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2004年07月31日(土) 1歳7ヶ月26日目:稼ぎ頭

朝早く家を出て、今日もパパの実家へ帰省してきました。
葬儀の事後処理と来新盆の用意などで忙しいためです。

わたしがパソコンで名簿を作成している間、忙しいから近づけないで!と言っていたら、いつの間にかなっちゅんとひいおばあちゃんがいなくなっていました。
どうやら、ひいおばあちゃんがお散歩に連れ出してくれたようです。
始めのうちは、いつも近所を散歩しているので、そのうち帰ってくるだろうと心配していなかったのですが、いつまで経っても帰ってきません。
みんなして「どうしたんだろう?」と心配していると、上機嫌なひいおばあちゃんが帰ってきました。
その第一声は「なっちゃんは、稼ぎ頭だよ〜。稼いで稼いで、もう凄くて!!」です。

ひいおばあちゃんがなっちゅんを連れて歩いていると、ご近所さんに出会って、立ち話をしているとなっちゅんが例によって例の如く、ニコニコと愛嬌を振りまいたらしく…。
しかも、「まぁ、可愛いわね〜。お年はいくつ?」とひいおばあちゃんに言った言葉に反応して人差し指を立てて「にこっ」としたそうです。
それでご近所の方は「自分の年が分かるの?凄いわね〜!」と感心して、「そうだ、これ持っていって食べさせてあげて!」と色々なものをもらってきました。
それを、会う人ごとにやっていたらしく、ひいおばあちゃんは鼻高々でした。
「この子は、将来有望だよ〜。」なんていう言葉まで飛び出し、相当嬉しそうです。
なっちゅんはひいおばあちゃん孝行をして偉いな!と思いました。


2004年07月30日(金) 1歳7ヶ月25日目:ママがいると…

おばば、一応家の中程度であれば歩けるようになったので、今日は仕事に行かせてもらいました。
保育園の送り迎えはできないので、なっちゅんは今日も保育園をお休みしました。
歩けるようになったといっても家事はできません。
残業は一切せず、慌てて帰宅して買い物をし、夕食を作りました。
そんなわけで、みんなが食事にありつけたのは20時を過ぎていましたが、仕方ありません。
なっちゅんはおばばの様子が分かっているらしく、きちんと一人で遊んでいたそうです。
そんなお利口ななっちゅんですが、ママがいると途端に甘えん坊になってしまいます。
夕食の用意をしている間、足に抱きついてきて大変でした。
そんななっちゅんも、可愛くて仕方がありません。


2004年07月29日(木) 1歳7ヶ月24日目:おばばギックリ腰

何と、今日はおばばがギックリ腰になってしまいました!
おばばを病院に連れて行こうと思って午前中だけ休暇をもらいましたが、酷すぎて歩くこともできず、わたしよりも重たいおばばを背負うこともできないため、結局今日一日休んで家のことをやることになりました。
成り行きで、なっちゅんも保育園をお休みです。
せっかく熱が下がり、今日から保育園に行かせようと思っていたのです・・・。

今日は久し振りにわたしがなっちゅんをお風呂に入れました。
おじじから聞いていたとおり、頭からお湯をかけても動じず。
なっちゅんの小さな成長、ここにもありました!

今日は甥っ子かーくんの1歳の誕生日です。
今日は会えないため、弟夫婦におめでとうのメールを送りました。
お互い、育児を楽しみましょう!


2004年07月28日(水) 1歳7ヶ月23日目:噛まれた!

夕食を食べているとなっちゅんがわたしの手を取り「がぶり!」。
何故か噛まれてしまいました。
どうしてでしょうか?
すかさず「めん!!」と叱ると、床に突っ伏して「うえー!」と泣き始めました。
この泣き方がまた可愛くて、ついつい笑ってしまうのですが、噛まれたところにはなっちゅんの歯形が残っていたので、結構強く噛まれたことが分かります。
なっちゅんは泣いてもすぐに立ち直り、けろっとしているのですが、再びわたしの手を噛もうとしているので「噛むのはめん!って言ったでしょ。これは駄目なの!!」と教えました。
今度は泣きながら抱きついてきたので、「もうやっちゃ駄目だよ?分かったね?」とおっぱいをあげました。(甘いですか?)

それにしても、噛み癖がついたら困ります。
保育園で他のお子さん達を噛んでいないか心配になってしまいました。
というか、すでに噛んでいるかも???
今度保母さんに確認しようと思います。


2004年07月27日(火) 1歳7ヶ月22日目:お腹を壊す

なっちゅん、今日も微熱です。
昨日もお風呂に入れなかったので、せめて…とお尻だけ洗いました。
お腹に来る風邪なのか、お腹を壊しています。
熱が高くならずに治ることを祈ります。


2004年07月26日(月) 1歳7ヶ月21日目:退居点検

今日は午後から休暇を取り、退居点検を受けてきました。
おばば達が綺麗に掃除していてくれたおかげで問題なく終わり、先月手術を受けたという話をすると車で駅まで送ってくれました。(徒歩で駅まで13分です。)

帰宅すると、いつもよりもママが早く帰ってきた!と大喜びのなっちゅんが飛びついてきました。
昨日の予想通り風邪を引いたらしく、なっちゅんは微熱気味です。
こういう時はいつにも増して甘えん坊になり、金魚の糞のごとくわたしにくっついて来ます。
親ばか的にはこんな状態も嬉しくて、ついつい「ぎゅっ」と抱きしめてしまうのでした。


