脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 

星が見えない
星が見えない

最近の若者は星を見なくなった所為か
星を見ることの出来ない者が増えてきている

見上げはするのだが
輝く星が見えないと云う
そして彼らは叫ぶのだ
星が見えない 
星が見えない と

朝も夜も迎えたがらない若者が
昼間の青空を見上げて
闇の中でしか光らないような星を探し
そして彼らは叫ぶのだ

星が見えない
星が見えない  と

2002年05月31日(金)



 甘え

「無知」を笠にして甘えるのは
まぁ 家族の中でなら微笑ましいもので終わるだろう。
そういう幾つもの、家族間だからこそ赦される「甘え」。
「甘え」てもイイ。
「甘え」ればイイ。
せっかくあなたが手にして養っている家族だものね?

けれど。

「甘え」を「怒り」につなげるのは
子供のやることでしょ。


ねぇ、お父さん?

2002年05月30日(木)



 ぼくも無くなってしまいそうな空間

ちがうんだって言っても
君は笑って「もういいいよ」って言うだけだった
ぼくはただ
立ったまま身動きとれなくて
喚くことすらも許されなかったんだ

そもそも今のぼくは
君の目に入っているのかな?

必死に両手を伸ばしても
そこにあるのはカラの空間だけで。
どんなに言葉を紡いでも
それらを拾う者は無く。
全て底無しの闇に落ちていった。

ちがうんだって言っても
君は笑って「もういいよ」って言うだけだった

ぼくの言葉を拾う者は無く。

2002年05月29日(水)



 親には親の人生

両親が
大きな買い物の話をしていた。
お金無いって言ってたのに。
私を県外の大学に通わす金は難しいなんて渋ってるくせに。
私に出すお金はなくって、新しいでっかいクルマに払う金はあるんだ。
もう同じようなのあるのに。
これから老後のために家も買おうとしてる人が?
そんなにお金ないくせに。
キャンピングカーとかに投資するお金はあっても、
子供の私の将来に投資するお金はないんだ。

―――――って、思ったけど。
ちょっと、気付いてしまった。
――それは、彼女達の人生の中の投資なのだな、と。
あれは両親が生きていく上で、自分の人生に組み込みたい数々のもののうちの一つだったのだと。
そしてそれに、口出しする権利なんて私には無いと。
まして自分に投資しろなどと。
子供が自己の人生を生きる権利を主張するように、
親にだって親自身の人生を生きる権利が主張できるんだ。
子供だからって、親の人生台無しにしていいなんて権利無い。
主張すれば生きさせてあげるのが尊重するってことで、それはまたごく当たり前の事なのだろうなと。

私の人生を歩むのは私であるように、
私の人生があるように、
親にだって親の歩むべき人生があるんだ。
そんな当たり前のことに初めて気付いた。
そしてそれに私がどうこういうのは、ちょっとお門違いだった。

子供を精一杯、色んなものを犠牲にして育ててくれてるのは
ほかでもない親の愛と絆があるからこそで。
子供のために親が犠牲になるのが当たり前なんていう考え方は、
慢心も甚だしい考えだった。
それにそんな風にとられてちゃ、いくらなんでも親の愛が哀れでならないよね。

2002年05月27日(月)



 

風のような人であれたらと
思っていた

何にも執着する事なく
そしてまたされる事もなく
さらりさらりと天の合間を自由に吹き抜ける風に

しがらみもなく 伸ばされる手もなく
周りで何があろうとも自身は悠々としている 風に

来たときと同じように後を濁さず去っていける 風に


しかし風は
その性質ゆえ自身を落ち着かせる事が出来ない
常にどこかへ向かって吹いていないと
己の身すら保てない
とどまりたがればたちどころに消えてしまうのもまた 風である

そして
とどまりたがっている自分を捨て切れないのもまた 真実で
だけど風というのは何かを「捨てて」いる存在などではないことを
知っているので


自分は風にはなれないんだろうと。
どんなに風のように見えても、根本は違うんだろうと。
これが、「理想」と「実際」のギャップなんだろうと。
でもそれは決して「悲しむべきこと」ではないのだろうと。

風に視線を向けながら思うのである。

2002年05月26日(日)



