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アバヨ!吉川荘


ちょっと、感傷に
ひたってきた
住み慣れた部屋

片付けられてきた

ほぼ
ダンボールにしまわれた。

ここに引っ越してきた
ばっかりの時のような匂いが、
部屋のあちこちでし始めている。

2年間、隠れていたものが
また息を吹き返している。

世話になった。

考えてみれば
毎日毎日
この部屋に帰ってきていた。

当たり前のように。

駅を降りると
自然と駆け足になっていて
何故か、部屋につく頃は
息をハ〜ハ〜させていた。

さよならありがとう。

今度はこの部屋に、どんな人が住むんだろう。

さよならありがとう。

もう明日からは、
ここには戻ってこないぜ。

あと何時間かでお別れだ。

間違って、帰って来ちゃったりして。
だけど、もう入れないぜ。

2度と入れないぜ。

バイバイ。俺の部屋。
バイバイ。吉川荘。
バイバイ。思い出。
バイバイ。ありがとよ。
バイバイ。止めるなよ。
バイバイ。俺は行くぜ。

俺は行くぜ。振り向かないぜ。

ア・バ・ヨ!!

2003年05月31日(土)

出てくる出てくる


感傷に浸っている暇もなく
引っ越し準備に追われ始めている。

うひゃ〜。

出てくる出てくる、

今使わなければ、見なければ
これから先、一生
使う事も見る事もないであろう
一生捨てられないであろう
中学校時代の歌詞ノート。

「エッチマン」

なんだこの歌は〜!!
いつ、作ったんだ〜???

出てくる出てくる

「今は授業中」

な、なんなんだこの題名は〜!!

ひと休みして
ちょっと、いろいろ
見て見ようかしらん。

な、なんなんだ
この棒は。

もはや使い道がない。
でも、捨てられん。

ちょっと、ひと休みしようかしらん。


2003年05月30日(金)

応援したまでさ


頭ではわかっている。

要領の悪い怠けんぼうが
頑張り過ぎると
どうなるか。

咲く前に枯れる。

花は咲いたら散れるが
咲かない花は散るわけもなく・・・

そんな時
面白くもない、くだらない会話に
愛想笑いしちまった。

そんな時
なんだか知らんが
不器用にも一生懸命
せかせかといっぱいいっぱい
になりながら汗を流している人の姿が見えて
愛想笑いをしていた俺を恥じた。

土壇場で裏切らない人っていうのは
生き方が下手な奴なのかもしれん。

そして、そんな人が化けた時
コツをつかんだ時、
でっかい花が咲くのだろう。
そして、その可能性を
自分でも知っているのだろう。

だから、物凄く格好悪い事が
カッコイイと
自信を持って言えるのだろう。

別に俺の事を言っているわけじゃ
なくて、ある人物に向けて
暖かく影ながら応援しているのさ。



2003年05月29日(木)

自分に負けるな


あまり喋るのが上手くない。

俺の人生。

文を書く事で
気持ちが落ち着く。

自由。

意識。

さて・・・

どんなに小さくても

光は光

目に映った気持ちを

真ん中でかき混ぜた色は

真っ黒に映したい色


何か、とんでもない勘違いを

しているかもしれない時、

不安で不安でたまらない時

嘘をつく。

笑顔でいたいから。

嘘をつく。

恐いから。

もう二度と

笑えない気がするから


2003年05月28日(水)

力になりたい


今、28日水曜日の朝6時
だが、
まだ寝ていないから
俺の中では、27日火曜日のまま。

今、夜行列車に乗って
帰ってきたところ。

夜行列車とは
名ばかりで、
すぐ隣で
ある集団が
列車の中で、
酒盛りしてて、
寝れたもんじゃなかった。

窓の外
眺めた。

今から
1時間ばかし寝て
俺の28日が始まる。

あ〜力になりたい。
あ〜助けたい。

目覚ましセットしている
ブランキージェットシティー
「ハーレムジェット」
が鳴り響く。

あ〜残酷にも
朝だ、朝だ。

寝なければ。寝なければ。



2003年05月27日(火)

キャメルの足首チョーカー


そのまた一歩を
踏み出す時と言うのは
今まで以上の
熱い、止められない、気持ちが無いと
超えられないんじゃないか。

更に一歩、更に一歩
踏み出そうとする度に
もう一度、仕切り直しもするだろうし
もう一度、エネルギーをためるだろうし
今まで以上の高いハードルを
超えるというか
壊すというか
上げるというか
腹から笑うというか
そんな感じなんだろう。