2004年07月25日(日) 1歳7ヶ月20日目:日直。

今日は日直です。
持ち場につくと、すぐに看護師さんがこれから来る患者さんの情報を知らせにきたのですが、何とその看護師さんはわたしが入院していた病棟の看護師さんでした。
「もう仕事復帰してるんですか?」と、ここでも驚かれてしまい、やっぱり復帰するには早かったのかしら?と思いました。
何だか、少し損をした気分です。

ところで、わたしが働いている間、おじじ・おばば・パパの3人で自宅を片づけに行ってくれました。
だらだら続いた引越も、今日で完了!
明日の午後に点検を受けるのですが、文句を付けられないくらい綺麗に掃除しておいたわよ!とおばばが言っていました。
本当に感謝です。
帰宅すると自宅から持ち帰った荷物で溢れかえり、実家がもの凄いことになっていました。
実家…これからは、ここが「自宅」になるのですね。
頑張って、片づけていきたいと思います。

なっちゅん、今日は夕食を食べませんでした。
体調が悪いのでしょうか?
風邪を引いたのかも…とも思いますが、今のところ症状が出ていないので分かりません。
でも、母の勘では風邪です。
酷くならないといいのですが…。

今日はえみこくんの誕生日だったため、おめでとうを言おうと思って電話しましたが、電波が届きませんでした。
残念ですが、どこかに食事にでも出かけているのでしょう。
また明日連絡しようと思います。
えみこくん、誕生日おめでとう!
いつもなっちゅんと遊んでくれてありがとうです。
これからもよろしくね!


2004年07月24日(土) 1歳7ヶ月19日目:今日も行ったよ!

引越後の荷物がまだまだ沢山あるので、リトミックのあとに片づけに行こう!という話になり、車で家を出ました。
すると渋滞に巻き込まれ、リトミック終了10分前に到着。
何だかガックリです。
それでも、その短い間になっちゅんは楽しんでいたのでお休みさせなくて良かった!と安堵しました。

みーちゃん(Mさんの娘さん)はなっちゅんと1ヶ月違いの女の子ですが、可愛くお洒落をしていて「女の子もいいなぁ!」と思いました。
みーちゃんは、なっちゅんと違ってきちんと先生の歌うとおりに踊っていて凄い!と感心してしまいました。
なっちゅんは全然人の話を聞いていません。
低月齢の時からこうで、わたしもパパも努力していますが、きっと性格なのでしょう。
何というか、我が道を行くタイプのようで、自分の興味のあることだけに集中しています。

それから、リトミックの後にMさんとランチをして楽しい時間を過ごしました。
みーちゃんとなっちゅんが昔に比べて意思の疎通ができるようになったのか、お花見の時に比べてフレンドリーな感じになって、親たちは「おお!」と喜んでいました。
二人で笑いあう姿は、それはそれは可愛かったです。

その後、片づけに実家へ行きました。
早く引越地獄から足を洗いたいです。


2004年07月23日(金) 1歳7ヶ月18日目:早く帰りたいのに

今日は別室勤務でしたが、夕方から課長の離任行事があったため職場へ戻る車に同乗させていただきました。
別室勤務の時はいつも直行・直帰だったので、何だか新鮮です。

課長の離任行事の後、新課長の歓迎会を行いました。
そのため、またしても帰宅が遅くなり、今日の帰宅は21時。
なっちゅん、ごめんなさい…。


2004年07月22日(木) 1歳7ヶ月17日目:飲兵衛になるのかな?

昨日の帰りが遅かったので今日は早く帰ろう!と決意したのに仕事が詰まってしまい、結局帰宅は20時すぎでした。
みなさん、仕事と育児の両立はどうしているのでしょう。
本当に、経験談を教えて欲しいものです。

帰宅が遅いとなっちゅんが挙動不審(玄関とリビングを言ったり来たりして、「ママはまだ?」とばかりにおばばを引っ張り回します)になるため、おじじが迎えに来てくれました。
これだけでも身体の負担が大分違うので、感謝です。
遅く帰ってきたお詫びに、シュークリームをお土産に買ってきましたが、なっちゅんはは食べませんでした。
なっちゅん、何故か洋菓子はあまり好まず、お煎餅ばかりを食べています。
甘い物は苦手なようで、この話をするたびに「飲兵衛になるな!」と色々な方に言われてしまい、心外です。
甘い物は苦手でも、クッキーなどの焼き菓子は食べるんですが、それでも飲兵衛一直線なのでしょうか…。


2004年07月21日(水) 1歳7ヶ月16日目:両親共に遅い帰宅

今日は課長の送別会です。
ただの異動であれば送別会は欠席させていただいたのですが、今週末で定年退官されるのでなっちゅんには申し訳ないのですが送別会に出ることにしました。
某係長にセクハラを受けながら、帰宅したのは22時。
なっちゅんは眠らずに待っていてくれて、添い乳をしたらすぐに眠ってしまいました。
なっちゅん、今日はありがとう。

パパも仕事が忙しくて帰宅が24時近く。
今日のなっちゅんは欲求不満気味かな?と思います。


2004年07月20日(火) 1歳7ヶ月15日目:早めのプレゼント

甥っ子かーくんも久し振りです。
この二人、いとこなのに兄弟のように似ているので、遊びに来るたび二人の2ショットを取ってしまいます。
かーくんがトーマスカーに座っていたらなっちゅんが後ろから押してあげていて、なかなかにお兄ちゃんっぽくて微笑ましかったです。

かーくん、29日で1歳になります。
おばばからは折りたたみできるジム&すべり台、わたし達夫婦からはボールハウスをプレゼントしました。
かーくんが喜んで遊んでくれるといいな、と思います。

ところで、わたしは昨日の疲れが抜けていないところに帰りのバスで運転手の運転が下手くそでダメージが大きく、ダウンしてしまいました。
せっかく遊びに来てくれていたのに申し訳ないです。


2004年07月19日(月) 1歳7ヶ月14日目:意外と飲んでる?

