窓のそと(Diary by 久野那美)

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2011年12月26日(月) 今日の月

まるくないのもいい。

















2011年12月19日(月) ロボット。


思いがけないクリスマスプレゼントを頂きました。
木でできたロボットです。

嬉しかったので記念撮影をしました。
ロボットには12月がすごく似合う気がします。

そういえば、時計も、ロボットの仲間ですよね。
時計も、12月が似合いますね。


2011年12月13日(火) 忘年会?お疲れ会?お祝い会?

行ってきました。
CTT大阪第11回試演会参加者お疲れ会。

ふわふわのギターさんからは、作演出(出演)の大石英二さんと音響オペの出井さん。モットーなかよくの田中浩之さん、道の階の私と片桐慎和子さん、そして、事務局員の山添さんの6名でした。

山添さんは、前回お会いした時は事務局員ではなく、CTTのお客様でした。なんと、3団体の公演を2日ともご覧になり、公演に感動して??そのまま事務局員になられたのです。こんなひとは見たことがありません。
そのことにこんどは私たちが感動して、お疲れ会のゲストとしてお招きしました。なので、3団体のお疲れ会+山添さんの事務局員就任祝いの会でした。

思った以上に豪華な会でした。

忘年会?のようなものといえば、多少なりとも同じ系統の仲間が集まるものと思いますが、恐ろしく「グループ感のない」(大石さん談)6人でした。なので、みんな話すことが違います。たとえばこんな感じです。

久野 「大石さんって、キーワードいろいろありますね。「赤ちゃん」好きなんですか?」(大石さんの舞台には小道具に赤ちゃんの人形がでてきます。ほぼレギュラー格です。)

大石 「赤ちゃん。好きなんです。「赤」って色ですよ。なのに「ちゃん」つけたら人間になるんですよ。すごくないですか?」
※大石さんは、ものすご〜く、おっとりした、シャイな感じの、でも、大きな目で相手をじっと見て、ぬるっとした感じでがんがん話します。

山添 「あおくんとおきいろちゃんって絵本が僕大好きだったんです。」
※山添さんはおだやかではきはきした口調で楽しそうに話します。

片桐 「私も大好きです。」

久野 「どんな話ですか?」

片桐 「どんな話かは覚えてないんです。」

山添  「あお君ときいろちゃんがいて、混ざったところが緑になるんです。で、どちらからも仲間に入れてもらえないという・・・」

出井 「村上春樹の、青がなくなる話、知ってますか?」

出井「世界から、青がなくなるんです。青って何なのか、どうしてなくなるのか、とか何も説明されないんです。」

山添 「村上春樹好きですけど、僕、短編はあまり読んでなくて・・」

久野 「私は長いのより短編のほうが好きです。長いのは最後まで気持ちが持たなくて・・・」

出井「ノルウェーの森の短い版てありますよね。」

大石 「蛍。」

久野 「蛍?納屋?あれ?」

大石 「蛍・納屋を焼く、です。」

久野 「あ。知ってます。」

出井 「短編、いいですよね。パン屋再襲撃とか・・」

久野「びんぼうなおばさんの話。とか、あと、芝生刈る話・・・」

田中 「芝生の話、いいですよね〜。あれがいちばんいいです。」
※田中さんはハスキーでやわらかい声で、空気をふわっと切り分けるようにゆっくり、話します。

久野 「田中さんて、どんな本を読まれるんですか?」

田中 「****、とか、****とか(私が知らないので覚えられなかったのです。こんど大石さんに聞いて埋めます。大石さんは博学です。***の部分に大石さんは驚いていました。驚くような本だったのでしょう。)、スティーブンキングも好きですね。」

久野 「スティーブンキングがとった映画ありますよね。ホテルの・・」

田中 「シャイニング。」

久野 「私、あれ、キューブリックのと両方見たんですけど、キューブリックのほうがいいというのが理解できないんです。キューブリック版だと、原作の意味がわからなくなりませんか?」

