川崎連絡会議日報

2007年05月27日(日) 福井で「国籍条項」をめぐる集会

福井で集会

毎日新聞(福井版)に次の記事が出ていました。

上田

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毎日新聞在日参政権集会:「国籍条項の撤廃を」 改憲や対米関係も議論 /福井 5月20日15時1分配信

 在日外国人にとっての日本国憲法を考える集会が19日、県教育センター(福井市大手2)で開かれた。

 「在日外国人の参政権を考える会・福井」(嶋田千恵子代表)が主催。集会では、はじめに鄭暎恵(チョンヨンヘ)大妻女子大学人間関係学部教授が、「在日にとっての憲法」の演題で講演した。鄭さんは、終戦以降の日本と在日韓国・朝鮮人の歴史をユーモアを交え、わかりやすく解説。憲法11条が基本的人権の享有を「国民」と限定していることに触れ、「普遍的な権利に国籍条項を設けているのはおかしいことだ」と話した。

 講演終了後の質疑応答では、東京都が国籍条項を理由に管理職任用試験を拒否したことを差別として訴え、最高裁で逆転敗訴した訴訟の原告・鄭香均(チョンヒャンギュン)さんと、在日本大韓民国民団鳥取県地方本部団長の薛幸夫(ソルヘンブ)さんも加わり、改憲問題や対米関係を議論。集まった約30人の聴衆は真剣に聴き入っていた。【大久保陽一】



2007年05月20日(日) 映画「パッチギ」を観る

皆さん、ご無沙汰しています。お変わりありませんか。

昨日、妻と映画「パッチギ」を観てきました。
映画そのものに感心をしたのでみなさんにお知らせします。

特攻隊を賛美する映画(石原慎太郎)が作られ、北朝鮮バッシングが当たり前になっているこの日本社会で、このような映画を作ったシネカノンの李鳳宇と監督の筒井の勇気と映画専門家としての心意気、力量に感心しました。

韓国の「チング」なみのアクションがあり、吉本の役者を使ったコミカルなタッチで、在日をめぐる日本社会の動向が1970年代という設定で描かれています。女優として生きたいと願う在日をめぐって、本名では生きていけない状況と、多くの同胞がそれでも数多く芸能界で生きているという実態が描かれています。生き抜いていくという強い意志が、在日を中心に描かれていますが、病気にかかった子供、地方からでてきた日本人青年と複雑な家庭環境もあり、確かなメッセージを発進するのに成功しています。

特に戦前の済州島での強制連行の場面、南太平洋の島での爆撃のシーン(現地人に日本語を押し付ける場面、日本人兵隊だけでなく現地の人が殺されていく場面を含めて)など戦争の悲惨さも伝え、最後に出自を隠すことを強要されてきた在日女優が映画完成の挨拶に立ち感動的なスピーチをします(観てのお楽しみ!)。

Peace and Loveがコミカルに、かつ暖かく、また日本の右翼的な動向を徹底的に叩いています。
このような映画を製作したシネカノンの李鳳宇と筒井監督を讃えます。
みなさんも是非、ご覧下さい。

私たちの「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」は結成10年を迎え、この7月に「共生」を批判的にとらえるシンポジュームを計画しています。日本政府、地方自治体、大企業、組合、市民運動がこぞって「共生」を謳うという事態をどのようにとらえるべきか、私たちはようやく「共生」が国民国家再編成=(植民地をもたない)植民地主義、のイデオロギーであると見えてきました。

この間私自身は日立闘争、地域活動、川崎市批判(「共生」批判)と40年にわたり運動をしていきましたが、自分たちのやっていることは何なのかを自分たちの言葉で語ることに全力を尽くしてきました。しかしここに来て、現実社会をどのように見てどのように変革すべきかを模索する学問との「幸せな出会い」を期待しています。欧米中心の学問が、在日の状況と照らし合わせてそれを説明する「武器」になりうるという予感を今、私は持ち始めています。

ということで、改めてシンポジュームの件はお知らせします。

みなさん、お元気で。

崔 勝久



2007年05月03日(木) 根津さん元気で「出勤」しています。

東京都石原知事の「日の丸・君が代」強制に抗議して闘っている根津公子さんが、今年の卒業式での不起立で停職6ヶ月という不当な処分を受けました。

しかも、今度は都教委直轄の「擁護」学校への異動です。

根津さんは、今、新しい学校、そして前任地、さらに都庁前と毎日「出勤」して闘っています。

多くの皆さんの注目と支援をお願いします。

事務局・上田

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以下、根津さん発行の「停職」日記から、紹介します。

4月25日(水)

南大沢学園に。雨。今朝も出勤してきた校長は私に、「O校長です。できれば、これをやめていただきたいのですが」と言う。「その法的根拠を示してからおっしゃってくださいと、前から申し上げていますでしょう」と返事をするが、校長は何も言わずに中に入っていってしまった。今朝は3人の副校長のいずれも、私の横に立たなかった。

登校してくる生徒たちに挨拶をしていると、何と懐かしい顔がある。立川二中の卒業生。お互いにすぐにわかって、再会を喜んだ。保護者の一人が「入学式の時は、その場では分からなくて」と声をかけてこられた。私が配った自己紹介の手紙を読まれて、声をかけてくださったのだ。「6ヵ月後にいらっしゃるのを楽しみにしています。がんばってください。応援しています」と。じっくりプラカードを読んで会釈をされる保護者もいらしたりする。同僚となるはずの人たちからも友好的な感触を受ける。

