日々の思い

ひばり【MAIL

My追加

明日から6月
2001年05月31日(木)

もう5月も終わり。
あっというまに、時間が過ぎていく・・なぜか、毎日ひどく早くて、

今日、久しぶりに、おばあちゃんと犬に会った。
なぜ、あのわんちゃんは、あそこまでやさしいのだろう。
間違いなく、彼は(だと勝手に思っている)
自分が、おばあちゃんを護っていると信じている。
今日読んだ本に心に残る言葉があったので

「なに?」
「とても美しい女性だった」
「それが口実になるというような言い方ね」
「口実じゃない。一つの解釈だ。
ああいう輩は、綺麗なものや貴重なものを見ると、懐かしくなるんだ。
見たり・・触れたりするだけでは満足できない。
自分のものに出来なければ、打ち砕く」
「そうね」
「そして、残された私たちは、かけらを拾い集める」
だが集まったものは少ない。
あまりにも広く散らばってしまった。
しかも、鋭い破片に触れようものなら、血を流すことになる。・・・


コビア君からの手紙
2001年05月27日(日)


私のフォスターチャイルドコビア君。
久々に手紙をくれた。
といっても、まだ字がかけない・・かわいい小さな絵が、一杯書いてある。鉛筆とクレヨンを使った絵。
説明がないので、わからないのもある。
でも、彼は、精一杯書いたのでしょう。黒い自転車、色のついた車、おうち、テーブルとイス、ほかにも・・・
ケニヤの子供達は、水汲みを仕事としている。
遠くから生活のための水を汲むことで、毎日の暮らしが成り立つ。
そのため、学校へ行く時間が取れない。
でも、水汲みは、欠かすことが出来ない作業。
早く、井戸や、水道が、引かれる様になると良いと切に思う。
次は、コビア君直筆の名前の入った、手紙が届くよう祈ろう。




妖精に捧げる賛歌
2001年05月26日(土)

出会い,別れ、そして・・・旅立ち!
初めての出会いは、そう あるパクリ芸だった。

見てくれると嬉しいのだけど。そして感想を・・と書いてある。

でも、知識のない私には、そのパクリ芸の面白さがわからない。
正直に告白。ごめんなさいわからないのです。と・・

それから1年,わずか1年,でもネットの時間は、広く長い。
実時間の数倍はある。
私にとって,妖精の森は楽しみと、励みと何より若さ、
それに夢,希望、あらゆるものが詰まっていた。
彼女にとっての1年,
それは、国家試験,教え子の受験、大切な家族との悲しい別れ、・・・
それらに対して,実に真摯に取り組む姿、
でも、そこには悲壮感はなかった。
いつも明るく笑っていた。
そして、まるで、起き上がりこぼし(彼女の言葉を借りると)
のように立ち上がって,常に,前向き,正直に生きていた。

彼女は,妖精が天使に変身したのだと、明るくネットを去ろうとしている。素晴らしい数々の作品を残して・・・・

私には、ドクターコートを着た彼女が,患者さんに微笑む姿が見える。
浜あゆに似てる彼女。
ネットの世界で、あれだけの、サイトを作った彼女。
もう、そこにドクターとしての資質は、十分現れていた。
私は,沢山の幸せを貰った。

私は,彼女に何か少しでも上げれたのだろうか?

せめて、旅たちに際し,こころからの賛歌を捧げたい。




日記
2001年05月24日(木)

最終日が,14日。
すっかり,あいてしまった。
なぜか書けないのだ。書きたいことはあるのだけれど。

昨日は、会社の取引先の人からドームのチケットを頂いた。
主人に電話して二人で、ダイエーVS日ハムを見に行った。
何だか負け試合・・・でも、城島は見れるし(ちょっとミーハーである)
まあいいか。
でも7回になるとぐっと引き締まった。
ラッキーセブンの風船飛ばしとても綺麗だった。
応援にもリキが入る。最終的には、引き分け。
勝って花火を見るのが目的だったのにと、ちょっとがっかり。
でも興奮してストレス解消。楽しめた。



りんの受難
2001年05月14日(月)

今日はもうすっかり元気になった。
ほんとに臆病なわんこ。
でも良かった。

Netで、色んなサイトを巡っているとたくさんの人との出会いがある
でも、同じくらいの別れもある。



りんの受難
2001年05月12日(土)

