薔薇園コアラの秘密日記

2004年02月28日(土) 本日はお留守番

 本日、やや体調不良のため、家でじっとしています。

 昨日、中華レストランでPTAの新しいお母さんの歓迎会がありました。
 これでもか! これでもか!! さぁこれでもかぁ!!! というぐらいのお料理が出てきて、食べる前に目だけでお腹いっぱいに。

 しかも、私、ここのところ腸の出口に疾患を持っていて、辛いもの一切ダメ。今週は特に、患部の具合が悪化して、座薬を入れて一日安静にしていた日があったほど。
 
 そんな折に、中華料理。。。グッドタイミングゥゥゥ〜。
 いやはや。まぁこれは気の合うお母さんたちだけで出かけるランチではなく、歓迎会なのだから、黙って指定されたレストランに行くしかない。

 ベトナム人の経営するこのレストラン、みんなおいしいっていうんだけど、私は中華料理を食べ慣れないせいか、ホントにおいしいんだかどうかよくわかんない。本場中国の味はおいしいのかもしれないけれど、中華ってこんなに辛くて脂っこいもんなんですかい?

 ドイツでもポーランドでも中華なら時々食べに行く機会はあるけど、どのレストランもヨーロッパの果てでは場末の食堂風に感じてしまって、あぁ〜、ってため息が出るほどまでにおいしいと思ったことはほとんどない。もともと中華料理に対する執着心がないせいか、ただとにかく、その店で空腹さえしのげればそれでいいや・・・と思って食べている。

 あ、でも、去年の夏、お友達に連れて行ってもらった、神戸シェラトン4Fの中華料理店はよかったなぁ〜。あそこは高級感があって、雰囲気も私の味覚も充分に満足させてくれたレストランだった。生まれて初めて中華料理っておいしいんだなぁって思ったよ。

 で、昨日。そのお店で、私がふと横を見ると、隣の彼女は、もともと辛い味付けだというのに、お皿の隅に更に豆板醤を乗せているところだった。
 それを見ていた私、「うわっちゃー、からそー」と無言で目をぱちくりさせながら、目いっぱい顔いっぱいで驚きを表現していたらしい。向こう側に座っていた同じテーブルの奥さんが、私の表情の変化を一部始終見ていたらしく、こちらに向かってげらげら笑っていた。

 ふぅ。
 昨日は、辛いものをあまり食べないようにしていたんだけど、ちょっとは食べてしまったようだ。まだ患部には響いていないようだけど。
 
 それにしても、難儀な持病を抱え込んでしまったものだ。じびょう・・・ねぇ。

 おうおう、怒涛のようにみんな帰ってきちゃったよ。。。



2004年02月27日(金) お隣さん

 我が家の台所から、隣の建物が見える。
 向かって右側が、南米の某国大使館、左側がオフィスの入った建物。両方とも、うちの大家さんの持ち物で、白い壁とバルコニーの雰囲気がリゾート地風。毎日、台所に出入りするたびに、無意識にも隣の建物を見る習慣がついている。

 流しの窓から見える二階オフィスでは、窓際でお姉さんが終日パソコンを覗き込んでいる。そのお姉さんはとても働き者で、朝は誰よりも早く出社し、やや長めに残業している。時々週末出勤もしている。休みなくずーっとパソコンに張り付いている。と、書けるほどに私もよく台所の窓からお姉さんのほうをみているんだけど。

 きっとむこうも、お、今日は夕飯の支度が遅いぞ、とか、あの東洋人はいつもつまみ食いばかりしているとか、コンロの上、鍋だらけだ・・・とか、誰もいないのに台所の電気つけっぱなしになってるよ・・・とか、思っていたはずだ。

 ところが、2月初旬のある朝から、お姉さんの姿が見られなくなった。お姉さんだけではなく、階下の窓際デスクが見えていたオフィスもがらんどう。
 1月いっぱいでどこかに引越ししたようだ。そういえば私は1月下旬から一週間、日本に帰っていたので、実際には引越しを目の当たりにしていない。だから、いきなり、もぬけの殻みたいに感じたのかもしれない。

 その日から、何だか我が家の窓からの風景がうら寂しい。白い建物のむこうにはマンション郡。そのむこうには夕焼けが映える西の空。景色は今までとなんら変わらないんだけど、風景にひとの気配がないというだけでこうも味気ないものになってしまうものなんだなぁと思った。

 ドイツにいた頃、隣の家に、「シーナのおじちゃん」というドイツ人が引越ししてきた。その男性は、「クラウス」というドイツではごく一般的な名前をもつ、私よりもちょっと年上のマッチョなあんちゃんだったけど、飼っていた犬が「シーナ」という名前だったので、便宜上、子供たちの手前、シーナのおじちゃんと呼ぶことにしたのだった。

 そのシーナのおじちゃん宅も、我が家の台所からよく見えた。逆に、家の台所の窓が大きかったので、むこうからも乱雑な流し台が丸見えだったと思う。小さい子供を抱えて、夜遅くまで台所の電気がついていて、手際の悪い主婦が働いていて。

 そのシーナのおじちゃん、同棲していたものすごい美人のおねえちゃんがいたんだけど、ある日、そのおねえちゃん、シーナのおじちゃんとどんぱちどんぱち激しいけんかをして、犬のシーナを連れてその家を出て行ってしまったのだった。

