薔薇園コアラの秘密日記

2003年05月30日(金) ゴルフレッスン第一回目

 午前五時起床。日差しがすでに強い。
 ヨーロッパで一番東に位置するポーランドは、同じ欧州時間の国の中でも一番早く朝が訪れる。スペインは今ごろまだきらきらの星空だろう。

 この私の身体も一体どうしたことやら、本当に四時間以上ベッドでだらだら寝ていられない体質になってしまった。特に今日は頭痛があったのでそのまま寝ているのいがつらかった。こうしてパソに向かっていると少しかまし。私ってヘンなの。

 さて、昨日、いつも行っているうちっぱなしのゴルフ場で、ゴルフのレッスンを受けた。ドイツ語も話す、若くて背の高い好青年であった。
 まずは、8番アイアンでロングフィールドのレッスン、100球。スイングのフォームを少し直され、アドバイスを受けながら打つと、なんと軽く80〜100mは飛ぶ。しかもまっすぐ。うわぁ〜い、初めてのレッスンにしては上々の出来。
 その後、ショートフィールドでパターのレッスン。力の入れ具合がわからなかったけど、何とか落とすことができた。
 インストラクターに、「2年後にはかなり上達するだろう」といわれた。
う〜む、2年ねェ。2年もかかるのか、それともたった2年でうまくなるのか?
 う〜む、どう解釈していいのやら・・・。

 その後、引越ししたお友達の家に片付けのお手伝いに行った。台所を担当。自分の家の台所の整理をするとなると、ただただ途方に暮れるけど、よその台所はどこに何を入れたら使いやすいか、客観的に判断ができたせいか、我が能力をはるかに超越した仕事振りだった。
 
 私、よく体がまわるようになったものだとつくづく思った。少し前までは、すごく疲れやすくて、買い物に行くだけで、精一杯だった時期もあるのに、今は朝から一日中外出してもへっきだし、家でも外でもがしがし働けちゃう。そして何よりも体が軽い。(体重はまだ重いけど)

 ほら、頭痛も治ってきた。うーん、何だか元気でてきたぞぉ。
 よしっ、じゃ、そろそろ、本日の家の仕事、始めようっと。



2003年05月26日(月) ただの日記

 よっぽど注目度の高い著名人でない限り、一日の経過をだらだらと羅列する一般人の日記ほどつまらないものはない。書くほうは記録として書いているのかもしれないけど、読まされるほうはたまったものではない。
 
 けれども、元来、日記というものはそういうものであるから、私も「私の今日の一日」を書いてみる。暇な方は最後までお付き合いください。

 6:30 目覚ましピピピ。パパ出張のため、昨晩から息子たちが私のベッドにいる。狭くて寝ずらいので、飛び起きる。昨晩就寝2:30 睡眠時間4時間。でも目覚めすっきり。

 7:40 子供たちを送り出して、朝食を食べながら、ネットを徘徊して、洗濯機を回して、あらあらとした家の片付け。週明けだから乱雑に散らかっている。

 9:00 パソの前でふと気が付くと、九時。慌てて家の掃除を始める。お手伝いをクビにして自分で掃除・洗濯をやり始めてから三ヶ月以上経つ。あの、家事一切できなかった祐子さんがよく今日まで頑張っています。パチパチパチ・・・。

 10:00 月・水・金と週三回通っているアクアエアロビクス、10:30のコースに参加するには今出ないといけない。まだ掃除、洗濯の途中。今日は11:30のコースに行くことにする。

 11:30 アクアエアロビクス。今日は特別ハードだった。週三回通うようになって、一ヶ月近く。体重の減りは少ないけど、脂肪の減りは確実に自覚あり。日本に帰るまでにきれいにシェープアップ! 