風に身を任せ、
何処に行っても
いいじゃん。

後退したって良いじゃん。

素直に思い続けていれば。
その時が来る。

自分で全て解決しようと
誰にも頼らない気持ちで
行動に移せば、
そこに、助けてくれる人が現れる。
そして、その時始めて思えば良い事なのが
一人じゃなんにも出来ね〜な〜
誰かの力があってこそ出来る事なんだな〜
と、愛情や優しさに触れられる。

それが、更に一歩進める力と
なる時がある。

勇気とか力とか涙って
そんなものに触れた時
急にぼっ発する時も
あるんだと思う。

一人じゃないんだって
思える瞬間がそこにあるんだと思う。



2003年05月25日(日)

ブッシュマン


唄、詩、ギター、リズム、響き、声、強弱、
マイクスタンド、立ち位置、在り方、居方
空気、景色、空間、入り口、出口

その唄が生まれる思いや
感情を、いっさい、とっぱらって考えた時、
急に、うだうだと、上に書いたような
要素が一つに一瞬にして凝縮されないと
曲というのはその輪郭を持たないのかもしれんと
思った。

今日のLIVE、唄っている途中から
今まで見えてなんか来なかった
その唄の幻影が現れて
それを必死で「消えないでくれ、消えないでくれ」
って思いながら唄っていた。

あまり強く唄うと、びっくりして
消えてしまうと思ったから、
僕はその幻影を眺めながら、
ある種、何にも考えず、見とれて唄っていた。

結論から言おう。
今日のLIVEを録音したMDを
冷静に聞き直すと

とっても、音痴なLIVEだったんだ。

ちょっと気付いた事がある。
アフリカの砂漠に住む原住民を前に
ただ「コカコーラ」と叫んでも
きっと、なんの事かわからず、引くだろう。

じゃ〜
自分が真夏のカラカラに喉が乾いている時に
コカコーラを飲み干した気持ちを思い浮かべて
「コカコーラ」と噛み締めて叫んだら
どうだろうか?
アフリカの原住民は何か感じるだろうか?
きっと少しは興味を示すかもしれない、
全く関係ない事を思い浮かべたり
「この人何言ってんだ?」と思ったり
一緒になって「コカコーラ」と言う原住民もいるかもしれないが
「コカコーラ」がなんなのかは、わからないだろう。

では、
アフリカの砂漠のど真ん中で
自分がカラカラに喉が乾いて倒れた時
目の前に「コカコーラ」の幻影が見えたら
どうだろう。
それを言葉にするとなると
「コカコ〜ラ〜」と手を伸ばし
つぶやくかもしれない、叫ぶかもしれない、
眺めるだけかもしれない。
ただ、それを聞いたアフリカの原住民は
「きっと喉が渇いたいるんだろう」と思うかもしれないが、
「コカコーラ」の事とはわからず
そして自分はその幻影をただ追い掛けているだけ。

それならば、
アフリカの原住民に、想像力ではなく
完全に、この飲み物は「コカコーラ」だって言う事を
わかってもらいたいのなら、どうするか。
現物を手に持って、目の前にかかげて、
「コカコーラ」と叫んで、自分が飲んだあと原住民にも
飲ましてあげて、はじめて「コカコーラ」が
なんなのか、どんな味なのかが
わかるのだと思う。

話を音楽に戻そう。
音楽には形が無い。
聞いてくれている人たちの前にも
何か現物があるわけでは無い。

あるのは音とミュージシャンだけ。

ミュージシャンが
自分たちから生まれた曲の味を理解しお客さんに、音で提供している。

そしてお客さんも、その味を自由に解釈してお腹いっぱいになる。

ミュージシャンは
その曲の持っている、味や空気や景色や色や自由を感情をこめて
音にするんだとおもうが

本当に入り込んだ時、目の前に現物が実際に現れ
それを、ただ見とれるだけじゃなく
「ほら、これだよー」ってお客さんの目の前に提供出来た時、
その唄は、音とか現物とかをとおりこした
時を止められる説得力となり、とんでもない空間に
なるんじゃないのかな〜と思った。

