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2009年バイバイ


高円寺ALONE
大即興会「何か起こさnight,始まらnight」から
今、帰ってきた。
きつかったけど、最高に楽しかった。
また来年もこの日を楽しみに過ごして行ける。
これでやっと今年も終えられる。

今年は
1月から保育士の資格を取って転職しようと
始めたものの、時間がなく金もなく途中で虚しくも断念した。
2月はワンマンライヴをやらせていただき
3月4月にかけては黒澤明の映画にハマり15本の映画を観、
そのまま約30本の映画を見れる勢いだったが
5月にとても悲しい出来事があり、そこから映画を見なくなった。
忌野清志郎が亡くなった。心にポッカリと穴があいた。
6月7月とずっと清志郎のことで一杯だった。
8月、子供達と過ごす夏休みに自分自身が一番楽しみ
夏休みが終わったとき非常に悲しくなった。
9月10月ほとんど何をやっていたのか
記憶がないがテッペイ、ゴリ、吉野と組んだバンド
「ジッとしてクレイジー」のLIVEをやりとても楽しかった。
来年もこれからもずっと続けていけるゴキゲンなメンバーに
出会えて凄く嬉しい。
11月は家族全員がインフルエンザにかかり丸々1週間
家族全員、家の中で過ごし、みんなでゴホゴホしてた。
12月はヨシタロウへ手紙を書き、今もその手紙のコピーが
仕事に着ていく服の内ポケットに入っている。

今年一番のアルバムはHARRYの「狼煙」
このアルバムは今年に限らず生涯
自分にとって最高のアルバムとなる。

今日で2009年が終わる。
振り返ってみると
今年は(も?)落ち着きがなかった。
自分の芯やら意思とやらが日常において
いったいどこに行ってしまったんだ
みたいな事を感じてずっと過ごしていたように思う。
あれよあれよと道化になり
コキつかわれ
つかわれては踊り
労働してたように思える。
虚しく、日々の雑務に追われ
実をつけることもなく散っていったような感じだ。

来年は寅年ではないか。
オレは年男だな。
だからってわけではないが
もう一度、自分の足元を見つめ
周りに振り回される事なく
自分の道を歩いて行こうと思う。

まずは
食べ物をよく噛んで食事をしようと思う。

歌を唄っているのだから
食べ物をよく噛んでアゴ、口の周りの動きを
日々の生活の些細な事からでも気をつけてやっていこうと思う。
全ての生活が自分の音楽に結びつけばいいのだ。

今日は夕方、
藤原さんとヨシタロウとシュウヘイが新幹線で帰ってくる。
武蔵野線経由で大宮までむかえに行く。
武蔵野線っていい感じだ。
都心に行くのに
物凄く遠回りする感じが好きだ。

職場が渋谷にあるため平日は中央線を使って都心に出るが
平日以外は高円寺より先へは行きたくない。
都嫌いだ。
西とか北とか森が好きだ。

もうすっかり朝だ。
寝よう。



2009年12月31日(木)

裸の気持ち


今日はこれから
高円寺ALONEに行ってくる。
「何か起こさnight、始まらnight」だ。
毎年12月30日に行われる大即興会。
今年もいろいろとあったが
これに出ないとオレの一年も終わらない。

ステージにはあらかじめ
お題が書かれた紙が沢山入っている
缶がおいてあり
順番の回ってきた表現者達がステージに上がり
缶の中からお題を引き、即興でパフォーマンスをする。

ギター弾いて唄う人もいれば
芝居をする人もいれば
詩を奏でる人もいれば
ダンスする人もいれば
舞う人もいれば

なにしろ
「表現者よ体だけで来てください」
なのだから

客席も全員、表現者達だ
自分の番が回ってきて
ステージでポツンと一人になった瞬間
自分でも何が出来るか何が産まれるか飛びだすか
全くわからない。
自分と向き合わないと産まれない感じだ。

出来る事なら自分の順番は回ってきて欲しくない。
と毎年思うのだが、毎年この大即興会に参加している。
病み付きになっている。

昨日で仕事納めで社内で打ち上げしたあと
高円寺ALONEに行き、結構飲んで家に帰り
今日は夕方まで寝てた。

今週は藤原さんとヨシタロウとシュウヘイが
家にいないので独身生活を送っている。

家に帰ってギター弾いて曲作ったり
録画していた「坂の上の雲」を見て感動したり
「人志松本のすべらない話」を見て笑ったり
友川カズキさんを大音量で聴いたりして過ごしていた。

明日
藤原さんと子供達は帰ってくる。

今日は朝までかかるだろう。
この大即興会。

そろそろ行ってこよう。
高円寺ALONEへ。

何がうまれるか。
自分でもさっぱりわからない。

裸の気持ちで行こう

2009年12月30日(水)

ビラさん




ヨシタロウが

ビラさんに会いたい

ビラさんに会いたいというから

いったいビラさんってどんな人なのだろうと

かいてみることにした





ビラさんってこの人かい?

