あお日記

2002年05月31日(金) 部活 

 高校に入学する前の春休みに幼なじみFと陸上部の長距離班を見学しに行きました。運動はもともと苦手で、バスケ部の時もほとんどベンチウォーマー。そんな私でも唯一ソコソコ成績を収められたのが長距離走。Fは中学でも陸上部で長距離をやっており、その付き合い程度で見学に行ったのですが、結局入部する気にはならず、そのことで先輩の冷た〜い視線に苦笑する1学期でした。ちなみに「活発でグラマラスな子」も中学から長距離をやっていて、小学校の頃は彼女は私より速かった(^^;; もちろん彼女も陸上部へ入部。それでも私が入部しなかったのはすでにこの子に対するおネツは冷めていたからに他ならない。こういういい加減な気持ちに、この先いくつ遭遇するのだろうか??

 で、選んだのは何故か科学部。理科はもともと好きでしたので特にそれ以上の理由も無く生徒会の入部届は提出してしまったのですが、初めから幽霊部員。梅雨あたりには退部届を出し、次に選んだのが生物部。←何が変わったの? って感じ(笑)。





↑エンピツ投票ボタン


 あれこれ言うと言い訳ばかりなので控えますが、「先輩が一人」という理由だけで入部を決めたのです。お恥ずかしい限りですねぇ。はは。

 まあまがりなりにもこれでこの学校内に「居場所」が出来たのは言うまでもありませんが。



2002年05月30日(木) 日記 

 日記を書き始めたのはこの頃からでした。何がきっかけだったかは定かではないですが、B5で革調のブックカバーの付いたいわゆる高級ノート?? 3年間でほぼ1冊だったのでこの頃から不定期更新の性質は変化しておりません。

 その日記のはじめのほうに書いてあったであろうドロシーへの想い。クラス対抗で毎年開催する行事なんですけど、それで主役をやっていたくらいだからキレイだったのでしょう。惹かれたのがそんなバカな理由なので1学期が終わる頃には冷めていたと思われます。日々観察する機会には恵まれているのですが、自分に同級生と接する気力が無い限りその彼女とも話をすることなど望めない訳で、どうも私の悪循環はこの頃からはじまっていたらしい(^^;; それは彼女に限らず、自分を取り巻く人間環境に影響していったのはいうまでもありません。




↑エンピツ投票ボタン


 以後、「日記を書く」ということが私の主張を代弁する捌け口になり、1993年の暮れまで約6年続くことになります。



2002年05月29日(水) 当時の恋愛観

 高校時代の私は「興味なし」を装いながらも実は恋愛に対する関心は大アリだった気がします。
 自ら望んで孤立する裏にはもちろん色々なことに対する反感があったわけで、それを「語り合える人」=「恋愛」だと思っていた時期もありました。もちろんその相手は同性でも構わなかったのですが、残念ながら友人と語り合う準備が出来る前に私自身の殻が硬くなってしまいました。その話はまた後日。
 
 異性の視線が嫌いだった理由、それは自分の容姿だけに惹かれて発生するその「興味」が私には全く意味の無いものだったからでした。中学の頃もそうだったのですが、それでいて誰一人として私にその興味を打ち明ける人間はおらず、私はその視線にますます混乱していくのでした。

(もしかして、性格悪い?? 私ってば/笑)

 当時の自分は、私に視線を向ける女性と同じことをしている自分がいることなど、気が付きもしていませんでしたね。




↑エンピツ投票ボタン



いやね、クラスでやる演劇のことです。



2002年05月28日(火) 当時の恋愛観

 高校に入学してもしばらくは同年代の異性が私に向ける視線に悩まされる日々が続きました。はっきり言えば、多分に自惚れもあったことでしょうねえ(笑)。
 私の中学は地元小学校からほとんどメンバーが変わらず、6+3年も一緒にいればイヤでも名前と顔が一致する、そんな狭い地域でした。もともと私は小柄で目立たない性格だったのですが、3つ上の姉の影響が少なからず私の中学生活を彩った(笑)一因でした。

