にっき日和
おしながき前よむ次よむ


2002年08月30日(金) キリギリスの生きかた

朝夕、涼しい風が吹く今日この頃、

・・・・・夏も終わりですね。

毎年8月の終わりになると、

「ああ、オトナでよかった♪」って、ほっとします。


先日、友人とこんな話をしました。

夏休みの宿題は、先にやったか?後でやったか?


友人Aはこう答えました。

「夏休みの始めに、ほとんど片付けた」

対して、友人Bの答えはこうです。

「夏休みの終わりに、お父さんとお姉ちゃんに手伝ってもらった」

ちなみに友人Bは、ちびまるこちゃんではありません(爆)


察するに友人Aは、

学校でも比較的、優等生だったのではないかと思うのです。

大人にあれこれ注意される前に、自分のことはキチンとやる。

手のかからない子供だったんだろうと想像します。


わたしはといえば・・・もちろん後者です。

嫌なことは最後の最後に残しておくタイプ。

毎年夏休みの終わりには、宿題の山が待っていました。

あいにくわたしには、重宝な姉はいませんでしたけど(笑)

「なぜ同じことを毎年繰り返すのか」

親にも叱られたものでした。


あの頃の置き土産でしょうか。

わたしはいまでも、超高速で文字を書くことができます。

ドリルだの書き取り帳だの絵日記だのを、

毎年一気に片付けていたからです。(ただし字は汚いですし、誤字もある)

自由研究も適当に創作していました。

朝顔の観察日記とか、さぞ毎日観察してるように、

絵や文を創作するのです。

あと、読んでもいない本の読書感想文も、お手のものでした。


なぜ同じことを・・・・・と言われても、

なぜか同じことを繰り返してしまうのです。( ̄▼ ̄;)