 13:00 郵便局で切手の買い置きを買う。エアメール用の切手、3zlちょうどの金額の切手がなかったらしく、1.2と1.8のばらの組み合わせを渡されて、窓口で少しもめた。私は3zlの切手が欲しかったのだ。あの程度の片言のポーランド語でよく反論したものだ。

 14:00 お昼ごはんの後、久しぶりにドイツ語の本を読んだ。「Geschichten vom Herrn Keuner」Bertolt Brecht著 これの邦訳はなんだろ? ブレヒトのコイナー氏のお話? 短いお話一話だけで記憶がとんだ。すばらしい安眠導入剤。

 16:00 ボーズたち、怒涛のように帰宅。まだ眠かったけど、お腹すいた攻撃にあっけなく降伏。

 で、今にいたる。この後、夕食を作り、ばたばたばたばたーとして、いつものごとく夜は更けていく。

 今夜もパパがいないから、また夜更かしをしよう。
red bullもいっぱい冷えてるし、ボーズたち寝静まるの楽しみだなー。

 * * * * * * * * * * * 

 お、今、西の上空に向けて飛行機が飛んでいきました。あれ? いつもの離陸コースより、我が家に近いような気がする。

 台所からも、離陸した飛行機が小さくなっていくのが見える。どこに行く飛行機だろ・・・なんて思いながら通り過ぎていく飛行機をいつも見送る。

 時には機上のあの人に想いを馳せて。

 



2003年05月25日(日) 白樺とバーベキュー

 昨日、日記を書きながら頭の中で思い浮かべていた情景と、今日、私が目にした光景があまりにも似ていたので驚いてしまった。

 今日は、ポーランド語の先生の家にバーベキューに招待された。
家は空港近くのワルシャワ郊外にあり、敷地がとてつもなく広い。大人数でも集まれるように、椅子やベンチががたくさんあった。これからの季節、外で過ごすにはもってこいの環境だ。

 敷地の外側には大きな白樺林。
 昨日日記を書いた時点では、ここでこんな贅沢な白樺の葉ずれ音を聞くなんて、思いもしなかった。
 焼いたものも、私が日記に書いたようなお肉とソーセージ。そして、サラダとパン。

 サラダは先生の娘さんが作ったイタリアンサラダで、ほうれん草とファルファッレ、乾燥トマトにひまわりの種が入っていた。むっちゃおいしかった。
 一緒にきていたお友達の娘さんがお代わりして食べた程までに。

 そして私が仲良くなれそうな樹は・・・。
 私たちに心地いい木陰を提供してくれていた、さくらんぼの樹・・・かな? 
 甘い、甘い実をつけるそうだ。この樹は戦前からあり、もう70歳ぐらいだという。幹の形がとても変わっていて、枝が横に伸びていた。

 お庭にはかつてたくさんのさくらんぼの樹があったそうだ。でも、以前ポーランドに大寒波が訪れたとき、この樹以外のさくらんぼの樹は全部枯れてしまったという。
 唯一残ったこのさくらんぼ、家族のみんなにずーっと愛されて大切にされてきたんだろうな。いろいろこの樹を巡るドラマもあっただろうなぁ。なーんてあれこれ思いをめぐらすのも、昨日の今日だから内心楽しかった。

 今日は本当に暑い一日だったはずだけど、あのさくらんぼの枝樹のおかげで、何とか快適に過ごせたのだと思う。
 
 ふはぁ〜、何か続きを書こうと思ったけど、睡魔の限界・・・。
 さしあたりパソから離れます。
 おやすみなさい。

 
 



2003年05月24日(土) 親睦会バーベキュー

 今日、日本人学校の親睦会のバーベキューがあった。
 好天に恵まれ、楽しい一日であった。
 
 こういう機会にいつも感心することは、バーベキューの下準備にいろんな人のいろんなアイデアが集まること。それに皆さん、バーベキュー慣れして手際がいい。
 日本風のバーベキューはいつもとても豪勢だ。

 私たちもドイツにいた頃、自宅のバルコニーでグリルをしたけど、ドイツの場合はいたって簡単。
 買ってきた味付け肉に、ソーセージ、それにサラダにパン。それだけ。
買い物に行って、火をおこして焼くだけ。
 西日と庭木の葉ずれの音、それにビールがあればそれでよかった。

 あ、書きながらなんだかいろんなことを思い出した。

 * * * * * * * * * * * 

 ドイツの家の庭に大きな白樺の樹が二本あり、私たちはいつも窓からその樹を眺めて暮らしていた。
 そこで何年か暮らすうち、その葉の茂り具合や落葉でその年の季節の移り変わりがわかるようになった。