おっぱい、大分枯れてしまったと思っていたのに、意外となっちゅんは飲んでいるようです。
かなり張って苦しかったので、昨日の夜中、今朝、午前中と3回絞りました。
おばばからメールがあり、なっちゅんが寝たのは夜中の2時過ぎだったそうです。
予想通りの展開で、みんなに申し訳なかったな…と思いました。

なっちゅんがいないと、物事がスムーズに動きます。
あれこれ用事を済ますことができてなっちゅんがいないと楽だとは思いましたが、やはり寂しく、1日だけだったのに早くなっちゅんに会いたくて仕方がありませんでした。
帰りは渋滞20キロでげんなりです。
今回も5時間かかりました。


2004年07月18日(日) 1歳7ヶ月13日目:引越2回目

今日は普段使わない荷物をパパの実家へ送る引越の日です。
今回は引越業者さんを頼んでいるので、幾分か楽です。
なっちゅんはおばば達にお願いして、わたしとパパは業者のトラックと現地集合で高速に乗りました。

わたし達が到着すると、ひいおばあちゃんは荷物の多さに驚いています。
予想よりも荷物が多かったようで目を白黒させていました。
わたし達が使わない荷物を使って台所の大改装も行い、なかなか使い勝手の良さそうな台所に生まれ変わり、わたし的に大満足です。
なっちゅん、今晩はママなしで眠らなければなりません。
なっちゅんのことも、おばばのことも、とても心配です。
大丈夫でしょうか?


2004年07月17日(土) 1歳7ヶ月12日目:せっかくのリトミックなのに

今日はやっと!やっと!!リトミックへ行くことができました。
本当に久し振りです。
歩けるようになると、全然違うなぁ…というのが印象。
以前、体験入学した時はまだ歩けなかったので、わたしやパパが一生懸命なっちゅんを抱きかかえて音楽に合わせて動かなければならず、それは疲れたものです。
歩けるようになり、大人の言っていることをある程度理解するようにもなっているので、お片づけの歌を歌いながら「なっちゅん、『ないない』よ〜。『ないない』して〜。」と言うと、必死でお片づけしてくれます。
また、みんなで手をつないで輪になりながら「大きいお鍋」「小さいお鍋」と音楽に合わせて動くと、声を上げて喜びながら、これまた必死で縮まったり広がったりしていて、リトミックをやっていて良かったなぁ!と思いました。
でも、リトミックの時間がちょうどお昼前なので、なっちゅんはおっぱいタイムに入ってしまい、他の子達が音楽に合わせて楽しくお遊戯している横でおっぱいをあげているのは切なかったです。

午後は自宅で引越に持つの片づけをしました。
部屋に積み重なっている段ボールをいくつか空けることができたので、少しはすっきりしたと思います。


2004年07月16日(金) 1歳7ヶ月11日目:新しい携帯が欲しい

最近、携帯電話を買い換えたくて仕方がありません。
某社の携帯の方が、今使っている携帯よりも画質も着メロも良いのです。
メールで送信した時の画質の低下が、今一番の懸案事項。
せっかく可愛く取れたなっちゅんが、鮮明な画像で遅れないというのは親ばか的にかなりマイナスポイントなのです。
でも、お金もないし、番号やメアドが変わってしまうのは嫌だし…とくだらないですけど、悩みは尽きません。


2004年07月15日(木) 1歳7ヶ月10日目:結婚記念日

今日から仕事です。
本当に、全然、疲れが抜けていません。
それでも数えてみると入院時の病休も含めて15日間も休んでいた計算になり、かなり焦っています。
日直を交代していただいた方にお礼を言いに伺い、色々な方に会うたびに「大変だったね」と声を掛けられました。

ところで、すっかりそれどころではありませんでしたが、今日は3回目の結婚記念日です。
記念にどこかへ食事に行きたいところですが、そんな余裕もなく、結婚3年ってこんなものかしら?なんて考えてしまいました。
でも、パパとお食事の計画を立てています。
いつになるか分かりませんが、おばば達になっちゅんを見ていてもらって実行に移したいと思います。
とりあえず何の記念イベントはありませんでしたが、お互い「有り難う」と「これからもよろしく」と言って気持ちを新たにしました。


2004年07月14日(水) 1歳7ヶ月9日目:お風呂場で

さすがにもう仕事を休めないため、今日は東京へ戻らなければなりません。
ひいおばあちゃんになっちゅんの面倒を見てもらい、お義母さんとパパとわたしの3人で必死になって事後処理にあたりました。
その甲斐あって、何とか一段落です。
作業中、なっちゅんはひいおばあちゃんとお風呂場で遊んでもらっていました。
なっちゅんの楽しそうな笑い声が聞こえてきて、こちらまで楽しい気持ちになりました。
子どもって、水遊びが本当に好きですよね。

