5年前に買った、ドイツ語版「コスモポリタン」の別冊小冊子を見ている。
「強くあれ、完璧であるな」ウズラ・ヌバー著 成功をつかむための10のプログラム
・罪悪感を持つな・・・気楽にいこう ・遠慮をするな・・・自分が大切 ・エステに傾倒するな・・・自分の容貌に自身を持て ・協調性を重視しない・・・全員とうまくいくわけではない ・完璧を求めない・・・並でもいいということ ・過敏であるな・・・何でも気にとめるな ・自分自身を疑うな・・・自分に自信を持って ・恥ずかしがるな・・・失敗をばねにして ・大人っぽくあれ・・・強い女性は大人である
なんとなくこんな感じ。日本語訳版ってあるのかな?
ほんの薄い小冊子で読みやすいドイツ語で書いてあるから、すいすい読める。途中わからない単語もあるけど、ニュアンスはつかめる。 ドイツ人女性が強いわけ、わかるでしょ?!
そういえば、ドイツにいたころ、何回となくぱらぱらめくって、そのたびに前向きな元気をもらっていたような気がする。こんな人々に囲まれて11年間も暮らしてきたわけだから、私も相当強い女になっていたはずである。
私がいまだにドイツにこだわるのは、そういうドイツ人の気性が私に合っていたからなのだと思う。子育てをしながらだったけど、それなりに自分らしく生きていたからか、自分自身がのびのびしていたと思う。
今はどうなんだろうねぇ。ポーランド人とのお付き合いはまだまだ少ないけど、生活するうえでは、ポーランド人は人当たりがいいし、こっちがひるむほどの強さもないから、住みやすいのだと思う。 だけど、うわーと嬉しかったり、カーッと腹が立ったりと、こちらも周りの人に対して感情の動きがないから、ちょっと物足りないところがあるかなー。
強い女性になるための指南書、また私の愛読書にしようかな。 ふふふ、こ、こわいよ・・・。
今日、ポーランド語の授業の一環として、映画を観てきた。 日本語のタイトルはわからないけど、在米ギリシャ人女性とアメリカ人男性との異文化・風習を克服しての国際結婚の話。お相手の国の風習への歩み寄りのプロセスがおもしろかった。 アメリカにおける閉鎖的なギリシャ人社会の様子というのも、アメリカに限らずギリシャ人に限らず、移民民族であればどこにでもありうるお話で興味深かった。
その後、メトロとトラム(地下鉄と市電)を乗り継いで帰宅した。 いつもは車でどこへでも出かけるのだけど、昨日、行く先々で知らない人から車の前輪のタイヤの空気が少なくなっていると忠告をうけた。だから、今日は車の運転は控えることにした。 実は昨日、学校の下校時に生徒を迎えに来ているドライバーたちが親切にも数人ががりで、私の車のタイヤに空気を入れてくれた。その後すぐに修理工場へ行ったけど、受付の社員が待てど暮らせどこないし、時間が無かったので何もせずにそのまま帰宅した。 一晩ガレージで寝かせておいたけど、パンクではなくて単に空気が少なくなっていただけみたいだった。 道路の状態がよくないから、タイヤに負担がかかるのであろう、きっと。 まぁ、今日は車で出かけてもよかったのだけど、途中で何かあったら困るから、タクシーででかけた。 帰り、シルバースクリーン前で、プワフスカの大通りに面して信号待ちした。そういえば・・・こんな風に歩行者として横断歩道を渡るのって、もしかしたら本当に久しぶりかも、と冷たい風にさらされながら思った。いつも、何とか車を目的地の最寄のパーキングに停めるので、歩くほどの距離でもない。久々に冬の街の空気を吸った。相変わらずどこも汚いけど。 駅までの徒歩と乗り換えとで、家にたどり着くまでに50分かかった。車では15分のところを。公共機関も乗りなれていないから、目に見えない神経をすり減らしてへとへとになった。
夕食後にグロッキーして、子どもたちより先に寝てしまった。パパと入れかわりに起きだして台所の片付けをして、こうして今、日記なんか書いている。
2003年02月24日(月) |
手塚プロダクション講演会 |
今日、日本文化広報センターでアニメ・マンガの講演会があった。 ゲストはアニメ監督のりんたろう氏と手塚プロダクション社長の松谷孝征氏。