僕が好きな一流のミュージシャン達は
きっと、それが出来ているのだろう。

目の前に現物が現れ
それに見とれながらも、追い掛けながらも
芯があるから、そこから揺るぎなく
思いっきり、唄えるんだろう。
幻影と思いっきり戦えるのだろう。

だから一つ一つの唄が
しっかりと輪郭の持った
世界となり固体となり
唯一無二となり
僕の心や体のあちこちに
こびりつくのだろう。

芯があるから出来ることなんだと。
曲が生きてくるんだと。

そして僕もそんなミュージシャンになりたいと。
そんな曲を生んで、生きさせたいと思った。



2003年05月24日(土)

最後に勝つ事だけは感覚的に見えている


深刻な事を
ただ、漠然と良い方向に
向かえば良いと
いつか、また救われるさと
いつか、また笑えるさと
ささくらている。

何を沈めているんだろうか。

何を恐れているんだろうか。

これは、かっこつけでもなく
自慢でもなく
完全に否定的に
「明日」と言う日に
俺は知らず知らずのうちに脅えている。

「今日はどんな事でがっかりするんだろう」。

ふとした時
最近良く思うことが、
電車の中で特に思うが

「俺、もうちょっとはじけてたよな〜」
「俺、もうちょっと声だしていたよな〜」
「俺、もうちょっと見ている世界、広かったよな〜」

何かが違う、何かがおかしい
そして全部自分に跳ね返って来る。

今、負けている。
認めよう。負けている。
29歳を目前に控え
人生に負けている。
でもそれが、悔しくないんだ。

飽和状態の虚無感。

この負け方は始めてだ。
今までに経験のない負け方だ。

頑張って、頑張って、戦って、戦って
負けているのとはわけが違う。

頑張る前に、頭から何かに押さえ付けられている。

そこから生まれる平和ってものに
へどが出る程、よだれ垂らしている。



2003年05月23日(金)

シャワーつけますよ


今度、引っ越しするんだが
かなり気に入っている
部屋だが、

今、住んでいる部屋が
「隠れ家」だとすれば
今度の部屋は
「太陽」って感じだが

風呂にシャワーがついていないのだ.



そんな事は気にしない
と、
言い聞かせていた.



今日、不動産屋さんから
「あの〜風呂にシャワーをつけることに
しましたので〜」と
電話があった瞬間

「ホントですか?ホントですか?ホントですか〜〜〜!!!うれしいです!!」

って挨拶した。

これから、あの家が
俺の歌声やら爆音スピーカーやら
ダンスダンスダンスで床が揺れるって言うのに

とても親切な不動産屋さんだと思った。

いや〜、マジで今度の部屋は
気に入っているのよ。

「太陽」って感じで。

いいのよ〜。







2003年05月22日(木)

赤い月


今日のお前は赤かった。
でも
今日のお前はウインクしてた。
だから
信じたくなかった。

オマエ〜〜〜〜〜
何んでそんな今日は赤いんだ?


俺が燃えているからか?
なんちゃって。エヘヘの胃へ。おえ〜。

このやろ〜〜。

月月月月

このやろう〜〜〜

ごめん明日からまた始まるから
今日はゆるせよっ!

バ〜カ、バ〜カ、バ〜カ




2003年05月21日(水)

スモーク60本


昨日
朝飯、ヨーグルト
昼、うんち
昼飯食べて
夜12時近く帰宅
夜飯カレー3杯
眠くなっていつの間にか寝た

今日朝、
体が、かなりだるかった。
風呂入って
ヨーグルト食って
出かけた。
昼、うんちした。




2003年05月20日(火)

ショルダーアウチ?


それまで
そんな事、一度もなかったのだが、
ある日を境に、腰痛になっちまった。

それからというもの、
体のバランスが崩れたのか、
肩こりにもなっちまった。

時々、中国気功師さんにマッサージを
受けにいっている事は
先に述べた。

ところで
肩こりと言うのは
「英語」で訳せないらしい。
つまるところ
欧米人に「肩こり」という概念が無いらしい。

かといって欧米人に「肩こり」が無いと言うのは大間違いで、
人間が二足歩行を始めたときから
肩に腕をぶら下げているわけだから
「肩こり」は大昔から人につきまとっているものだと言う。

