くじら日誌
温かい、紅茶を傍らに。
穏やかで何もない日々だけれど。
せいいっぱい、生きよう。

2005年03月31日(木) 厄除けにいこう

うすいさんのお母さんの容態が、昨夜より若干悪くなった・・・というか
ヒビの入っているところが1か所見つかったようです。
頭なんかには異常ないみたいだし、本当に、大事に至らなくて良かった!
全治は1ヵ月半とのことですが、
両家顔合わせを早くしたくてうずうずしているご両親は
「構わず話を進めて!」とおっしゃっているそうです。

そうして、わたしとうすいさんは挙式準備を本格的に進める前に
厄除けをしにいこうと思っています。
これから先、何事もなく無事に過ごしてゆけるように。
今年に入ってからバタバタしすぎているので、厄除けしてきます。


4月2日はお祖父さんの四十九日。
本当は行きたいけれど、土曜日だし、去年もものすごいお店が混んだから
申し訳ないけれどわたしは仕事を優先することにしました。
その代わり、初盆はお手伝いさせていただこうと思っています。
今はまだ顔合わせもしていない、正式には嫁ではないから許される事。
夏の頃はそうはいかないだろうし、わたしがお手伝いをしたいから。
結婚前から嫁としての経験値を上げておきたいのです。
ただでさえ、わたしの知らない風習が多々あるんだし・・・。




2005年03月30日(水) 災難続き

うすいさんの事故も、やや落ち付きを取り戻してきた矢先、
今度はうすいさんのお母さんが家の階段から落ちたそうです。
今の所わかっている症状は、左薬指骨折。
・・・なんというか。今年に入ってから、うすい家良い事なしです。
お祖父さんの急変から、愛犬の死去、お祖父さんの死去、愛猫の交通事故、
うすいさんの交通事故、お母さんの転落事故・・・。
「わたしが疫病神か何かなのかも」と冗談半分で言ったら、
意外と本気で怒られてしまいました・・・(泣)。
でも、わたしとの結婚の話が進み始めてから頻発しているから、
やっぱりどうしてもそう思わずにいられない。


ところで最近は仕事が飛躍的に忙しい毎日です。
残業したって終わらない。
今日も外に出たら深夜の1:00。
それでも本当は仕事は終わっていないのです。

今日なんかは、あまりにも忙しそうにしているのを目の当たりにして、
うすいさんの売場の部門長さんが見かねて包装を手伝ってくださったくらい。
本当は、一店舗として恥ずべき事。
自分のお店の仕事がスタッフ内で片付けられないだなんて。
でもスタッフ一人ひとりに責任感がないわけでも手際が悪いわけでもない。
単純に、スタッフ不足。
愚痴にしかならないけれど、それって結局シフトを作製するひとに責任があると思う。
特に3月は1年で一番忙しくて売り上げを伸ばせるということが分かっているのに
スタッフ数を増やさないんだからどう考えたって無理な話。
それで売り上げどうこう、と言われても。
みんなヘトヘトで士気下がりっぱなし。
そこで、「大変だね」「頑張ってるね」「無理させてるね」
というような労いの言葉をかけてもらえるのならればまだしも
そんな言葉かけてもらった記憶がありません。

仕事である以上、手を抜く気はないですが、
楽しく仕事ができないなあ、と思う今日この頃です。





2005年03月25日(金) ぶるぶる

もうすぐ春だと言うのに、帰りは霜柱が立っていた。
マフラーを置いてきた事を悔やみながら縮こまって駐車場まで歩く。
わざと土の上を歩いて、パリパリと音を立てて歩いた。
すぐそこに来ているはずなのに、掴めそうで掴めない、春。


今日はうすいさんは早番だったので、先に帰ってゆきました。
初夏にある試験の、試験勉強も始めたことだし、
早く帰って勉強するよ、と朗らかに帰ってゆきました。
わたしも「気をつけてね。鴨や猫やイタチに気をつけてね。」と
朗らかに行って送りました。