 グリルができる季節には、白樺の葉が隣家が見えないくらいにうっそうと茂る。みごとなまでに長く垂れ下がった枝は、ちょっとした風にでもさらさらさらと耳に心地良い葉ずれ音を立てたものだった。

 白樺の枝の揺れ具合で、そよ風が枝間を通り過ぎていくのが見える。風がいなくなった後も枝葉はいつまでもにぎやかにざわついている。
 
 私は、目を閉じてその葉ずれ音に耳を傾けるのが好きだった。

 我が家の白樺はとても表情豊かな樹であった。
 毎日庭の白樺を見て暮らすうち、この白樺の大木は、時々、喜怒哀楽に近い感情を枝樹、枝葉全体で表現しているのではないか・・・と思うことがあった。
 まるでこの樹に「木の精」が宿っているかのように。 
 あの白樺たちには実際にそう思わせるような動きをすることがあった。
  
 それはただの風のいたずらだよ・・・と想像力のかけらもない人に現実的に言われてしまえばそれまでだ。それでも私はいつまでも心にファンタジーを持ち続けたいと思う。
 
 あの葉ずれの音、本当に樹の心の声だったらおもしろいのに・・・。
 私もほんのちょっとでいいから、樹とお話してみたい。



 樹と通じ合うには、樹とある程度の深い係わり合いを持たないといけないだろう。ワルシャワにこれだけたくさんの緑があふれかえっていたとしても、これといった心の友になるような樹は周りにはない。
 
 人も樹も、行きずりの関係では、心は通じ合えないでしょうから。



2003年05月23日(金) ゴルフに燃え始めたの、私。

 ここ一週間ほどで、睡眠ワンサイクルしか眠らないでもいい体質になってしまった。相変わらず、早めに目が覚めたり、夜更かししてもすっきり朝目が覚める。家族が寝ている時間帯に、自分の時間がたくさんあるということで、喜ばしいということでもある。

 今朝は4時前から目が覚めている。ベッドから這い出す頃には、既に空が明るかった。

 今朝は掌と腕の筋肉痛で目が覚めたのだ。あはは、実は昨日昼からゴルフのうちっぱなしにいっていたのだ。

 ちょっと前まで(子供が手がかかる頃)は、パパが週末に一人でゴルフに行くと、目くじらを立てて怒ったものだけど、最近はどうぞ、お好きなように・・・と、寛大に接することができるようになった。

 そして今、そろそろ私もゴルフを始めてみようかな・・・と思い始めた。
独身の頃、よくゴルフのうちっぱなしにいった。だから、決して上手ではないけど、全く振れないわけではない。

 昨日は、全くうまくいかなかった。まっすぐに飛ばない。全部右にスライスする。うーむ。空振り多数。3m先に数個の球。うーむ・・・。ベッドの中で原因を究明していた。といってもゴルフ理論なんかわからないから、「ナンデダロ〜、ナンデダロ〜」の世界。左掌だけが妙に痛い。

 ゴルフクラブは、(まだ)持っていないので、パパの重たいクラブを使っていた。一緒にいったお友達のレディースのクラブを借りると、びっくりするくらいに軽くて短くて打ちやすい。
 自分は、がたいも大きいしパワーがあるから、メンズのクラブでも大丈夫と思っていたけど、レディースのほうがよろしいみたい。やっぱり私も一応女だったらしい。

 前回行ったときに一緒になった別のお友達は、「やっぱりゴルフは、道具よ〜、いいの、買わないとだめよ〜」といっていた。「フ〜ン」と聞き流していたけど、今なら、「うんうん」とうなづける。

 ボラパークという最近オープンしたワルシャワ最大のショッピングセンターに小さなゴルフショップがある。先日、まずはシューズだけは自分で買ってきた。

 た、た、高かったー。普段履きの靴の2,3倍もした。たかがシューズで・・・と思ったけど、仕方がない。

 次はクラブ。シューズどころではないんだろうなー。ノートパソコン、諦めるか・・・。バブル崩壊の頃は既に、日本にいなかったので、いまだに祐子さんの頭ン中、バブリーなままである。あはは、収入と支出のしくみを誰かこの私に教えてやってください。

 お金よ、空から降ってきておくれ・・・。

 

 



2003年05月20日(火) 牛乳パック

 今朝、朝の忙しい時間帯に、牛乳パックを開けるのに一苦労した。

 上部の両側を左右に開いて、接着している部分を、くちばしを開けるようにパカッとあける。これを上手にパカッと開けるのが思いのほか難しい。ちょっとしたコツとかなりの力が要る。

 今日はちょっと失敗してしまって、指で無理やり開けようとしたら、内側のアルミ箔のコーティングと外側の紙パック部分をはがしてしまい、注ぎ口がぼろぼろになってしまった。

 はた! と思ったのだけど、一人暮らしのお年寄りや手先が不自由な人は、この手のパックを開けるために、想像もつかないくらいに大変な苦労をしているのではないだろうか? 
 