だって子供にとって、真夏は楽しいことがいっぱい。

誘惑に打ち勝つことは、到底むずかしいことのように思えました。


親や先生は、

「朝の涼しいうちに宿題をやりなさい」と言っていました。

けれど朝は、虫捕りに行かねばなりませんし、

そのあとプールもあります。

午後はお昼寝もしたいし、友達と遊びに行く約束もしています。

夜はテレビがあるから、勉強するなんてとても無理。

子供もいろいろ忙しいのです。


そして9月の始業式には、

手抜きな宿題の山を抱えて登校したのです。


聞くところによると、

いまどきの子供は、ほとんど宿題がないそうです。

わたしなぞは、心底うらやましく思います。


振り返ると、大人になってもわたしは、

似たようなことを繰り返しています。

キリギリスは所詮、アリにはなれません。

やがて凍える冬が訪れることを知っていても、

今このときを、

歌って遊ばずにはいられないのです。


わたしはこのまま、

キリギリスな人生をまっとうするのだなと思いました。


2002年08月25日(日) 逝く夏に

かき氷を食べに行きました。


地元のグルメ番組で紹介されたのをきっかけに、

みんなで食べに行こうという話になったのです。


そのお店は、駅前通りをそれた裏道にあります。

いまどき珍しい、古びた駄菓子屋風の佇まいです。

”氷”と書かれたのれんが、

ひらひらと、わたしたちを招いていました。


わたしは初めてだったのですが、

友人達は学生の頃から、なじんだお店だそうです。

昔はこんな駄菓子屋が、あちこちにあった気がします。


のれんをくぐると、内装もこれまたレトロ・・・

店先に、年代物のまねき猫がちんまり座っておりました。

旧式の壁掛け扇風機が、ぶんぶん首を振っています。

ぐるりと見渡すと壁いっぱいに、

短冊状のお品書きが貼られていました。

イチゴやメロンは定番ですが、

コーヒーや、フルーツなんてのもあるのです。

あれこれ迷った末、

わたしは、ミルク宇治金時を注文しました。


シャリシャリシャリ・・・・・

氷を掻く音が店に響きます。

そっと覗いてみると、ここでは昔ながらの、

どっしりとした、かき氷機が大活躍しているのでした。


氷を待つ間わたしたちは、

子供の頃の思い出話で盛り上がりました。

給食の話、夏休みの宿題について・・・

とめどない話は、にぎやかに途切れることがありません。

こうしていると、小学生の夏に戻ったような気がします。

友だちと、プールの帰り道に、

こんなお店で道草をした記憶があるのです。


やがて白衣のおばちゃんが、氷を運んできました。

さらさらふんわり。

おうちで作る氷とは、やはり違います。

底に沈んだあすきを、

溶けかかった氷にさくさく混ぜるのが、

いちばん美味しいと思います。

最後の氷をズズっと飲み干すと、

体中の体温が、ひんやり下がってゆく気がします。


「ごちそうさま」

お店を出ると、近所のお寺が夕刻の鐘を打ちます。

西に傾いたお日様が、強い陽射しを投げかけていました。

つくつくぼーしを背中で聞いて、

わたしたちは家路を急ぎます。


ゆっくりと、

けれど確実に逝く季節のかけらを、

拾い集めるかのような午後でした。


2002年08月24日(土) 愛車生活

マイカーを購入し、はや一年が経ちました。

わたしの運転ぶりもすっかり板につき(ほんとか)

いまや、どこへ出かけるにも車で移動します。


車を運転するようになって、

わたしの行動範囲は、すっかり変わってしまいました。

渋滞しがちな繁華街は、あまり出かけなくなったのです。

買い物は、もっぱら郊外の大型スーパーで済ませます。

駐車場が広くて、わたしのような人にはありがたいのです。


実はいまだに、車庫入れが苦手なわたし。

そういえば、

子供の頃、なかなか自転車に乗れなくて苦労したっけ。

苦い思い出が頭をよぎりました。

( ̄ω ̄;) ブヒ〜

大きな車体を思いのまま動かす、

トラックの運転手さんはスゴイなぁと思います。


先日、職場の同僚からこんな言葉をかけられました。

「安全運転なんだね」

仕事帰り、わたしのすぐ後を走っていたそうです。

慎重・・・と言えば聞こえはよいですが、

つまり、おっかなびっくりとろとろ運転ということなのです。


今後のわたしの課題は、高速道路を運転することです。

高速道路は、その昔、

自動車学校で教習を受けた覚えがありますが、

教習所のオッサンに、えらく怒鳴られた事を思い出します。

本線と合流するとき、

ビビって、思わずブレーキを踏んでしまうからです。( ̄ェ ̄;)

それでなくとも、

わたしの軽自動車で、よたよた走るのは、

ちょっと危険な気がいたします。


しかし、この課題をクリアすれば、

わたしの行動範囲は、飛躍的に広がることでしょう。

近いうちに高速デビューを果たしたいと思います。


そしていつの日か、

日本列島を縦横無尽に走りたいものです。



2002年08月18日(日) 温泉へのいざない

毎月18日は温泉に行きます。

近所の温泉が、月一回半額になるのです。


昼食後、車で海へ続く道を走ります。

台風が近づいているせいでしょう。

ざわざわと田んぼを渡る風が、湿り気を帯びています。


その温泉は、浜辺にあります。

すぐ向こうが海なので、風に潮の香りが混じります。

露天風呂へ入るには、今日のような曇り空がちょうどよいのです。

お湯が微量の塩気を含んでいるので、

夏場は日焼けをしてしまうからです。


今日はお盆休みの最終日と重なって、

いもの子を洗うような賑わいでした。

静かに季節を感じるのも風流ですが、

混んでいるときも、それなりの楽しさがあります。


湯船に浸かりながら、人々を観察するのです。


たとえば、おなかの大きい妊婦さん。

スイカのようなおなかに、目が引き付けられます。


ぞろぞろと賑やかな、三世代家族。

おばあちゃんと娘と、その孫たち。

つるつる丸っこい子供たちのお肉が、

ああ、こんなふうに変化してゆくのねと、

老いのプロセスを、ひと目で確認できたりなんかします。


場所柄、年配の人が多いですが、

若い娘の姿も、ちらほら見えます。

けれど、若い女の子のハダカは意外とつまらないんですよね。

AVに出てるような、みごとな体の持ち主には、

なかなかお目にかかれないものですから。

脱いでお金になるってスゴイことなんだなぁと、

つくづく感心してしまいます。


わたしの趣味は・・・そう、人間観察。

このために、湯船でもわざわざコンタクトレンズをつけているのです。


けれどひとつ不安なことが・・・・

だって、公の場でこんなことを書いたら、

今後、わたしと温泉に入ってくれる相手がいなくなるような気がして。


でも、安心してください。

これは、朝顔の観察と大差ないのです。

わたしにしてみれば、人の体も朝顔も、

同じ“科学の目線”で捉えているのです。

決してエッチな気持ちではないのです。


ですから・・・・


いっしょに、温泉に入りませんか?