少し遅めのお昼ご飯をみんなで食べて、東京へ。
道が混んでいたので5時間くらいかかってしまいました。
明日から仕事です。
疲れが全然抜けていませんが、頑張ります。


2004年07月13日(火) 1歳7ヶ月8日目:嵐の後。

昨日までの嵐が終わり、今日はみんな疲れ果ててぐったりとしています。
これで全てが終わりになればいいのですが、色々なところへお礼を言って回ったり、事後処理が終わっていないため、まだまだ落ち着かなさそうです。
ここ数日、喪主だったパパは大忙しでなっちゅんと遊んであげられませんでしたが、今日は久し振りになっちゅんと戯れることができ、パパも嬉しそうでした。
そしてなっちゅんが何であんなに落ち着きがなく、機嫌が悪かったのかも判明しました。
パパに遊んでもらえなくて、欲求不満だったようです。
パパはしきりに「ごめんね〜!」と謝っていました。


2004年07月12日(月) 1歳7ヶ月7日目:荼毘に付す

今日は出棺、葬儀です。
今日も朝からひっきりなしに弔問のお客様がいらっしゃいましたので、朝から大忙しです。
出棺時、車に納められた棺の前でみなさんが順番にお焼香をし、パパが見送りに来てくださった方々にお礼の挨拶をしました。
この期に及んで現実感が無く、困ってしまいます。
どうしても、何だかひょっこりお義父さんが戻ってくるような感覚に襲われるのです。

親族一同でバスに乗り、火葬場へ向かいました。
火葬場は高原にあり、景色がとても良いところです。
眼下に街を見下ろせる場所にあり、こんなところから空へ帰っていけて良かったですね…と心の中でお義父さんに話しかけました。

火葬にかける前、みんなで順番にお義父さんとお別れをしました。
お義父さんの顔を見ることができるのは、これが最後。
名残惜しい気持ちを押し殺してお別れが終わると、お義父さんは旅立っていきました。
亡くなった時も悲しかったのですが、その後は忙しかったのもあり、あまりにも現実感がない毎日でお義父さんがまだ生きているような気持ちでいましたが、火葬の時の悲しみはひとしおで辛くて仕方がありません。
みんなで泣きながら合掌しました。

悲しみに沈んでいたえみこくんは、なっちゅんのおかげで気が紛れたらしく、火葬が終わるまでの間なっちゅんと一緒にお散歩していました。
わたしもゆかりくんと二人で外に出て、みんなでなっちゅんと戯れて、癒してもらいました。
みんなで写真を撮ったり、なっちゅんと追いかけっこをしたり。
外からお義父さんが空に昇っていく様子を見たかったのですが、最近は煙が出ないものなのですね。
せめて…と、お線香を絶やさぬように気を付けました。

それから葬儀を行う会場へ移動しました。
葬儀の間、なっちゅんがじっとしていてくれなかったので、要所要所だけ参加して、あとはなっちゅんと会場の外にいました。
お義父さんとのお別れの儀式なのだから、こんな時くらい大人しくしていてくれないかなぁ…というのは大人の勝手で、なっちゅんはあくまでもマイペースでした。
なっちゅんは相変わらずで、会場の係の人に愛嬌を振りまいて、お菓子をもらったり、高い高いをしてもらったりして楽しそうです。

灰寄せの時に、お義父さんの古くからの友人が弔辞を読んでくださったのですが、心に感じたままを文章にされていて、とても良い弔辞でした。
みんな、その弔辞を聞きながらお義父さんのことを想って泣いていました。
この弔辞は家族の宝物にさせていただきます。
本当にありがとうございました。

パパの灰寄せでの挨拶は、えみこくんが徹夜で考えてくれたもの。
パパは葬儀等の前準備で忙しく、じっくり考えることができなかったのです。
こちらも良い出来で色々な方から褒めていただき、パパは恐縮して「えみこが手伝ってくれたので」と言い訳していました。
自分の手柄にすることのできない、その人の良さが「パパだなぁ」と微笑んでしまいました。
何はともあれ、お義父さんとのお別れの儀式を何とか終えることができ、良かったです。

今日まで色々と手伝ってくれたおじじ・おばば、明日から仕事のえみこくんは一緒に東京へ戻っていきました。
みんな、お疲れさまでした。


2004年07月11日(日) 1歳7ヶ月6日目:腰に縄。

今日はお通夜です。
昨日から弔問のお客さんがひっきりなしにいらっしゃり、いつもとは違うその様子になっちゅんも落ち着きがありません。
世話役のおじさんに「喪主の奥さんなんだから、これぞという方にはきちんと挨拶してお披露目するように。」と言われていましたが、それどころではありません。
えみこくんも良くなっちゅんを見ていてくれましたが、それでも追いつきません。
今日一日、くたくたに疲れてしまいました。

ところで、わたしは身内に不幸が全くなく、こういった経験も初めてなのですが、納棺の時にこちらの地方では故人に近しい親族のみ腰に縄を巻きます(縦結び)。
そして、その人たちでのみ死装束を着せ、旅立ちのお手伝いをします。
なっちゅんも腰に縄を巻き、みんなで納棺したあと一緒にお花を添えました。
お義父さんは背の高い人だったので、お棺に納めるのに一苦労でした。

それにしても、死装束が似合いません。
まだまだ生きていられるはずだったから似合わないんだ…と思いました。
神様は、みんなに惜しまれる方ほど早く連れて行ってしまうものなのでしょうか。
早すぎる、早すぎる…と、そればかり考えていました。