丁度わたしが帰る頃、うすいさんから電話があって、
でもそれはいつものことだったから、普通に電話に出たのです。
「事故った。」うすいさんは開口一番そう言いました。
車と車の衝突事故らしく、相手側は頭を打ったようだから病院で検査を受けただとか、
自分の車のナンバープレートが吹っ飛んだだとか、
そんなことを言っていました。
とりあえず、双方に大きな怪我はなく、
相手の方もCTスキャンで異常なしだそうなので、それは不幸中の幸い。

あれほど鴨や猫やイタチには気をつけてって言ったのに・・・!
こともあろうか車に気を付けないだなんて・・・!



2005年03月24日(木) トンネルの向こうは

朝っぱらから父親と一戦やらかしている、春の日。


暗い暗いトンネルにまた足を踏み入れて、動けなくなっています。
出口の見えないその先に足がすくんで、立ち尽くしています。
誰もがそんな暗闇を持って生きているのだろうけれど。
だからこそ、それを誰かに聞いて欲しいと思うわけではないのだけれど。

人生の中で、幸せなことよりも悲しいことや辛いことのほうが多いかもしれない。
それでも生きてゆけるのは、そのささやかな幸せがあるからなんだろう。
小さな幸せに辿り着くために、色々な苦難を乗り越えてゆく。
最期の最期に「いい人生だった」と笑える人生であるために。



最近温かくなってきたので、水出しアイスティーを作ってます。
手持ちのお茶がなくなり次第、順次アイス向き茶葉にしてゆくつもりです。
最近の傾向:温州みかん→グレープフルーツ。
あと、夏場は意外と伊藤園の黒豆麦茶が好きなのです。
冷蔵庫には麦茶はかかせない。



2005年03月23日(水) ときには昔の話を

今夜もラジオ深夜便を聴きつつ帰宅。
丁度、甲状腺癌になった方(名前を忘れてしまった/汗)の話だった。
出産直後に病気が発覚したらしく、当時は口に出せないほどの
パニック状態だったのだと、彼女はおだやかな口調で話していた。

前にも日記に書いただろうか。
昨年の6月ころ、わたしは乳癌の疑いがかかっていた。
その頃を、ふと思い出した。
結果的には異常なしだったのだけれど。
あのときのわたしの動揺も凄まじかったなあ。
目が腫れるまで泣いて、夜が来るのが恐くて、眠るのが恐かった。

うすいさんと付き合い始めて2ヶ月が経っていて、
これまでの人生で一番幸せだと思っていたときに、
一気に奈落の底に突き落とされた気分だった。
幸せの見返りなのか、とも考えた。
うすいさんにも申し訳ないと思った。
うすいさんとは別れるつもりでいた。
でも先に「例え最悪の事態になったとしても、最期まで一緒にいるから」と言われて
悲しいのと辛いのと嬉しいのと幸せなのとごちゃ混ぜな気持ちになった。
やっぱり涙が止まらなかった。

病院へ行くまで、わたしは数日間うすいさんの家でお世話になっていた。
うすいさんのお母さんが勧めてくれたのだ。
うすいさんと一緒にいることでわたしの心が少しでも落ち着くのであれば、と。
うすいさんの家から仕事に行って、うすいさんの家に帰った。

うすいさんのお母さんも大病を患ったことがあって、
それこそ生死の境を彷徨うようなものだったそうなので、
そういった話も聞かせていただいた。


今まですっかり忘れていたけれど、そんなこともあったんだ、と
本当にふとしたことで思い出した。
きっとこのときにはすでに、わたしの中では知らぬ間に
うすいさんの生涯の伴侶として共に生きる事を決めていたのかもしれない。
今はそう思う。




2005年03月22日(火) どぶろく

今はもう市販されていないらしい「どぶろく」。
今日、たまたま飲む機会に恵まれ、試しに一口・二口。
一気に頭に血が上ってくらくら〜。
つ、強い・・・(汗)。
でも、貴重なものを頂きました。