ただ、概念がないから意識する事が無いと言うのは
なかなか興味深い。

言葉と言うのは、
その根本はリズムから生まれたものだと言う。
始めは言葉じゃなく音だったと言う。

なるほど、英語はリズミカルだ。
ビートルズの唄が全て日本語だったら
あんな名曲ぞろいにはならないと思う。

さて、日本語はリズムがないか?
というとそんな事はなく、
俳句にしろ古典にしろ
素晴らしい響きを持っていると思う。

響きからリズムが生まれ音楽が生まれ、
素晴らしい世界。

人の脳みそと言うのは
意識の許容範囲をこえた学習能力があるみたいだ。
時として、柔軟性があり過ぎるがため、
大きな過ちを犯す時もあるのだろう。

そして、日常に目を向けると

中国語で「肩こり」を何と言うのか
今度、中国気功師さんに聞いてみよう。
と、考えている僕がいるわけで、

「どうやら僕たちは増え過ぎた」(byベンジー)




2003年05月18日(日)

どんなに苦しくても、勝るから・・・


インディーズから出ている
「明星(AKEBOSHI)」
というバンドが最近好き。

それは置いといて

僕はかねてから

そんなに派手じゃなくていいから

パンクアコースティックギターと
人間ドラム(又はアフリカンパーカッション)
グルグルベース、悲鳴バイオリン、狂気ピアノ

が揃えば、日本中ありとあらゆるLIVEハウス、ホール
を回って旅をしながら

一生音楽だけで死にたいという気持ちは

今も昔も変わらない。

税務官が
人間である前に「税務官」として
親友であろうとなんであろうと
不正を犯した友を
情を捨てて「税務官」たる行為をするように

僕も人間である前に
言葉になんか出来ない、込み上げる感情は見せずに
「音楽人」として、ただただ旅をして生きたい

かねてからそんな人生を思いえがいている。

火取ゆきさんに
「泣くなら私の前だけにしな。ステージで泣いちゃいけないよ」
と言われた事がある。
もちろん泣きながら唄ってたわけじゃ無い。

要するにテッペイの言う
「ステージでどんなに暴れていても、どんなに叫んでいても
僕の好きなアーティストはみんなどこかクールな面を持っている。
田村はまだ、ひとりよがりのところがある。」

というのと同じ事だと思っている。

人間である前に「音楽人」であれ。
「田村泰久」である前に「音楽人」であれ。
あとは、何もいらない。

いいLIVEをした時は、いつもいつもそんな気持ちになる。



2003年05月17日(土)

くそったれ


壁にほっぺたくっつけた。
冷たくって気持ち良かった。

壁に人さし指くっつけた。

進行方向に対し垂直に構えているその壁に
人さし指をくっつけてみた
この電車を走らせているのは
この人さし指1本の力だぜ

思えるかと思って
そうしてみた
けど
そう思えなくて
「う〜ん想像力が足りん」

やっぱり壁にほっぺたくっつけて
思いっきり顔を潰して
唇とんがらして
「く〜」って
目に力いれたほうが
良いみたい。

いったい僕は
何をやっているんだ。

時々頻繁に良くそう思う。
良かれと思って
やっている事の
半分以上は
こと基礎や知識がない分野においては
知らず知らずに
相手を怒らせていたり、がっかりさせていたり
全く必要のない口になったり
「あ〜あ〜あ〜くそったれ〜」
ってなるのは
もう、みえみえだ。

「目標に向かって頑張るのが僕の信条」
ってなもんも
あったような、なかったような
野球少年
もっと
さかのぼる
幼児体験

ちょっと無邪気に育ち過ぎたかな〜

僕の名前は
「泰久(ヤスヒサ)」
昔、親にその名の意味を聞いてみた。

その名の由来は
「すこやかに永久に」

だってよ

全く涙が出て来るぜ。

何かが足りね〜
何かが足りね〜
何かが違う

「オマエ間違ってね〜か〜?」
いつかこんな事言えたらな〜

ヤバいヤバい、

結局音楽やっている奴なんて
どっか壊れててさ、
あきらめる事を知らないっていう
方向性がかなり、違った方向を指していてさ
どこかバカでさ、
大人になんかなりたくね〜〜〜〜〜〜〜。

結局そこに辿り着く金曜日かよ。

なんてね、かっこいい大人もいるのによ。
今、旅行にいってるんだけど、
ゆっくり旅行にいっててもらいたいけど。
ホント早く帰って来て欲しいよ。

今の僕ではどうにもならない。
悔しいけど、情けないけど、
腹立つ程、どうにもならない。

無責任で卑怯なマネをしないって
事だけで保っている
全く頼りない透明人間だ。

セバスチャン。腰からくだけるジョークを
下さい!。



2003年05月16日(金)