2004年07月10日(土) 1歳7ヶ月5日目:賑やかに

昨日はあれから、帰りたくても帰れずに、それでも病気を治すために一生懸命頑張っていたお義父さんを、少しだけでも家に帰らせてあげたい…ということで、一旦お義父さんを連れて家に入り、2時間ほど滞在してからおばあちゃん(なっちゅんから見るとひいおばあちゃん)の住む本家へ移動しました。
なっちゅんはどこで覚えたのか、自分で「チーン」と鳴らして手を合わせます。
運搬する業者さんが「凄いですね。」としきりに感心していて、一緒にいたえみこくんが誇らしげにしていました。
そんなえみこくんの様子が、とても可愛らしかったです。

そして本家に着いたのは19時を過ぎていました。
親族も少しずつ集まり、おじじとおばばはわたし達の喪服等を持って、22時過ぎに到着しました。
みんなで遅い夕食を取り、葬儀等について話し合いをしました。
当初の予定通り喪主はパパがやることになり、これをもって次の本家の後を継ぐのはパパだというお披露目にするようです。

そして一夜明けて、今日はこの辺り一帯のお祭りがあるようで、朝から街は賑やかです。
お義父さんは、こうして賑やかなのが好きだから、狙って亡くなったのかもしれないね…などと、みんなで話しました。


2004年07月09日(金) 1歳7ヶ月4日目:格好いい生き方

本当は詳細を書いた日記も書いたのですが、これは家族だけの大切な思い出として、心の中に仕舞っておくことにします。

お昼の12時すぎ、戦って、戦って、戦い抜いたお義父さんが永眠しました。
なっちゅんも含めて家族全員で看取ることができました。

お義父さんは、苦しいことからやっと解放され、ホッとした表情をしていました。
とても穏やかな顔で、苦しまずにすんで良かったと、本当にそう思いました。

お義父さんの戦いは、みんなの心に残るものでした。
お義父さんは命を賭けて、わたしたちに「生きる」ということを教えてくれたのだと思うのです。
お義父さんは本当に強かったし、わたしもお義父さんのように生きたいと、強く思いました。
辛いことがあっても「いかに自分が大変か」なんて人に触れ回ったりせず、ただじっと病に向かい合い、頑張っていたお義父さん。
同情されることを拒み、誇り高く生きたお義父さん。
自分の生を最後まで生き抜いたお義父さんは、本当に格好良かった。

おとうさん、嫁いで3年という短い間で、ろくに親孝行できずにごめんなさい。
そして、本当にありがとうございました。


2004年07月08日(木) 1歳7ヶ月3日目:職場復帰と病理結果

お義父さんの容態は未だ安定せず、パパの職場が気を遣って「週末から帰省しなさい。」と、今日から2日間、休暇をくれました。
ところが、今日からわたしが復職で「更に休暇ください。」とは言い難く、明日の勤務が終わってから帰省することにしました。
そんなわけで、長野への引越(といっても荷物を置かせてもらうだけ)に先駆けて、パパに自宅の片づけをしてもらうことに。
パパじゃないと判断できない荷物が山積みだったので、パパの職場には申し訳ないのですが、本当に好都合です。

午前中、術後検診へ。
先生に「職場復帰はいつから?」と聞かれて「どうせ受診があって職場に来るんだから…と思って、今日から復帰です。」と言うと、「えっ…!?」と驚かれてしまいました。
やっぱり復帰は早すぎたのでしょうか…。
術後の経過は順調で、病理検査の結果も「良性」でした。
お義父さんのことがあったので、悪性だったらどうしよう…と不安だったのですが、これで一つ心の荷が軽くなりました。

仕事は予想通り溜まっていましたが、お腹の痛みも痛み止めを使えば問題ありませんし、明日からの出勤も何とか大丈夫だと確信を持つことができたので良かったです。
今日は復帰初日だし、あまり無理をしない方が良いと思って、残業せずに早めに帰ることにしました。
「お先に失礼します!」と職場を出て門へ向かって歩きながら、「練馬で片づけをしているパパもそろそろ帰宅する頃だし、車で拾ってもらおうと」電話をしました。
1コールも終わらない内に、パパが出ました。
「もしもし?今仕事終わったんだけど、○○で拾ってもらえる?」
「今ちょうど電話しようとしてたところ!お義父ちゃんが危ないから、早く来てくれって!!!」

頭の中が、真っ白になりました。

でも、思考を停止している場合ではありません。
「職場に明日の休暇とか色々連絡するから、とりあえずすぐにこっちに迎えに来て!えみこくんにも、どうするか確認してね!」
そう言うと、職場へ電話をしました。
「あの、今日から復帰しておいて心苦しいのですが、義父が危篤でこれから帰省することになりまして、どうなるか分からないのですが、とりあえず明日一日休暇をいただけますか?それと、日曜に日直があるんですけど、交代したいので他の曜日の方の名前を教えてください。」
そうなのです。
わたし、日曜日に日直があったのです…。
代わってもらえそうな方に片っ端から電話をして、何とか交代をお願いし、そうしているうちにパパとの合流駅に到着しました。
おじじは仕事が早く終わったので、自宅の片づけをパパと二人でしていました。
そんなわけでおじじは事情を知っていますが、おばばには連絡が行ってないかも?と思い、駅前のロータリーでパパの車を待つ間、おばばに連絡しました。
案の定、おばばは何も知らされておらず、様々なことを聞かれました。
「わたしも詳しくは聞いていないの!また帰ってから話すから!!」
そう言って、すぐに帰省できるように荷物をある程度まとめておいてもらうようにお願いしました。