 健康のために牛乳を飲んでカルシウムをとろう! と思って牛乳を買ってきたまではいいけど、手指がままならず、なかなか上手に注ぎ口を開けられないのではないか。もしかして、牛乳パックを開けるだけで精根尽き果てているかもしれない。そして、途方にくれてはさみでちょっきんなんてパックの上部を切り落としているのかもしれない。

 なぜ、突然にこんなことを思ったかというと、私が帰省するたびに、日本で同居していた高齢の祖母が、
「祐子ちゃん、牛乳開けてよ」
といつも私のところに未開封のパックを持ってきたからだ。
 たまには自分で開けて失敗するのか、今日私が開けたパックのように、注ぎ口がぼろぼろになっているパックを冷蔵庫で何度か見かけたことがあった。

 元気いっぱいを売り物にしてきた私は、今まで体の不自由な人の苦労というものを、なかなか具体的には認識できていないまま、今日まできてしまった。
 お年寄りや障害者への気遣いや心配りは、ドイツ時代にしっかり身についたとは思う。でもその先の、彼らはどういうふうに障害を感じているか? というところまでは思考が及ばなかった。

 老人の身体機能というものは、年をとればとるほど、子供のそれのように逆戻りしてしまう。小さい子供にはまだできないからと、当然親が子供に手を貸すように、お年寄りや障害者にも、できないことをごく自然に補ってあげるようにならないといけない。

 祖母は、95歳。まだまだ健在。ただ重度の痴呆があるので、施設にいる。
 実の両親は70前。私が海外に出た頃はまだ50代で若々しかった。そのときのイメージのまま離れて暮らしているせいか、たまに一時帰国すると、一見元気そうには見えるけど、両親が確実に見なかった年月分だけ老け込んでいるので、こちらが戸惑ってしまう。

 今年の夏は、さらに老け込んだ両親に再会することになる。
 若い娘時代のように、炊事洗濯を任せて、お客さんみたいな顔をしてのんきに帰省するわけには行かないだろう。
 
 今朝の牛乳パックの一件で、年配者や障害者に対する心配りの新たな自覚ができた。タイムリーな時期にいいことに気がついて良かったな、とも思う。

 ぐじゃぐじゃに開いた注ぎ口から牛乳がこぼれて、慌てて拭こうと思ったらキッチンペーパーがきれていて、(使いたくなかったけど)雑巾で拭いたからそれをすぐにジャブジャブ丁寧に洗わないといけないし、家族が出かける時間は刻一刻と迫っているし、うわーん、そんなこんなでもう時間がない! っていう状況下だったけど・・・。
  



2003年05月18日(日) 朝方人間

 ここ二晩、睡眠のワンサイクルだけぐーっと深く寝て、夜中の3時ごろにぱっきんと目が覚めてしまう。そのまま寝付けずに空が明るくなるので、結局ベットから飛び起きて、早めに一日を始めている。

 家族はまだ起きてこないので、まずはこうしてパソの前にいる。

 昨日はとても活動的な一日だった。そして心身ともに刺激の強い一日だった。
 
 ポフシンの森で、10:00スタートの日本人会主催の森林浴。仕出しのお弁当を食べて、13:30〜アメリカンスクールで野球。それが終ってから、ヴィラノフでゴルフの打ちっぱなし。夕方、「指輪物語」のビデオ三時間。

 昨日、身体を少し動かしてじっくりビデオなんか観たりしたから、体と脳の細胞が活性化されて、翌朝すっきり目が覚めたのだと思う。ストレス性の睡眠不足とは違い、体がすっきりしてるもん。