田中 「キングの好きなひとは、あっちは評価してないと思いますよ。」

久野 「ほんとに?シャイニングといえばキューブリックってみんないうので、そういう人に初めてお会いしてうれしいです。」

田中 「お父さんと息子の関係とか、キューブリック版ででわからないですよね。」

久野 「あの。原稿を持ち出すところがいいのに。」

田中 「そう。」

久野 「(みんなに説明する)アルコホリックの本人もAC気味のお父さんがいて、小説家で、子供との関係もうまくいってなくて。だけど火事になってお父さんが死ぬとき、息子はいのいちばんにお父さんの原稿を火のなかから持ち出すんです。その場面がほんとによくて。」

田中 「そうそう。」

久野 「お父さんのこと死ぬまで何も理解できなかった息子が、お父さんがいちばん大事にしてるものは何だったのかということはちゃんとわかってたんですよ。」

               *

大石さんはおととい、一人でソロライブ(ひとり芝居??)をしたのですが、その舞台はお客様に参加を求めるタイプのもので、私はうっかり見に行ってしまって途中で「あ・・・つらいかな・・」と思ったのですが、不思議なほどつらくなかったです。こっち来ないで、という空気を少しでも出すと、大石さんはうまいことこっちを避けてくれるのです。あの空気の読み方は絶妙で、野生動物のようでした。なんの動物かわからないですが。人間関係に不自由なく生きてきたひとのものではないなと感じました。では、あの楽観的な世界観はどういうことなんだろう。ともかく、たしかに彼はこうやって生きてきたのだなと思いました。これからどうやって生きていくんだろう?とも思いました。

ああいう舞台にありがちな、迷惑極まりない無邪気な閉塞感を全く感じませんでした。不思議でした。
無理強いしないから、誰も舞台にわあっと寄って行ったりしません。
大石さんはひとりで舞台を続けていました。
そのことを話すと、大石さんは悲しそうに、
「あれは事故でした。」と言いました。
「みんな、わあっと寄ってきて楽しくなると思っていたんです。」

よってくるわけないだろう、と私は思いました。
たぶん、みんなそう思いました。

「大石さんの作品を見て、私は苦痛を感じないんです。ああいう形のものを見てこれまで何度も猛烈に嫌な気分になったのに。その原因が大石さんの才能なのか人柄なのか、わかりません。とにかく、わかりません。」と私はいいました。大石さんは口をUの形にくいっとあげて、目を大きく開いて微笑んでいました。
そして、
「あの、悪意のない、あれですね?」
と言いました。

そうです。あの、悪意のない、あれです。
やっぱり。人間関係に不自由なく生きてきたひとの言葉ではないなと感じました。


山添さんは、CTTの事務局員としてこれからやりたいことや、つくりてではない観客としての立場から見る舞台について熱意をこめて語ってくださいました。片桐さんとや山添さんは、テーブルの対角線で宇宙物理学の話とかしていました。物理学のことはわかりませんが、宇宙物理学の話をしているひとが両端にいる演劇の飲み会は楽しいと思いました。

大石さんと田中さんがフーコーの話を少ししていました。
理系の二人(山添さんと出井さん)はそれを聞いて、どこかの博物館にある振り子の話を普通にしていました。ひとりだけ学生さんの出井さんは、今日の話は私には難しいです、と言いながら、「私はボキャブラリーが少ないので難しい言葉を覚えるようにしてるんです。」といって、「フーコー」とか「メタ」とか、誰かが話した言葉を繰り返しつぶやいていました。
「哲学のひとって、<アプリオリに>とか平気で使いますよね。」と私が言ったら、出井さんが、「アプリオリって何ですか?」と聞いて、大石さんが「生まれる前から備わっているもので・・」とわかりやすく説明し、カントにとっての道徳律はアプリオリなもの云々という例をあげました。出井さんは、「アプリオリ」と繰り返しつぶやいていました。

          
             ****

全然違うお芝居を作った3組で突然決まったお疲れ会で、しかも12月の梅田なのにがらんと空いてるカレー屋さんで、インド人の店員さんに案内されて座った細長いテーブルは片側3人ずつと、なぜか必要以上に緊張感のあるレイアウトで・・・時間をかけてメニューを見て、ぱたんと閉じ、大石さんは「はい。僕は決まりました。」と微笑んでいる。え?ひとりずつなの?みんなどうするの?