最近、少しずつ少しずつ、アルコール耐性が出てきた様子。
ゆくゆくは、同じ量で晩酌を共にできるようになりたい。
今は、ほんの少しの量をお付き合い程度で飲んでいるから。
(お付き合い程度、とはいえ、わたしにとっては十分な量だけど。)



2005年03月20日(日) 深夜便

最近車の中では専らラジオを聴いていて、しかもNHK。
帰りは大抵「ラジオ深夜便」の時間なので、日の出日の入りの全国各地の時間やら、
世界各国からのマーケットリポートやらを聴いている。

今夜もそのようにして帰路を走らせていたら、0:30からテレビでも放送する、
ということがスピーカーから聴こえてきて、
家に着いてすぐさまテレビのスイッチを入れた。
本当だ。深夜便がテレビで!

スタジオを見られて何やら感動してしまっているわたし。
いいなあ。ラジオいいなあ。


そんなわけで、これを書いている今も、ラジオ深夜便の真っ最中。
携帯ラジオでも買おうかな。
一度、全部通して聴いてみたいし。



2005年03月17日(木) やや復活

1週間も経っていないけれど、やや復活したので日記書きます。

ものすごいヘコむきっかけになった出来事を
何人かのひとに言ってみたら、全員が「なにそれ!?」という反応で
「それは理不尽だ」と言ってくれたので、少し心が軽くなりました。
でも、わたしがしたことは「良い事」でがなかったし、
反省もしているので、二度と同じ過ちを繰り返さないようにします。


さて、最近の一番の悩みは体重が落ちている事。
食欲不振なわけではないんですけど、40kg切っちゃったんですよね。
ここ3年半くらい、そこまで減った事がないのでやや不安です。
以前にそんな体重になったのは、精神安定剤を服用していた
情緒不安定な時期だったので、尚更不安。
とりあえず、もりもりとお肉を食べています。血肉になりますように!

残業が続いているからかな・・・(帰りが遅すぎて、夕ごはん割愛しちゃう)。
この間、外に出たときすでに夜中の1時で吃驚しましたよ!
仕事でやりたい事(というか、やらねばならない事)が多すぎて仕方ないです。
かといって、営業時間中にやってたらお店が回らなくなるし〜。
掃除とか片付けがしたいです。散らかりすぎで〜!
店休日があれば1日中片付けしてるのに・・・!


目下の目標
・3食きちんと摂取する。
・土日は休みを入れない。
・仕事が終わらなかったら(タダ働き)残業をする。
・結婚のことを無闇に言いふらさない。(経過を含めて)
・「疲れた」「もうイヤだ」など、泣き言を言わない。



2005年03月12日(土) ポップコーン

突然ですが、少々日記をお休みさせていただこうと思います。
パソコンも当分は使わないないつもり。
掲示板が削除されてしまったら、ごめんなさい。
結婚の事も何もかも、当分誰にも言いたくないのです。
はしゃぎすぎたみたい。

自分のことをあまり喋りたがらないのは、
こういうことが起こるからだ。
心の中を土足で踏みつけられた気分。
だから、扉にはきちんと鍵をかけておかなきゃ。



2005年03月11日(金) お疲れ?

最近、たいして仕事をしていないのに疲れております。
たぶん、わたしがしなければならないことの半分もやっていないはず。
それなのに疲れているだなんて、怠惰この上ない・・・。

仕事以外のことをしているからなのか。疲れているのは。
8日:葬儀用礼服を借りに貸衣装屋さんへ行ってから仕事。
9日:葬儀。
10日:礼服を返しに行ってから仕事。
11日:眼科へ寄ってから仕事。