 「あおくぅ〜ん ステキ〜」
とある日の部活中のこと。中学1年のころだったと思いますが、3年生が引退していたので秋以降のことだと思います。体育館の向こう半面から黄色い奇声を私に向け発するのは新体操部の2年生の先輩。そして私の姉の後輩でもある。その声に苦笑いしながらも恥ずかしげに会釈をすると、この私の行為がなぜか彼女達には点数が高いらしく

「きゃ〜〜 かわいい!!」となる。私はこの「かわいい」が大嫌いでした。確かに私は顔立ちも幼いし背も小さいしおまけに名前が女性っぽくていじめられた経験もあり。だからこそ「かわいい」という女性的な形容詞に敏感だったのかもしれません。

そのせいで、自分の容姿が人よりもウケがいいことに初めて気付いたのもこの頃だった。




↑エンピツ投票ボタン



とたんにまわりの女性の視線を気にするようになりました(^^;;



2002年05月27日(月) 伝統?

 入学してまず目についたのは校舎の老朽にともなう汚いところ。中学の頃あれだけ掃除したのはもともときれいな場所だったからで、さすがにこれだけ汚いと手のつけようがない、と正直思いました。残念ながら、掃除の習慣はこの学校に来てから程なくして無くなってしまいました。
 この学校を選んだことのひとつ「自宅から自転車で通うのに適度な距離」というのがあったのですが、中学の頃の感覚で時間に余裕をもって登校しても教室には誰もいたためしがありません。教室が3階だったので毎日上からぞろぞろと始業のチャイム間際に登校する群れを眺めて言いようのない嫌悪感に包まれていきました。
 細かいことをあげればキリが無いのですが、中学の担任だった教師の影響で「道徳人間」と成り下がっていた私は、そういったほかの地区から雑多に集まる同年代の輩にみる生活態度のいい加減さをして、「世間様はこんなにもいい加減のまかり通る世界だったんだ」と恥ずかしながら初めて知り、それがカルチャーショックとなってしばらく続きました。




↑エンピツ投票ボタン

 人は人、自分は自分と割り切って考える力が無いあたり、まだまだ中坊くささの抜けない高1の頃。ようは自分のいる環境を自分の納得する色=中学のクラス色に染めておきたかっただけ。そんなクラスの中で望んで孤立していったのは言うまでも無い。



2002年05月26日(日) _/_/_/ 転機 _/_/_/ 

 受験を経て高校に入学した時が正に私の転機でした。物事を考察する量はおそらく当時の自分のほうがはるかに上回っていたはずで、いわゆる「多感な時期」を迎えたのがその時だったのかもしれません。その多感さが恋愛方面に向わなかったあたりが私の精神的未熟を端的に示しているように思います。「恋愛」を経験してないからといってそれが「未熟」だとは思わなかったし、興味がないという理由でもって異性を遠ざける理由にしていた感覚はありました。ようは望まない相手との人間関係が、男女を問わず、「面倒だ」と思うようになっていったのです。しかも妥協点はきわめて高い。まあ「ただ子供だった」といえばそれまでで、自分でもそう思っています。「大人気ない」から子供なわけでして、問題があったとすれば、それが私の場合ハタチを過ぎても相変わらず継続してしまったところでしょう。

 まあ、そのおかげで数は少ないながらも「友人」と思える仲間にめぐり合えたし、何よりこの友人達のおかげで、私は今の彼女さんに出会うことになりました。自分を含めた人間そのものを疑いはじめた自分、そして殻に閉じこもった青春(笑)、それでも離すことが出来なかった「縁」についてこれからお話することになります。