と聞いけど

どうやら

違っていたらしい

いったい

ビラさんって

どんな人なのだろう





2009年12月22日(火)

塗れよん



海を描くヨシタロウ






2009年12月21日(月)

忘れないうちに

「元祖天才バカボン」はとっても面白いのだ。インフルエンザで倒れたとき、ずっと観てたのだ。東京MXというテレビチャンネルで平日の夕方やっていたのをずっと観てたのだ。凄く面白かったのだ。大人になって観るとメチャクチャ面白いのだ。内容が深いのだ。突き抜けているのだ。哲学をぶら下げずに哲学ぶちかましてるのだ、メチャクチャ面白いのだ。カモがネギをしょっているのだ。イカがシャチと合体しているのだ。猫が犬になるのだ。そんなバカボンを受け入れた当時の日本は良い国なのだ。日本人ってなかなか良い奴なのだ。でもなんでいつから、仲間とツルまないと何にも出来無くなったのだ。村上春樹の本を読むくせに、なんでどうして、独りぼっちを楽しむことも知らずにうすっぺらな孤独でなぐさめあっているんだ。年々自殺者が増えているんだって。こんなにいらない物があふれているのに物は益々増えるばかりで、みんな自分の居場所を守る事だけに夢中なんだってさ。どいつもこいつも噂で楽しんじゃって、小さくなって、どんどん狭くなっちゃって、もうバカボンを受け入れてくれやしない。笑われ役はお疲れで道化師は声を枯らし実をつけることもなく終わる。「元祖天才バカボン」はオレの心をとっても穏やかにしてくれた。最後に言われてホッとするんだ。言われるとホッとするんだ。クリクリの目ん玉で真顔で言われると明日への元気がわくんだ。「これでいいのだ」「これでいいのだ」「これでいいのだ」「これでいいのだ」元祖天才バカボンのパパだからパパなのだ。

2009年12月20日(日)

12月



今日はライヴハウス高円寺ALONEでの
月に一度の即興詩の会
「アンテナびんびんnight!」の日だった。
仕事が終わり行ってきた。
すでに12人の参加者がいた。
みんなびんびんに集中してた。

今日はお題が3つ出た。

「12月」「壁」「たき火」の三つ

みんなそのお題に対し
即興で詩を書き発表した。
そしてその詩を聞いた誰もが
その詩に対し、自分の感じた事を発した。


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【12月】

てんやわんや
信号無視も数知れず
走って走って
汗だくだけど

外はとっても冷たいよ
心もなんだか亡くしそう

昨日の記憶がないのだが
生き延びているようだ

それなら少しは寝ないとダメだ

オマエの笑顔が楽しみなのさ
驚きでいっぱいの
ハジケたジャンプが見れるかな


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【壁】

よじのぼる
パンチする
飛び降りる

凄くいいものだ

丸を書いて
思いきり投げ込む

ゲームは続く
陽が暮れるまで

ノーアウト満塁
よくあるシーン

ゲームは続く
想像力が続くかぎり


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【たき火】

はじめは我慢だ
途中から面白くなってくる

もうすでに炎があがっている所にも行った
オレもひとつ燃えるものを投げて
それが燃えて消える瞬間を見た

消えそうな炎を見た
息を吹きかけ
もりかえすのを知った

キャッチ ア ファイヤー
キャッチ ア ファイヤー
消える前に
キャッチ ア ファイヤー


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そして
お題のない即興タイム

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自分を知った
困ってしまった
あやまりたくなった
まいってしまった
弱ってしまった

押されて
たおれて

ずうずうしくも
まだこりず

またしても
助けられてしまった


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今年最後の
即興詩の会

行って良かった

人の直感に間近で触れられる時間



2009年12月18日(金)

師走



早く寝ないと

明日は

朝一で確認しなければいけない事が

沢山ある

どれもこれもが至急で

いったい

どれから手をつけたらいいのやら




2009年12月14日(月)

寝不足の冬



昨日のLIVEが終わったあと
打ち上げで新しいコートをもらい
嬉しかった。

帰り
電車の中で寝てしまい
目が覚めたら
高尾だった。

久しぶりの高尾。

西国分寺まで
タクシーで9000円
カードで払った。

いっそうの事
高尾に住もうかしら。

今日はヒッサしぶりに
完全にOFFな感じで

ちょっと寒かったけど

いい冬だった。



最近寝不足が続いている。

来週は睡眠をちゃんと取ろう。

寝ないと駄目ですな。




2009年12月13日(日)