 近所の下世話なおばちゃんたちの話によると、何でも、三十半ばになろうとしているおねえちゃんが、同棲9年目になるし、そろそろ子供が欲しくなったと言い出したらしく、シーナのおじちゃんに「赤ちゃん、赤ちゃん」としつこく迫ったらしい。だけど、生涯身軽な人生を夢見る典型的エゴイストな中年ドイツ人であるシーナのおじちゃんは、絶対に子供に翻弄される生活はいやだ! と暴力をふるってまで我を張ったそうで、心身ともにダメージを受けたおねえちゃんは、自分の女性としての将来も棒に振りたくないので、付き合いの長いシーナのおじちゃんをさっさと見限って、新しい人生を求めるがごとく、同じ町の反対側に自分の部屋を借りて、一人暮らしをはじめたらしい、というのだ。

 一方、隣のシーナのおじちゃん、おねえちゃんが出て行ったあとのショックと後悔と自責の念は大きかったらしく、しばらくノイローゼになってしまった。
 私も隣の生活が丸見えなので、ソファでぐったりしている様子や、力なく食事をしている姿をよく目にした。時折、男の友達が訪ねてきて、悲しみの底から抜け切れないシーナのおじちゃんをバルコニーで一生懸命慰めていたり、たまに、おぉ、女性のお客さんだ! と、隣人のこちらが色めきたったりすると、何のことはない、シーナのおじちゃんそっくりの実のお姉さんだったり。いろんなひとがシーナのおじちゃんを気遣って顔を見にきていた。
 
 シーナのおじちゃんのノイローゼは冬をはさんで半年以上続いたようだった。年が明けて暖かくなって、シーナのおじちゃんの唯一の趣味である、サイクリングにもひんぱんに出かけるようになった。外に出ると、次第にノイローゼも治ってくるものなのか、今度は急に、シーナのおじちゃんの家に艶めいた人々の出入りが増えてきた。春がきたんだネェ、シーナのおじちゃん。

 ただ隣人の私がふと眉をひそめるのは、そのお客というのも、みるからにどこかでナンパしてきたようないけすかない女の子たちばかり。それも、毎回相手が違うようだ。しばらく、バルコニーで和やかにお話して、その後、食事にいったりしているようだ。そのうち、華々しい女性関係のシーナのおじちゃんの町でのよくないいろんなうさわが私の耳にまで入ってくるようになった。

 ある晩遅く、たまたま立ち寄った居酒屋で、ひどく泥酔してしまって目が据わって前後不覚になっているのシーナのおじちゃんを見たことがある。私はお酒を飲んでいなかったので、車で家まで送ると申し出たのに、自分の連れの若いお姉ちゃんに送ってもらいたいといってきかない。私が先に帰ると、その後すぐ帰宅したようだったけど。もう、すぐ帰るんだったら私が送ってあげたのに。きっと、別れ際に、チューとかしてたんだろうと思うけど。シーナのおじちゃんのことだから。

 なんだかんだと、隣のシーナのおじちゃんは、プライバシーを見ようとしなくても台所の窓からどうしても自然に見えてしまうせいか、私にしてみれば、一つ屋根の下・・・とまではいかなくても、隣に住む、親戚のおじちゃんかいとこに準ずる、なんとなく常に気になる存在のあんちゃんなのであった。
 今頃、シーナのおじちゃん、どうしてんのかな? 

 お昼に外出しないといけないのに、何をくだらないこと延々書いてんだろ。ただのシーナのおじちゃんの思い出話でした。わーお、時間だ、時間!
 



2004年02月26日(木) ESCADAの新作香水

 ESCADAのMAGNETISM(エスカーダ・マグネティスム)
 紫と赤のグラデーションのパッケージ。今年の私の愛用の香水。
 これは冬の休暇に出かけたときに買ってきた。
 
 免税店のフレグランスコーナーでも「NEW!」と掲げられたこの派手なパッケージ、他よりも一段と目を惹きつけられ、思わず手にとってみた。
 エスカーダか。。。服なら持ってるけど、香水は今まで一度も買ったことはない。
 
 私は、備え付けの細長い紙片にテスターでしゅっと一噴きしてみた。
 フローラルベースのあまっくどい匂いが拡がった。
 立て続けに、ジバンシィとランコムの香水を試したから、香りがミックスして、どれがどういう匂いだかわかんなくなったけど、なぜかしら吸い寄せられるように手が伸びて、目の前にあったエスカーダのマグネティスムをそのまま買い物かごに入れた。
 
 家に帰ってから試してみると、やっぱり香りがちょっと甘すぎるような気がした。家族に、
「ねぇねぇ、この香水どう?」
と聞いてみると、三人とも、口を揃えて、
「うん、いい匂いだよ」
といった。更に清二が、
「このおうちによく似合った匂いだと思うよ」
と可愛げのあることをいってくれた。

 清二はDKNYなどの、シトラス系〜グリーン系のトップノートを嫌がる傾向がある。トップノートとは、つけてから10分ぐらいまでの最初の匂いのこと。出掛けにシュッと香水をつけてすぐに車に乗ると、つんとした鼻腔を刺激するような匂いが車内に充満する。シトラス系だとアルコール成分が子供の鼻にシャープに突き刺すように感じるのかもしれない。