↑エンピツ投票ボタン


特に初対面の人間とは必ずといっていい程うまくいきません。
彼女さんだけが唯一の例外でした ははは。



2002年05月25日(土) シリーズ恋 中学番外編

 予告どおり年上の女性の話です。

 中1の頃、私のクラスの清掃分担に保健室がありました。保健担当の先生は25,6歳の大人にしては背の小さめで肩より少し下くらいのセミロング。目がパッチリしており、その優しげな雰囲気と生来の明るさで生徒の中でも彼女の隠れファンは多かったはずだろう。かくいう私は、女の子と文通をして喜んでいるようなバカ者だったので、年上の女性など眼中になし。 ただ大人でありながら、他の教師にはない子供っぽさをかもし出している彼女に、同世代の女子には感じ得ない好感を持っていたのは事実です。

 で、とある晴れた掃除日和の午後(秋か?)。その日はなぜか同じ部の班員と担当の保健室掃除に早くから来ており、先生をからかって遊んでいたように記憶しています。そんな折にふと目の端から彼女の髪をめがけて小さな物体が飛び込んできました。その瞬間、仲間も私もヘンな表情でお互い目を見合わせたのですぐに確信しました。
「今髪の毛に虫はいったような...」 茶化し合いで遊んでいた先生の表情がその一言でマジになりました。もちろん困った顔をして我々に取ってくれと本気で頼むのです。
 言われたこっちも困りました。女性の髪をさわるなんていう大それたこと、ましてそれは同年代ではなく、もう既に大人として十分な魅力を備えている女性なら尚更です。って眼中にないはずだったんですがね(笑)。

 結局、私が彼女の髪の中を捜索。残念ながら目標物確認できず。
 どうしても遠慮がちになってしまう手つきをやや目線の下で見ながら、真面目に探しました。そんな長い時間ではなかったのですが、先生の髪の多さを知るには十分でしたね。って我が校は、男子全員丸刈り(^^)

 そのまま振り向いて「ありがとう」と言った先生の目線は少し上を向いて私の視線を捕らえていた。この時初めて私は、自分が先生より少しだけ背が高いことに気が付いた。

 鼓動の速さとは裏腹に...。




↑エンピツ投票ボタン




2002年05月24日(金) シリーズ恋 中学編−2

 修学旅行中はこれといって班長との思い出は出来なかったのですが、奈良公園の鹿に地図を食され本気で困った顔をする彼女の表情を私はどういう思いで見つめていたのか、今となってはそれを紐解く材料はありません。ただ京都でも奈良でも、班行動の時は自然と彼女を先頭に女子、男子とグループに分かれて行動しており、私はなぜか殿から一人で着いて行き、楽しそうに笑ったり相づちをついたりと普段は見たことのなかった彼女のはしゃぐ後ろ姿を眺めていた記憶があります。今思えば男子も女子ももっと解け合っていれば楽しかっただろうにと思いますが、それが出来ない年頃なのでしょう。そう思っている私自身が人込みの喧騒を嫌っているのだから。でも一人では心細いか? 今の若い世代はどうなのでしょうねぇ?
 
 帰りの東京駅からはバスで地元まで送迎されたのですが、バスの席次が

 亀さん(クラスの女子)/班長
 活発でグラマラスな子(5月16日参照)/学級委員長(女子)
 私/卓球部部長

といった具合だったのですが、帰りはなぜか

 活発でグラマラスな子/学級委員長
 班長/亀さん
 私/卓球部部長

となっていました。私の中学はブレザーだったのですがその上着を前の座席にかけておいたんですよね。(つーか席順までよく覚えてるな オレは/笑)
 バスは滞りなく地元に着き、私の地区が班長より先に降りる番だったのでブレザーを着ようと座席の上から襟の部分に手をかけた時
「コツン」
と彼女の頭にあたってしまいました。そんな些細な感覚でしたが、班長の髪の感覚はすごく柔らかくてツヤツヤしているのがその刹那に伝わってきましたね、たぶん(笑)。
「あっごめん」と謝るのが精一杯な私がどうしてその後ジゴロになったのか知る人間はいない。って自分も知らない(爆)。
 
 バスを降りると晩秋の雨がシトシトと寒かったのですが、なぜかブレザーから私のものではない体温を感じました。そう、彼女の香りと共に。




↑エンピツ投票ボタン
我ながらガキだったな...(笑)


「好きな人の髪」で思い出したので次回は番外編「年上の女性/保健室にて」をお送りします。大したことじゃないんですけどね〜。10歳くらい上だろうか?