しばらくすると、パパが到着。
車に乗り込んですぐ「えみこくんはどうするって?」と聞くと、「一緒に車に乗って行くって。」と言います。
合流した○○駅はえみこくんの最寄りの沿線です。
「じゃ、えみこくんにもここで合流するように言ったんだよね?」
「あ…。ここに来るのに急いでいて、忘れた…。」
当然ですが、パパも相当動揺しています。
「○×駅ならこっちが向かっている間に用意して来られるよね?」
ということで、今度は○×駅へ。
えみこくんと合流し、実家へ向かう途中、パパとえみこくんから詳細を聞かされました。
「いよいよなのか。」
そう思うと、怖くて身動きが取れなくなるような感覚に襲われます。

実家に着くと、ある程度の荷物がまとまっていました。
おばばに感謝して詳細を説明し、えみこくんは車の中で食べる夕食等の買い出しへ、わたしとパパは不足分の荷造りをし、出発しました。
道中、みんなの頭の中にあったのは「間に合って!」…これだけです。
車を飛ばして、飛ばして…病院へ着いたのは22時45分。
道中連絡は無かったので、どうやら間に合ったようです。
病院の駐車場へ着くと、みんなで走って病室へ向かいました。

もう朦朧としていて、時間の間隔もないみたいだから…ということで、病室に入りました。(普段なら「こんな時間に来ると言うことは?」と勘ぐられてしまうので、ちらりとのぞき込むとかする程度で、翌朝になってから会うことにしていたのです。)
先週会った時は、それでも元気だったのに…。
お義父さん、本当に辛そうです。
が、夕方に比べたら少しだけ持ち直したそうです。
今晩中に容態が悪化すると、最悪最後を看取れないかも…ということで、この隙に!と、パパのいとこのお兄さんとえみこくんが一旦家に戻り、布団を取って来てくれました。
今夜はなっちゅんも病院に泊まり込みです。
交代で看病することにし、わたしはなっちゅんの寝かし付けがあるので休ませてもらうことにしました。
小さな簡易ベッドでなっちゅんに添い乳するのは至難の業です。
それでも、お義父さんに何事もなければ…。
そればかりを考えて眠りにつきました。


2004年07月07日(水) 1歳7ヶ月2日目:今日はゆっくり

いよいよ、明日から仕事です。
机の上に仕事が山積みかしら…?と想像すると、とても怖いです。

ところで、そういえば…という感じで気付いたのですが、嚢腫を取ってからイラつくことが無くなりました。
自分をコントロールできるようになったというか…。
やっぱり嚢腫のせいで、ホルモンバランスが崩れていて、それで保育園のことであんな風に泣いたり落ち込んだりしていたのかもしれません。
もっと早く気付いていれば、親子3人で頑張れたかもね。と、パパに言うと「いや、やっぱり(ボクが)無理だったよ。」との答えが返ってきました。
二人して情けない親です。
でも、本当にそう思ってしまうほど、親との同居は楽です。
色々と手助けしてくれるおばば・おじじに大感謝です。

さて、今年の七夕は珍しく晴天です。
なっちゅんは生まれて初めての短冊に、おじいちゃんの病気治癒を願いました。
この願いが天に届くよう、わたしも一緒にお祈りします。


2004年07月06日(火) 1歳7ヶ月1日目:忙しさで大爆発。

お腹に力を入れることができないので重たいものを運ぶことはできませんが、住んでいた人間じゃないと片づけの判断ができないと言われ、おじじ・おばばと共に自宅へ片づけに行って来ました。
もちろんなっちゅんは保育園です。
前回の引越で運びきれなかった細々した物や、棚などを実家へ運びました。
パパじゃないと判断できない物が沢山残っていますが、それ以外は大体のところ片付きました。
もう、忙しくって大変でした。

帰宅してから疲れでダウン。
明後日から職場復帰なので、明日はゆっくりと休みたいと思います。


2004年07月05日(月) 1歳7ヶ月0日目:無理は禁物

なっちゅん、今日で1歳7ヶ月です。
親ばかならぬ、祖母ばかのおばばがプレゼントを買ってきてくれました。
プレゼントは、ペンと丸・三角・四角のスタンプが付いていて、書いて消せる、あれです。
なっちゅんは大喜びで、一生懸命何やら書いていました。
かなり気に入ったようです。

午後からお中元を買いに伊勢丹へ行く予定でしたが、弟家族が遊びに来たので、一緒に行くことになりました。
シューカウンセリングを受け、なっちゅんに新しい靴も購入。
さらに、あまり考えたくないことですが、パパに「何かあった時のために、なっちゅんようの礼服も用意しておこうか。」と言われていたため、入園服にも使える洋服も購入しました。
80サイズでこういった服はあまりないのですが、95サイズでもサスペンダーを使えば何とか着ることができたので良かったです。

買い物の後半、疲れがお腹に響いたようで、お腹の痛みが酷くなってきたため帰宅することにしました。
無理は禁物ですね。


2004年07月04日(日) 1歳6ヶ月29日目:危篤

昨晩に引き続き、朝食もわたしが用意しました。
わたし達と交代するために戻ってきたえみこくんも含めて5人で朝食を食べました。
そして食事を終えた時に電話がなりました。