 日記を書きながら、ちょいと寄り道して、おもしろいサイトを見つけた。
↓なぜかしらリンクできないや。

http://www.beautyfactory.jp/escada.html

 私の買ってきた香水、2004年欧州先行発売だったようだ。
うんうん、1月3日にフエルテヴェンテュラ島で買ってきた。派手に広告出して売り出してたもん。1月下旬に帰国して、アムステルダムでトランジットしたときも免税店で売り出してたわ。そういえば。
 私、流行先取りしてるぅ? ちょっと、うふ〜んと思ったりして・・・。
 
 このエスカーダのMagnetism。意味は、魅力。(知的)引力 
 マグネットの本来の意味からして、磁石のように人を惹きつけるという意味合いなのでしょう。

 香水のネーミングって、どれもイメージにとてもよく合っていると思う。
 それにしてもうまくネーミングするもんだなぁと思う。
 香水をつけると、嗅覚でそのネーミングのイメージが潜在意識に刷り込まれるような気がする。きっと、このMagnetismもそうなのかもしれない。
 
 今、それつけてんだけど、私、魅力的? ネ、誰か惹きつけている? 
 はははー、ナルシストの勘違い女か、この私は・・・。

 ふと思いつくままに、今までに愛用した香水たちを。

*エステーローダーの「PLEASURES」 喜び
 これは、いつも女友達と出かけるときにつけていた。人に会うときは笑顔がつきものだからね。with pleasures いまだに愛用の1本。

*グッチの「ENVY」 嫉妬
 これをつけていた時期、異常な妬心に駆られる出来事があった。
 はぁ。あれからもう、6年になるのかー。これをつけていたから自分でその種をまいちゃったのかな、とも思えてくる・・・。
 さわやかないい匂いだったけど、怖くてもう二度と買えないや。

*DKNY
 まだ三分の二ぐらい残ってる。
 同世代の女性友達には受けがいいんだけど、家族がね。。。
 これはアーバン・カジュアル・フレグランスなんだって。なーるへそ。

*カルバン・クライン「CONTRADICTION」 矛盾
 よくわかんないまま、いつのまにかなくなっちゃた。

*シャネル「CHANCE」 チャンス
 ただいまそのタイミングを静かに窺っておりまする。

 まぁ、とにかくどの香りとも、上手にお付き合いしていきたいものですね。
 香りも個性。私も自己主張、強い女だからね。
 
 やだ、ヘンなこと思い出しちゃったー。
 昔、別れたBFの車に乗せてもらう機会があった時。
 出掛けに香水をつけたばっかりの手首を助手席のシートにこすりつけて、私の匂いをマーキングしてきたことがあった。新しい可愛い彼女できたみたいだったし、やっかみ半分のちょっとしたお茶目ないたずらだったんだけど。
 わははー、悪女だなー。。。意外と香水の香りはトラブルの元だからネェ。
 でも、そんなこと、だーれも気付いていなかったりしてねぇ。。。彼のことだから。まぁ、いっか、そんなこと。もう時効だし。

 

 



2004年02月24日(火) 久々のオフ日

 ここのところ、主人が自宅療養していたため、三度の食事やこまごまとした世話を焼いたり、マッサージへ連れて行ったりと、先週はイレギュラーな日常生活を送っていた。まだ患部は完治していないけど、今週明けからは何とか出社できるほどには痛みは引いたようだ。
 
 やっと私も家でゆっくりできる。
 でも月曜日の昨日は、朝からお手伝いさんがくるのでばたばたするし、お昼からは日本人学校でプレゼンテーション大会があるので、出かけないといけなかった。

 昨日の朝、理人から出掛けに、「ママ、必ず見にきてね」と念を押された。
 というのも、前々週に、スケートの発表会があったのに、ママはすっかり忘れていて、一人でのん気に美術館などへ絵を見にいっていた。来ていなかったお母さんは、私だけ。
 
 理人はスケートの発表のあと、ママがいない観客席に丁寧にお辞儀をして手を振ったそうだ。この日のために難しいスケートテクニックを練習したらしい。うぅっ、かわいそうなことをしてしまった。
 理人、清二、ごめん、ごめん・・・。 
 
 だから、プレゼン大会は絶対にいかないといけない。発表は彼らの得意とするところだし。
 午後いっぱい日本人学校。
 戻ってから、慌てて夕食の支度をし、帰宅したパパをマッサージに連れて行くため、雪の中、車で市内へ。

 週明けからいきなり慌しいしんどい一日だった。
 私は時間に追われるのがホントに苦手なのだ。

 今日、火曜日は、夕方まで何も予定がなかった。
 やっと祐子サンのオフ日。
 ずっとパパの看病に明け暮れてたから、かれこれ10日ぶりかも。

 朝8時、朝の片付けもそこそこに、メールチェック。
 新着メッセージなし。
 パソ机からそのまま寝室直行。
 日本で買ってきた、小池真理子著「瑠璃の海」集英社を読み始める。
 ひっさびさの読書。
 各章が短いので、きりのいいところで本を閉じたのか、いつしか意識がなくなっていた。