2002年05月23日(木) シリーズ恋 中学編−1

 季節は秋、2年生の修学旅行シーズン。
 島さんの次に好きになったのは同じクラスの班長。もっともその子に目がいったので文通を止めたくなったという、まことに手前勝手な理由でして、このことはずっと罪悪感として私の中に残っていました。なので以後私のラブレター作戦は確か...20歳くらいまで発動しなかったように記憶しています。(つーかハタチにもなって手紙かいっ!/笑)
 班長は当時伸びかけていた私の身長より背が小さく145冂度だったと思います。女子バスケ部なので彼女のことは入学当時から見ていたことになります。髪がツヤツヤしていて首にかかる程度のショートカット。その髪からか、体からか分からなかったのですが、彼女とすれ違う時には必ず彼女の残り香が漂ってきて、その香りに参ってしまったフシも否めません(笑)。清潔感を持った女性でした。

 同じ班に一人ライバルがいたようでして、私の気持ちをどういう経緯で察したのか、ジャブを入れてきました。修学旅行の班会議で机を班ごとにブロック化したその席上、隣同士で男がコソコソと(あぁ気持ち悪い!!)。
「あおちゃん、誰か好きな人いるの?」
「好きな人って...ちょっと気に入ってるかなっ?て人なら...」
「誰々?だれだれ?ダラダラ?」(←ダラダラしつこいんだよ)
「う〜ん...」といいつつ肩で班長を指す仕草で答える私。
「(ことさら大きな声で)ええっ!!あおちゃん班長のことが...」
サスガにそのヤロウもそれ以上は言えなかったのか、私が口挟んだことで一時班内の視線が我々に集中。こういう場合正直者は得をする訳でして、ライバル自身が明かしてくれた私の恋心を、それを否定するような取り繕いなどをする発想がありませんでした。体の悪い告白ではありましたが、計らずも班長に気持ちが伝わったことと今では確信できますね。今ならね(笑)。

 このヤロウとは仲良かったんですけどねぇ。まあこんなことで悪くなる仲なら別にいらないんですが。当時の自分は、なぜ彼が私にシカトこくようになったか?考えても心当たりがなく、かなり空しい気持ちになったのを覚えています。




↑エンピツ投票ボタン

いや、ワザとじゃないってば はは。
あ〜ヤダヤダ。






2002年05月22日(水) シリーズ恋 中学編

 1年の3学期に好きになって2年に進級してから隣のクラスになった、珍しくてすごく優しい名前を持ったボーイッシュな女の子が好きになりました。この子は私より10僂惑悗高かっただろうと思います。切れ長で美人系。欲を言えば表情に変化がないところがお嬢さま?っぽくて、それもまた良し。今度も性懲り無く文通作戦なんですけどね(笑)。私の中で「女性に告白=ラブレター」というややゆゆしい図式が完成しつつありました。柔軟性が無いので発想が画一でした、今もそうですけどね。
 背が高いわりに彼女は卓球部でした。とある朝連の時間、バスケコートの半面ずつを使って女子卓球部が隣で練習でした。ランニングの途中に卓球のボールがコロコロとこっちに転がってきて彼女が追いかけてきたので、私はそれを返してあげようと余計な親切心を起こしたばっかりに...

「ベキ」っとバッシュの下敷きに(笑)。
 手で返せよ、手で!!!