明日ものんびりできるわけじゃないし、生きるって大変。


でも、ウェディングドレスの試着はがっつりしてきます。
画像のアップができたらいいなあ。



2005年03月10日(木) 久々に一緒にお仕事

4日ぶりくらいです。
わたしもうすいさんも共に出勤なのは。
同じフロアにいても、するべき仕事は違うし、言葉を交わすことさえ稀だけれど。
この場所にいるということだけで、ずいぶんとわたしは力をもらっているんだと痛感。
「頑張るぞ!」という気持ちが湧いてくる。
わたしは恵まれた環境で仕事をしていると思う。
幸せ者というより贅沢者。


土曜日は再びブライダルフェアです。
料理のご賞味会があるので。
それから、とりあえず式場の仮予約をしてくる予定。
秋になるか冬になるかわからないけれど、
結果を出すまでにまだ時間がかかるし、
その後に予約しようとしてすでにいっぱいだったらヘコむので、
とりあえず秋(10月くらい)に仮予約してきます。
まだ、空いていればのお話ですが。


うすいさんのおばあさんが寡黙になってしまっているとのこと。
おじいさんのこと、やっぱりショックみたいで。
わたしにできること、何かないかな。
話し相手とかになれるかな。



2005年03月09日(水) プレデビュウ告別式

告別式は午後1時からということで、
午前中は慣れない葬儀参列の為に髪をまとめるのに必死。
しかも、かばんが小さすぎて物が入らず四苦八苦。
電車を1本見送って、12時30分頃に式場に到着(タクシーにて)。

火葬場の都合上、午前中にお骨になってしまっていたおじいさん。
祭壇にはちょこんと小さな箱が置いてあるだけなので、
なんとなく実感が湧かず、そんな気持ちでお線香をあげる。

式までやや時間があるので、親族の方々や近所の方々に挨拶をして回り、
「いいお嬢さんね〜」「可愛らしい方ね〜」と社交辞令の言葉を浴びて
すでに疲労困憊。

告別式ではお坊さんがお経の途中で大きなくしゃみをしたので
思わず吹き出しそうになったりもした。
花粉症なのかしら・・・。

出棺はないし、あんまり湿っぽい雰囲気にならず、
和やかに式が行われた気がする。
享年91歳の大往生だからなあ。
遺影を見ながら、「もし、おじいさんがご健在であったなら、
わたしにどんな言葉をくれるのだろうか」と考えて、少し寂しくなった。
あと1年、いや、半年でも早ければ。
言葉を交わし、その姿を見ることができたのに。
人望の厚い方だっただけに、残念で仕方がない。


わたしは納骨に行く親族を見送って、終了・・・のはずだったのだけれど、
何故だか納骨にもご一緒させていただく事になって、
混乱したまま慌ててバスに乗り込んだ。

結局、最後までお付き合いをさせていただき、大変恐縮です。

恐縮・・・というか、勉強させていただいたというほうが正しいかも。
長男の嫁として、わたしがこれから為すべきこととか。
頑張ります。


久々(といっても2日ぶりくらいか)にうすいさんの部屋を覗いたら、
写真が飾ってあって吃驚・・・というか恥ずかしかった。
先日のブライダルフェアの写真と、12月に行ったヴィーナスフォートの写真が
額に入って飾られているんだもの!
乙女だ、うすいさん・・・。わたしには真似できないわ。




2005年03月08日(火) お通夜、そして情報流出

今宵はうすいさんはお通夜です。
昨日から忌引きでお休みしています。
わたしもお通夜行きたかったけれど、仕事が休めないから
明日の告別式のみの参加です。
なんと、わたしは親族席(しかもうすいさんの隣)に席を設けられているらしく、
結婚前から嫁の試練となりそうな予感です。はらはら。
まだ正式婚約も済ませていないので、
近所の方々や親戚の方々もわたしの存在は知らないはず・・・だったのですが、
おばあさんがいろんな人に話して回っていたみたいで・・・(汗)。
確かに、おばあさんにとっては、可愛い孫に婚約者が出来て、
嬉しい事この上ないのかもしれないけれど〜。
プレッシャーです。とほ。
粗相のないように余所行き自分を作っておこう。
やけに偉いひとたちも集まっているみたいなので・・・。
うすいさん、あなたのおじいさんってば何していたのさ??
(本当に疑問。おおよそのことは聞いてはいるけれど、何だか謎です。)