危篤だから、早く病院へ来て。
とても慌てた声で、お義母さんがそう言っています。

2階に眠りに行っていたえみこくんを叩き起こし、2台に分乗して病院へ。
ひいおばあちゃんはお留守番です。

家から病院まで、車で30分かかります。
「どうか間に合って!」と祈りながら車を猛スピードで飛ばし、病院へ着くと走って病室へ向かいました。
お義父さんは苦しそうでしたが生きていて、わたし達は「間に合った!」と胸を撫で下ろしました。
そして検査をして分かったことは、健康な方の肺が気胸になっているということ。
病室から動かすことはできないので、病室で気胸の処置をすることになり、家族は外で待つことになりました。
しばらくして部屋に入ると、もう片方の肺からもチューブの出た姿のお義父さんがいました。
全身、管だらけです。
その姿を見ながら、それでも少しずつでもこの管が外れていくよう、家族で頑張ろう!と思いました。

麻酔が切れると、切開した部分が痛いと顔をゆがめてお義父さんが訴えます。
看護師さんに痛み止めの筋注を打ってもらい、それでもあまり効かないと辛そうにしていて可哀想で仕方がありませんでした。
それでも、気胸の処置をした後の肺をレントゲンで撮影してもらうと一目瞭然、わたし達が病院へ到着した時に見せてもらったレントゲンよりも状態が良いくらいで、きっとこのせいで調子が悪かったんだね、これで良くなるね、とみんなで喜びました。
先生によると、分かりにくい場所が気胸になっていて、発見するのに時間が掛かってしまったそうです。
とにかく調子が良くなったので、パパと話し合って東京へ戻ることにしました。

「引越の片づけも終わってないし、明日から仕事だから、これから東京へ戻るね。」
そう、お義父さんに報告すると、お義父さんが握手を求めてきました。
こんなことは今まで始めてで、少し驚いてしまいました。
今回わたし達が帰宅したら、もう会えないかもしれない。
そんな風に考えているのでしょうか。
「病は気から」だから、絶対に諦めずに頑張る…そう言っていたお義父さんでしたが、やはり内心不安なのかもしれません。
気胸の処置をしたあと「良くなるかも!」と浮かれていましたが、すっと現実に引き戻されてしまいました。
お義父さんにとっては、毎日が真剣勝負で、明日のことは考えず、一日一日を必死で生きているのでしょう。

本当に必死なんだ。余裕なんて、無いんだ。

わたしの不安な気持ちを悟られないよう、笑顔でお義父さんの手を握りました。
「お義父さん、また来週来ますね!」


2004年07月03日(土) 1歳6ヶ月28日目:今後のこと

5時前にはなっちゅんが起きてしまい、わたしもお義父さんの様子が気になっていたので起床することにしました。
6時頃、パパとえみこくんが寝ずに看病をしたので、交代で眠りに来ると連絡があり、朝ご飯を食べてもらおう!と用意を始めました。
ところが、作っている途中でパパとえみこくんが到着し、おじさんが病院まで送ってくれるというので台所はそのままに、なっちゅんはパパにお願いして家を出ました。

病院に着くと、ゆかりくんは簡易ベッドでお休み中。
お義母さんと二人でお義父さんの看病をしました。
お義父さんが目を覚まし、不思議そうな顔をしています。
「昨日、パパの仕事が終わってからこっちに来たんですよ。」と言うと、何となく納得はしてくれたようです。
お義父さんには、危ない状態にあるということを悟られないようにしなければなりません。
お義母さんが親戚の方達に「危篤」という連絡をしたので、面会するために東京などのおじさん達は出発済みでしたが、家の方にだけ寄ってもらい、申し訳ないのですが病院に顔を出すのは控えてもらいました。
ただ、お義父さんのお兄さん達だけは、部屋へ入ってもらいました。
お兄さん達も「危篤」ということは分かっているはずなのに、そんなことはお首にも出しません。
楽しい時間を過ごしたあと、呼び出されて再び病院へやってきたパパと、お兄さん達で食堂へ移動して今後のことについて話をしました。

今後のこと。
葬儀について、です。
今現在、病と闘って生きている人の傍らで、こんな話をするのは気が引けましたが、上のお兄さんの奥さんも最近お亡くなりになり、その時にやはり大変だったから、早めに決められることは決めた方がよい、とアドバイスを受けました。

それにしてもお義父さんを見ていると、先生が今の状態が危険だと言っても「そうかなぁ?」という気がします。
何だかこのまま回復してくれるような、そんな気がするのです。
そうなればいい。
そうであって欲しい。
そんなことを考えながら、お兄さん達を最寄り駅まで送り、パパと二人で遅いお昼を食べました。

それから、今日はお義母さんとたっぷり睡眠を取ったえみこくんに看病をお願いして、パパとゆかりくんとわたしは夕食の買い物をして帰宅。
わたしが夕食の用意をしました。
家でお留守番をしていたひいおばあちゃんを含め、みんな美味しい!と食べてくれたので良かったです。
中でもゆかりくんは、わたし達やえみこくんが東京にいる間もお義母さんと二人で病院に寝泊まりし、ずっと看病を頑張ってくれています。
だから普段はコンビニのお弁当や外食で栄養が偏っているから、こんな時だけはきちんとしたものを食べさせてあげたかったのです。

お腹は痛くて仕方がありませんでしたが、妊娠中に使っていた腹帯で「ぎゅっ」と締めると幾分か楽でしたし、痛み止めを飲んで頑張りました。
お義父さんだって、もっと辛いのに頑張っているのだから、わたしもお義父さんに負けないように頑張りたいと思います。