山添さんが空気を見て、
「せっかくなんで、いろいろ頼んでシェアしませんか?」
と提案してくださり。

結局、カレーを二つ頼んで、各自がナンを1つずつ選びました。
私はふつうのナン。
大石さんはガーリックナン。
田中さんはチーズナン。
出井さんはバターナン。
山添さんは・・・長い名前のおいしそうなナン。

遅れて出井さんと片桐さんが参加・・・という具合にはじまったお疲れ会でしたが、演劇以外のところにむしろ共通の話題が多くて楽しかったです。
共通の話題でも言ってること全然ちがってたり、全然違う作品作ってるふたりが同じ小説家のファンだったり。長年の親友が同じ話しても面白くないかもしれませんが、こんなふうに知り合って、こんな風に話せるのってなんだか幸せです。

また改めて詳しく書きますが。

私はこの3組のお芝居がどれも好きでした。
正確にいうと、お芝居はよくわからない部分もあったのですが、
作っているひとたちがとても素敵に見えました。
異常にマイペースなひとたちでした。
そして、自分の作品と自分以外のひとたちのことを、とてもとても注意深く気に掛けるひとたちでした。

たった二日間仕込みからリハ、本番、バラシ、と一緒にいただけですが、創作のもっとも濃い時間を共有するのではなくただ単に真横で見ている関係でした。とても面白かった。誰もが常に何かを考えていて、自分に今できることはなにかと考えていて、時間がないので、考える端から選択して実行に移していく。私とは全く関係のないものをもっとも大事なものと考えてすべてをそれに注いでいるひとをただ単に横で見ているという貴重な経験をしました。私の見ている前で、私には何の関係もない大切なものが大切に大切にされて変化していきました。それは私には何の関係もない出来事なのでした。
片桐さんも、それにわくわくしていました。彼女は仕込みのときからそのことを繰り返しつぶやいていました。

図ったり調整したりする必要もないほど距離のあるものとすれ違う瞬間ってぞくぞくするほど幸せだったりします。

出井さんが、私に、
「久野さんが合評会で言ってた、大きな出会いをしたからと言って、ひとは別に変わらなくてもいいと思っている、という話が私はとても気になっています。」
と言いました。

そう、言いました。そんなことを。
ライトが眩しいのと、緊張していたのとでほとんど記憶がないのですが、
「月と出会った後、彼女にはどんな変化があったのかよくわからないのですが・・」というような質問があったので、それに答えたのです。

重要な出会いがあったからといって、人は変わらなくていいと私は思っています。かなりしっかりとそう思っています。そう思わない人にはあまり快くない作品を、おそらく作っています。誰かと誰かが出会った。そしてすれ違って別の方向へ歩いて行った。という物語が基本的には大好きです。出会ったくらいで変わりません。出会うたびに変わっていたら、出会うのが面倒になったり疲れたりするかもしれませんし、そもそも、前と後でみんなが変わってしまったら、いったい誰が誰に会ったのか誰にもわからなくなってしまうような気がします。変わらない方がいいと思ってるわけではありません。
出会うのは一瞬ですけど、会った、ということはずうっと続くことのような気がしています。だから、変わるのはいつでもいいんです。

月に会った日。もし彼女の中で何か変わったのだとしたら、それは食パン工場の話を聞いたことについての何かじゃないかと思います。それは月とは何も関係ないです。

その夜、月と会ったことでいつか彼女の中で何かが変わることがあるかもしれません。そしてそのときは、別の誰かに会っていたり、別の何かをしていたりするのだと思います。物語が生まれる時と完結する時は遠くにあっても全然かまわないと思うのです。遠ければ遠いほど、大きな物語になります。


          *******
なんの日記なのか、どころか、いつの日記なのかもわからなくなってきたので、この辺で終わります。

私は別に、この出会いによって「忘年会の好きなひと」に変わったわけではありません。来年はやっぱりまた参加しないだろうと思います。ひとはそんな簡単に変わりません。第一、これまで経験したことのないことを経験しているときって外側に目が向いてるときです。そんなとき、自分の内面が変わったかどうか、なんて、いちばんどうでもいいことのような気がします。

ひさしぶりに長い日記を書きました。
書いていて思い出したのですが、セキレイさんとヒヨの物語が途中でした。
続きを書かないと。


2011年12月12日(月) 忘年会?