 だって――→(ピーー)点

「テストでいい点とれる奴がアタマいとは限らないから」

そんな慰めの言葉に甘んじるのも 今は許されない気がする

テストでいい点取れる人が頭いいとは
限らないかもしれないけど だからといって

「テストで悪い点とったからって頭悪いわけじゃない」

必ずしも いつも云えないと思うの

「悪い点だからバカ」ってのはどうかと思うけど
「バカだからこんな点に・・・」ってのはアリだと思うのね


くすん

2002年05月25日(土)



 規則性

自然の中に規則性があるって、
おかしくないか?
どの現象をとってみても最終的には
秩序が現れる

染色体の数は生物の種によって決まっている
フィボナッチ数列なんてものがある
自然現象は長い目で見るとバランスがとれている
遺伝の法則なんてものがある
パンドリナは必ず16個のクラミドモナスからできている
DNAなんてものがある
私たちは皆 細胞と核からできている


この不思議
この秩序
どこから来ているのだろう?


*******************
テスト終了。
HP更新するんだぃ。

2002年05月24日(金)



 無意識

人間てホントはものすごい力をもっていて
普段はそれをセーブしてるだけかも
だって思わず舌かんじゃった時って
すごいイタイよね
無意識だったから。
無意識だと人間て、
すごいコトができるんじゃないの??

2002年05月23日(木)



 絶対に。

順調に生きて?
楽しい事も苦しい事もなく?
無難に生きて、って?
諦めた言い方して?

アンタの人生だ
そらアンタがそう受け取るんなら
そうなんだろうけどね。

私は絶対に嫌。

そんな受け取り方したくない。

なんで気付かない?
なんで覚えてない?

生きるって事はこんなにもドラマチックなんだって。

人生はこんなにも起伏に富んでいるって。

そんな軽い言葉たちで済ませられるものなんかじゃないって。

2002年05月22日(水)



 うつろい

散る花びらを 止められる者は無く
流れ落ちる滝を 止められる者はいない

季節の移ろいに 抗える者は無く
解けていく雪を とどめられる者もいない

静かな流れが
見えない流れが
ゆるやかに、間をたゆとうていく

その流れを敢えて止める者も無く
止められる者も無く。

2002年05月21日(火)



 さみしんぼのいくじなし

もともとボールを追いかけるのは
あんまり得意じゃないんだよ

逃げてしまった小鳥は
別に私が飼っていたわけでもなかった

仔猫や
私の隣が居心地悪いなら お前
陽当たりのいい場所に
行っといで

ほんのちょっぴりのさみしさと
まわりに拡がる心配と。

転がってったボールと
飛び去ってった小鳥と
あっちに行った仔猫と。

そこには追いかけるための一歩なんか出せなくて。


あァ カッコ悪いなァ

2002年05月20日(月)



 何で

妹(8歳)「電波を通さないものってなに?」
父(48歳)「ないしょ」(何故に)
妹「え、なにー?おしえてよー」

父「じゃあひとつだけ教えたげるわ。あ、一つ、っていうか、うん、その中の一つ」(←この小賢しいまでの演出は一体)
妹「うん、何?」
父「たこやき」
妹「た、たこやき?!」
父「うん。特にケチャップ味はダメ。」

*************
ある日の父と妹の会話(atフロ)
父は時々変なことを言います。
「おやすみ」っていうのになぜか「おやすみちv」って語尾に意味もなく「ち」をつけてみたり。しかもなんか可愛かったりして。おやすみち。

2002年05月19日(日)



 当たり前の事なのかもしれない。けど。

この世には
キラキラ生きてるものが
いっぱい輝いてる
気付けないかもしれないけど、
触れたものみんな生きてるんだ
それをあえて見ようとせずに
いっぱしに世を儚んで、
諦めたフリするのはやめよう

「生きる事の喜び」
「生きる楽しみ」
ってのが真実(ほんとう)に判るその日が来るまで

諦めずに模索し続けてみよう


2002年05月17日(金)



 哲学的思想。

「倫理(宗教)の授業がどーして必修なんだよねーっ」
なんて友達と笑い合ったりしたけど。
けど。でも私はやっぱり。
哲学的思想って生涯を通しての必修科目じゃないかな、って思う。
日々考えて学んで、ある程度課題をこなして単位を持ってないと卒業できない事が、ある。
倫理のテストとかそういうので高い評価をもらっても、
それを、生きていく糧にはやっぱりすり替えられなくて。
それを目標にしていく事は、できなくて。
そういう哲学的思想は、人生の必修科目でいいと思ってる。
一生付き合っていくから。