鳩のフン


ふ〜日記を書くの5日ぶりか。
5日前は日吉「Nap」でLIVEだった。

楽しかった。苦しかった。
新ためて、立ち方、居方、在り方、
みたいな芯みたいな
揺るぎないものを・・・・・
お客さんからもらう
拍手がとても、
嬉しくて、そして更に不安にさせる
突き刺さる、もっともっと深くもぐろうと
臆病になった、震えた、あせった、とまどった
LIVEだった。
そして、ヒントを沢山つかんだ。
それは全て抽象的なもので、
抽象的に進む以外、歩き方がわからない
具体的には歩けない程、遠すぎるものだった。

あれから5日が過ぎていた。

あっという間の5日間だった。

違った角度から
違った内容の
大きな問題が3つ
いっぺんに、押し寄せてきた。

滅入った気分って
あまり楽しくないもんだ。

明日こそは、明日こそは
楽しい気分で過ごそう。

今日こそは、今日こそは
笑って過ごそう。

言い聞かせても
どこへやら。

そんな今日、
帰りの井の頭線
吉祥寺駅到着。

ホームを歩いていると
左肩に圧力ひとつ。

「ビチャッ!」

それは滑稽な黄色だった。

きっとブルース(=泣き笑い)って
こんな時に生まれてくるんだろう。

それは、もう
笑うしかなかった。

こんな時に
更に追い討ちをかけるように

「ビチャっ!」

鳩のフン。

もう、笑うしかなかった。
そのうち本当におかしくなってきた。

おかしすぎて、スキップしたくなった。

負と負が交差して
笑うしかなくて
俺にフンをかけた
鳩の顔を思い浮かべたら

何んだかここ最近の出来事で
一番、許せる、可愛い奴
俺のいま置かれている状況を
まるで、奴なりに励ましているような

「ビチャッ!」左肩、黄色、固形物、「ビチャッ!」

ひょんな事がきっかけで、
何だかとても楽しい出来事に
出くわして、

急に俺は元気になった。

明日こそは、明日こそは、明日こそは、

そんな時
源さんからメールが届いた

「私は粉々に生きておりますが、いかがお過ごしですか?」って

腰が抜ける程、元に戻った。

「ビチャッッッ!!!!!!」






2003年05月15日(木)

これはまさに。


今日メンチカツを食った。
大正ロマンの味がした。

希望に膨らむ夢をみた。

2003年05月10日(土)



ま〜ぶっちゃけ、
ざっくりと
本音トークしようぜ!
ってことだ。

それが出来ない
しがらみがあるなら
僕がしっかりすれば
本音トークできる
雰囲気を作らなきゃいけないのなら
いくらでも演技できる!
のかな〜???

いやだな〜。
そう
僕は代理店にひょんな事がきっかけで
いまいるわけですけども

存在と無

結局、市場にでるまでは
モメにモメてその間は無なんすかね〜??

市場に出て存在するのなら、
大半は無なんすかね〜。

と言う事は
無こそ存在しているんすかね〜。

表現の快楽がなければ
僕は鬱病になっている事
間違い無しだとすれば
本能的に
自己防衛が働いて
その防衛が嫌で壊れろと
言い聞かせているのだとすれば
僕はぶっちゃけ
とんでもなく甘ちょんで

ただ今思ったんすが
理屈云々抜きにして

好きだ!!!!!

って事だぜ〜〜〜〜〜。

単純な事程難しい簡単。

無ですね。


酔いどれオイラの悲しいつぶやきさ。
埋もれた灰皿シケモク探せば
マッチが空っぽさ〜。

湿ったマッチを無理矢理燃やせば
あ〜タバコが空っぽさ〜。

ってとこですかね。

そんなオイラのLIVEが
あさってありますよ〜!!!!!!

アディオス!!!!