以前に手塚治虫・原作「メトロポリス」のDVDをこちらで買った。ポーランドで日本語版の映画を売っているとは思わなかったので、迷わず買った。 それにはメーキングのDVDもついており、メトロポリスの製作・発表に携わったお二人も出演されていたので、そういえば本日のゲストのお二人、お顔に見覚えがありました。
前半のりんたろう氏の講演では、40年前にテレビではじめて放映された白黒の「鉄腕アトム」と、今年公開のリメイクカラー版「アストロボーイ・鉄腕アトム」のフィルムを見せてもらった。CPGもない40年間のアニメ映画製作は、途方も無い労力がかかっているのだとわかった。技術の発展を目の当たりにして、ただ、唸るしかなかった。 りんたろう氏が、ホワイトボードにボールがバウンドする様子をサササと描いた。一秒間のコマの動き8枚をイラストで説明するためにフリーハンドで何気なく描かれたのだと思うが、その画は驚くくらいに精密であった。 故・手塚治虫氏のもとで、気の遠くなるほどの枚数を描き込んで鍛錬されたと思わせるプロの筆致であった。
松谷社長の講演では、「オサムとムサシ」という、手塚治虫の幼少時代のアニメフィルムを観たあと、手塚氏のことやマンガ・アニメの歴史などを話してくださった。アニメ好きの若い世代の聴衆が多かったので、次世代を担う世界的なアニメ作家を目指して頑張ってほしいというメッセージを送られた。
最近、ボーズたちはちょっと文字を読めるようになったと思ったら、コロコロコミックなどのマンガしか読まない。少し前までは普通の活字もろくろく読めなかったので、せめてマンガでも読んでもらいたいと思っていたけど、ここまでマンガ漬になると、親としても心配になった。 そんな矢先に、今日の講演で聞いた話は妙に説得力があった。 「大人はすぐにマンガはくだらないものだと過小評価するけど、マンガには小説をはるかに越えた優れた作品があるから、どんどんいい作品にたくさん触れて欲しい」 とのこと。確かにそうかもしれない。
帰ってから、子どもたちに、 「マンガを読んでいて、げらげらおかしいことの他にどんなこと思ったことある?」と聞くと、 「一緒に哀しかったり、嬉しいなと思ったりするよ」などと言っていた。 児童書の代わりに年相応なマンガを読むということも、このくらいの子どもたちには必要なことなのかもしれないな、と子ども時代にそれほどマンガを読んでこなかった母は、改めて考えさせられた。
よし、君たち、今度日本に行ったときに、たくさんマンガも買ってあげるよ!
朝から知人の子どもたち、男の子二人を預かっている。 うちのボーズは9歳、7歳で、その子達は5歳、2歳。 まぁ、私が一人で4人を産んだといってもおかしくは無い年齢構成かも。 うちのおませな小学生どもを見ていると、一番下の2歳児というのはまだまだ幼いものだ。
今朝の「おかあさんといっしょ」でぞうさんの歌が入ると、「あ、ぞうさんだぁー」と無邪気な顔で私のところに飛んでくる。「うん、ぞうさんだねー」と相づちを打っていっしょに歌ってあげた。 アンパンマンのビデオでバイキンマンが出てきたら、「あぁ?! ばいきんまんだ!!」と報告に来るから、「あぁ! そうだね〜」と私も一緒にテレビ画面を見た。ふふふ、かわいいものだ。
そういえば、わが子達のこういう小さい子どもの成長の時期、今となってはすっかり忘れてしまっていた。 理人が小さいころ、理人が目にするものは、ママも目線を低くして一緒に見るように常に心がけていた。子どもの低い目線には、大人の視点とはまた別の違う世界があるんだということに改めて気づかされたものだ。 小学生になった今は、子どもたちにも友達を交えての楽しい世界があるみたいで、こちらも会話についていけないし、私はたんに遠くから傍観する立場になってしまった。 でも、今日のように、小さな子がほんの些細なことに喜んだり感動したりして大人の私のところに相づちを求めに来るのを目の当たりにすると、こんな風に親と子が一対一で向かい合って過ごした時期というのは本当に短かったのだな・・・としみじみ思わざるをえなかった。小さい子を預かることによって、自分たちの最近の親子関係を見直すいいきっかけになったかなと思った。