2002年05月16日(木)



 前進の仕方。

私は自分で自分の退路を断つのだ
叩き壊すのだ
そして次の一歩を踏み出して、落ちる直前に
その足の下に路を作る。
進めば進むだけ後腐れなく壊れていく私の道。
もうあともどりはできない。しない。
私には進むしかない。自分でそうなるようにさせる。
そして冷や汗たらしながら次の歩のための路を作る。
立ち止まらないために
うしろを振り返らないために
あとから手を伸ばしてくるものから自らを断ち切る、
そのために。
そうでもしないと私は、前に進めない。


(でもそうやって頑張って進んでも、後に何も残ってなかったら・・・
・・・前進してても、意味なくない?)

2002年05月15日(水)



 必要なもの。

誰かといるより、一人でいる方が実はラクだと思う。
そこに「Unknown」な他人の世界は無いから。
自分の世界ならコントロールできる。
あまり負荷はかからない。
でも自分とは全く違う別個の存在と共にいるというのは、
ちょっと自分の中で手が届かず処理がおいつかなくて
ストレスになり得る負荷がかかる。
自分だけの宇宙でいっぱいなのに、もうひとつ別の宇宙だなんて、
あんまり広くて測り知れなくて。
誰かといると、本当は疲れる。
でも元気も貰っているのも事実。
得るものが多くて、自分の宇宙が広がっているのも事実。
本当は疲れるだけじゃなくて、その先にもっと
別なものがあるんだ、ってのも識りたいから。
知っていなくちゃいけないような気がするから。
だから。
「誰かと共にいられる強さ」が欲しいと思う。

2002年05月14日(火)



 おおかみ

おおかみは
群れたがっているんだ
1匹でいるのは結構好きだし それが習性なんだけど
時々ふとね
崖の上に
一匹で立ってみたりなんかして
さみしいって 叫んでるんだ

実をいうと
群れたいっていうより
おんなじ匂いのする仲間と いっしょにいたいんだ
でも うまく嗅ぎわけることができなくて
ひとりで うろうろしてるんだよ

2002年05月13日(月)



 私、輪廻転生派だから。

「死」はどうしてもすべての終わりに思えないんだ。
その先にまだ何かある気がしてならないんだ。
多分、「死」っていうのは次の段階へ進むための大きなステップなんじゃないかって。
「死んだら全てが終わり」
それは誰にとって何の終わり?
「死」が「終わり」だったら、どうして次から次へと新しい生命が生まれてる?
「生」も「死」も生きる過程での一大イベント。
そのイベントが、全く別個のものなんかには思えない。
「死んだ後どうなるか」なんて放棄したような言い方より、
「死んでから先、どうなっているか」という言い方のほうがなんかいい。
さァ次は何かナ?みたいな。
でも次のステップに進むためには、
今をしっかり生きていなきゃこのまま止まっちゃいそうな気がするから。
自分が向き合うものに常に真剣に接したいと思ってる。
そうしたら、心おきなく「死」(次)のステップに進めそうな気がするから。

もちろん、その先も。


******************
・・・・クレッチマンの言葉にね、こんなのがある。
「お前が真剣に生きたのであれば、死はお前にとって一つの戯れであろう。
しかしお前の人生が戯れに過ぎなかったのであれば、死はお前にとって真剣事である。」

・・・・うん、その通りだと思う。
だから私は真剣に生きるよ。

2002年05月12日(日)



 この世で一番美しいもの

この世で一番美しいものは。
いのちが生まれる瞬間と、
そのいのちが生まれた瞬間に、その母が見せる表情だと思う。
この世に新たに生まれ出た命に、
ただ本当に純粋に、向けられる微笑み。
素直に命を祝福するその表情とやわらかなまなざし。
あれだけは、生きものにおいて何ものにも侵され得ない
最も純正な美しいところだ。


――――生命(いのち)が生まれるという奇跡と、

その新たな命に見せる純粋な祝福以上に美しいものなんて、

この世にあるのだろうか。

2002年05月11日(土)