2004年07月02日(金) 1歳6ヶ月27日目:延命措置は…

今日は家でゆっくり横になっていました。
なっちゅんは、今までの空白を取り戻そうとしているかのようにベッタリで、わたし達は寄り添って眠ったり、遊んだりして充実した時間を過ごしました。

パパの勤務時間は9時半から18時までで、大抵残業をして帰ってくるのですが、珍しく18時に携帯が鳴りました。
わたしは「帰るコールかな?」と思って電話に出たのですが、パパの様子がただごとではありません。
「おとうちゃん、危ないらしい!詳しいことは帰ってから話すけど、家族全員で来て欲しいって言ってる。」

目の前が、真っ暗になりました。

パパの帰りを待つ間、松本へ帰省するための準備をします。
なっちゅんのご飯や下着など、荷物を詰め終わった頃にパパが帰宅しました。
話を聞くと、お義父さんの肺は飽和状態の酸素を吸入しても、良くて80%の後半くらいにしかならないそうです。
そして毎日レントゲンを撮っているのですが、どんどん悪くなっているとのこと。
パパは携帯で直接先生と話をしたのですが、本当に危ないらしく、家族全員で動揺してしまいました。
延命措置をするかどうか、家族全員の総意が欲しいので、とにかく病院に来て欲しいというのです…。

車を凄い勢いで飛ばして、病院へは22時半ごろ到着しました。
病棟へ行くと、ナースステーションにお義母さんの姿が見えたので、そこに行くと…。
お義母さんが、泣いていました。
どんな状態になっても、気丈に振る舞っていたお義母さんが、泣いているのです…。
先生と、お義母さんの前にレントゲンが4枚あり、そのレントゲンを見ると一目瞭然でした。
カンファレンスルームに移動して、お義父さんに付き添っている下の義妹を除いて全員で先生の説明を受けました。
みんな目を真っ赤にして泣いています。もちろん、わたしも…。
先生は、今日明日が山だと言います。
わたし達の話し合いがすむまでは、帰宅せずに待っていると言ってくださり、先生は部屋を出て行きました。
そして、わたし達の結論はすぐに出ました。

延命措置はしない。

お義父さんは、どんな状態でも、今でさえ、「今が自分の正念場だ。」と言って病気を治すために戦っています。
最後の最後まで、戦わせてあげたいのです。
それは、毎日泊まり込みで看病しているお義母さんが望むことでもありました。

わたしは、なっちゅんがいるということで、ひいおばあちゃんと一緒に家で待機することにしました。
家まで、お義父さんの甥っ子のおじさんが送ってくれたので大助かりです。
家に着いたのは1時頃でしたが、変な時間に起きてしまったなっちゅんはハイになってしまい、なかなか眠ってくれません。
しかもひいおばあちゃんが「お茶にしましょう。」とか言い始めて、「お腹が空いたから、ご飯でも食べようかねぇ。」と言います。
こんな夜中なのに、ひいおばあちゃん、元気です。(笑)
わたしは流石にご飯は無理だったので、お茶だけいただきました。
ひいおばあちゃんは「コロッケを作ろうと思って、中身だけ仕込んだんだけど、丸めようとした時に病院から電話があって呼び出されて…。まぁ、中身だけでも美味しいから。」と、ジャガイモと挽肉が混ざったものをおかずにして食べています。
すると、なっちゅんが。
ひいおばあちゃんの膝に座り、口を開けているではないですか!
「食べさせてもいい?」とひいおばあちゃんに聞かれ、「はい。」と答えると大喜びで食べさせ始めました。
なっちゅん、美味しそうに口をもぐもぐ。
「もっとちょうだい。」のベビーサインまでしています。
ひいおばあちゃんに「よっぽど、それが美味しいみたいですね。」というと「お味が良かったのかねぇ。喜んでもらえて嬉しいよ。」と満足げでした。
なっちゅん、甘え上手です。
結局布団に入ったのは2時すぎ。
でもあまり眠れませんでした。


2004年07月01日(木) 1歳6ヶ月26日目:初登園とポリオ2回目

退院後1日目ということもありますが、お義父さんの容態が不安定でいつ「今すぐ松本へ!」となるか分からなかったため、その時のために今日は安静にしていました。
なっちゅんは今日から新しい保育園へ通い始めます。
わたしが送迎するのは無理なので、おばばにお願いしましたが、案の定泣いたそうです。
慣らし保育と言うことで、今日は2時間でした。

それから、ポリオの接種(2回目)があったので、おばばに付き添ってもらって会場へ。
会場ではすでに沢山のお母さん達が列を作っていたので慌てて並びました。
なっちゅんはじっとしていることが出来ず、あっちに行ったりこっちに行ったり。
その度になっちゅんの後を付いて回っていたのですが、疲れてしまい、おばばにまかせることにしました。
すると、おばばは椅子に座り込んでちっとも動こうとしません。
結果、保健婦さんが「お子さんはちゃんと見ていてくださいね。」と言いながら、なっちゅんを抱っこして連れてくる始末。
おばばに付いてきてもらった意味がありません。
こうなったら、笑うしかない!という感じです。

無事、ポリオの2回目接種が終わり、後は麻疹だけです。(以前、パパに連れて行くようお願いしたら、水痘を接種してきちゃったので…。)
8週間、間隔を空けなければならないので、8/26以降に接種したいと思います。


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