 次に時計見たのいつだっけ、10時だか、11時だか。
 今日は家事を放棄して、ゆっくりさせてもらう。

 午後1時まで、ベッドの中で週刊文春をめくったり、小池本の続きを読んだり、うつらうつらしたり。
 体がかなり疲れている。精神的にかもしれないけど。

 午後2時。大事な用件を思い出し、知人に電話。なんだかんだと長電話。
 終ってから電話の内容の報告のメール一本書く。
 直後、胃から腰にかけて激痛がはしる。何なんだ、一体これは・・・。
 再びベッド直行。

 午後4時、ボーズたち怒涛のように帰宅。
 おやつを用意してなかったので、義母が送ってくれた、取って置きの産地直送の新潟のおかきをだす。

 午後5時、子供たちの英語の家庭教師、カロリーナがやってくる。
 彼女は週2回、近所の外国語学校からきてくれるようになってから、4ヶ月。子供たちへの教え方が抜群にうまい。子供たちの会話能力がまたたくまに上達した。まだまだ初歩の段階だけど。
 しかも、すっごい美人。
 パパは、いつかお目にかかりたいものだ、といつも浮ついたことをいっている。

 午後5時20分、その当のパパ、帰宅。
 カロリーナに紹介すると、鼻の下を伸ばしてやたらと照れている中年おやじ。普段はこんなにはやく帰宅することなんてないから、チャンスだったねぇ、パパ。

 5時35分、パパをマッサージへ連れて行くため、家を出る。
 本当は胃が痛かったからパパに一人で運転していってもらおうと思ったけど、さっきよりも楽になったので私が連れて行くことに。
 パパはまだ運転を控えたほうがいいよ。 

 7時15分、帰宅。
 夕食の支度。
 食後、JSTVで「古畑任三郎」をゆっくり見る。

 入浴後気を失ったように眠りに付く。



2004年02月21日(土) ようやく週末。。。

 先週末、主人が腰の激痛を訴え、今週いっぱい会社をお休みした。
 日本人のマッサージ師によると、「椎間板ヘルニア」ということだった。
 この厳寒のなか、きっと慢性的な疲れが腰にたまったのだろう。
 腰痛は持病でもあったけど、これだけひどいのははじめてのことであった。

 そのマッサージ師のところで、足のつぼを棒でぐりぐりされるんだけど、本当に痛そうだ。あのパパがよく無抵抗で言いなりになっているもんだと思う。
 不思議なことにマッサージの度に、腰が少しずつまっすぐになっている。
 効き目がわかるからぐりぐりの痛みを我慢しているのだろう。

 昨日で4回目の通院だった。
 予約の時間がちょうど子供たちの帰宅時間だったけれど、
「パパとママは医者に行っています。自分でかぎをあけて入ってください。すぐに帰るからね。ママより」
と玄関ドアに伝言して出かけた。

 時々、外出先から私の帰宅が間に合わないことがあるので、理人のランドセルの中に鍵を持たせている。いつもはそれで問題はなかったんだけど、今回に限り、鍵が入っておらず、家の中に入れなかったようだ。

 たまたま、隣に新しいオフィスが引越ししてきており、運良く大家さんが居合わせたらしい。理人が片言英語で事情を話し、大家さんから連絡を受けたパパの秘書が私に連絡をくれた。帰りの大渋滞のなか、大慌てで、できるだけすっ飛ばして帰った。
 おぅおぅ、理人、清二よ、不憫なことをしてしまった。

 小4の理人は、鍵を持ち合わせていなかったのは自分の責任でもあるし、冷静沈着に対処して、私たちの帰りをガレージで待っていた。お兄ちゃんでもあるし。
 弟の清二は、まだまだ2年生だし、おろおろして泣いていたようだ。(こういう性格はママ似)途中で涙が乾いたっていってたけど。
 
「ごっめーん、理人、清二、すっかりおそくなっちゃって・・・」
 私たちは急いで、上のフロアに行き、家のカギをあけた。

 ランドセルを家の中に運び入れ、理人の第一声。
「やったー、やっとゲームができる!」

 ふっ、ママたちの帰りなんて、そんなもんだったのかい・・・。



2004年02月18日(水) 今日は疲れちゃった。。。

 朝から、いろいろ出かけて、ちょっと気疲れして。

 お昼過ぎに出かけて、何となく疲れて。
 パソとにらめっこして、来やしないメールの返事を待って。

 夕方お買い物でハイパーに出かけて、どっひゃり疲れて。

 夕方遅くに子供たちが帰宅し、遅い夕食のあとに、エンピツ削りの削りかすを絨毯の上にぶちまけた人がいて。

 ねぇねぇ、今日、ママはお疲れなんだよー。



2004年02月16日(月) 落ち込むってどんなこと?

