聞こえよがしに悲嘆をさけぶ

7枚綴り


1999年01月05日(火)

上巻第三縁・悪事を働く鬼を懲らしめ、逃げた後を追ってみれば死罪にされた奴婢を埋めた辻に行き当たり、鬼は「彼の悪しき奴の霊鬼なり」と分かる。
 上巻第十八縁・死んだ息子にそっくりな男が尋ねてきた際に、その親が「若し、死にし昔の我が子のたま霊か」と言う。
 上巻第三十三縁・死んだ夫の「みたま霊」を供養している。
 中巻第二十二縁・仏像が声をあげたことに対し、仏像と言えども「聖霊」、そこに宿る霊魂がないわけではない、としている。
 中巻第四十一縁・転生について語る際に「其れたましひ神識は、業の因縁に従ふ。或いは蛇・馬・牛・犬・鳥等に生れ。先の悪契に由りて、蛇と為りてくながひ愛婚し、或いは怪しき畜生と為る」とある。


 下巻第二十五縁・死んだと思われていた夫が帰ってきた際に、妻が「何ぞ活きて還り来れる。若しは是れゆめ夢か、若しは是れたましひ魂か」と言っている。
 下巻第二十七縁・髑髏を供養した男の元に、その髑髏の霊が現れ報恩をしようとする描写を「たま霊、牧人の手をと操りて、屋の内にひ控き入れ」と書かれている。
 下巻第二十八縁・「痛きかな」と声がしたことを、優婆塞が「其の時に塔の木有り。未だ造らずして、淹しく仆れ伏して朽ちたり。斯の塔の霊ならむか」と疑っている。
 下巻第三十五縁・火の君が冥界に行った際に見た、責め苦を受けている古丸という男を供養するため、『法華経』を書写し、「彼のたま霊の苦を」救った、とある。
 下巻第三十七縁・佐伯宿禰伊太知が冥界で責め苦を受けている男を見、後にその話を男の妻子にすると「恩ある御霊のために」供養も済ませたが、地獄で責め苦を受けているとは知らなかった、と嘆き悲しんだ。
 下巻第三十八縁・景戒が見た夢で「景戒が身死ぬる時に、薪を積みて死にる身を焼く。爰に景戒がたましひ魂神、身を焼く辺に立ちて見れば」とある。

 下巻第三十九縁・善珠禅師が臨終の際に飯占を行うと「たましひ神霊、かみなぎ卜者に託ひて」遺言を語り、善珠禅師が生まれかわった大徳親王が臨終の際も、「大徳の親王のたましひ霊、かみなぎ卜者にくる託ひてのたま言はく」とある。
 これらを見ていくと、まず大きなくくりとして説話も主に死後の「死後、肉体が失われても存在する」という性質があることが分かる。そして、上巻第三縁・


1999年01月01日(金) ..

その日に何かをやろうとか新しいことをしようとかでカレンダーに丸印をつけたりすると当日必ず雨が降った。
雨が降ると僕はどうもやる気の出ない人間でそもそも布団から這い出ることさえせず、ああやらなければなどと思いながらだらだらとうつうつと1日を過ごすのである。
だらだらとうつうつとしたところで何がどうなるわけでもなく雨がやむわけでもなく雲が切れ太陽が億劫に顔を出すでもなく。
だからといって何かやろうともやはり雨はやまず太陽は布団の中であって、それでもって僕はやはりなにもしないことをしてしまうのである。
それがいつもそうなのである。僕が何かをやろうやろうと思う日には必ず雨が降る。
朝に起きて急にそうだ!などと思い立ったときにはその瞬間に雨粒がぽつりと落ちてきて日がな1日降り続ける。
雲一つない青空には天気雨が降り始める。
氷点下の寒い日だろうが冷たい雨粒が落ちてくる。

これはもうどうにもできないことである。思った瞬間雨は降る。
友人や恋人と遊びに出かけたりしたときなどは、雨が降ってはいけないと思い何も考えないように自分をしている。
だが運悪くなにかを思いついてしまったときなどは相手に謝るが変な顔をされる。雨が降る。もしできるならば街中の人に謝って回りたい。

雨が降るのはだが僕の力ではないだろう。天候を自由に出来るなんてそんなわけはない。
なにも思い立たなくとも雨が降る日はたくさんあるのだ。
もっともその逆は全くなく、だからして最近僕はこれはもう天命なのではないかと思い始めている。
つまり天の神が、僕になにもさせないようにさせないようにしているのであろうと。

ああ!僕は神に何もせずに生きていくことを約束された人間なのだ!
なんということだろう。生まれてからこの方、僕はずっと方法はともかく神に愛されてきたのだ!

今日からはそれを心に刻み、うつうつとせずもっと明るく楽しく生きて行こうと思ったら雨が降ってきた。
なんて幸先の悪い。






というのを最初のお題にしようとしたけどキャンセル。
なんて幸先の悪い。


えのもと |MAIL