これから、カレーを作る。甘口の。いつもは週末の食事の用意は億劫なんだけど、ちびちゃんたちがいるから今日はちょっこり張り切ってんだよ、こんな私でも。
時々、子どもたちが私を怒らせる。 9歳、7歳の男の子二人兄弟だから、私の堪忍袋の緒を切らすようないたずらや兄弟げんかをするのは日常茶飯事。 でも私は普段からあまり怒らない。毎日、クレヨンしんちゃんのお母さんのミサエさん的にぎゃーぎゃーいってるかもしれないけど、子どもたちにしてみれば、ママの怒り方はミサエさんほどには怖くないらしい。
本気で怒ったときは、諭すように怒る。そして、最後に一言。 「ママは、ちゃぶ台ひっくり返したいくらいに、腹が立ってんの。わかってる?」 という。ちゃぶ台ひっくり返す、って・・・「巨人の星」の星一徹かいな、この私は。 当の子どもたちは、ちゃぶ台ひっくり返したいくらいに怒っているといわれても、「はぁ?」である。何のことだかぴんとこない。 それもそうだろう。海外育ちの子どもたちは「巨人の星」も知らないし、ちゃぶ台なんかも生まれてこの方、見たことないんだから。 うーん、私の怒り具合を子どもたちに思うように伝えることができなくて、こちらも拍子抜けする。
昔、家長があのくらい派手に怒りをぶちまけるのが、どの家でも普通だったのだろう。そして、ちゃぶ台をひっくり返すたび、それで家長の怒りは少しはおさまったのであろう。 でもあれは、昔の木造の畳敷きの家だからこそできたことなのだ。 あれだけ派手にちゃぶ台をひっくり返し、茶碗をころがし、料理をぶちまけ畳を汚しても、ダメージは少ない。低いちゃぶ台から茶碗をひっくり返しても、器がぶつかる音は派手でも割れることはないだろうし、畳の表面の汚れは後で拭くだけでいい。
今の我が家ではどうか? どれだけ怒り心頭でも、その怒りで洋式の重いテーブルは持ち上がらない。なんとか持ち上げたとしても、テーブルの上の磁器の食器類が割れるともったいないから、ちょっと躊躇する。ま、いいけど。もしそれでも勢いで持ち上げて床にばら撒いたとしたら、床は石張りなので落下した食器類は確実に全部割れる。絨毯の上なら確実にしみになる。 ア〜〜〜後片付けが大変なんだよ。
そんな大変な思いをするのなら、ま、初めからこっちも何もしないに越したことはないからね。 それにそんなことをしても怒りがおさまるかどうかもわからないし。 それよりも、ふふん、ママを怒らせるんじゃないよ、君たち・・・。
今日、午後からカルフールに買い物に出かけた。
買い物リストもなしにあれこれ目に付くものからカートに入れていったら、一人できたにしては大量に買い込んでしまった。
このか弱い細腕で(実際にはかなり太いけど)、ビン、缶詰、野菜、飲み物他いろいろ入った重い袋、8個。あー、重かったよー。
車から家まで運ぶ時、両手にずっしり4袋ずつ。ガレージのドアを十分に開けられなくて、閉まりかけたドアを買い物袋でガシッと抑えたら・・・
・・・なんか、鈍い音。
それ、卵が入った袋だったみたい。 あっちゃー・・・
以前住んでいたドイツの片田舎の町では、だれかれとなく「グテン・ターク」と挨拶をした。 たとえば歩道ですれ違う人々に、カフェで隣のテーブルの客たちに、パン屋の先客に、たとえそれが知り合いであろうとなかろうと、ごく普通に「グーテン・ターク」と言葉をかける。 人口一万人程度の小さな町に11年も住んでいれば、実際に顔見知りも増える。たとえそうではなかったとしても、あの町には知らない人同士でも快く挨拶しあう小さな田舎町の風習があった。
今このワルシャワでは、街行く人、お互いが無関心である。都会であればどの街もそうであると思うけど、黙々と歩いて黙々とすれ違う。ハートがなくて、パサパサしている。殺伐としたそんな近代的な都会の雰囲気が、今の私にはなんとも言えず寂しいな、と思う。
ドイツ語に比べてポーランド語の上達が遅いのは、多分、周りの人とのコミュニケーションが全くないからだと思う。自分の努力不足を棚に上げてこんなこというのはちょっと弁解がましかったりするけど、実際に初歩的な挨拶すら話す機会が少ない。 せめて、「ジェン・ドブリィ」と挨拶に笑顔を添えて一言発するだけでも、ポーランド人コミュニティーへのアプローチになるはずのに。ここで生活をはじめて以来、なぜか思うように口が開かない。