 それは存在の肯定につながる。

ああ、表現方法ってたくさんある。
口で話して伝えたり
文章にして伝えたり
絵に描いて表したり
音楽にして表したり
時には、写真だって
他にも沢山、色々あるんだろうなぁ
伝わる相手は誰でもいい
特定の人のことを表現する時や
その人にこそ、知ってほしい時もあるけれど
それでも
自分で表したものを感じとってくれる人なら、誰でもいい。
時々思うことがある
誰かに肯定してもらいたいって
あんたのいってることは決して意味のないことじゃないって
私の感じ取った真理が、他の誰かにも通用するかどうかの証が、本当は欲しい。

2002年05月10日(金)



 近所付き合いにおける笑顔(仮面)とか社交辞令とか。

中途半端とヌルい馴れ合いと意味をもたないつなぎの言葉と。

おぞましや
おぞましや

口になど入れたくもないことよの

食品添加物にまみれた甘すぎる菓子

気分が悪くなってくる

おぞましいまでの茶番劇


所詮上辺だけ
けれどその上辺さえも
果てしなく白々しいのだよ

2002年05月09日(木)



 心の棚の奥の話 弐

亡くなった父方の祖父母の親戚にあたる方々に会いにいく、という旅行。
私にとって思ったより意味ある旅行になった。

遺産相続の話でもめたのは聞いていたが。
だがそこらへんの話はドロドロしていて誰に聞かせたいとも思わないので、ここでは省いておく。どうせ私には有り難いことに関係のない話だ。
金の亡者の話など。

