脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


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 チャーリーとチョコレート工場(映画)

※かなり痛々しいコメントなんで、マンセーだと思ってる方は大人の余裕でもってスルーしてください。
作中一度でも首をかしげた人、横に振りそうになった人はもしかしたら共感してくれるかも。


……教訓的、戒め的要素などといった、正しいっぽい童話というよりも。
子供というものが持ってる根源的な人間の汚らしさ、醜さ、おぞましさ(大人が子供と違うのは、それを隠そうとする厭らしさが更に加わるか否かだ。ああ、おぞましいこと!)に、非常にシニカルに皮肉を持ったおぞましさで返しているような気がしてならない。
エグい。
「ほら、こんな悪い子だからこんなことになった。だからそんな悪癖おやめなさい、改めなさい。」
というには、ちょっと度が過ぎて目を背けそうだ。
いくらアレなところがあるとはいえ、子供があんな風な――ほら、ミスター・ウォンカは楽しんでる様にさえ見えたじゃないか――仕打ちを受けるのは、アクが強い。
これに更に笑う人がいるってんだから、映画館中まるで狂気の沙汰だ。悪趣味なことこの上ない。
ウォンカが"I don't know(さあ)"といってる言葉には多分偽りは無いだろう、まるでその事を気にする事がくだらないとでも言うようだよ。子供達が本当に殺される事になろうが、「さあ、僕に言われても困るよ」といった感じ。
ぞっとしたのは、子供達がどうなるかわからないってのに案外アッサリ、あまつさえジョークでもってスルーしていく他の子供と大人たち。必死なのは、当人の親ばかりなり。またその必死さが余計に滑稽で痛々しくて、思わず目を背けそうだったよ。
あの「子供のいじられ」は、当然のように命の危険を、残酷なホラーを含んだいじられだと思ってもなお、人は笑っていられるんだろうか?
焼けただれていく人形の姿を延々と映すグロテスクさ
ウンパ・ルンパの残酷な歌詞の内容
ああ、なんて悪趣味。
気持ち悪いくらい夢いっぱいな雰囲気が工場であふれているから余計、悪趣味。
そしてその悪趣味を観ようとして観に行った私は、もっと悪趣味。

ブラックジョークを純粋に笑うなんて、正当な楽しみ方じゃないよ。
正直考えたら、おかしくもなんともねぇっつーの。
「笑われている対象」を通して相手から観る(こちら)側に、その愚かさ醜さという現実を突きつけられていると感じた時でも、人は笑っていられるかどうか?それは他人事などではなく、不特定多数へのメッセージなのだと…
ブラックジョークは、少し気分悪くなりながら「うわ…こいつやっべェ」って吐息だけで吐き捨てるように笑いながら首を横に振って、「笑われる」であろう対象=私達人間自身の愚かさ、醜さを改めて考えるのが長く楽しめる秘訣だよ
楽しむと言うのには語弊があるかな、言葉が不自由で申し訳ないな


チャーリーいい子の割には拾った金でチョコ買うんだよな(笑)
そこがものすごくちょっとだけ、ちょっとだけだけどひっかかった。
私ゃてっきり、その拾ったお金を交番かどっかに届けにいって、「あらそれ私のよ!」って言った人がチケット持っててお礼にチャーリーにあげるだとか、そんな展開になるのかな、なんて無理やりじみた予想をたてていたよ。
そしたらアッサリ買っちゃった。ああ、いいんだねそのくらいなら。  謎。勧善懲悪的展開になっていくのに。
チャーリーが最後まで残ってたのは、ただ余計な口をきかなかったからだけじゃないのか。
工場長のご機嫌を損ねなかったからだけじゃないのか。
「もしやこいつ、無意識的にウォンカに媚びているのでは」なんて思う私が腐りきっているのか何なのか
そういう人間の醜さもあるよね
でも見方を変えれば美しさ、愛らしさとも取れる


だから、ラストあたりのあの「救われてるっぽいシーン」も違和感がぬぐえない
家族をもってきたところで、何がどう本当に救われているのか?
シュール、ブラックがある後に、ほのぼの家族を持ってこられるのが激しく違和感あるんですよ
そんなの持ってきても濁ったお茶は綺麗にならないだろう、と。


こんな見方をしてしまうのは、私がそもそも皮肉った視点を持ってるからなのだろうか?
でも人によってここまで違う評価を下せるものを作るのは、ある意味秀逸なのかもしれない。


原作のグロテスクな描写、気になるなぁ

2005年09月26日(月)



 



たとえば本当に惚れているならば、
指先に触れるだけで心臓が跳ね上がる筈
相手の視界に自分が映されていると思っているだけで、
脳が蕩けてくる筈
身体だけではなくて、心が、感じる筈

けれど電気を通さないゴム相手では
つく電気だってつきゃしない




2005年09月03日(土)
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