 今晩は、久しぶりにポーランド語のクラスのメンバーでオペラを観にいく。オペラなんかを観にいくと感性も鋭く刺激されるだろうし、きっとまた興奮しちゃって夜中に目が覚めるんだろうなぁ。
 
 なんだかこのまま朝方人間になっちゃいそうだなー。

 



2003年05月15日(木) 写真の眼差し

 机上に我が師の写真がある。アルミ合金の小さなフレームに入れて。
写真の中で、軽く微笑んでいる。

 パソのモニターとにらめっこしている私を、いつも右斜め前から静かに見守ってくれている。
 時々言葉選びに行き詰まったときには、モニターから視線をはずして、師の写真をぼんやり見入るという習慣がついている。

 普段はただの一枚の顔写真にしか過ぎないのに、そういうときには、写真のなかの瞳に魂でも入ったかのように、師は私のほうをじっと見守っている。
「ユウコさん、自信を持ってがんばりなさい」
声までもが聞こえてきそうだ。

 私は何度この耳の奥深くだけで聞こえる声に励まされてきただろうか。

 年が明けてすぐに、師から激励のメッセージを受け取った。
 ところが、私はそれに応えることができないまま、だらだら半年近くを無駄に過ごしてしまった。

 最近、ようやくエンジンがかかってきた。夏休みに日本に帰るまでどこまでできるかわからないけど、何かまとまったものを仕上げてみようと思う。

 ほら、今も写真の中から私に語りかけている。
「日記はもうそろそろ切り上げて、勢いよく次のこと始めちゃいなさい」
って。
 



2003年05月14日(水) 子供の感性

 先程、子供たちを学校に送り出した。
 
 家の前の道路には、昨夜降っていた雨で大きな水溜りができている。
 少し強い風が、水溜りの水面を細かくさざなみ立たせていた。

 清二は、車に乗り込むのも忘れて、風に流されていく小さなさざなみをじっと見ていた。小さい後姿は好奇心と感性が炸裂しているようだった。
「うわー、○○○○みたーい!」
と言ったのと、私が
「早く車に乗りなさーい!」
が同時だったので、清二が○○○○と言ったのは、残念ながら聞き取れなかった。
 きっとおもしろいことを思いついていたに違いない。

 清二は今まで感性を言葉であまり表現しない子だった。
 何か感じることがあっても、幼年期を外国語の環境で育ったので、思うように母国語で表現できなかったのかも知れないし、お兄ちゃんの理人が次々かわったことを発見するので、それを見ているだけで満足していてのかもしれない。

 最近、図書室で借りてくる絵本の傾向をみると、清二は今、何かを感じることを楽しむようになったんだとわかる。

 こういう感性、大切にしてあげないといけないな・・・と慌てて車に飛び乗った我が子の姿を見て、母はしみじみ思った。



2003年05月13日(火) 「千夜千冊」

 昨日付けの朝日新聞に編集者の松岡正剛氏のインタビューが載っていた。顔写真の松岡氏のルックスが素敵だったので、紹介されていたHPも覗いてみた。

 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html

 「千夜千冊」と称して、毎日本にまつわる随想を書いている。今夜は772夜だそうな。
 毎回、5000字以上の文章量。原稿用紙に換算すれば、10数枚。編集プロといえども、毎日のことであるからさぞかし大変だろう。

 書くほうも大変かもしれないけど、読むほうがもっと大変だった。語彙が難しすぎて、読解力のない私には全く意味不明な文章であった。
 松岡氏は東大の客員教授だというから、凡人にでもわかる簡単な事柄を、大げさで難しい語彙で表現しないといけないのかもしれない。

 文章を毎日多く書く人だからといえ、小説を書くのかと思えば、そうでもないらしい。物語を分析するのと、物語を創造するのは違った脳の構造が要求されるようだ。
 松岡氏は物語を創造するよりも、物語の物語に興味があるという。だから、こうして本に関する長い随想を毎日書き続けられるのだろう。日夜のその精力には脱帽する。

 私がよく読む作家の本についてに書かれていないかと思い、バックナンバーを捜したけれども、一人も、一冊もなかった。残念ながら、私とは趣味も好みの文体も違うようだ。

 当ったり前か、向こうは学者さんなのだから・・・。



2003年05月10日(土) お掃除日和

 今朝はいつもより早く起きて、早目に朝食を済ませたので、朝からたっぷり時間があって嬉しい。おまけに、今週はボーズたちの野球もないから時間に追われることなく一日過ごすことができる。