先日、ポーランド語の授業で使ったテキストに、旧モコトフ地区では昔ながらの挨拶の習慣がまだ残っている、とかいてあった。 旧モコトフ地区は、資本主義の象徴のようなショッピングセンター、ガレリア・モコトフがある現在のモコトフ地区よりやや市街地側に位置する。そこは閑静というか未開というか西側の洗礼をそれほど受けていない古くからの高級住宅街。 私も車でよく通り過ぎるけど、確かにあの辺りは、散歩していて誰かとすれ違ったら、「ジェン・ドブリ」と挨拶を交わさないといけないような雰囲気がある。住人はもちろんだけど、知らない人でもたまたまそこを通りかかった通過儀式のしるしとして、「ジェン・ドブリ」と一言。うん、なかなか、いい雰囲気かもしれない。
街中では無口を極めている私も、そういえば、近所でそんな感じの挨拶を交わすこともあったのを思い出した。
家の近くの大きなシチェンシリヴィチェ公園で。 週末は込み合っているから知らん顔して散歩するだけだけど、たまーに暖かい季節の早朝、一人でジョギングなどすることがある。 池の周りの釣り人おじさん、朝から時間を持て余した老夫婦、学校へ行くまで時間をつぶしている高校生たち、反対側から走っているジョギングの人々、イヌを散歩させている人々、一人一人とお互い挨拶をする。息切れしながらだけど。 イヌなんかは必ず毎日散歩に来ているから、こちらが出かけるたびに出くわす。おもしろいことに飼い主の顔は覚えていないのにイヌの顔で覚えていることがあるから、自然と顔見知りのように「ジェン・ドブリ!」と元気な声が出る。
挨拶の言葉を発すれば、そこで自然と笑顔のひとつもこぼれる。 その笑顔から、この土地でもまた新しい何かが始まるかもしれない。
あ、向こうから誰か歩いてきた。ちゃんと挨拶しようっと。
「ジェン・ドブリ!」
今朝、−11℃、最高気温−5℃
日記を書き始めて、初めてこちらの気温を紹介しました。 あはは、なんてことはない、今まで家に正確な寒暖計がなかったのです。
先日、部屋の掃除をしていて、室内と屋外の気温を表示するデジタル寒暖計を見つけました。ワルシャワでの二年目の冬が終わりに近づくまで、よくも寒暖計無しで過ごしたものだと思います。
毎朝、子どもたちが学校へ出かけるときは、必ず見送りに外に出るのですが、ヨーロッパの生活も長いし、正確な気温ははわからなくても、だいたい−5℃単位での寒さの違いならわかるのです。−10℃と−15℃とか、0℃と−5℃の違いとか。温暖な国で20℃と25℃の違いが明らかなように。
週末に室温22℃の部屋に置きっぱなしにしていたビールを冷やそうと思ってバルコニーに出しました。案の定、すっかり忘れてしまって、−10℃の寒空の下、カチンコチンの缶ビールに。今はまた室温に戻っているけど、今度は飲み頃にするためにあとで冷蔵庫に入れることにします。 ビールの中身も大変だなぁ。
ビールのプルリングを開けるときのプシューって音が、 「あーあ、こっちもいい迷惑だヨー」 って言ってるみたいに聞こえるかも。
神の啓示があった。
ネットで時間を無駄につぶすくらいなら、 本を読め、創作しろと。
はははー、かたじけないお言葉。
心機一転、一念発起、奮励努力、大言壮語・・・
2003年02月14日(金) |
バレンタインデー商戦 ポーランド編 |
今日は、バレンタインデー。 ワルシャワでは今年は去年よりも、バレンタインデーに向けて店頭のディスプレーや広告が華やかであった。どこもかしこも赤いハート。
ポーランドは敬虔なカトリックの国であるから、2月14日は聖バレンタインにちなんで、「愛の日」として国民に浸透しているようだ。ポーランドに限らずヨーロッパでは、愛する人へささやかなプレゼントを交換する。チョコレートとは限らず、心を添えたささやかなプレゼントを。 もとから、クリスマスや名前の日にプレゼントを交換する習慣のある国民なので、どんな些細なものでも、「プレゼントをする」という行為に喜びを覚えるのだろう。いたるところで、ポーランド人がプレゼントを買っている姿を目にした。 今年は私も家族の男衆三人にプレゼントを用意している。去年は特別何もしなかったから、今年はバレンタインデー商戦にまんまと煽り煽られたのだろうな、きっと。 ボーズたちには、ハートの形のケースに入ったフェレロのロッチャーにキーホルダーのマスコットをつけて。パパには子どもと同じチョコに、カマンベールチーズとボルドーのメドックを添えて。 (金曜の晩だから、私がワインを飲みたかっただけだったりして・・・。) ちょっとがんばってセロファンとリボンでラッピングした。見栄えのいいプレゼントになった。 後でみんなが帰ってきて、渡すときが楽しみ。