わんこは夕べ、ほとんど眠らなかったようだ。
たまに、声とも付かぬ鳴き声を出す。
そのたび、布団から這い出しそばへ行く
ほとんど、自分の身体さえ、やっと支えてる感じ。
今日は土曜日、朝のうちに、病院へ電話をすると、
ショックを受けてるようだからお家の中に入れてあげてと言われる。
夕方には、少し、気分が落ち着いたようで、一安心。
でも、夜中、暗くしていたら、また、あの声を出す。
結局この晩は、一晩中電気をつけておいた。



りんの受難
2001年05月11日(金)

大変なことが起きた。
家には、柴犬がいる。
一軒家に住めたら飼おうと、約束をして、今の家に移ったときに飼った訳でもう13歳を過ぎた。
シャイで臆病なのは、わかっていたのだが・・・・
今は、家が塗装中なので、いつもいる場所から少し、移動して犬小屋を置いている。
と言ってもホンの1メートルくらいだけど。
そのため、暗くなる前に家に入れていた。
今日は、ちょっと遅くなって、主人が連れに行った。
すると、びっくるするような、声が聞こえる。
なんと、まるで、声が出なくなってるのだ。
さあ、それからが大変、何をいっても反応なし。
まるで、知らないうちに来たような顔で、何も感じ無い様子。
ご飯も水もそっぽを向く。
手ですくってやるとそろそろなめる。
壁に向かって只じっと座って、首うなだれ、ほんのときどき、
声にならない声を出す。
主人もさすがに心配して、私ときたら、ほとんど、舞い上がり状態。




5月9日
2001年05月09日(水)

家の、補修。壁と屋根の塗り替えが今日から始まった
もう13年を過ぎ、屋根の色が白くなってきたから。

足場を組まれると、小さな敷地なので、家の周りを歩くことさえ、容易でない。




4月30日
2001年05月08日(火)

ちっとも、日記の更新が出来なかった。
まとめて、書いておこう。まずは、30日。
母が、これなくなったと昨夜電話がきた。
それが、急転直下、都合がついて、3時過ぎに送られてやってきた。
息子、5時半に、空港着。
突然姪からの電話。
予定してたことが、キャンセルになったので、きていいかと言う。
勿論良いに決まってる。そんなで、総勢6名。
早速、パーティーの準備。
ちょっとお料理少なめだけど、ビールが、あれば、まあいいか。
終わったのは、深夜、1時過ぎ。
とっても楽しかった。
息子が帰ってきたのは、ほぼ2年ぶり。心地よい疲れ・・


5月1日

福岡は、このところお天気が良くない。
母は、じっとしてることが出来ない人。
私は、仕事だったので、終わって帰ってみるとなんと、すっかり、庭が綺麗に変身していた。
トマトや、きゅうり、それに、チンゲンサイ、にがうりまで、・・・
綺麗に植えてあって、添え木まで、終わっていた。嬉しい。
いつまでも、親離れできないと笑う私。
会社も、あすからお休み。
いよいよ、連休がはじまる。
息子は、友人と食事に出かけ、帰宅は勿論午前様。

5月2日

今日は、シーホークホテルへ!
いつも親孝行が出来ない私。やっと真似事が出来る。
今日は寒い日になりそう。
ちょっと厚めの上着を持参。
部屋は、17階、安い料金で泊まるのだからまあいいか。
福岡の新しいスポット、マリノアシティ。
大観覧車があって、夜はとても綺麗。でも、とにかく風が強く寒い。
息子は、なんとシャツを1枚だけ。
北国の人になってしまってる。ちっとも寒くないそうだ。
スターバックスのコーヒーを飲んで、ラーメンを食べてからホテルへ。
でも、道路の渋滞がすごい。
ダイエーとロッテの試合ががあるからなおさらだ。
混なければ、20分もかからないのに、約1時間。
夜の高層ホテルは、すばらしい。
35階からの眺めは一段と綺麗だった。
ドームの屋根が、開くのも見たし・・・食事は、ホテルは高いので、外で・・(仕方ないよね、でもいいの)母の、とにかく嬉しそうな顔が、沁みる。
それに、主人の息子と飲める・・・その嬉しさも・・沁みる。





5月7日
2001年05月07日(月)