 先程、Waltherというドイツ系の家具屋さんで私の部屋の小物を少し買ってきた。

 さてと、今からお部屋の大掃除でもしようっかな。
 まずは、おびただしい量の紙類から。
 うーん、これ全部、やぎに食べてもらうしかないな・・・。



2003年05月09日(金) 念力

 先日、念力をかけて止まっていた時計を直した。
あははは、本当の話。

 結婚何年目かの誕生日だか、クリスマスだか忘れちゃったけど、(4月と12月だから随分季節が違うんだけどね)パパがTissoの金ベルトの時計をプレゼントしてくれた。秒針が20秒に一回しか動かないタイプのもので、とても気に入った。以来愛用の時計として、ずっと肌身離さずつけていた。

 それが、年が明けてから全く動かなくなった。何度修理に持っていっても、受け取ったその日に止まってしまう。

 昔、大学の仲間に結婚祝にもらった電池が切れたままのPerson'sの時計(うわ〜、懐かしいブランド名)も、時計屋さんにいったついでにバッテリー交換してもらったのに、それもしばらくして動かなくなった。どうしちゃったんだい、我が家の時計たちよ。
 まさか、ポーランドの時計のバッテリーの質が悪いというわけではあるまい。

 数ヶ月前に買った、カルバンクラインの革ベルトの時計は、数ヶ月で紛失しちゃたし。もう、ヤンなっちゃう・・・といいながらもしばらく腕時計無しの生活を送っていた。

 ある日、ほったらかしになっていたTissoの時計を取り出し、手のひらにそっと載せてしばし眺めてみた。
「何度も修理しているのに、なんで動かないんだろう・・・」
などとぼんやり考えた。

 両手でそっと包み込んで、「動け〜、冗談でもいいから・・・」と念力をかけてみた。本当に冗談のつもりだったのだけれども、秒針をそのままじっと見ていると、約20秒後に突然ポッと動いたのだ。まじに。何の前触れもなしに。
 
 うっは〜、びっくりしたー。興奮でぎゃーっと頭に血がのぼった。

 そのときは、しばらくしてすぐに動かなくなったけど、何日もかけて同じことを何回も繰り返すうちに、動いている時間が長くなった。
 そして、今では普通どおりに動いている。

 もう一つの、Person's時計も、なかなか動いてくれなかったけど、ひょうずを一度触ったら、そのまま何事もなかったように時を刻み始めた。

 わはははー、私は時計の修理屋さんだ。などと単純に喜んでいる場合じゃないんだけど。
 ぐー、時計店での修理代、すっごく高かったのに。自分で直せるとわかってたら、無駄なお金払うことなかったのに・・・。
 
 ねぇ、これって、本当に念力だと思う? スプーン曲げなんて私、できないけど。

 ね、あなたの時計も直してあげよっか? 今度家まで持っておいでよ。

 



2003年05月07日(水) 執着と失望と

 過日、カジェミシュ・ドルニーで見つけた、Jezry Gnatowskiの風景画、今も深く胸に残っている。
 
 やっぱりどうしてもあの画が欲しい。誰が何といっても、是が非でも手に入れたい。もしかしたら、あれから何日か経っているので、もう売れてしまったかもしれない。いやもし、まだ残っているのなら、一刻も早く私のものにしたい・・・。早く買い付けに行かなければ、売れてしまう。
 こうしてはいられない! 

