窓のそと(Diary by 久野那美)

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2008年07月18日(金) 時間の入れ物

いろんな種類の言葉があって、温度とか色とか形とか、硬さとか、大きさとか、振動とか。

演劇は、どうしても時間の言葉なのだと思う。

どんなに魅力的な空間や瞬間に満ちていても、演劇は時間の言葉なのだと思う。作品と出会ってから別れるまでに必ずタイムラグがあって、作品の側から見ると、はじまってから終わるまでの時間が演劇だ。

始まった瞬間に終わってしまう演劇というのは、たぶん、無い。
始まった瞬間に終わってしまう(伝わってしまう)彫刻や絵画はあっても。

時間のことを肯定的に考えられないときは、演劇が辛い。
演劇を無邪気に信頼できるとき、きっと、私は時間を信頼しているのだろうと思う。それって人生を肯定してるってことだろうかとも思ったりする。

あれ。てことは劇場と人間て似てるかも。
空間とみせかけて実は時間の入れ物だったりするところが。


2008年07月17日(木) インコとにわとりと夕凪

このサイトを作ってから、ここを通じて知り合った人が何人もいる。
また、ゲストブックでおすすめ作品を紹介してくださる方もいる。

こうの史代さんという漫画家さんの作品も、以前ここで教えて頂いた。

小鳥好きな方が「インコ漫画の決定版」があると掲示板でささやくので、気になってさっそく買って読んだ。「ぴっぴら帳」は、たしかに「インコ漫画の決定版」だった。インコ漫画というジャンルがあるのかどうか知らないけれど、この作品ひとつでそのジャンルを成立させても良い、という意味で、まさしく決定版だった。文芸の世界ではよく、「人間が描けている」とか「女性が描けている」とかいわれたりするのだけれど、私にはいまいち意味がよくわからなかった。でも、この作品を読んでわかったような気がした。「インコが描けている」作品なのだった。インコが描けている作品があるのだから、人間が書けている作品があってもおかしくない。

インコがほんとうに魅力的なのだ。

インコが魅力的であるということは、インコが魅力的に存在する風景があるということであり、そこには人間もいれば犬もいる。鳥かごや商店街や町もある。インコをとりまくそれらのものたちが、別にインコのために存在しているわけではない、という感じがとても素敵だ。ぴっぴらさんという名前のインコが主役のインコ漫画なのだけれど、でも、インコ以外のものがインコを引き立たせるためにあるのではなく、ぴっぴらさんもまたぴっぴらさん以外のものを魅力的に存在させるために必要不可欠な登場鳥?になっている。

なんだろう?このつつましやかな共犯関係。

気になるので、この作者の作品をぜんぶ探して集めた。

次に読んだのは「こっこさん」。
これはにわとり漫画の決定版だった。
わたしはおおきいいきものが好きなので、個人的にはこっちの方が気に入ってしまった。こっこさんはにわとりなのによく空を見る。外で飼われているので風の中にしっかり立って空を見ている風景が、インコ漫画より多かったところもポイントだったのかもしれない。

それから「さんさん録」「長い道」「夕凪の街、桜の国」を読んだ。
書かれた時系列を知らないのだけれど、後に行くほど作品の中に風が吹いている。「夕凪の街、桜の国」は強烈だ。この本の中には、ページを手でめくる必要などないのではないかと思えるほどの風が吹いている。正確にいうと、「夕凪」は風が止まることなのだから、「風が吹かない時間の話」ということになるのだけれど、こんなに風の吹いている物語を私は読んだことがなかった。

なんといっても、風の止まる時間に名前をつけるような街なのだ。
そんな街を名前にするような作品なのだ。

こうの史代さんはとても不思議な絵を描く。
「手仕事の凄み」というものが世の中にはあるのだ、ということが、彼女の絵を見るとわかる。洗練されていない、とか、規格におさまっていない、とか、のびのびと自由に描いている、とか、フリーハンドの味わい、とか、そんなことばで表現するのでは追いつかない。

「こういう風景なのでこういう風に描きましたよ」と絵が言っている。

描くっていうのはそういうことなんだなあと思う。

私が特にこの作品についていろいろいいたくなるのは、たぶん、このあいだ、この漫画を原作にした映画を見たからだと思う。(インコやにわとりは映画になってないので、見ることができない。「さんさん録」は映画になったら見てみたいなと思う)とても原作に忠実につくってあって、役者さんも素敵で、きれいで素敵な映画だった。何も不満はないのだけれど(少しだけあるけど。)、でも、驚いた。

映画の「夕凪の街、桜の国」とは比べ物にならないほど、漫画の「夕凪の街、桜の国」には風が吹いてたのだ。

「風」を表現するのに映画ほど有利な媒体はないと思っていた。そしてたしかにこの映画には気持ちよく風が吹いていた。ほんものの風が、木々をゆらし、空へ抜けていった。だけど、にもかかわらず、それでも、いや、だからこそ、動くはずのない「絵」の中に吹く風の凄さにぞっとした。

このひとの絵には何があるのだろう。
それは、絵の中にあるのだろうか?物語の中にあるのだろうか?

「夕凪の街、桜の国」は、流れていく時間と、その中にいつまでも止まり続けてけっして流れない瞬間の物語だ。その物語に風の吹き抜けていく絵がどれほど重要であるかということを、ひしひしと感じた。



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