脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 


結婚は今のところ考えてないという私に、
父は、少し離れたところにつくる新たな家で家族四人で暮らしていこう、と言った。

どこまで本気かもわからないし、何かが正しくないだろうとおそらくどちらも判ってるのに、
それもいいな なんて遠く思う。

うちの妹は旦那さんをもらってくれるだろうか。
軽い重荷を、丸投げにしてみる。さぞいい迷惑なことだろう。

家族をつくらないということは、
たぶん死ぬときも死んだあとも一人ということなんだろうな と、
最近よく思う。



2008年09月29日(月)



 恋を亡くす


一人に囚われないということは、
誰のものにもならないということだ。

神様はあの人が、誰かのものになるのをお赦しにならなかった。



誰も悪くない。
誰も悪くないとわかっているから、
気持ちには逃げ場がない。

諦めも通り越した空しさが落ちた。
やっぱり、駄目だったかあ…。




2008年09月28日(日)



 「仕事に誇りを」?

「この仕事で自分の扱いはこんなんで…」
「仕事に誇りを持ちたい」
どんな些細な仕事をしてたって、その仕事に誇りを持つことはできる
与えられた、課せられたその仕事を自分は確かに全うするんだと、
何かしらの確固たるものを持って仕事をすることはできるのであって、
「これは自分が誇りを持つにふさわしい仕事ではない」と思うのは、何か違う。

誇りというのは、日本語で言うところのプライドではない。
もっと実があって、もっと尊くて、他者に誇示するものなんかではなく、
限りなく自分ひとりを黙々と見つめ続けた末に実るものだと思う。


「何かもっとあるんじゃないか」と、何もない遠く高く光すら見えないところに目なんか向けても、
見つかるものなんか何もないんじゃないかなと思う。
だって、何もないところに無理に目を向けようとしてるんだもの。


「いい会社に入って、正社員になって っていうのから自分が外れてるから」
実際何となく自分が思っている、その道に入れたとしても、
たぶんその人は満足しないんじゃないかなと思う
「いい会社」っていうやつの中で「正社員」をするのがどんなに大変か、
知らないから言える事だと思う
と同時に、今働いてる人間の中でそんな人間がどのくらいいるのか逆に問いたい。



2008年09月13日(土)



 精神看護のみならず



「肯定も否定もしない対応」というのは、「何のための対応」なのかよくわからない


けれど、「何かのための対応」であるべきなのかも、正直なところよくわからない





2008年09月05日(金)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加