礼服のないわたしは、貸衣装屋さんで衣装を借りるだけで大騒ぎ。
先が思いやられます。
嫁入り前に、ちゃんと礼服を準備しよう。




2005年03月06日(日) 訃報

うすいさんのおじいさんが、亡くなりました。
今日の夕方のことです。

わたしは昨夜からうすいさんの家にお邪魔していて、
(うすいさん以外のご家族はおじいさんの病院《東京》に行っていた)
ちょうどその時間は「夕ご飯どうするかね〜」と言っていた頃。
突然の訃報の連絡で、わたしはとりあえずうすいさんの家をあとにしました。
最寄駅まで送ってもらって、独り電車に揺られて。
もちろん、じぶんの家にはわたしのご飯はないし、
帰りにファーストフードで済ませて、なんとなく空っぽな気持ちで帰宅。

本当に大変なのはうすいさんで、
明日から3日間うすいさんと会えないわたしの気持ちより
大好きだったおじいさんを失ったうすいさんの気持ちの方が深く、悲しい。

でも、そんな短い時間でさえ、1人でいることに耐えられそうにないわたしがいて、
わたしはなんて弱い人間なんだと我ながら呆れてしまうのです。
うすいさんを傍で支えてあげられないことへのもどかしさも含めて。



2005年03月04日(金) 還るべき場所

そうそう。
昨日、お酒を飲みすぎてぐったりと横たわっている時に職場から電話がありました。
わたしは然して意識したわけではなかったのだけれど、
会話を聞いていたうすさんに「さすがだねえ」と言われてしまいました。
ついさっきまでぐったりとわけのわからないことを口走っていたわたしが、
仕事の電話でそんなことを微塵にも出さずにはきはきと喋っているのが
凄いと思ったらしいんです。
でも接客業してたらそんなもんなんじゃないのかなあ。


それから。
わたしはうすいさんがタバコを吸うことを今まで知らなかったのです。
一緒にいるときは全く吸わないし、車の中もタバコ臭くなかったし、
吸わない人だと思い込んでいたんですけど。
たま〜に、吸うみたいです。
「仕事でムシャクシャしたときにだけ吸うんだよ」と
申し訳なさそうに言っていました。
わたしに怒られると思っていたみたいです。

うすいさんには告げずに、わたしの中で誓いを立てました。
「タバコを吸わずに済むように、わたしがうすいさんの心の支えとなろう」と。
わたしはうすいさんに支えてもらってばかりの弱い存在だから、
よっぽど努力しないと難しいことだろうけれど。
わたしは結婚したら家にいることが多くなるから、
疲れて帰ってきたうすいさんに、笑顔で「おかえりなさい」を言って
美味しいごはんを用意して、待っていたいなあ。
わたしはうすいさんにとっての「還るべき場所」でありたい。
うすいさんがわたしにとっての「還るべき場所」であるように。



2005年03月03日(木) ゆびわ

ただいま戻りました。
今日はうすい家に入り浸って1日が終わりました。
本当は泊まっていったらいい、と言われたのですが
体調が少し芳しくないので今日の所は帰ることにしました。
支度も何もなかったのもありますし。
「パジャマ用意して待ってるからね☆」
とお義母さんに笑顔で言われてしまいました。
毛嫌いされているよりは全然嬉しい事だけれど、
断りづらいよ〜(>_<)


いつも迎えに来てもらってばかりなので、
本日は電車で最寄駅まで行きました。
これからはたぶんそうなると思います。
式場もうすいさんちに近い場所だし、
わざわざうすいさんに往復させるよりは
わたしが電車で行った方が時間もお金も節約できるので。