 昨日の日記で、私が落ち込むことはない、と書いた。確かにその通り。落ち込んだことなど今までに一度もない。

 それでは、あなたは自分自身にそんなに自信があるのか? と問われれば、さにあらず。
 今日までの私、傍目には人生順風満帆のようでも、自分の目の前に掲げられた目標にあと一歩で達することができず、その都度しょげ返ること千万。
 でもね、落ち込むのとしょげるのとは私の中では全く別の感覚なの。

 毎年、秋に仕上げた投稿作品が、12月に発表になる。忙しい時期に自分なりに精魂使い果たして書き上げるので、結果は受験の合否発表のようにどきどきわくわくする。ここしばらくは、毎年、泣かず飛ばずで、結果が出た後、しばらくは誰にも気付かれないように密かに放心状態でいたことがあった。  

 創作活動なんか、ごくごく個人的な作業であるから、家族に対しても、周りの人に対しても、その無念さとか悔しさをなかなか理解してはもらえない。

 だからといって、予選落ちのたびに落ち込んでいるわけではない。
 落ち込む=自信を無くす、ということなのだろう。 
 私の場合、私をよく理解してくださっている人たちがタイミングよく年賀状などで、いつも叱咤激励のメッセージを送ってきてくださる。
 私ものせられやすいノーテンキなタイプだから、よっしゃ、また今度がんばってみるか! なんて元気な笑顔を見せたりする。
 
 きっと、そういう人たちの暖かいメッセージこそが創作活動にかける私の原動力になっているのだろうな。こんな海外の地でむなしく孤軍奮闘する私を、遠くからいろんな人が見守ってくれているという実感もある。
 「神の見えざる手」とでもいうか。

 自分の内面にあるものを誰かが上手に引き出してくれる。そして、自分が表したものが新境地を切り開いて、やがては、私の言葉でしか表現できない小宇宙を築き上げる。そのために私はこれからも言葉を編みつづける。

 この日記の中の私は、自分の本来の性格からほど遠い。正直なところ・・・。昔の友達が何人も違和感を感じてメールを送ってきた。
 
 WEB日記は、手紙のように自分が直接伝えたい対象の相手が見えていないから、ちょっとした表現が指先で固まってしまう。心と指先が繋がっていない状態。だからいつも何を書きたいかわからないままキーボードを打っている。多分今日も。
 
 つまんない日記・・・と、パソを覗き込みながら、私はいつも落ち込んでいる。

 ア、冒頭に落ち込んだことなんか今まで一度もない、って書いたのに、これじゃあ、さっそく文章ハタンだよぉ・・・。



2004年02月15日(日) レス待ち日

 今日は何だか集中力がない。ただぼんやりしている。

 いろいろネットで遊んで、ちょっと高度な文章書く人のサイト見つけて、あぁ、こんな文章、私には絶対に書けないや・・・って落ち込んで。
 って、私が落ち込んだりすることはあんまりないから、はぁ〜ってちょっと深めにため息ついただけか。。。

 それから古い友達の携帯メールにバレンタインのメッセージを送った。
 すぐにレスくるかなーって思って、一日中パソ前でずーっと待っていたのにこなかった。日本はもう深夜になっちゃった。絶対にもう寝ちゃってるよ。
 あーあ、ちょっとショックー。。。

 この前ドメイン変えたとか何とかいってたから、メール見てないのかなぁ。
 そういえば、クリスマスのメッセージもレス来てなかったし、どうしちゃったんだろ。問い合わせのために国際電話なんかしたら、かえってオオゴトになっちゃうし。

 このまま放っておこうかな。もし見たんだったら、すっかり私のこと無視しちゃってるわねぇ〜? ぬ、ぬぅ? 許さん! いやいや、私たちの間柄だし、絶対に無視するってことはないでしょう。

 きっと、メール見てないに違いないわよ。うんうん、そうよ。でも気になるなー。ずっと連絡待ってるのにぃ・・・。

 なーんて、昔と相も変わらぬこと考えてやきもきしていた一日でした。あはは、精神的にいまだ何の進展もない祐子サンです。

 時々気まぐれにメールを送る知り合いが何人かいる。
 そういう人には一方的な近況報告だけを送る。用件なんか何にもなくって、ただ何となく誰かに独り言を聞いて欲しくなって、バカ話を書き連ねて送り付けるのだ。

 律儀にレスをくれる人もいるけど、絶対にレスをよこさない人もいる。レスをよこせと書いてもよこさない。別に敬遠されているわけではないようだから、きっとそういう本人のポリシーなんだろう。

 レスを待っていた彼へも、そういう感覚で書いていたから返事がなくてもそれでよかったんだけど、前に顔を見たときに、手紙には返事は書かないけど、メールなら必ずレスするヨ、っていってたから、その一言を信じて今日はずっと待ってたんだヨゥ。。。

 プン、やっぱり祐子、今晩はめずらしく、拗ねてやる!

 あ〜、でも悲しいカナ、今じゃ誰も私のご機嫌とってくれ人なんかいないや。。。 
 



2004年02月13日(金) バレンタインデー・イブ

 明日はバレンタインデー。  
 日本もポーランドも先日から2月14日のことをいろいろ報道している。
 
 ポーランドには、もともとバレンタイン・デーの習慣はなかったそうだが、資本主義になって十数年もすればそういう文化が近隣諸国のいたるところから入ってくるのだろう。今では、街中赤いハートだらけである。ポーランドでは今年の広告も熱が入っているようだ。ここは日本より景気がいいのかなぁ?