 「あのボールは一番高いやつだ!」と後で先輩に怒られたようです。はは。
 
 結局その子とも文通をしただけで何事もなく終わってしまいましたねぇ。今度は私のほうから「もうやめましょう」と書いてそれでおしまいでした。でも特にお互い気にしてなかったようで、3年の時に同じクラスになったのですが、イヤな雰囲気にはならなかったと思っています。ただ単に私が女性を観察するのが苦手だっただけかもしれませんが...。
今思えば、飛びぬけて美人とかかわいい訳ではなかったですが、持っている雰囲気がすごく素敵な女性でしたね。好きになった当時の自分にハナマルをあげたい(笑)。






↑エンピツ投票ボタン

My追加



2002年05月21日(火) シリーズ恋 中学編

 中学に入学した当初はまだ子供気分が抜け切っておらず、おまけに身長も136cmと小さかったは頭は坊主だはでとても絵に画いた様な恋愛をする年頃ではありません。その割りに小学校の6年生以来ずっと手紙を交換していたショートカットで小さくて頭脳明晰な女の子がおりました。
 いわゆるラブレターを自分で出したくせに、文通(同じクラスのクセに)までしてるのはクラス中に知れ渡っているくせに、その女の子とどうも目をあわせられませんでした。恥ずかしくて口も聞けないし。思うに私の「文章だと雄弁」な傾向はこの頃からはじまったものと思われます、はは。

 中学に入っても文通は続いていたんですが、クラスが別になり部活(彼女はテニスで私はバスケ)が忙しくなり1年秋ごろだと思うのですが「お互い忙しいのでもう文通はやめましょう」という手紙が来ました。わたしも2つ返事でOK。
 おもえばただ「文通」それ自体を楽しんでいるだけだったんでしょうね。

 Zokkon Love とか手紙に書いちゃったりして。
 意味も知らない大バカヤロウのクセに(笑)。

 どういうわけか、手紙のやり取りは同じクラスでその子と仲の良い女子が引き受けてくれたのです。どちらかと言うと覚えているのはその「橋渡し役」のほうで、この子には私も気軽に話が出来たし、話をする機会も多かったのです。どっちが本命だかわかりゃしない(笑)。
 あの時はお世話になりました みほちゃん(^^)






↑エンピツ投票ボタン

My追加

 



2002年05月20日(月) 面接2

 面接に行くにはその学校を受験している生徒達で集団行動の予定でしたので、もちろん集合時間等の連絡が前日に入っていた訳ですが、私は志願先変更で学校のみんなとは受験番号が離れていたので高校で指定した集合時間にかなりの時間差があり、後から行くことになっていました。それを知らなかった私の幼なじみFがなんと駅で待ちぼうけしているではありませんか!! っておいおい。
 まあ彼は親切にも私が集合時間に来ないので待っていたのです。しかしその時間では電車で行っていては間に合いません。いやね、私は間に合うんだが(笑)。仕方がないので学校に電話。何故か私が電話(^^)。
 結局手の空いている理科担当の先生に車で高校まで連れて行ってもらうことになり、私もついでに乗っていきました。なんか着いてみたら電車組より早く着いたんですけどね。

 まあFも私もその高校に合格したからよかったようなものの...






↑エンピツ投票ボタン

My追加

 なんか他の受験生の自己アピールを聞いてたら、用意してきた原稿に対して「お前何様?」とか思ったんですよね〜 はは。私の人生でアドリブの効いた、数少ない事例のひとつ(笑)。


次回からはシリーズ『恋愛回顧 中学編』でもやりますかね(笑)



2002年05月19日(日) 面接

 公立高校の受験日は1日目が筆記試験、2日目が面接と全くもってオーソドクスなものでした。ただ私の受けた学校は一般に聞く面接の方式と違っていたので覚えているのかもしれません。滑り止めのほうは面接をやったことすら記憶にないのになぁ。
 その高校の面接は5人くらいの受験生が1度に呼ばれて端から持ち時間内に志望の動機や受験した理由とか中学校の思い出とか色々と自分で述べるもので質問形式ではありませんでした。それを知らされたのが前日の筆記試験が終わった後だったと思います。
 学校で体験した「模擬面接」と勝手が違うのでとりあえず中学校にとって返して担任に報告し、教室で原稿書きました。面接原稿。それを担任にチェックしてもらって次の日に備えました。
 これがまた、大層なキレイ事が書いてある原稿だった〜 はは。大人にはウケがいい私。
 
 しかし次の日事件が...






