消息






2005年03月30日(水) 風に乗ってゆけ



 いわなければとずっとおもっていてけれどどうしても音にならなかった葉がひとひら。風邪の所為であたまがぼうっとしているのに便乗してそれでも三十分以上ぐだぐだしてやっと空気の振動にかえることが出来た、時期は逃してしまったような気がするしやっとこさ届くようなちいささだったけれどなんだか重荷をおろしたかんじ、だってそれは「そうしなければならない」類いのものだったとおもうから。たぶん。





2005年03月17日(木)




 さいきん、どうもこう、ずぼっと片足踏み外してしまったかんじがすごくする。はっきり言って、墜ちてゆくのは別に嫌いじゃなくて寧ろここちよい落下速度。けれどそれじゃいけないだろうとおもってもう片足でとどまっている、誘惑への抗い?おちてしまえばいいのかもしれないけれどおれ以外のものまで引き摺り落とすわけにはいかない、だろう。

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 褒められるのはとても嬉しい、頑張ろうとおもうよ。





2005年03月12日(土)




 あらためて周囲を見渡してみて、ああやっぱりわたしはしあわせだったのだ、とおもう。当たり前のように其処に存在するものにはいまひとつ気付けない。ひとは大抵、不足分にしか気付けないものだ。しあわせの渦中にいるときは、しあわせなのだなどと意識もせずに、ただただ無意識のままにしあわせでいる。周囲の状況を知らなければ更にそうだろう。それが常だと、普通だと、おもってしまう。無くしたり離れたりしてようやく気付く。きっと、生を失った途端にそれがしあわせだったと気付くのだろう。





2005年03月08日(火)


 どうすればよかったのだろうかと、いつも後になってから考えるけれど、それは無駄なことなのかもしれない。結局次の機会を経てもまた同じことをわたしはおもうだろうから。それ以前に、わたしが「そうした」ということは事実として確然とそこに在って、もはやどうしようもないの、だ。それでも延々と考えてしまうのはそれがわたしにとって重要なことだからだろう。




2005年03月03日(木) さんがつ



 あたらしい月になると同時にあたらしい心持ちになるのは何故だろうな。いろいろなものがおわって、またはじまってゆく。

 そしてまたいい損ねた、最早いまさらなかんじだがそれでもちゃんとなんとかしなきゃいけないとはおもってるんだごめんよ。相当駄目だな俺。




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