 私は、毎年その年の広告商戦いかんによって、チョコを買ったり買わなかったりしてきた。
 去年は、うちの男連中に、ママからささやかな愛のチョコレートを渡した。きっとボーズたちのことだから、しぶとく覚えていて、「ママ、今年はチョコくれないの?」なんてきいてくるはずだ。だから、今年もちゃんと準備しておかないといけない。

 今朝、機嫌も気分もよかったので、ちょいと小奇麗にお化粧をして、開店直後のガレリアモコトフに出かけていった。まずは、ふらふらとESPRITの店にまぎれこみ、A4サイズの書類が入る大きさのリュックサックを購入。これは全く予定外の衝動買い。

 それから、パッチのチョコレート屋さんで、パパのためにチョコ詰め合わせを選んだ。その時ふと、いつもお世話になっている人たちの顔を思い浮かべ、あと数個、それこそ思わず衝動買いしてしまった。

 この前一緒に旅行にした男性たちには、買った足でそのまま自宅へ寄り、「衝動的な愛」を奥さんに託けてきた。あはは、何も知らずに帰宅したらびっくりするだろうな。 
 この私がガラにもないことをしたから、もしかしたら、パッチの箱に入った時限爆弾だと思われるかもしれないなぁ。あははは。。。

 もうひとつ。主人の下で働く単身者の分も買ってある。でも、どうやって渡したらいいかなぁ。月曜日に主人経由で渡すのも変だし、まさか、チョコレートを渡したいからちょっと自宅まで取りに来い、ともいえぬまい・・・。
 あはは。。。。
 
 大変恐ろしい愛のチョコレートかも。



2004年02月12日(木) 音楽鑑賞会

 今日の夕食時に、ボーズたちとごく普通に母と子の団欒をしながらご飯を食べていた。

母:「ね、誰か最近、パパ、見た? 最近、いつ帰ってきてるの?」
理人:「知らない。僕も見たことない」
清二:「朝なら見るけど」
母:「そりゃ、朝はいるけど、誰もパパとお話してないでしょ?」
理人:「うん、のぞみジョーちゃん見てる(NHK朝の連ドラ・ひまわり)」

などと、どうってことのない会話なんだけど、そういえば最近本当にパパを見ていない。私が、深夜・朝方人間になっているので、パパが帰宅する時間はすでに熟睡してるせいだけど。

 さっき、会社に電話したついでに、今日は何時に帰って来るかと聞いた。いつも通りだよ、とパパが答えた。いつも通り、って一体いつなのさ・・・。あたしゃ知らないよぅ・・・。早く帰ってきてね、というと、したいの? などという。ばっかなこと言うじゃないよ!!! ということで、したいわけではないんだけど今晩はこうして日記を書きながら頑張って起きている。と言ってもまだ夜の8時だけど。

 昨日は、ワルシャワ日本人学校で音楽鑑賞会があった。奥住先生のつてで、オーボエ奏者とフルート奏者をよんでくださった。学生時代、吹奏楽をやっていたこともあり、生の演奏を聴くのは久々に楽しかった。フルートなら私も持っているけど、スカスカプーとの息の音ばっかりだけど、プロの音色は管が響いて圧倒されるような音量だった。

 昨日はバロック音楽のコンサートだったんだけど、知っている曲がバッハの組曲二番の「ポロネーズ」と「バディネリエ」だけで、それ以外の曲は、眠りを誘うメロディーであった。特に早朝4時から起きている私の耳には特に。

 理人は集中して、ちゃんと最後まで熱心に聴いていたらしく、家ではまじめな子供らしい感想を言っていた。

  うわーん、またまたねむくなってきたー。
 パパが帰ってくる前にまた寝ちゃいそう。

 お願いだから寝ている私にちょっかいをかけないで下さいね、パパ。
 



2004年02月09日(月) 眠い眠い病

 最近、慢性的に眠い。
 日本に帰ったときの時差ぼけと、いろいろ考え事したり、書き物したり、ぺらぺら何かを読んだり。
 眠いというより、目が疲れてコンタクトができない状態とでも言いますか。

 昨日なんか夕方にコンタクトをはずしたら、「新撰組」も見ないで眠りこけてしまった。目を覚ましたときには誰も起きていない時間帯。

 リビングのソファでぼんやりしていると、パパの飲み残しのグラスからワインのとってもいい香り。赤のChanti。残りぺろりと頂いちゃいました。空気を含んでとってもまろやかな味だった。もうパパったら、こんなにおいしいワイン、一人でほとんど飲んだわね?   

 さてと、これから一仕事するのにまずは紅茶でも入れて・・・と思って台所に立ちよると、ア、ア、唖然!!! 夕ご飯そのまんまにしてほったらかして寝たんだったー。あーー。
 
 そのまますぐに取り掛かったらよかったんだけど、妙に頭が冴えていたので、知らん顔して仕事部屋に。まずはパソに向かう。
 
 早朝4時半。お皿を5枚6枚……、コップが三つ、四つ……、お弁当箱が、三つ……。なぜか金曜日の弁当箱を月曜日の早朝に洗う不精なお母さん。ネムイネムイ・・・。



2004年02月08日(日) 久しぶりの日曜日。

 昨日、祖母の神葬祭だった。実家は神道なので、仏教でいうお葬式のこと神葬祭という。実家から何の連絡もないけれども、滞りなく終ったのであろう。

 一方、久々に家族揃っての週末を迎えている我が家。
 昨日は、手荷物で持ってきた納豆の賞味期限が切れるので、最後の4個を名残惜しく食す。

 夕方、会社の同僚を夕食に招待したので、ハイパーに買い物に行かないと・・・と思いながらも、成田空港で買ってきたDVD「南極物語」を腰を据えてみていたり、大量の洗濯物をしまいこんだり、パソの前に張り付いたりするうちに、あっという間に時間ばかり過ぎていってしまった。