↑エンピツ投票ボタン

My追加



2002年05月18日(土) 朝清掃

 私の出身中学は、3つ上の姉が中学2年の時に出来た学校だけあって、私の入学当初はもちろんのこと、限りなく真新しさが漂う校舎でした。そのせいではないでしょうが、「中学時代」といって思い出すことのひとつに「よくもまああんなに掃除したもんだ」。

 部活を引退してから朝清掃をはじめたわけですが、もちろん自主的だったわけで、先輩達がそうしていたのを見ていた、その影響もあったでしょう。きっと内申書とかに書かれたんだろうなぁ〜と今思います(笑)。ですが当時はそんな下心などを持つにはまだまだ若すぎました。
 何のためらいもなしにまず選んだ場所が職員玄関。うちのクラスの清掃分担でもあったのですが、うがった観察からすれば、どう考えても「点数稼ぎ」ですよねぇ〜(笑)。それに気づいた正直者の私はなんとなくそれがいやになってしまい、場所を目立たない特別教室棟の階段にかえてしまったんです。

ああ、なんて損な性格だったんだ はは。






↑エンピツ投票ボタン

My追加



2002年05月17日(金) 受験と3学期

 受験シーズンの1月は授業がなく、登校はするのですが午前中いっぱいで帰宅という、それならはじめっから登校しなくても...というスケジュールでした。2月に入ると私立校の受験日がピークを迎えることもあり、登校も任意となってほとんどの生徒はまず学校には来ませんでした。
 
 もともと生真面目な性格の私は中学に入ってから学校を休んだり遅刻をしたりといった記憶が全くなく、それはそれは大人たちにはウケの良い生徒でしたね。自分もそれを地でやっていたのだから、今の自分からすれば正直、尊敬に値する生活態度でした。はは。
 もちろん当時の自分の世界といえば「中学校」が全てであり、卒業を間近に控えその環境から離れなければならないことがひどく寂しいことのように思われました。なので任意登校になった2月ももちろんクラスに登校して、寒い日はストーブをつけたり、時には別のクラスにいる仲間と遊んだり、たまに登校してくるバレー部の女の子と問題を解いたり...もちろん勉強するために登校していたのですが、そのわりに記憶の中ではほとんど勉強してなかった覚えしかありません。実際は人の余りいない学校という少し奇妙な空間で遊んでいたかっただけなのでしょう。

 ああ、あとやっていたことといえば、掃除。2学期に部活を引退してから朝練のかわりに朝清掃をやっていました。←われながらすっごい行動力(笑)。

 その模様はまた明日。






↑投票していただけると嬉しいです

My追加



2002年05月16日(木) 志願先変更

 時は冬、受験シーズン真っ盛り。

 滑り止めで受験した私立高校は1つが合格、2つ目が補欠合格といった具合で必ずしも自分の思惑通りではありませんでした。2つ目のランクが上だった方には姉が通っているということもあり、郵送されてきた合格通知の「補欠」のスタンプにはかなり失望。それでもクラスの担任に聞いたところ、「補欠でもこの学校なら入学できる」という言葉を頂戴して、本命である県立高校の志願先変更に動き出しました。もちろんランクを少し上げた高校。学区内ではけっこう評判の進学校で中学入学から事あるごとにこの県立高校の名を耳にしており、また、自分の偏差値もその辺だったので漠然と「自分はこの高校へ」と決めていたフシがもともとありました。

