脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 忘れることは捨てることではない



友達と、「忘れることについて」話をした。


友達「今うちの病棟にな、認知症のおばあちゃんがおるんやけど、毎回毎回記憶がリセットされとるんよ。で師長さんが、”ああやって嫌なこととかを忘れて、しっかりご飯を食べて、寝て、ってのが、長生きの秘訣なんかもね”って言ってたんよ」

私「まぁ、そうかもねぇ」

「金さん銀さんって覚えとる? 長生きの秘訣を聞かれたとき、銀さんは”根性”って言ったらしいけど、金さんは”忘れること。嫌なこともいいことも、忘れること”って言ったんだって」


いいことも、忘れちゃうんだ。 
覚えておきたいなって思っちゃうのに。
「あのときはよかった」とかって思わないように、かな?


でも何にせよ、リセット力ってのは大事かもしれない。

今を一生懸命生きるためには、抱えるものが多すぎてはきっと、色々おろそかになりそう。


大好きだったあれやこれや、うれしかったことや、大好きな人のこととか、嫌なことといっしょにそういうのも忘れてしまうって、どんな感じなんだろう。

ひきずりすぎない。

いいことも悪いことも、ひきずりすぎなければ、前に進めるってことなのかな。


『そうやって手に入れたものすべて
結局持ってなど逝けないのに』

radのやどかりの歌詞が頭をよぎる。

この歌詞は
『だからせめて今は持って行こう
抱えきれないほど持っておこう
そのすべてが今のこの僕を
形作っているものだから』
と続く。


ものが捨てられない性分の私は、いいことは持っておきたいと思ってしまう。
だから、忘れたくないと思ってしまう。

でももしかしたら、忘れることは別に、捨てることではないのかもしれない。

経験した時点で、それは私の一部になっていて、いつか忘れるときがきても、きっと私が私である限り、私は何も捨てていないのかもしれない。

そして、私が私である必要性があるのは、まさにこの世に生きているこの時間の中、ということだ。

持って逝けなくてもいい、必要なのはあの世で、ではなく、この世で、だ。


こういうことかな。
リビングはきれいにしておいたほうが生活を送りやすいけど、
押入れにはちゃんとアルバムとか、昔作ってみたなにかとかが入っている。
食器だなにはお気に入りの食器が入っていて、クローゼットには好きな服が入っている。

お引越しの時には持っていくよ。でもそれは、必要だから。

お部屋はおそうじして、「きれい」にリセットしている。

でもたまにアルバムを出してぱらりとめくって、
日常に戻るとき、それをそっと仕舞う。


日々をリセットして、私というフィルターを通して奥に蓄積したものたちは、一見目には見えなくても、今現在生きている私の行動原理につながっている。



「私」を生きる私が、「私」であるから。



2011年08月08日(月)
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