雑  感  徒  然 
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いつまで保守するのかとか。
2009年06月16日(火)
飛鳥時代の乙巳の変前後の神髄は、宝女王VS軽王のクラッシャーズ姉弟対決にこそあると思います。

あの姉弟の前には、それぞれの子供達の存在など霞んで見えるという物です。

だから、孝徳の大后の間人王女もさ、飛鳥帰還のさいに従ったのは葛城では無くって、絶対に母親の方だと思う。
(っか葛城に発言権があっても、結局母親に負けるんだと思う)

「難波の宮なんかうっちゃって、帰るわよ、間人」

「はいお母様ッ!」

母娘でスキップスキップスキップ♪


こうして長年の姉弟対決は、姉に軍配が上がったのでした。


いや、もう漢も葛城も大海人も有馬もお呼びじゃないって、全然。

っかね、孝徳に力が無いってのがそもそも間違いだと思う。
あの人は、難波に遷都して、そこに今までとは違った形の宮を造営するッてことが出来る(但し失敗)程の力があったわけだから。


乙巳の変って、たぶん本当は葛城王子って重要ポイントにはいないんだと思うもん。関わって無くても不思議じゃないもん。いなくても事は進むから。

だから、重要な位置にさもあったように見えるのは、後々の記録の上での工作でしかないと信じてるんだけどなぁ〜あっ、まぁ妄想ね、妄想。


おまけ:去年の今頃の話



阿々島将