 ということで、100km近く離れた村まで、私が自分で運転して買いに行こうと決めた。決して長距離運転は得意ではないけど、あの絵画には私をそこまで駆り立てるほどの魅力があった。常日頃あっさりした自分にもこれほどまでの執着心があるんだな、と知って、正直言って自分自身、内心びっくりしてしまった。

 ポーランド国内地図とにらめっこして、距離と時間を計算して、子供たちが学校へ行っている間に、友人に同行してもらって、ささっと行って来ることにした。

 先日、彼のギャラリーの店番をしている若い女性に、彼の作品をHPで見ることができるかと尋ねたところ、いまひとつ要領の得ない様子だったけど、しばらくして裏に彼の作品を印刷した名刺を探し出し、私に一枚手渡してくれた。そこに、グナトフスキーのHPのURLが印刷されていた。
 画の買い付けに行く前に、一度HPを覗いてみようと思い立ち、早速そこにアクセスしてみた。

 いきなり、目を背けたくなるような画像が出てきた。ブロンドの裸のお姉ちゃんがありとあらゆることをされているような。いわゆる、アダルト向けのハードコアのダイヤルQ2サイトだった。す、す、すごかったー。ちゃっかりみちゃったけど・・・。
 
 我が家の電話回線は有料サイトへ接続しようとしたら、自動的にネットの接続が切断される契約になっているので、料金が跳ね上がるというトラブルはないと思うけど、困ったことに、ツールバーにそのサイトのアイコンが残ってしまい、素人の私の手では消えなくなってしまった。
 非常にうっとうしい・・・。
 悪質なサイトだったらこちらも困るので、一応業者さんに来てもらって、除去してもらった。

 あのグナトフスキーのサイトが・・・、それは何かの間違えであって欲しい、と思ったけど、やっぱりそうでもないらしい。そのURLには、gnatowski.の後にプライベートの略のprv.というのがついているということは、彼が運営するプライベートのサイトを有料にして、それが彼のスポンサーになっている、と考えられるそうだ。

 激しく失望。

 私は、純粋にグナトフスキーの絵に興味を持ったから、そのサイトでもっと他の彼が描いた素敵な世界をみたかっただけなのだ。
 あまりにもグナトフスキーという画家の絵に強く執着したがために、その後の失望は思ったよりこたえた。

 作品と作者は切り離して考えたらいいのかもしれない。
 作家や画家、音楽家などの創作の大家は、創作を極めていくうちに、精神のどこかに必ず歪みが生じてくるものだ。一般人が持つ尋常な神経では、世に残る大作を仕上げることはできない。どの作者に対しても、そのくらいの広い理解をもって常に作品に接しているつもりだ。だから、作品が私に感銘を与えるものであれば、それはそれでよかったのだ。今までは。

 なぜかしら今回のグナトフスキーに対しては、自分でもびっくりするくらいに潔癖に考えたものだなと思う。でもさすがに、もう一つの顔がダイヤルQ2サイトの運営者というのは許しがたいであろう。
 今回、画をただ鑑賞するだけでなく、それを常にわが身のもとに置くとしたら、その画と同時に、その作者の持つやましさやいやらしさまでをも家の中に取り込んでしまうような、いやな予感がしたのだ。どんなに作品が気に入ったとしても、彼の画はいっさい持ちたくないとまで思った。

 今だからこそそう思うのだけれども、今回は目に見えない私の守護神が、私にグナトフスキーのHPサイトを閲覧させて、危険と画家の裏の顔を事前に気付かせてくれたのかもしれない。
 無理して走り慣れない道のりを自分で運転して、遠い村の画廊で素性のよろしくない人の絵を買い込んで、我が家に悪いツキを持ち込ませないためにも。

 今回、衝動だけで行動しなくて本当によかった・・・と今更ながら思う。



2003年05月04日(日) ルブリン一泊旅行

 ポーランド南部のルブリンという町に、友人知人たちと一泊二日でいってきた。
 途中、カジェミシュ・ドルニーというヴィスワ河沿いの田舎の村に寄った。村の名前は、14世紀に君臨したカジェミシュ大王の名前を冠しているという。ヴィスワ河の対岸の奥まったところに王家の立派なレジデンスがあるそうだ。

 その村は、ポズナンとルブリンを結ぶ交通の要所になるところで、街道沿いの大樹の幹の大きさが、いかに古くからこの一帯が栄えていたかを気付かせてくれた。

 小さな村ながらも、れっきとした観光名所らしく、たくさんの人でごった返していた。
 目を見張ったのはギャラリーの多さ。芸術家を多く輩出した村でもあるらしい。いくつかの画廊にふらりと入ってみた。
 何軒めかで、作風がとても気に入った風景画があった。川を下流から捉えたアングルの絵画で、しばらくその四角い景色から眼が離れなかった。