“ヘ( ̄- ̄ )かもぉん♪


2002年08月17日(土) 読書の、夏

ちょっとイイ本をみつけてしまいました。


以前から新聞の書評を読んで、気になっていたのです。

「あらしのよるに」作・木村祐一 絵・あべ弘士


これから読む人もいると思うので、多くは語りませんけど、

少しだけ内容を紹介すると・・・


ある嵐の夜、オオカミのガブと、ヤギのメイがともだちになります。

オオカミにとって、ヤギは大のごちそうです。

二匹の友情はどうなっていくのでしょうか?

・・・・と、まぁこんなお話です。


ジャンルは、大人向けの絵本ってとこでしょうか。

のんびり、たんたんとした語り口なのに、

スリリングにお話が展開されるのです。

そしてラストでは、

不覚にも思わずナミダが落ちそうになってしまいました。

・・・・・立ち読みなのに(爆)


疑ったり憎んだりって、案外容易いことだと思うけど、

心から相手を好きになるって、

とっても難しいことだと思うのです。

ガブやメイのように、

ピュアな心で人(獣?)を信じることができたら、

幸せなことだと思います。


この物語は、第一話の「あらしのよるに」から、

第五話の「ふぶきのあした」まで、シリーズになっていますが、

ぜひとも、全巻通して読んで欲しいものです。

絵本なので、立ち読みでもオッケーです。(買えってか)


わたしはふだん、図書館を利用しています。

いまどきの図書館って、

ネットで予約検索ができるので、とっても便利なのです。

本が届くと、メールでお知らせもしてくれます。

話題の新刊本は、順番待ちがスゴイのが難ですけど、

貧乏人には、うってつけの娯楽だわ〜って思います。


以下、ここ最近のお気に入り本。


「この闇と光」服部まゆみ 

「世界の終わりという名の雑貨店」嶽本野ばら 

「すいかのにおい」江国香織


なんかおもしろい本がないかなぁって、

いつもきょろきょろしています。


涼しい部屋で、好きな本を読む・・・・

これこそ、”正しい夏の過ごし方”だと思っています。


2002年08月10日(土) なつやすみの思い出

・・・・って、

なんだか子供の作文のようなタイトルですけど(笑)


職場の同僚で、同じような思い出を持った人がいて、

うれしくなってしまったのです。

思わず思い出話に盛り上がってしまいました。


小学生の頃、

夏休みには毎年、東京からいとこ達が遊びにきました。

彼らは2週間ほど、お泊りしていくのです。

我が家では、同じような年頃の子供が2倍に増えて、

そりゃあもう賑やかな毎日でした。


なかでも、私達が楽しみにしていたのは“川遊び”です。

ぴょん父が夏休みに入ると、

毎日のように私達を連れて行ってくれたのです。

川遊びに限らず、うちの父は、

まめに、私達子供の遊び相手になってくれていました。

今考えると、

たまの連休なのに、父もたいへんだったなぁと思いますが(笑)