CTT大阪参加者のお疲れ会(忘年会?)をすることになりました。
前月出場したという以外に、なんの接点もない3組で。

演劇関係の忘年会に参加するのは初めての経験でどきどきしています。
昔、劇作家のTさんから、
「忘年会しますので〜」
と電話があって、

「忘年会嫌いなんです。ごめんなさい。」とお断りしたら、

「えええええ?」とものすごく驚かれてしまいました。

彼女は集まりやパーティなどが好きで、段取りを整えるのもとても上手なひとでした。申し訳ないことをしました。若かったのかな。

今回は、なんと、(いつのまにか)幹事です。
楽しい会にしたいなと思っています。
いえ、きっとなるはずです。スペシャルゲストもおられますし。

忘年会、こんなに楽しみなのははじめてかも。
カレーを食べに行きます。


2011年12月11日(日) 月食
















2011年12月08日(木) 工場

10歳までの数年間。
工場のある町で暮らしました。

兵庫県西宮市は、日本酒の生産で有名な町です。
宮水というとても質のいい水が出る井戸があり、近くで米がとれることもあって、日本酒の町になりました。
ですので、その町にある工場は酒工場です。
日本酒を作り、瓶に詰めて出荷する工場です。

12時と5時になると、工場のサイレンの音が町中に響きます。
子どもたちは、5時のサイレンが鳴ったら家に帰るように言われていました。トラックの通る大きな道の横を通って小学校へ通いました。
大きな門があって、麴の香の漂う中、トラックが門をはいっていきました。敷地の中にはたくさんの箱が積まれていました。

私が、子どものころからしっている工場は、油のにおいのしない、けむりももくもくしない、大きな音も鳴らない、からんとしたただっ広い工場でした。私はその工場が大好きでした。。

先日、道の階という集団で食パン工場のお芝居をしました。
食パン工場は登場しないのですが、舞台になっている道の向こうに食パン工場があるのだと、登場人物が始終説明するのです。

合評会のとき、「なぜ、食パン工場なのですか?」と質問されました。
なぜ???と言われても、登場人物がそう言ってるので、としか答えようがなく、しかも嘘だそうですよ、と言うほかなく、でも、そういうことを聞かれてるわけでもないような気がして、黙りこんでしまいました。隣に座っていた出演者の片桐さんが、助け船を出してくれました。
「夢をみたっていってませんでした?」

そう、夢を見ました。このお芝居を作る数カ月前。
夢の中の食パン工場は、人気のない、あまり車も通らない広い幹線道路の先にありました。夢でも、食パン工場は登場しませんでした。その道の先に食パン工場があるのだという夢でした。町のいたるところに案内があって、「食パン工場はこちら」と書かれているのでした。ほとんどひとがいないというのになぜか電車が2本乗り入れていて、どちらも「食パン工場前」という駅名でした。その町は、食パン工場なしには成立しない町のようでした。

私はそこである駅員さんと知り合いになり、もうひとつの駅の秘密を探るべく、いろいろ動くことになるのです。その結果わかったことは、なんと、二つ目の駅の二階に・・・・・・・・・・いえ。でも、これはお芝居のこととあんまり関係ないので省略します。

とにかく、そういう食パン工場の、いえ、正確に言うと食パン工場のある町の夢を見ました。
「その夢が、もしかしたら今回の芝居に関係あるかもしれません。」
と言ったら、司会者の方が、
「それはそうでしょう。」と答えてくださいました。
そうか、なら、あの夢はどこから来たんだろう?