 昨晩は久しぶりに内輪で飲んで楽しかった。以前は「ママ、ママ・・・」と何度も呼びにきていた同僚のちびっこたちも、全然大人に寄り付いてこなくなった。こうして親離れしていくのだろう。

 奥の部屋で、子供たちはテレビゲームをしていたらしい。夜、長いことゲーム漬けになるのがわかっていたので、みんながくるまでおあずけにしておいたのだ。黙ってしおらしく誰一人として部屋から出てこないわけだ。

 それから、日本で買ってきた「ポケモンファイヤーレッド」理人はプレー時間10数時間で全クリしてしまったそうだ。朝早起きまでしてやっていたのに、今は見向きもしない。一昨年買った「ポケモンルビー&サファイヤ」は未だに遊んだりしているけど、それとこれとはまた別のものらしい。ママはよくわかんないけど。

 ねぇ、パパ? 今日はこれから一日どうすんの? IKEAにいったり、子供たちを散髪に連れて行ったりしないといけないんだけど。今は週刊誌を真剣に読み込んでいるし、声をかけにくい雰囲気。もうしばらくそっとしておこうか・・・。



2004年02月05日(木) 働くおばさん

 今朝、待望のお掃除のおばさんがきてくれた。
 あまりもの汚れっぷりにびっくりしていた模様。
 すぐに我武者羅に働き始めた。
 
 他の会社で深夜や早朝に働いているらしく、身のこなしに全く無駄が無い。お〜う、素晴らしい!
 
 それから・・・。
 今朝、日本時間の早朝3時に、祖母が老衰で他界しました。享年92歳。
 私が看にいっている間は、最期の最期の力を振り絞って、私に接していてくれたのだと思います。よくここまで永らえたものだと思います。
 がんばったね、おばあさん。。。

 それから不思議な現象。
 私、昨日の夕方ぐらいから、どうしても息苦しく、血圧もかなり高そうであった。夕食時にはどうしても立ってることができなくなって、ベッドに倒れこんだ。

 二時間後に、実家の母から電話があり、祖母が亡くなった旨、連絡があった。おもしろいことにちょうど同じ時間帯、私の心臓が苦しくなって倒れた頃だった。

 一月に入ってからの不調を振り返ってみても、祖母の危篤状態の時期と重なる。祖母は、自分と同じ痛みを分かち合うことで臨終を知らせてくれたのだと思う。そのように結びつきの深い祖母と孫なのだ。

 私は日本できちんとお別れをしてきたから、今はそれほど悲しくない。どちらにしろ、今までずっと離れて暮らしてきたせいか、遠くから偲ぶというのが普通なのだ。遠くても解り合えるものなのよ。

 この前帰ってきたばっかりだし、お葬式は参列できないけど、春休みにでもまた日本に帰ろうかな・・・。



2004年02月04日(水) 日常生活復活!

 ここ一年間ほど、お手伝いさんを雇わず一人で家事をこなしてきた。だけど、そろそろ人の手にゆだねることにした。ここらで、アクティブに動き回り、在宅時も家事に煩わされることなくパソ仕事に専念したい。

 で、昨日、一昨日と、頼んだ人が来るのを待っていたんだけど、ポーランド語での意志の疎通がうまくいかなかったらしく、待てど暮らせど誰もこなかった。お手伝いさんがきて働きやすいように家の片付けをしているうち、いつも通りきれいにしてしまった。ははは。

 しかも、ごちゃごちゃしたものを片付け、シンプルに快適なリビングに仕上げた。また、このまま自分でやろうか・・・などと思ってしまった。いやいや、残りは後日新しいお手伝いさんにハウスキーピングしてもらおう。

 その合い間に、何人もの人に元気な文面でメールを書いた。
 そのうちの一人は事務的なメール。チケットを用意してもらったJAL旅行代理店へ。

 往きも帰りもすいていたから快適な空の旅だった・・・ということを伝えた。しかし、JALの社員にとっては、空席の多い飛行機は死活問題でもあるのだろう。ノーテンキな客のメールに、苦笑しながらレスを下さったというのが文面でわかる。

 ホントに、私としたことが・・・。
 ごめんなさい、カシムラサン。いやいや、名前間違えちゃった、カシワムラサン・・・。

 



2004年02月03日(火) 〜次男の日記より〜

 昨晩書いた日記に上書きします。

 毎晩、寝る前にボーズたちの宿題の日記をチェックします。
 清二がなんだかとても愛しいことを書いていたので、一部抜粋。

『2月2日 月よう日
 きのうおかあさんがかえってきました。 
 おかあさんがいなかったら、いくらでんきをつけてもどよーんとしていて、学校でいつもはふつうくらいなこともむずかしくなるくらいつらかったので、とてもうれしかったです。』