そのへんは今でも感謝しているのです。


清流ではいろんな遊びをいたしました。

泳いだり、ゴムボートを浮かべたり。

また、川原でいただくお昼ごはんも格別なのです。

バーベキューやカレーは定番ですよね。

おやつは、川の水で冷やしたスイカを食べました。


ときには危険な遊びにも挑戦します。

大岩から飛び込んだり、3メートルの水底に潜水したり。

ときには傷を作ることもありましたが、

そんなものまったく気にしませんでした。

朝から夕方まで、くたくたになるまで遊んで、

体中、真っ黒に日焼けしていました。


夏休みといえば、虫捕りもしました。

カブトムシを捕りに行くのです。


カブトムシがいる場所は友達にも秘密です。

夕方、桃の木に蜜を塗って仕掛けておくのです。

次の日の朝、まだ暗いうちに起きて、

眠い目をこすりながら、自転車で秘密の場所に急ぎます。

すると、秘密だったはずなのに、

すでに近所の子供達に先を越されて、

口惜しい思いをしたこともありましたっけ。

あの頃はまだ、

デパートで虫を買う子供は、少なかったように思います。


永遠に続けばいいと思っていました。

毎日が楽しい、夏休み。

子供の頃の夏って、どうしてあんなに輝いていたのでしょう。

あの、きらきらした毎日を、

わたしは、いつのまにか失っていました。


誰かが言っていました。

大人になるということは、

心の中の宝石を、ひとつずつ失っていくことだ・・・・と。

大人になるって寂しいことなのでしょうか。

けれどまた、

大人ならではの“人生の愉しみ”も、存在すると思っていますが。


時代と共に、子供も遊びも移り変わって行きます。

夏休み真っ最中。

いまどきのお子ちゃまたちは、

どんなふうに過ごしてるのでしょう。

うちには子供がいないので、詳しい事情は知り得ませんけど、

ぜひとも、楽しい夏休みを送ってほしいものです。


だって、

子供時代のゆたかな思い出は、

一生の宝物になるはずですから。


2002年08月09日(金) 絵手紙はいかが

絵手紙・・・というもんが流行っているそうです。


和紙を貼った葉書に、

墨と、顔料入りの絵の具で絵を描くのです。

文章は、短くさらっと決めるのがカッコイイようです。


つい最近まで、

スケッチに夢中になっていたぴょん母が、

今はこの絵手紙にハマっています。

彼女は週一回、近所の絵手紙教室へ通っています。

この絵手紙というのは、コツさえつかめば、

下手な人でもそれなりに見映えがするのがよいところなの。

決してウマイとは言えないぴょん母の作品でも、

それなりに、よい味が出ているんです。

年配の人に人気があるのは、

きっと、そのへんに秘密があるんでしょうね。


母は、ひとつ作品が完成するたび、

わたしや父に感想を求めます。

ぴょん父はめんどうなので、適当なことしか言いません。

で、必然的に母の相手はわたしの役目となります。

ときには画材屋に、お供することもあります。

彼女に絵心があったなんて、まったく知りませんでした。

・・・・とゆーか、

単に手芸に飽きたからっていうのが動機らしいのですが、

わたしは、なかなかヨイ趣味だなぁって思うんです。


母の通ってる教室には、

かなりお歳を召したおばあちゃんも通っているそうです。

遠くのお友達や、

孫の顔を思い浮かべながら描いているのでしょうか。

子供のように一心に描く姿を想像すると、

ほほえましくて、こちらまで楽しくなっちゃいます。

お年を召してもヨイ趣味をもつことができるなんて、素敵だよね。

(* ̄▽ ̄*)


ところで気になるのは、母の性格。

彼女のことだから、

この素敵な趣味も、そう長く続くとは思えません。

高価なスケッチブックや、何千円もする水彩絵の具・・・・・

飽きちゃったら、どうするつもりなんでしょうねぇ。

┐( ̄ー ̄)┌ 


・・・・ま、しばらくは、

この素敵な趣味を見守ってやろうかなと思うのです。






2002年08月08日(木) ロングはお好き?

いま、髪を伸ばしています。

ここ何年かはショートでしたが、それも少し飽きてきたので、

久しぶりにロングにしようかと思います。


ショートは、まめに美容院に行かなくてはならないし、

いろいろ手入れがめんどうなのです。

バッサリ切った7年前は、

もう二度と、ロングにすることはないだろうと思っていました。

まさか40も間近なこの時期に、

再び伸ばすことになるとは思ってもみなかったのです。

ま、けっきょく飽きっぽいってことですか。

( ̄ω ̄)ゞ


20代の頃はずっとロングでした。

腰の近くまで伸びたこともありました。

くせ毛のうえ、猫毛なので、ふだんはたいてい束ねています。

もともと地味顔なので、束ねると、

ますます老けて見えてしまうのが欠点ですが、

日々のお手入れが簡単になるのは、

やはりとっても魅力だと思うのです。


長かった頃、髪飾りをいろいろ集めていました。

リボンだのカチューシャだのバレッタだの・・・・

デパートのヘアアクセサリーのコーナーで、

お気に入りのものをみつけるのが楽しみでした。

けれどショートにしたとたん、

それらはすべて、お蔵入りになってしまいました。

それから何年か、押入れの奥に忘れられていたのですが、

今日、久しぶりに引っ張り出して眺めてみました。

いまどきの流行にそぐわないものや、

可愛らしすぎるものもありましたけど、

ああ、こんなもん頭につけてた時代もあったのねぇ・・・なんて、

妙に感慨深かったりするのです。

ププッ ( ̄m ̄*)