2003年05月09日(金)

サルトル


存在している時は不安では無く
存在していない時、不安になる。

得てして存在していない時間の方が多い、

つまるところ、不安な時の方が多い。

それは新たな一歩を踏み出しているための
今の場所の自分に不安がつのる。

人は自由の刑に処せられている。

人は自由に何にでもなれる。
しかし全責任を自分でとらなければならない。

実存は本質より勝る。

実存=存在
本質=無=不安

不安から何かが生まれ
そこで存在する。

ムンクの不安が「叫び」になり
この世に存在=実存するのも然り。

本質は無。本質は無。

サルトル「存在と無」。

不安な気持ちからきっと何かが
生まれ存在する本質=無=不安=創造=実存=存在==
==不安=本質=無=存在==実存========無。





2003年05月08日(木)

ハックション


遅らばせながら
俺の花粉がやってきた。

毎年俺の花粉は5月にやって来る。

でも
今年は
そんなにひどくは無さそうな予感。

俺は朝御飯を食わない。

ギリギリまで寝ているからだ。

朝は口を動かすのも面倒くさいからだ。

でも、
ヨーグルトだけは
寝たまま流し込んでいる。

あと、屈伸運動は必ずする。
腰を痛めてから、寝起きは
足が何故かだるいからだ。

ふと
今年の花粉があまりひどくないのは
ヨーグルトのおかげだと思う。

粘膜って感じがするからだ。
ヨーグルトのあの粘り気が
きっと花粉を吸い寄せてくれるからだ。
違う。
吸い寄せたら駄目だ。
いや
やっぱいいんだ。
ヨーグルトが花粉を吸い込むことによって
花粉は鼻には行かず
ヨーグルトへ。
いや
でも俺はヨーグルトは朝しか食わん。
外に出たときは
既にヨーグルトは胃のなかだ。

これは、動物的。
理由は何であれ
今年、俺の毎年5月にやって来る
花粉があまりひどくないのは
間違いなくヨーグルトのおかげだ。
感じる。
あの粘り気、プリプリ、ツルツル、
粘り気と言えば納豆好きの俺は
卵も入れるが、白身は入れず
卵黄だけを入れる。

そういえば
ヨーグルトはそんなに
粘り気はない。

粘り気は納豆か。

そうだよな。

白身はフライパンでパリパリになるまで焼いて
塩をかけてご飯と一緒に食う。
卵黄と納豆の混ざり具合が丁度良い。
隙間なく良い。

俺は餃子が大好きだ。
餃子は別腹だ。
「あ〜お腹いっぱい」って時も
「ハイ餃子!」って出されたら
ペロリと食える。

餃子食った瞬間のあの
ロマンチックな気持ちを
餃子で表現するのはかなり難しい。

体中餃子のゲップに何を感じる?
幸せ?喜び?ユーモア?照れ隠し?
ジョーク?申し訳なさ?
恥ずかしさの反対の可愛いホッペ?

最近餃子くってない。食いたい。
無償に。
奥歯の奥で皮を潰して。

このパソコンの文字変換は
おかしい。
「くいたい」と打つと
「く痛い」ってなる。

これはほんの一例だ。
そんなんばっかだ。

文を書く事で落ち着きを
保っている。


へ〜ックション。
あう〜。







2003年05月07日(水)

まだ先の話だが


夜、少し夏を感じた。
その感じは
フジロックに似てた。

まだちょっと
先の話か。

ただ、確かに
又やって来るんだ。

そうか
フジロックが
あるじゃないか。

実に
喜ばしいできごと
じゃないか。



2003年05月06日(火)

レインドッグ


俺のバイクの名は
「レインドッグ」

自分の気持ちが
そうだったからなのか、
あるいは
レインドッグにまたがったから
気持ちがそうなったのか

とにかく飛ばした
とにかく飛ばした
右手のアクセル
思いっきり握り
思いっきり睨み

そこに理由は無いって気持ちが
何より純度の濃い衝動である事を
レインドッッグの力を借りないと
認識出来ないのかって、
それほどまで
飛ばすって事に喜びと恐怖と快感を
もたらしてくれた。

そこに理由は無い。
カーブのラインに差し掛かったら
ハンドル握る両手を感じ
体に任せ
重力を感じ
白いセンターライン。
ガードレール。
友達の顔。恋人の顔。親の顔。

僕が今より少しでも前に進むには
今の僕を唄う他、方法は無い。

どんなにレインドッグを飛ばしても
何処にも行けやしない。





2003年05月05日(月)

長い道のりお疲れさんです!!