それよりも私が記したいのは、ある数奇な運命に彩られた二つの家の話だ。

家の父方の家と、その父方の家の友人の家。ここではS家(うち)とH家(友人の家)としておく。
S家の家筋は血筋はいいが貧乏な家系だった。
血筋がいいなどとあまりに漠然としていたので「どう血筋がいいのか」訊ねたところによると、祖父の祖父(?)は陸軍士官学校出か何かのエリート。さらに遡ったところの父だとか祖父だとかは達筆なのを買われて明治政府の書記官。さらに遡ると水野という苗字の大名の次男坊だったそうだ。そこの大名がつくった寺(長栄寺、と聞いた。漢字は聞いてないが。)に参勤交代の時に使われたのであろう籠が(人を乗せる籠)子供の時見に行ったら置いてあったと父は語る。
まるで他人事の話である。いや実際他人事だが。
その血筋のいいという祖父も、終戦後は文無しの裸状態になってしまった。
しかしそれなりの人だったので、一代で建築設計事務所を開くまでに至った。
要するにこちらはゼロからのスタートである。
それに対して、友人の家ことH家も、もとは大きな庄屋の息子で、それは金持ちだったそうだ。
立ーーっ派な大屋敷を構えたこちらは、終戦後も財力が随分残っていた。
プールやゴルフ場、マージャンの台なんかも広間に揃えた大豪邸。
スキー場にリゾートマンション、他にもマンションなんかを持っていたりして。
こちらでも建築設計事務所を開いていて、そこにも社員は沢山。
あんまり沢山いたからって、激安の値段で見習い社員を雇ったり。
ちょっとした(いや、随分な?)利益を奥さんが自分の懐にしまったりと、色々腹黒いこともやっていたらしく。
そうこうしている内に、世代交代の時期がやってくる。
両家の親が他界して、家の父の兄、そしてH家の長男に代が回ってきた。
ゼロからスタートした家と、有り余る富からスタートした家と。
両家にそれぞれ残されたものは、莫大な遺産と莫大な借金だった。
ゼロからスタートのS家には5億の財産。
富からスタートのH家には2億の借金。
H家は一気に文無しになってしまった。(保証人とかになっていたらしく、あとで整理したら銀行に二億の借金があったそうなのだ。)
金持ちだった頃周りにいた人間は、波のように音もなくさあーっといなくなってしまい、電話をしても「今忙しいから」。
これは父の時にもあった。
金持ちの祖父のもとに居た頃は親しくしていた人間も、駆け落ちして文無しになったとわかった途端見る目も変わり、付き合いがなくなっていった。
金が絡むとどうにもならないものも、あるらしい。
貧乏でよかった。
そして一気に文無しになってしまったH家。
大豪邸も家財道具もマンションも全て売っ払って、社員も養っていけないから解雇して、でも建築設計事務所の看板だけは下ろさなかった。
「本業をやめてしまったら元も子もないからねぇ・・」
これはH氏の言葉である。
今は市営住宅に住んで、妻や子は実家に帰り、そこから今は米を送ってもらってなんとか食いついないでいるという。
車も全て売ってしまったため、心ある人から安くぼろい軽を貸してもらっているらしい。(蛇足だが家の父が極貧のころ使っていた軽自動車は、雨が降ると動かなくなったそうだ・・どっちがよりボロいだろう・・)
吸っていたタバコも五年間やめて、最近やっと借金が2、3000万くらいになって一区切りついたからまた吸い始めたという。
二億あった借金を、ニ、三千万まで。
信じられるだろうか。
私だったら自殺しそうだ。
二億なんてとてもじゃないけど返せそうに無い。
それだけではない。
彼には子供がいた。
男の子だ。
その子は、染色体が一本少ないのだそうだ。
染色体が『一本多い』のはダウン症と言われる言わずもがな先天性の病気で、これは知ってる方も多いと思う。
だがその子は違って、染色体が『一本少ない』病気なのだ。
これはダウン症に比べ非常に稀な病気で、ほとんどの場合胚の段階で死んでしまうもの・・だったと記憶しているのだが。
前頭葉がほとんど無いのだそうだ。
知能の遅れがあると聞いた。
小さい頃から数え切れないくらい、病院や救急車の世話になったらしい。
世界でも症例の少ない病気で、10歳まで生きられないと言われたそうだ。
しかしその子は今19。
19までその病気で生きた人間は、世界でその子一例しか無いという。
10歳をすぎた時点で、とある大学の教授が、世界でもない例だし普通の家庭ではこれ以上育てるのは困難だといって引き取りたがったそうだが、彼はそれをよしとせず、自分で育てることにしたのだそうだ。
そのおかげか、その子は19まで生きてこられて、しかも段々身体もちゃんとしてきたという。知能もやっと3歳くらいにまでこぎつけたらしい。
どうしてそんなに長く生きてこられているのか、医者も首をひねった。
両親とものDNAを調べてみても、特に異常は見られない。
特筆すべきことがあったとするなら、それは両親ともに並みの人間より元気で健康だったという事くらいだろう。
そのおかげかもしれない、というのが医者の見解だ。
二億の借金もあって大変だっただろうに、難病を持つ子まで立派に育ててきた。
感服する。本当に。
それに対しS家の財産全てを相続したS家の長男(父の兄:ちなみに遺産相続の時もめて、家の父は遺産を放棄している。契約書にも書かれていたが、相続率は0%だ。)は学生の頃から家の金を湯水のように使い、いくつものマンションや外車、一軒家を買い与えられ、建築設計事務所の社長の座も与えられ、金遣いまくりの性質は今も変わっていないらしい。莫大な財産は湯水のように使われつつある。財産目録にあった宝石やら家財やら衣服やらも全て自分のものとして、写真一枚父の手元には残っていない。(でもこの前写真はちょっと持って帰って来てたけど・・)
更なる金を手にするため、設計事務所すらもたたんで、今はマンションの家賃収入とまだ残っている財産で左団扇の生活だ。
文無しから這い上がってきた二代目H家と、莫大な財産を砂山のように崩しつつある二代目S家。
父が極貧だった頃は大きな屋敷を持っていたH家。
そのH家が二億の借金を抱えていたという事実が発覚してからの極貧。
いまやボロい軽に乗り、妻の実家の仕送り米で食いつないでいる生活。
その極貧ぶりはそのまま当時の父と同じだ。
終戦後は富が有り余るほどあったH家と、
終戦後は何も無くなってしまったS家と、
二代目になってからは
二億の借金が残ったH家と、
五億の財産が残ったS家と。
なんとも対照的な両家ではあるまいか?
「僕はね、若い頃遊んでばっかりだったから、そのツケが回ってきてるんだよ」
と、H家の彼は話したという。
えらく大きなツケだ。
家の父も養われていた頃は、長男との扱いの対比が凄まじかった。
あまりに色んなエピソードがありすぎて、それとそれを書いたら会ったこともないが亡くなった祖母に祟られそうなので(結局は彼女のした人には云えないようなことをバラす結果になるわけだから)ここでは省いておく。


だが両者とも、そろそろ幸せを得てもいい頃だ。


それぞれに、それぞれの生きてきた道と境遇があって。
それぞれの事情と、他人には判り得ない経験と想いとがあって。

今回、色々なことを聞いた。
まだまだ、沢山ある。
それぞれの話には繋がりがあって、それがまとまってひとつの大きな史実のようだった。
自分に近い話だからだろうか。ドラマとか、そんな言葉じゃ安すぎる気がした。