小学校からの知り合いである活発でグラマラスな彼女と同じ志願校

いえいえ、そんな理由じゃありません!! はは。
でも嫌いな女性ではありませんでした。むしろ好きな方でしたし。

 受験日は2月末。もう差し迫った2月上旬のきれいに晴れたその日に私は初めて自分の志望校に行きました。おっと、その前に前の志願校に行って願書返してもらわねば...ということで行ったその高校は、今で言えばほとんど化石となっている(??)純朴なる赤リボンと白のブラウスそして紺のスカートという憧れのセーラー服! いや、私はもともとそういった視覚的な要素で興奮した覚えがなかったのでこの時は残念ながら、まことに残念ながらなんとも思いませんでしたね。

 そして大本命の県立高校へ。今では車ですぐ行ける様な距離という認識ですが、当時の自分には、公の交通機関を使って行くところは全て遠隔地のような感覚でした。まあそれだけ世間知らずで閉じこもりがちな井の中の蛙だったわけです。

 門に入ると何故かドキドキしてしまいました。自分がこの春に高校に入ることなんて想像すら出来なかったし、「高校進学」というプロセスすら幻のように感じていました。それが具体的にこうして目的の場所に来ると現実が目の前に晒された訳で、女生徒の制服がどんな感じか?なんて観察する余裕などあるはずがない。

 事務室で書類の手続きをしている最中にチャイムが鳴り、どうやら休み時間に入った模様。とたんに賑やかになる校内の喧騒を遠くで聞きながら待っていると学生が何人か私の後ろを通過していきます。もちろん振り向いて確認する気持ちの余裕などなし。
 手続きも終わり入り口を出ようと靴をはいた時、事務室からすぐにあった階段の中途から私に声をかける男子生徒がいた。
 「がんばれよ! ○○中」
振り仰ぐとそこには懐かしい顔がありました。2つ学年が離れた中学の部活の先輩でした。世話になったのは先輩が引退する夏までの3ヶ月くらいだったので彼は私のことを覚えていないようでしたが、部長であった彼の存在を私が忘れるわけがありません。
 思いがけない激励に私は「はい!」と言って会釈するのが精一杯でしたが、校舎を出て門に差し掛かったとき、そこには後ろを振り返る自分がいました。

 漠然とした希望に満ちて...







↑エンピツ投票ボタン

My追加



2002年05月15日(水) _/_/_/ 不純な動機 _/_/_/

 初日の挨拶です。

 そもそもこの日記を書こうと思った理由のひとつとして、今現在付き合っている私の彼女さんに自分が過去どういった感じで過ごしてきたのか、それを自分なりに伝えるためなのです。いや、実はそれだけの目的だったりする。はは。
 はっきり言って体の良い動機ではない。もちろん仲間内でも私の新作日記に期待が高い?のではあるが人様に向けて文章を書くのは苦手である。別にこれといって劇的な人生を踏んできたわけではないので...。

ただそこにあったのは『後ろを向いている自分』ということ。


 もともと子供の頃から引っ込み思案だった私は人に自分の意思を伝えるという行為が苦手でした。もう30も目の前な今でもその傾向に変化はありませんがね...(^^;: で、高校生になってから特に殻に閉じこもるようになった私が使ったのが「日記」という手段。
 今目の前に現存するのは高校を卒業したあとの日記帳で、高校の頃書いていたのはどういった理由からか、今は破棄されています。そんなに恥ずかしいことが書いてあったのだろうか?? 今思うと残念な気もするし、現存する過去日記を紐解くと、処分したい衝動にかられるのも分かる気がする...。
 ただそれを読み返して思うのは、必ずしも正直な気持ちを書いていたわけではないし、実は不特定多数に伝えたくてたまらない感覚というものは実に正直に(笑)行間から伝わってきます。

 『エンピツ』で自分の日記を書いている私の彼女がこの日記を見つけるのは果たしていつのことかなぁ?
 「書きはじめたら教えてね」
その言葉に頷いた自分は今 約束を破ろうとしている。

 ごめんね。そのうち教えるよ〜。







↑エンピツ投票ボタン

My追加


まあ周囲に惑わされることなく自分のペースで書いていきます。
もちろん不定期更新です。
ははは。


   INDEX  未来 >


あお [MAIL]

My追加