僕が初めて知ったのは
小学校4年生くらいの時ですかね〜。

ネギ坊主 キクラゲ
って感じの「家庭教師」役
毎週見てましたよ〜。

今度はざっくり髪の毛切って
ラーメン屋「マリオ〜!!」
荒川の土手バイクで飛ばして。
『♪ドラム缶の油の匂い〜♪』
僕は小学校5年生になっていましたよ。

んで今度は
『♪ピーピーピーピーピーピー♪』
のオフクロ食堂。
僕は小学校6年生でしたよ。

僕にはロックンローラーの姉がいて
当時金髪で、ストリートスライダーズが好きで
高校でバンド組んでたんですが
その姉に
僕が「♪ピーピーピー♪」って唄ってたら
「あれ〜ヤス(と姉に呼ばれてます。)長渕なんか好きなの〜?」
と言われ
当時小学6年の僕は「うん」と言いました。
もちろん歌手だなんて知りませんでした。
そんで姉が
「今からレンタルレコード行くんだけどヤスも行こうぜ。
長渕のアルバム全部借りてくれば良いじゃん。沢山出しているよ。」
って言われ
「アルバムって何?」
「レコードだよ、レコード。ほら行くよ。
 長渕は歌手だって知らなかったの?」
「うん」

姉と自転車に乗って駅前の「友&愛」という
レンタルレコード屋に行き、
当然、帰りの僕の自転車の篭の中は
「♪ピーピーピー♪」のお兄さんのアルバムで
一杯になりました。
ネギ坊主 キクラゲのジャケットあり
横顔アップの長髪のジャケットあり
全部で10枚近くあったんじゃないでしょうか。

小学校4年の時からドラマで見ていた
兄ちゃんが歌唄ってる。
「順子」知ってる。兄チャンの歌だったのか。
「♪俺らの家まで〜♪」う〜んいい唄。
その日徹夜で借りてきたレコード全て
ダビングしたのを今でも覚えています。

中学1年の時、初めて
武道館コンサートに1人で行きました。

兄ちゃんがそこにいました。
初めて歌手として人気がある人だと知りました。

なんかコンサート自体初めてだし、
1人で行ってたら、ある女の人に声かけられて
「1人できてんの?私、剛のデビュー前からの
LIVEの録音されているカセット持っているから
ダビングして君んち送ってあげるよ!住所教えて!」
「やった〜」
男のファンも沢山いましたが
女の子のファンが凄く沢山コンサート会場にいましたね。

あれから15年が経ちましたね。

兄ちゃん途中からヤクザになっちゃったでしょう。
その後何年間はセールス的にはトップまで登りつめましたが、
兄ちゃん走れば走る程、とんでもない方向に行っちゃったよね。
僕は心配だったよ〜。
ヤクザになっちゃってからは
兄チャンの音楽、聞かなくなっちゃってた僕だけど、
「兄チャン大丈夫かな〜。」ってのはあったよ。

あれから15年
「ピーピーピー」からの15年間
苦しかったでしょう。

僕はこの15年で聴く音楽、目指す音楽
良いと思える音楽
全てにおいて、兄チャンのベクトルとは
離れたけど、
素晴らしい音楽に沢山出会えているけど、
あの小学校6年生の時の
姉と一緒にレンタルレコードに行って
初めて兄チャンのアルバムを両手で抱えて
レジに行ったときの気持ちで
他のアーティストのレコード、CDを
買った事はないぜ。

姉の影響もあり
学生時代はもっぱら
ストリートスライダーズや
ブランキージェットシティー
大学入ってからは
リアルタイムではないけど
RCにハマり、清志郎の詩を知り
仲井戸チャボ麗市を知り
後は手当りしだい洋楽、邦楽問わず
聞きまくったけど、
買ったCDをレジに持って行く時
あの胸の高鳴りをこえるものは
未だにないよ。

何が言いたいかって言うとさっ
やっとまた
復活してきたね
って思えてさ、
ちょっと嬉しくなっちゃったんだよね〜。

相変わらず何かにのめり込むと
狂的までにとことんやっちゃうから
今、スンゴイ筋肉マンになっているけど、
ま〜曲が好きとか嫌いとかそんなの抜きにして
小学校4年生の時の
僕の視点からしか言えないけどさ
兄ちゃんが元気になってきて
本当に良かったよ!!。

この15年間は本当に
辛い事の方が多かったんじゃないのかな〜。

「♪ピーピーピー♪」までの
兄チャンの音楽を中学、高校時代に聞いて
それをきっかけに、音楽への姿勢、ヒントを得
旅立ち、音楽業界の第一線で活躍している
人が、どれほどたくさんいる事か!
Mr.チルドレン、斉藤和義、山崎まさよし、
みんな兄チャンを一度は通ってるぜ!