ひと一人が一生のうち手に握れる財力というのは、限られているのかもしれない。
手に握ったって、死んじゃってそれ残してたら、ほんとに手に握ったとは云えない気がする。
祖母が二億で、祖父が三億残してたわけだけれども、家の実権を握っていたのは祖母らしく、一代で建築設計事務所を建てたという祖父の最期はそれはみすぼらしいものだったという。
なんてことない病室のベッドで。末期の癌と診断されて。そのままあの世に逝ってしまった。
父の兄は遺書に「○○(←父の名)には財産は与えない」というのを書かせて。
祖父もそれを書かないと家での居場所を完全に失ってしまうから、(もともと頭のいい人で、ボケたフリまでして家で身を守っていたとも聞く)と書いてしまったのでは、という事だ。
半分脅されて遺書を書いたのであろう祖父。
祖母にせき立てられて働きに働いて、好きでもない設計の仕事をした男のなれの果てがこれか。
「親父、ほんとは飛行機乗りになりたかったんちゃうん?」と、病室で聞いた父に祖父は「おお」と微かに頷いたという。

財産三億残した祖父も、実際手に握れていたのは幾らのほどなのか。

父は家を出る時、祖母に「これを書いていけ」と言われ「私、○○は家を出て勘当され云々」という書を書かされ、拇印を押したという。
その書を祖母は後生大事に仕舞っていた。
祖母が亡くなった時。
父の兄はその書をわざわざ探し出して持ち出して「こいつはS家からはこのように勘当されてる身だからこいつに財産はいかないんだ」みたいなことをS家の親戚中にふれて回ったらしい。
脳梗塞で植物状態となっていたとはいえ、まだ祖母の息もあって、身体もあたたかかったというのに。


何なのだろう。
どこから狂ったのだろう。
祖母が商いに手を出し始めた時からか、S家に嫁いで来た頃からか、もとよりそうなる運命だったのか。

彼らの波はなんと大きかったことだろう?
なんと起伏の激しい道だったことだろう?
私たちの両親は、そんな起伏の激しい道を頑張って平坦にしてくれていて、
その平坦な道の上に私たちが立たせてもらっている気がしてならない。
外界の妄執や金の亡者その他一切からシャットアウトしてもらって。
こんなに手厚く育ててもらって、いいのだろうか。
私たちはこんなにも苦労を知らない子でいて、いいのだろうか。
こんな子である私は、ちゃんとした大人になれるだろうか。
ちゃんと育たなければ私はよほどの親不孝者だ。
ご先祖さまにも申し訳が立たない。


――――大きな史実を見せて貰った。
人間というものを見せて貰った。
今両親たちは、そんなことが繰り返されないようにと頑張っている。

何にもないと思っていた家のモトのほうには結構モノがあって、でもそのせいで色々おかしくなってしまった。
財産があるばかりに、バラバラになってしまった家族。
財というのは難しい。
どうしてもヒトを狂わせてしまうものらしい。


私は、スッパリサッパリ人生生きていきたいものだ。

2002年05月07日(火)



 心の棚の奥の話 壱

―――――大きな史実を間のあたりにしたような気がした。


小さい頃うちには、何も無いと思っていた。
実際何も無かった。
父母は色々事情があって駆け落ちしてゼロからスタートした人達で、
私が生まれる前うちはひどく貧乏で、乗っていた車もすごくボロい軽自動車で「○○さん(←ウチ)のお宅とは付き合わないほうがいいですよ」なんてことも住んでた県営住宅のご近所さんたちに云われてたそうだ(おいおい)。
でも私が生まれる段階になって「いくらなんでもこのせまい県営住宅じゃいけない」と思った母はなんとか格安のマンションを捜してそれを購入する事を決めた。
でもその頃のうちでは頭金の50万すら用意するのは困難で、「こんなんじゃ一生一軒家なんてムリだなぁ・・」なんて、父がそのマンション横目に呟いたものだったという。
結局母(その頃たしかランジェリーのデザイナーだった)が頑張ってお金を貯めて貯めて、なんとか頭金の50万を用意して最後の一軒だった格安マンションを購入して、それからなんとかなんとか返していった。
私はそこでしばらく育った。
マンションのローンもようやく全て返せた頃、総合コンサルタントという会社で働いていた父の仕事ぶりを目の当たりにした当時は原子力研究所の所長さんだった方が、今父が働いてるところの仕事先を勧めた。
せっかくお金を全額支払終えたのに、仕事先が変わるに伴って転居しなければいけなくなった。
そのためにマンションも売らなくては、とてもじゃないがやっていけなかった。
母は泣く泣くマンションを手放し、今の地に移ることを決めた。
そこから家は、少しずつ、少しずつ、上向き始める。
貧乏ながらも父が一生懸命働いたおかげで、小さい頃私が起きてる時ほとんど父に会うことはなかったが、やっと一般庶民くらいにはなれた。
ゼロからスタートして、今は私立の高校にまで通わせて貰っている。