もうすこし、日記を続ける
息子が、来てから、3人で、ゆっくり食事をするのは、今日が、最初で最後、明日は、大分の工場を見学して、宿泊後、9日には、札幌に帰ることになっている。
内定した会社の話を聞いた。
夕べも、福岡支社の方にあって食事をしてきたが、出会う人すべてに感銘を受けたようだ。

毎日仮面を一枚持って、会社に出かけてる私。
決して、はずすことなく5時までをすごす。
そうしなければ、付き合えない人物がいる。
ひどくしんどくて、やめたくなること数知れずでも、これも一つの奉仕と気持ちをなだめて、仮面をつける。
こんなことでは、だめだなあ。

息子は夢と希望にあふれている。
今までに出会った、先輩方が、導いてくださった。
明日の朝は、息子は大分へ、主人と私は、いつもの毎日へ。
そして二男はこの連休中、、9日からの休みを心待ちにして、昼と夜の勤務を交互にくりかえしている


5月6日
2001年05月06日(日)

休最後の日。
妹一家を同じように、ももちへ連れて行く。
でも、みんな、いささかお疲れ。
ちょっと遊んで、昼ごはんを食べて、引き上げた。
今年ほど、忙しい連休はなかった。
9日から、家の壁と屋根を塗りなおすことになっている。
植木鉢をよけておきたかったけど出来ずに終わってしまった。
妹達は、5時頃に帰っていった。
息子が、ぽつりと言った。
おばあちゃんがね、
もう一度あおうね。きっとあおうね。と別れ際に言ったんだよ。と・・
台所で、洗いものをしていたのだが、思わず、涙があふれてきた。

母は、気が弱ってるのだろうか・・




5月5日
2001年05月05日(土)

妹一家と母と有田の陶器市に。
お天気は、相変わらず悪い。
特に何かを買うというわけではないが、昔から陶器市にくるのは、母の楽しみだ。
夫婦でどこかへ出かけるという習慣のなかった両親。
陶器市だけは、父が、来てたからかもしれない。
車のない、家だったので、父にすれば、荷物持ちのつもりだったろう

お昼ごはんを食べていると、義弟が、今日このまま、福岡までいっていいかと言う。
どうせ、姪がまた、息子とのお別れにくることになってるので、どうぞと誘う。
そういうわけで、とにかく、忙しい連休だ。
夕飯の買出しをして、慌しく帰路につく。
高速道路もかなりの渋滞。家に着いたのは、7時をまわっていた。
待っていた姪に手伝ってもらい急いで、食卓の準備。
そしてやっぱり、今日も宴会の終わりは深夜。




5月4日
2001年05月04日(金)

今日は、母を送りがてら、久しぶりに実家へ
息子は、昨日も夜に出かけて、朝4時の帰宅。
おきるのがつらそう・・
佐賀にある「吉野ヶ里」が国立公園になったので、寄ってみることに。
初めていったのだが、その広さに圧倒された。
実に広大な敷地。
見事に復元されていて、その苦労に思わず感謝する。
メインのところは、あまりに人が多く登れなかった。
物見やぐらから、下を見ると、何だか一瞬、支配者になった感じ。
かめかんが沢山出土されて展示されていた。
でも、この形で、埋葬されるのは、いやだなというのが、素直な感想。
佐賀の天然記念物カチガラスが、巣を作っていた。
母が言うには、下のほうに巣を作ってるので、今年は、台風が、多いかも。昔からの言い伝えだそうだ。



5月3日
2001年05月03日(木)

主人は、長崎へ結婚式に出席のために
一人早くチェックアウトしなければというので、朝食は、7時にバイキング。バイキングって大好き。
でも、多すぎて食べれない。
今日もやっぱり、風が強い。
食事を終えて、主人を送り出し、3人で、35階へ。
朝の景色は、どういう訳かよそよそしい。
福岡の町が、見知らぬ町に見える。
少し遠いが、歩いて、ももち浜にできた、「中世の博多展」を見に行くことにする。
その前に、どんたく会場で「博多券番」の踊りを見た。
きれいどころのおねえさん方の「おっは〜」はでもちょっとね・・
「博多展」は、テレビドラマのセットにもなっている。
北条時宗の時代が再現されていた。
母が冥土の土産と、つぶやくのを何度か耳にする。
3時過ぎに帰路に着いた




BACK   NEXT
目次ページ