先週、経営企画室の担当者に尋ねたことへの返事を聞きに行った。ところが返事は、「上司の命令」により校地外ですると言う。驚いて聞き返したが、埒が明かないので仕方なく言われるままに門の外に出た。すると何と、担当者は校長同伴で出てきて、メモを私に渡した。私は、経営企画室の職務範囲のことなのに、校舎内で対応はしないというのはどういうことかと校長に質した。校長曰く、「私の判断です」「停職中だからです」「ここにいられるのは迷惑だ。やめてほしい、と言いましたよね」。会話にならなかった。

「根津を校地に入れるな」と、校長は都教委にきつく言われているのだろうけれど、良質の判断というものがあってもいいんじゃないか。対面した人とのやり取りで、臨機応変、その場の判断が必要となることはないのだろうか?これは、停職である私に対してだけのことではなく、職員に対しても、生徒たちに対してもだ。この一件も、上意下達で縛られた今の東京の学校が、思考停止の人間を生み出している一例だ。

先週ほどではないけれど、たくさん着こんでもやっぱり寒い。隣の喫茶室で、友人の持ってきてくれた昼食を食べ、体を温めた。

下校する生徒たちを見送り終わるともう4時。


4月26日(木)

 鶴川二中へ。久しぶりの晴天。

先週満開だった八重桜は、このところの低温でまだかなりその状態を保っていて、目を楽しませてくれる。生徒たちの登校が終わり、その景色を楽しんでいるところに、いつものおじいさんが、私を見つけてやってこられた。「あんたはまじめだなあ」とおっしゃる。「まじめが取り柄なの」と私。

学区に住まわれる小学生のお子さんを持つAさん、次には、学校から5分の距離に引っ越していらしたBさんが訪ねてくださった。Bさんは、今までに何度か訪ねてくださって、今日初めて会えたのだとおっしゃる。私のことを気にかけてくださっていたことに感謝する。

 自転車で通りかかった女性がしばらくプラカードを見ていて、声を出された。

「またですね」。どう受け取ったらいいのか分からず、「どういう意味ですか?」と尋ねると否定的なことばを一言言われ、「でも受賞もされているんですよね」とおっしゃる。「新聞を見た」のだと。そして、「受賞といういいこともして、著名な人なのだから、こんなところに立っていないで、力をいいことに注いたらいいじゃないですか」とおっしゃり、私の返事は待たずに自転車のペダルをこぎ去ってしまわれた(注:受賞とは、多田謡子反権力人権賞のこと)。

処分と受賞との対比を、その中身で判断するのではなく、帯で判断するこのような人は、案外多いのかもしれない。13年前の被処分時にも八王子のある中学校で、私についてこれに類似した話がされたという。

 10時半過ぎ、昨日連絡を受けた横浜の学生たち3人がいらした。社会のこと、自分の生き方をまじめに考えていることが、話をしていてびんびん伝わってくる。彼女らとは1時間ほどの約束で、午後は聴講を予定していたが、彼女らの熱意に動かされて予定を変更。そのままじっくり語り合うことにした。Bさんのご厚意を受け皆で、Bさん宅で昼食をいただいた。

校門前に戻ると、置いていったいすの上に、たんぽぽと八重桜で作った花束が置かれていた。束ね方を見て、すぐにわかった。Cさん(小学3年生)だ! とっても幸せな気持ちに包まれた。帰宅して「ありがとう!」のメールを送ると、案の定Cさんだった。1時間もお母さんと私の帰りを待ってもらって、ごめんね、Cさん。

 下校時間帯に1年生の一人がプラカードをじっと見て、「うちのお母さんも、立たないって言っているよ」と話してきた。「君が代」の歌詞の解釈について、話しになった。

 夕方からは、映画学校の学生3人の訪問を受けた。この学生たちもとてもまじめな、自分を持っている人たちだった。とりわけ韓国からの留学生Dさんは、私の書いたものをほとんど全て読まれたのではないかと言うほどに準備をされていた。


4月27日(金)

都庁での情宣、チラシ撒き。今日は9人で。河原井さんは10人以上の方に、「がんばってください」「応援しています」と声をかけられ、あるいは、チラシに自分から手を出されたと言う。

今回のチラシは、片面が、「集団自決」から「軍強制」を削除した教科書検定について、そして今国会で先に成立ありきの教育関連3法案について。もう片面は、1972年の新聞記事から。この記事は、大阪の高校で「日の丸掲揚」に抗議した組合役員の行為が「違法、不当とはいえない」とした判決について。判決は、「校長は教職員が納得するまで話し合うべきだ」とも言っていると言う。職務命令と処分で脅す現在と、何と違うことか。この頃の感覚を皆が取り戻し、流されないようにしなくてはいけない。

 11時半、都教委教育情報室の課長、係長に面会し、署名の扱われ方や他にいくつかのことについて質問を伝え、メモを渡してきた。

 夜下高井戸シネマで行なわれた「君が代不起立」上映会に駆けつけた。昨日のDさんも参加されていた。


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