ひとこま


先日、ヨシタロウに手紙を書きました。
ヨシタロウの通う幼稚園の主催で
親が子供に対し自由に手紙を書き
それを文集にするというもので。
文集の題名は「ひとこま」とうもので。

結構前から締め切り日は決まっていたのですが
いざ書くとなるとなかなか書けず
結局締め切り日前日の夜中ギリギリに
書き終える事が出来ました。

翌日の朝、何故かその手紙のコピーを
内ポケットに入れて仕事に出かけました。

行きの電車の中で読みました。
帰りの電車の中でも読んでました。

何をやっているのか。
今だに仕事の行き帰りに読んでいます。
自分がヨシタロウに向けて書いた手紙を。

不思議な事にその手紙を読むと
仕事で嫌な事があったり
うまくいかない事があっても
気分が落ち着いたり、和んだり
してる自分がいるのです。

ちょっと恥ずかしいので、読む時はいつも
手紙の一番上に書いてある「芳多郎へ」の文字と
一番下に書いてある「父より」の文字を指で折って
隠してから読んでいます。



2009年12月11日(金)

心を亡くす


ここ1週間
とても忙しい

忙しいって
「心」を「亡くす」って書くんだね

ツネちゃんが言っていた事を
思い出すよ


2009年12月10日(木)

ふざけんじゃねぇよ



俺らの中学の時の野球部の監督が
突然亡くなった。

俺らの恩師たる人。

野球を通じていろんな事
とても大切な事を教えてくれた恩師が
突然亡くなった。

何にも知らねぇ
くそガキ共に
精神的にも体力的にも
俺らの基礎を創ってくれた人。

15年ぐらい
会っていなかったが
またいつか必ず会えるもんだと
思っていた。

ふざけんじゃねぇよ。
ありえねぇだろ。

死んだなんて。



2009年12月04日(金)

インフルエンザ


先々週
1週間丸々
一家全員
インフルエンザにかかってた。

そりゃそりゃ
笑っちゃうくらい
家の中
インフル菌が充満していて
笑っちゃうくらい
家族4人
グッタリしてた。

まず始めに
ヨシタロウがインフルエンザにかかった。
翌日シュウヘイがインフルエンザにかかった。
そのまた翌日、藤原さんがインフルエンザにかかった。
そしてその翌日、オレがインフルエンザにかかった。

ヨシタロウ、シュウヘイがインフルエンザにかかって
苦しんで、寝ながら泣いている時
抱っこしてずっとくっついてそばにいたのが
そのとき、二人とも
オレの顔めがけて
これでもかと
口を大きく開けて
咳をしてきたので
その時から
「うん、これはうつったかも」と
覚悟はしていた矢先
案の定、インフル菌がオレの体にお邪魔していたって
わけだ

体が感じた事は
これぞ新しいウイルスか!って事

ありとあらゆる
風邪引いた時の症状
(間接の痛みとか、筋肉のダルとか、気持ち悪さとか・・)が
一気に押し寄せてきて
おいおいおいヘビーなんじゃないのと思いながら
全身が新しいウイルスまみれに犯された。


熱が一気に39度以上まで上がって
タミフル飲んだら翌日には37度2.3分に熱は下がったのだが
いつもの37度2.3分では到底ありえない
節々の痛さ、筋肉の重さ、気だるさが3.4日続いて
もうオレ、鬱病なんじゃないか
と思うぐらい熱はほとんどないのに何のやる気も起きない
状態が続いた。

元気な時は今ここでジャンプしようと思ったら
すぐピョンピョンジャンプ出来るのに
それに37度2.3分であれば普段なら無理矢理にでも
ジャンプ出来るのに
今回は全くジャンプするきなんか起きるわけないぐらい
熱が下がってもグッタリしてた。


やっとこさ元気になって
家から歩いて5分のスーパーに
買い物に行ったら
たったそれだけで疲れてしまう程
体力が落ちていて
そんな中
完治して仕事に出かけたら
もう疲れて疲れて
困った。

でもここ最近
やっとこ
やっとこ
生き返ってきた

新しいウイルスの免疫という奴を搭載し
強靭な体に生まれ変わった
NEWタイプとしてオレは生き返ってきた

妙にまっ黄色の鼻水が出た
その黄色をみて
この黄色の中にはオレの体を苦しめた
悪質な菌の死骸が濃密に詰まっているんだ
と思った。

汚い話
濃密な黄色の痰も出た。

体の中で死んだ
老廃物がウジャウジャと出てきた瞬間を
見た。

オレは勝ったと思った。

老廃物を奇麗さっぱり
排除して

やっとこやっとこ
新型インフルエンザと
永遠におさらばした喜びを
感じている。


今日このごろなんだ





2009年12月03日(木)

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