しかし今回三泊四日の旅行で得た真実は、そんなものじゃなかった。


2002年05月06日(月)



 ことば

ああ
人ひとりのことばは
こんなにも重く成り得るのか

ことばに込められた力は
確かな力をもって未来でその力を発揮する

「生き続けようって思うね」

「ともだちっていいよ」とか
「誰かの力になりたい」とか
私はまだ幼すぎて
その響きを美しく反響させることができなかった。

けれど

「生き続けようって思うね」

この言葉だけは。

その言葉を言った人は もうこの世から物理的には去ってしまったけど

その人以外の中では
確かに生きているのだもの

「心の中で生きてる気がする」
そう言った子供達の言葉は
紛れも無く真実で。

誰にもそれは否定できない。

本当に 生きているのだもの

ああ すごいな
って

言ったことが、本当になっていて。

それを真実にしたのは確かに彼であって。

ああ 本当だ
本当に 生きてるよ

言葉に偽りなんてなかったよ
不可抗力の偽りでさえも なかったよ


ことばでは云えない
おおきなもの

なんて重みのある言葉だったんだろう
なんて重みのある存在だったんだろう

彼が遺したものは測れない




****************
ご存知ですか?
アンビリバボーで紹介された、たかし君。

2002年05月05日(日)



 四次元の行方

意識だけが現在を離れ
未来の映像を見る

四次元空間を見通す何か

―――ヨジゲンクウカン?

―――四次元空間。

二次元が三次元の断片のひとかけを映すのなら

三次元も四次元の断片のひとかけになっているのだろうか

四次元の断片って何だろう
時間軸っていうのは違うという人もいるけれど
時間軸じゃないモノも時間軸も
モトは同じなのかもしれないよ
私たちが捉え切れないだけなんだ
広すぎて

一次元にとって二次元はおそらく想像し得ないものであり
二次元にとって三次元は想像できないものだろう
ならば三次元を知る私たちが四次元をなかなか想像できなくても
不思議じゃない

言い換えれば

想像できないけれど存在し得る、という事だ。

さあどうだろう?
自分の想像できないものを否定できるんだろうかね?

2002年05月04日(土)



 現代芭蕉

最低限の薬は詰めたし
温泉のセットもちゃんと用意した
真っ白なノートやエンピツも鞄に入れたし
靴のヒモだって新調したし
ある程度の食べ物だってある
もう明日にはここにはいない
行くぞ かの地がぼくを呼んでいる


2002年05月03日(金)



 古代伝承

風に流された古の欠片は
誰の目にも触れることなく
砂漠の彼方に消えていった

妖精が落とした涙は
かの想い人に気づかれることもなく
黒森の地に染みていった

失われた帝国の王妃が零した溜息は
誰に拾われることもなく
ひそやかに
栄華の幕の向こうに消えていった

今は知られぬ古の物語
数え切れぬ栄華と
数え切れぬ悲劇と
数え切れぬ伝説と

今は知られぬ古の物語
今はもう人々の心の中で描かれるばかり
それもひそやかに 消えていく・・

古の欠片
妖精が落とした涙
王妃が零した溜息

それらも全て 記憶と歴史の彼方に・・


2002年05月02日(木)



 鈍雲

今や厚い雲に覆われ
鈍い太陽すら見えなくなってしまった
夕暮れ前の空のしじまよ

まばらに鳥が灰暗色の空をゆく
これから訃報を報せにゆく使いのように

太陽は何も云わず
雲は重たいまま動かず
全てが灰の中に沈む

濁った白以外色を知らぬような空よ
このままで
どうやって
今晩と明日の色をもってくるというのか

お前は何も動かない
周りも何も動けない



2002年05月01日(水)
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