ヤクザになっちゃってからは知らないけど・・。
ゆずとかはヤクザ後っぽいな。

そんな事はどうでも良いんだ。

要は兄チャン。
俺は「♪ピーピーピー♪」までの兄チャンは
第一線でやる、なおかつ自分を唄うって意味での
ミュージシャンとしてシンガーソングライターとして
凄かったと思うんだ。センス抜群だったと思うんだ。
その後、ヤクザになった兄チャンに対しては言葉を控えるが・・・

要はこの15年という長い長い道のり
本当にご苦労さんでした。

兄チャンは心身共に筋肉マンになったと言う
おまけ付きで
自らの力で、突き抜け、復活したんだよ!

僕はそれが嬉しいのさ。

小学校4年生の時から
「家庭教師」やっている時から知ってるんだからさっ!

源さんに言わせれば
「順子」からリアルタイムで知ってるってなるけど、
みんな心配してたんだよ。
兄チャンの音楽聞かなくなってもさ〜。

なんなんだろうね、
兄チャンの音楽以外のところが好きなんだよね。
不思議だよね〜。

ゴメンナサイ音楽以外の所なんて言っちゃって。
この15年間、1曲生み出すのに僕なんかじゃ
はかり知れない苦しさの中
作っていたと思うんだよ。

そんで、その15年間
ずっと同じ事を信じていて、傷ついても
打ちのめされても信じ続けて
やっと全て吹っ切れてパワーアップ出来た事が
なんか、とっても、とっても

僕は嬉しいのさ。

これからだね!!
兄チャン!!



僕も、もっともっと
頑張るよ!!


あっ気が付けば
もう兄チャンっていう歳でもないか。
あれから15年経ってんだもん。

今何歳だ?

兄貴でもないしな〜。

兄チャンでいいよね。


ではでは。
















































2003年05月04日(日)

純度


頭の奥を見つめるような感じで目をつむる。
張り合いのない厚い厚い灰色。
スパッと割り切った脇目も振らない進み方から
何となく前を眺め後ろを眺め右を眺め左を眺めるような
頭の中で考えるのではなく、心の暗い淵で無意識のうちに
今の自分に対し、ある種の嘆き怒り虚無感、浮遊
小さな幸せよりかは何処かでずっと大きな不幸を求め
吹いてきた臆病風に流れて誰にも気づかれずに
運ばれて行くような
ただ食って生きて暮らしているだけでは何の為に
生まれてきたのか意味がないと1人で自分の人生を
模索しているだけ。

動く衝動。

映画「タクシードライバー」これで4回目。
好きな映画の一つだが同じ映画を何回も見るタイプではないが
たまたまテレビつけるとやっていて、いつのまにか4回目。
見れば見る程、新たな発見がある。好きな映画だ。
デニ−ロなら「レナ−ドの朝」「ブロンクス物語」「俺たちに明日はない」
「真実の瞬間」あとは・・結構忘れている。ほとんど見たのに思い出せず。

純粋な心の「粋」が実は勘違いのもとだと
綺麗なものは何かと
欲しいものは何かと
好きなものは何かと
どこにあるかと
何で見るかと
この「粋」が勘違いのもとだったと
「粋」ではなく「度」にしようと

判断の基準は「純度の濃いもの」だと

真心から始まる時空を越えた創造に

純度の濃い魂の持ち主

三島由紀夫









2003年05月03日(土)

ネット裏


線があって
その手前と線上と向こう側に分かれていれば
向こう側で生きる人もいれば
線上だから生きれる人もいれば
その手前だから生きる人もいれば

向こう側で生きる人が
線上にいたら
線上に生きる人の方が
楽しそうなのは当たり前か?

巨人の松井を見てたら
そう思えた。

松井が巨人にいた時は
えてして存在感として
清原の方があるように
見られがちだったが
線上の清原とは比べ物にならない
存在感を松井は発していたが
生かされていなかったか。な?

松井は向こう側で生きる人だな〜。

清原は線上で生きる人だな〜。

自分が一番ぴったり来る
居場所を必死で開拓して
頑張る。自然体。

そんな土臭い事を
巨人戦を見た時
ふと頭をよぎった
元野球少年でした。

ま〜
何処でも良い

新曲が出来そうなのだが
まだはっきり一致していない時に
ちょっと野球を観戦してしまった日でした。



2003年05月02日(金)

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