 日本から電話をしたとき、ママがいなくて、ちょっぴり寂しいけど大丈夫だよ・・・と強がっていた清二。そうか、そう感じていたのか・・・。
 あの子はまだ8歳なのだ。まだまだ子供なんだから当たり前だよね。

 かたや、理人坊ちゃん。ママがフライトした日の晩に、熱を出して寝込み、学校を二日間お休みしました。
 
 きっとこれは知恵熱のようなもので、今までにも私が家族をおいて外泊した晩は、不安と寂しさを感じて、幼い頃から必ずといっていいほど発熱したのです。デリケートな子供は、不安を感じると自己免疫力ががたんと落ちるものらしいです。
 
 でも、理人は最近自立してきたからもう大丈夫なのかなーと思っていたけど、案の定・・・ってなことになりました。
 精神の自立と寂しさは別のものだろうし。

 私の留守中は、毎日学校の帰りにお友達の家で夕食までお世話をしてもらうことになっていたんだけど、急遽、主人の同僚の奥さんが理人の看病をしに家に来て、連日留守番をしてくれました。
 はぁ、きっと使い勝手が慣れない家で本当に大変だったことと思います。本当にありがとうございました・・・なのです。

 そんな中、清二はがんばって一人で学校に行って、みんなが心配してくれるから、大丈夫なふりをして、普通通り笑顔をふりまいていたようです。

 あの子はあの子なりにつらかったんだ、やっぱり。
 せっちゃん、ママ、一週間も留守にしてホントにごめんね。
 今日はパパ出張だから、いっしょにママのベッドで寝ようね。


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 2月2日(月)〜晩に書いた日記〜

 ポケモン「ファイヤーレッド&リーフグリーン」


 ママの帰りよりもお土産を待っていたボーズたち。
 
 日本で1月29日発売の「ポケモンファイヤーレッド」と「ポケモンリーフグリーン」を早速購入してワルシャワの自宅へ。

 昨夜10時半に帰りついたというのに、真夜中の12時ごろまでベッドの中でゲームをしていたようだ。

 そして翌朝。
 いつもはたたき起こしてもぎりぎりまで寝ていて、寝ぼけマナコのまま学校へ行く日もあるのに、今朝は二人ともパパよりもママよりも早く起きて、起き抜けからゲームをしていた。
 そこまでするほどまで、首を長くしてゲームを待っていたのだ。

 そのゲームソフト。東京駅の近くのポケモンセンターで買ってきた。
 1月30日、土曜日。その日は、ゲーム発売最初の週末ということもあって、お店の前では親子連れの長蛇の列。私が行ったときにはなんと一時間待ち。重たいスーツケースを片手に、いきなり途方に暮れてしまった。

 その日のスケジュールはというと、昼頃上京、子供たちの土産を買って、2時に錦糸町の親戚に挨拶に行き、3時過ぎに友達と高円寺で待ち合わせ。その後、双子を出産したお友達に会いに三鷹へ。それから6時に吉祥寺で落ち合って女4人で飲みに行く・・・という超ハードな予定。
 
 とてもじゃないけど、列の最後尾について、一時間も待つ時間の余裕などない。
 そこでプラカードをもって入場整理をしていたオネエサンに事情を話し、私だけ特別に先に入らせてもらった。
 
 その事情というのも、飛行機の時間に間に合わなくなるから先に入れてほしい、などというもの。フライトは翌日なのに。本当はその晩、杉並のお友達の家で泊めてもらう予定だったんだけどね。

 まぁ、正直なことを話してでも、先に入らさせてもらわないと、兎に角スケジュールをこなす時間がなかったのだ。

 この先もっと詳しく書こうと思っていたんだけど、時差ぼけで今、ものすごい睡魔に襲われているの。私、このままベッドに行きます。続きは気が向いたらまた今度。

 うわ〜ん、ねむたい・・・。
 ねむいからってぐずって泣いちゃいそ。
 新生児の赤ちゃん並のレベルか、私は。
 
 じゃ、おやすみなさい。



2004年02月02日(月) ただいま〜

 ただいま・・・です。
 昨晩、現地時間の10時半に自宅に戻ってきました。

 今回の一時帰国は、祖母(現九十三歳)のお葬式の準備と覚悟をして飛行機に乗り込んだのですが、愛しい孫が遠方はるばる来てくれているのがわかってか、見舞いに行くたびに持ち直し、危篤だったとは思えないぐらいに容態が落ち着いてきました。
 命の神秘みたいなものすら感じました。
 
 わたくし的には、今回の帰国で、最期を看取ってお別れをするよりも、意識のあるうちにきちんとお別れができたので、それはそれでよかったと思っています。

 私が祖母のために急遽帰国したことで、両親にとっても心の支えになっただろうし、見舞いにきてくれた親戚に対しても私が潤滑油的な存在になってよかったのだろうなと思っています。

 今回は特に、祖母を始め実家の家族や、親戚の皆さんの心に、私ならではの「暖かいもの」を残してきたと自負しています。 

 帰国に際して、いろんな人に迷惑をかけてしまったけど、こうして自分の人生の節目にけじめをつけてくることができたので、皆さんには本当に感謝しています。

 日本とポーランドの知り合いの皆さん、本当にありがとうざいました。

 


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祐子 [MAIL]

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