考えているうちに、あの酒工場だと思い至りました。
10歳までの記憶は侮れないです。




2011年12月04日(日) それは、満月の夜のことでした 

作・演出:久野那美
出演  :片桐慎和子
2011年11月29日・30日
CTT大阪第11回試演会
ウイングフィールド 









2011年12月03日(土)   生きてる、

公演が終わって3日たって。
ちょっと人心地ついてきた。
初日が明けてからの、この、生きた心地のなさは、いったいなんだったんだろう?生きてるってどうするんだったっけ?という感じ。

3日たって。ようやく、人間の言葉が出てくるようになった。

生き返ったと思った。
空気を吸ってる。と思った。
生きてる、と思った。

落ち着いて考えれば。いったい何をそんなに途方もなく生きた心地がしなくなる必要があったんだろう?30分の公演を2回、小さい劇場でやっただけじゃないか。

創るというのは、ずっとむこうにある、手の届かない遠くの場所に軸を置いて前進する行為だ。論理的にあり得ないことだ。
ここが限界で、今はこれ以上は絶対に無理なのだと思う、その先にあるものを根拠にして進む。それでも進むのだから、何か重要なことが先送りにされているのだ。

演劇は、創り始めてから創り終わるまでに、時間と、自分以外のひとやものとの関係がたくさん、要る。そのあいだ、ずっと、ここにないものを足がかりにするわけだから、超アクロバット状態で数カ月過ごすことになる。何もかも先送りにして、先送りにしたものを全身で信頼する。

全身全霊で信じたからといってすべてが清算されるわけではなく、未払いのまま残されるものは必ず、ある。未払いだからといって、いまや何も返すことはできず、ただ、それを確認して見ていることしかできない。
ひとりで、見ていることしかできない。

本番が終わってからの時間は、ただただそのことに耐えるための時間のような気がしている。だから、生きた心地がしなくても、しょうがないのだ。

だけど。
ここまでとんでもなく気違いじみた生きた心地のしなさは、とても正しいことのような気もしている。
なんなんだ?この生きた心地のなさは?と思いながら、でも、どこかでほっとしている。この3カ月は、私的には正しかったのだ。
こんなささやかな作品でも、創るというのはそういうことなのだ。

思えば、前回の公演もそうだった。
その前も、その前も。
外から見ればきっとばかばかしいことなんだけど。
私の中で起きてるだけのことなんだけど。
でも、私の中でひそかに必ず起きてること。

創るたびに毎回死ぬのだと思う。
運よく生還したら、次のものが創れる。
そういうことなく何かを創ることができるのだとしたら、
創り手は簡単に人だって殺せるだろう。

こんな風に考えなくても、もっと別のやり方があるのかもしれないけど、ほかに正しい方法がわからない。

でも、ちゃんと、今、生きてる。
生き返るのが少し、うまくなった気がする。

・・・・・・・・・なんか変な日記。


2011年12月01日(木) 道の階、公演終了しました。

ご来場下さった皆様、成功を祈ってくださっていた皆様、なんとなく気にとめてくださっていた皆様、ありがとうございました。

2回の公演を無事、終了いたしました。

差し入れやメールなどくださった方、ほんとうにありがとうございます。近いうちにお返事いたします。少し、お時間をください。

ご感想ご批評いただけましたらほんとうに嬉しいですし励みにもなりますが、何か言わなければと、お気づかいなさらないでください。何か言わなくてはと思うとストレスになって、お芝居見に行くのがおっくうになったりしますし、めんどくさくなったりします。それはよくないです。(私だけでしょうか)
私も、お芝居の公演を見たときは、いつも言葉にならずに何もお伝えできないまま、何年もたって、思い出したりします。何年もたってからお伝えするのもどうかと思ってそのままになっていたりします。

逆に、何か言いたくなられたら、この日記の上にメールを送るコーナーがありますので、いつでもメールください。芝居のことでも、パンのことでも、月のことでも。(掲示板もご利用ください。)
ずいぶん前ですが、前回の公演のときも、終わって1カ月くらい、メールをくださる方がおられ、とてもうれしかったです。

*************

3ヶ月前に、今回の公演を企画したときには想像もしなかったことがたくさんたくさん起きて、今、あたまの中が大変なことになっています。どれも、私の中でおきていることですが、それだけに、何が起きたのかを私自身が考えて私自身が決めなくてはいけません。


「私が、今日出会ったあなたのことは、私が考えて私が答えます。」


今回のお芝居の最後から2つめの台詞です。
私はこの台詞も大好きです。

CTTの合評会、2日目は少し落ち着いてお話することができました。
とても言いたいことがあったからかもしれません。
またそのことも日記に書きます。

とりいそぎ。ご挨拶まで。

ありがとうございました。

20110年 12月1日 久野那美



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