 そこは、イェジー・グナトフスキーというプロの画家の画廊だった。初めて耳にした名前だが、パンフレットやレプリカの絵葉書がたくさんおいてあり、それらによると、ヨーロッパをはじめ日本やアメリカでも有名な画家らしい。

 その画を観た後、村を降りて、ヴィスワ河の堤防で休憩した。
 ぼんやり河を眺めて過ごした。渡し舟で多くの観光客が対岸に渡っている。レジデンスに向かう人々なのだろう。
 
 川下よりも川上の風景を見ているほうが楽しい。遠く下流に押し流されていく水面を目で追うよりも、絶えず新しい流れを捉え、さらにはその上流へと思いを馳せる。 
 グナトフスキーの画も、川をさかのぼっていた。今回の小旅行も、これからヴィスワ河をのぼってルブリンに向かう。
 今回の旅のテーマは「遡上」かな。春だしね。

 ルブリンは、きれいな街だとは前々から人づてに聞いていたけど、実際に足を踏み入れてみると、本当にどこかしこから小奇麗な雰囲気が漂う街だった。きっと街並みの美化や景観保護のために街をあげての政策がとられているのであろう。
 こんな街で暮らしてみたいな、と思わせる街であった。

 夕方、大人子供、大中小入り混じって、みんなで街の散策をした。大きく張り出すカフェテラスを横目に、旧市街の広場へ。
 ふらりと教会を覗いてみると、厳かに夕方のミサをしていた。外観はごく普通の教会だけど、内装は、思わず息を飲むほど豪華絢爛で荘厳であった。

 翌朝、ルブリン城を簡単に見学。古いユダヤ人ゲットーがあったところ。第二次世界大戦時には、ルブリンにヒトラーの臨時政府が設置された。この城がポーランド人やユダヤ人の牢獄として使用され、ここの近郊にあるマグダネスクの強制収容所で大量虐殺された。

 お城の博物館に、ポーランドの有名な歴史画家のヤン・マテイコの作品があった。「1569年ポーランド・リトアニア併合の調印式」のもの。
 ヤン・マテイコの作品というのはどれもこれも3m×5mぐらいの大きな作品で、大きな絵の中にたくさんの登場人物が描かれているので、誰が誰で何をしているのかわからないけど、その迫力にただただ圧倒されてしまう。
 唯一、リトアニアのアン女王の顔だけは認識できた。ヴィラノフ宮殿にも国立博物館にもアン女王の肖像画があるので顔に見覚えがあった。

 民族村公園でゆっくりお散歩して、帰路に着いた。

 途中の景観は、どこまでも新緑の田園風景が続き、のどかでなんとも言えず美しかった。
 少し前のポーランドは、四月になったといえども、まだ裸の土と枝木だけのモノトーンの景色だった。この眼に鮮やかな緑一面の景色は、ここ数日間の気温の上昇で、草木の成長に勢いがついたからだと思うけど、まるで寒々しい風景画を春色の油絵の具で一気に塗り替えてしまったかのようでもあった。

 季節のいい間は、ポーランドのこの美しい風景にずっとわが身をゆだねていたいな・・・と思いながら、ワルシャワへ向かった。
 
 ワルシャワに戻るといきなり現実に戻った。
 すすけた高層アパート、がたがたの舗装道路、ど派手な広告看板、剥き出しの路肩、 汚れた空気、etc. 

 ルブリンがいかに小奇麗な街だったかをここで再認識した。

 * * * * * * * * * * * * 
 
 それにしても、カジェミシュで見つけたグナトフスキーの絵画、素敵だったなぁ。どうしても、どーしても欲しかったんだけど、芸術に全く理解も造詣もないパパは絶対にダメという・・・。買ってくれるまで地団駄踏んでねばってみようかと思ったけど、他に同行者がいたし、いくらなんでも恥ずかしいので我慢。
 それに先週、思いつくままいっぱい無駄遣いをしてしまったことが頭をよぎり、涙をのんで諦める。どこかのホロスコープの金運のところで、「使いすぎ。収入を考えて」ともあった。余計なお世話だよ・・・。
 
 でも、ちょっと悔やまれる。一人でも運転していける距離なんだけど、いつか買いに行ってきてもいいかなぁ。もう売れちゃってるかなぁ・・・。

 


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