指輪は決めてきました。
ほぼ、オーダーに近いので、まだ現物はありません。
20日に完成予定です(でももう少し早くできるとか)。
写真がないのが残念。
詳細は「PHOTO」のほうに書いておきます。
こたつに入ってダイヤを見てるのがなんだか不思議で、
ダイヤという気がしないし、緊張せずに選べました。
何せ、お茶とイチゴを食しながら見てましたから(失敬な)。


夕ごはん(お鍋)をうすい家の方々とご一緒させていただいて、
お酒を飲みすぎてへべれけになってしまいました。
顔が真っ赤だったらしいです(汗)。
今までは自制心であまり飲み過ぎないように気をつけていたのですが、
だんだん緊張が解けてきたのか、今日はペースが速くてやや飲みすぎ。
ごはんのあと、申し訳ないけれど少し横にさせてもらいました。

やっぱり「式は秋にしたらどうだ」と言われて、
わたしたちは少し困惑しています。
わたしたちも、できるならば早く結婚したい気持ちもあるのですが。
わたしの父親さえ承諾すればトントン拍子に進むんだけれど・・・(汗)。
話をあまり聞いてくれないのが困るところ。
聞いた上で反対するならばまだしも、目を逸らされてしまっては
どうしようもないんですけど。
むー。
親の心子知らず・子の心親知らずってとこですかね。




2005年03月02日(水) 明日は

明日はようやくお休みです。
長かった〜。なんだか長かった。5日間の勤務が。

明日は指輪を選びに行ってきます。
エンゲージリングを探してきます。
探すといっても、わたしの場合はきっとたぶん稀なケースで。
初めてのことでわたしもドキドキしてます。

普通なら宝石店などに行って、お店の人と相談しながら
煌びやかなショウケースを覗いてドキドキするんだろうけれど。
わたしはうすいさんの家で選ぶんですよ。
お義父さんが昔、宝石に携わるお仕事をしていたらしく、
元同僚のひと(宝石販売をしている)を家に招いてくれるそうです。
予算と、どんな感じのものが欲しいのかを伝えてあるので
わたし好みの指輪をずらっと持ってきてくれる・・・はず。
宝石店独特の高級感な佇まいにオロオロする心配がないから
その辺は気が楽なんですけどね。
信頼のおけるものだということも間違いないだろうし。

でも、指輪の訪問販売(?)なんて不思議すぎ!


ちなみに、うすいさんは予算を教えてはくれませんでした。
たぶん、秋頃に貰った指輪ですら泣いてしまったくらいだから、
金額を聞いて「やっぱりいらない!」と言われそうだと思ったんじゃないかと。
秋にもらったのは2万ちょっとのピンキーリング。
きっと何倍も高い指輪になるんでしょうなあ。
エンゲージリングですもんなあ。

これでやっとこ結婚らしい感じになってきました。




2005年03月01日(火) ハライタ

3月に入ると、「もうすぐ春だなあ」と思う心躍る季節ですが。
1日早々、具合が悪いのでぐったりです。
お腹が痛いので夜は眠れないし、食欲もないし、まっすぐ立てないし。
イライラするし、情緒不安定です。

今日も今日とてうすいさんに愚痴を吐き、
それでもスッキリせずに自棄酒などしてみてます。(お腹痛いくせに)
うすいさんが帰りがけにくれた、シークヮーサーチューハイ。
スッキリしていて確かに飲みやすいかも。

本当は、うすいさんに愚痴など吐かず、きちんと自分の中で消化して
「こんなこともあったんだよ〜」くらいでいたいのに。
愚痴を吐いてから、自己嫌悪。


仕事の事・結婚の事、いろいろ考えてます。
誰にどんな事を言われようとも、最後に決めるのは自分自身。
自分が納得のいく後悔のしない選択なのであれば、
他人が何を言おうとも、突き進んだらいいんですよね。


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