ビーズもたくさん余っていることだし、

髪留めを手作りするのもいいわねぇ・・・

久しぶりに雑誌なんか見て、

いまどきの編み込みヘアでも研究しようかしらん。


早く長くならないかなぁ・・・・と、

心待ちにしているこの頃であります。




2002年08月03日(土) 海のおくりもの


御前崎に遊びに行きました。

海を眺めたくなったからです。


ぽわんとぼやけた、春の海も好きですが、

くっきり青い夏の海は、また格別です。


そら そら あおいそら

うみがひかる

なみがひかる

きらきらひかる


漁船が水平線を滑っていきます。

かまぼこ形の波が、見えかくれします。


海産物の売店に入りました。

うろこの光った魚たちが、氷の上で横になっています。

どこを泳いでいたのかな。

ピチピチ新鮮な、お魚たち。

カツオがいます。

シラスがいます。

キンメダイもいますし、アジもいます。

あちらでピカピカ光るのは、タチウオです。

くりっと澄んだ目が、こちらを見ています。

煮付けにしたら、さぞ美味しいでしょう。

さっそく一匹、おろしてもらいました。


水槽の中をのぞきます。

アサリ、ウニ、タコ・・・

わたしは、網に入ったサザエを買います。

つぼ焼きにして、

冷やしたビールのおつまみにしましょう。


今日の夕餉のあれやこれや、

わくわくしながら帰路に着きます。

潮風をうけて、車は海沿いの道を走り抜けます。


白いドレスの灯台が、

丘の上から見下ろします。

そして、

また、おいでって話し掛けるので、

また、くるねって手を振りました。









2002年08月02日(金) ハンドタオルの謎

テーブルの上に、タオルの箱が置いておりました。

ご近所の人にでもいただいたのでしょう。

引っ越し祝いだか、快気祝いだか、

薄い化粧箱の中に、

カラフルなキャラクター模様のタオルが折りたたまれています。


いただきものにケチをつけるのも、ナンですが。。。。

( ̄ェ ̄;)


わたしは、ハンドタオルっつーもんが、

どうも気に食わないのです。

30センチ四方の、あのタオル地に、

いったい、どんな有効な利用方法があるのでしょう?


フェイスタオル(ふつうの大きさのタオル)は、

お風呂で使えるので便利です。

ボロボロになったら、お雑巾に変身するし、

何枚あっても重宝します。

一方、ちっこいタオルハンカチは、

持ち歩くのに都合がよいです。

夏場は汗をかくので、やわなハンカチより役にたちます。


けれど・・・・

ハンドタオルって、どうにも中途半端な大きさなんです。

“帯に短し、たすきに長し“とは、

まさにハンドタオルを言い当てているようではありませんか。


なぜかここ数年、ハンドタオルをいただく率が激増しています。

押入れの中に、新品のハンドタオルが、

うじゃうじゃ増殖しているのです。

私としては、ハンドタオルを2〜3枚いただくよりも、

フェイスタオルを1枚いただくほうが、

とってもありがたい気がするのですが・・・・

いただきもののハンドタオルは、たいていがカラフルな柄です。

そして生地も厚く、しっかりした作りのものが多いのです。

だから、いっそ捨ててしまうのも惜しい気がするのです。


“贈られる側”の都合はともかく、

ハンドタオルが“贈る側”に好まれる理由は、

その中途半端なサイズに秘密があるようです。

なぜなら、生地や柄が豪華なので、

箱に入れたとき見映えがします。

けれどサイズが小さいため、見た目の豪華さに比べ、

値段が安いというのがその理由らしいのです。


我が家では、もっぱら台所のおふきんに利用していますが、

生地の厚さが災いして、乾きがいまひとつだったりします。

ある友人は、ハンドタオルを何枚かつなげて、

お風呂場の足ふきマットを作ったそうです。

生地が丈夫なので、うってつけだと言っていました。

別の友人は、タオルの両端にひもをつけて、

子供のよだれかけに利用しているそうです。


ハンドタオルが不便なものと決め付けてしまうのは、

早計だったのでしょうか。

( ̄〜 ̄;)ウーン・・

ほんとうは私の知らない便利な用途が、

いろいろあるのかもしれません。


どなたかよい利用方法を知っていたら、

ぜひ教えて欲しいものです。



ぴょん

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