピックは、都市計画道路についてだった。都市計画道路というのは、都市の交通渋滞緩和、防災などのために、この道路を広げるぞ、と、お役人が地図上に線を引いたものだ。そのことは、やむをえないことかもしれない。問題は、線を引いてから50年以上もほったらかしている箇所が、山ほどあることだ。都市計画道路の線が入ると、その土地に3階建て以上の建設物、鉄筋コンクリートの建物は建てられなくなる。その代償として、お情けばかりに、固定資産税、都市計画税が減免される。しかし、50年である。決定されたときに生まれた子どもが50歳になる。個人の財産権を50年も侵害しているが、役所の出した文章には「公共の福祉のため、受忍限度である」とのたまう。冗談じゃないよ!50年も、ほったらかして受忍限度だ?あきれる感覚だ。また、役人が住民に出してくる文章の題目にも、再三文句を言っているのだが、変わらない。今日でてきたのは、「都市計画道路なんとかかんとか放射19号線拡幅用地買収説明会なんたらかんたら」という、のんのこっちゃ、わからない住民向け文章である。放射19号とは、何かわかる方はすばらしい。一体、どこのことかとページをめくれば、第一京浜のことらしい。だったら、そう書けばいいのに、それが出来ない、お役人の悲しさ!
 今日は、あわせて、最後のお給料日だ。次のお給料は、いただけるのかどうか‥‥
 本日の給料明細は、以下の通り・

 支給額   604,310
 
 長期掛け金  78,000(議員年金の積み立て)
 所得税    19,950
 住民税    35,500
 団体保険    3,600

 差し引き  467,260



2003年04月14日(月) 区政報告会開催 多くの友情に感謝!

 支援してくださる方たちから、「お前の集会はいつやるんだ?」との、お叱りを受け、本日、PIO(産業プラザ)にて、区政報告会を開催した。どうも、私は、支援者の方を集めることを躊躇してしまうところがある。忙しい時期に、お金を払ってまで来ていただくのは心苦しい。呼ばれる立場になれば、仕方なく参加する方も出るだろう。しかし、もはやそんなことは言ってられない。200名入る会場を押さえたところ、支援者の皆さんから、「せまい!」とのクレームが。
 料理と、飲み物の数も大変だ。頂く会費以上に、出すと、公職選挙法違反に問われるからだ。会費以内で、なおかつ利益が出ないように、満足していただく料理と飲み物。なかなか至難の業だったが、知人の仕出し会社の社長が協力してくれて、あまらず、足らず、であった。
 困ったのは、来賓挨拶だ。それぞれ3分づつでも、約30分かかるのだが、皆さん雄弁のため、40分以上かかってしまった。その間、立って聞いている方々には、さぞお疲れだろうと、来賓の励ましのお言葉と、時間のハザマに身の縮む思いだった。
思い起こせば、4年前にはほとんど人が集まらずに、ヒヤヒヤしたが、今回は、地元の皆さん、異業種交流の仲間などが助けてくれて、隔世の感がある。この善意に応えるべく頑張るソ!



2003年04月07日(月) 教育は強制でいい! 愚息の陸自入隊式に感動

 3月27日に書いたように、長男は大学受験に失敗し、自ら、陸上自衛官となった。彼が家を出てすでに12日。今日は、晴れて入隊式だ。御殿場にある板妻駐屯地に出向いた。富士山を目前に頂くすばらしい駐屯地だ。まだ、あどけなさが残る、グリグリ坊主が制服を着て雑談をしている。必死に、わが息子の姿を見つける。「いた!」真新しい制服が、恥ずかしそうな息子がいた。つい12日前に別れたばかりなのに、妙に懐かしい。厳粛な入隊式で、全員の名前が呼ばれ、辞令交付が行われた。98名の同期生の中、97名に辞令が読み上げられ、息子の名がない。ありゃ?どうしたことだ。すると、一人だけ、日付の違う辞令が読み上げられた。息子の分だ。なるほど、彼の生年月日は、昭和60年3月29日、つまり、3月27日の辞令交付だと、一般自衛官の年齢基準18歳以上に該当しないため、18歳の誕生日付けで辞令が出た、そういうことらしい。
 380円だという、部隊の昼食で祝宴をしていただき、約20分の面会時間。あっという間だった。たまたま、当番で指揮官をするというので、面会時間終了5分前になると時計を気にしはじめる。ついこの間までは、時間なんて気にしなかったのに。ズボンにはバシッとアイロンがかかり、30名の同期を引率して行進して去っていく息子を見て、「教育の原点は、強制にあるのでは‥」と思い、この17年間、われわれは、一体、彼に何を教育してきたのか、不安にもなった。
 帰宅すると、息子からメールが入っていた。
曰く「なにも心配しないで平気です。来て良かったと思っています。今日はわざわざ来てくれてありがとうございました。」
親バカだが、いい息子を持った、と涙した。頑張れ!


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