* * * * * * * * * * *
それから、今日ガレリアモコトフでみかけた、バレンタインデー用のディスプレー。さりげなく人目を引いたので、ちょっとだけ紹介。
Jackpott & Springfieldのショーウィンドーで、向かい合った二組のアベックがチュッチュチュッチュチュッチュキスをしている。 欧州人のカップルは人目をはばからずに、どこででもキスをするから、最初に見たとき、お店のスタッフがこっそりパートナーとキスしているのかと思った。 でもそこを通るたびに、いつもキスをしている。女性が赤で男性が白のユニフォームを着ているから、きっと本当の若者をアルバイトで使って、マネキンの変わりに、「愛の日」を生で演出させているらしい。 私もわざとらしく何度も往復して、ご苦労なアルバイトたちのキスを何回ともなく観察した。下世話なおばさんだねー。 マネキン用の台の上に、抱き合うようにして座り、女性は男の肩に腕をまわし、男性は女性の腰を引き付ける。唇を重ねるからあごをつんと突き出し、頭を反らす。その姿勢をずっとキープする。 うーむ、どうみてもこの体勢、疲れるぞ。陶酔したように目をつぶっているけど、本当は内心しんどいんじゃないの? それにしても、何分間のアルバイトなんだろ? 相手は本自分の当のパートナーなのだろうか? 恥ずかしくないんだろうか? オカシナ気分にならないのだろうか? 老婆心ながらもいろいろ案じてしまった。 企画するほうもするほうだけど、アルバイトでお金のためとはいえ、普通ここまでするか? 普通。 モラルとか、節操とかここで持ち出したら長くなるから割愛するけど、ま、なんというか、おばさん的な視点で一言言わせてもらうとしたら、あれは斬新なアイデアだとは思ったけど、愛のディスプレーは生演技でなくてもよかったんじゃないかなぁ・・・。
昨日、ふてくされた顔で清二が帰ってきた。帰りのタクシーの中で、理人と大喧嘩したらしい。清二も頑固者だから、なかなか機嫌が直らない。
「じゃぁ、ママがクッキー作ってあげるよ」 たまたまバターの使いさしが残っていたので、冷凍保存するつもりで、クッキー生地にしておいたのだ。 (普段はめったにそんなことはしないんだけどね。)
夕食前は慌しいからご飯の後でね、と思っていたけど、朝見逃した「まんてん」が入り、「ためしてガッテン」が入ると、そんな気も起こらなくなった。 そのあとは、宿題ラストスパートで、各自就寝。 寝る前にも、クッキー作ってー、なんて清二がぐずったけど、明日明日となだめて、ベッドに就かせた。
今朝、出掛けに清二が、 「帰ってくるまでにクッキー作っておいてね」 と執念深く念を押していったので、けなげな清二のために、昼のうちに焼いておいた。
で、タイトルの通り、焦がしてしまった。 一枚の天板では焼ききれないので、第二弾のクッキーをオーブンに入れた。夕方外出するので、焼きながら早めに夕食を作っていた。 ちゃんとタイマーをかけていたけど、焼き具合を見ることもなく、すっかりほったらかしにしてしまった。 オーブンを開けて、びっくり。こんがり茶色のビタークッキー・・・。
まずいことに、第一弾目のクッキーが仕上がったとき、 「次のもあるから、ちょっとぐらい食べてもいいかな」 なんて思ってつまみつまみしているうち、だんだん止まらなくなってしまって、半分近く私の胃袋の中におさまってしまっていたのだった。 あんなに食べるんじゃなかった。親のくせに。はぁ〜、反省・・・。
あーあーあー、清二、理人、ごめんごめん・・・・・・。 焦げたのに、ヌテラ(ヘーゼルナッツクリーム)塗って、甘くしておいたからさ。
でも、こういうときでもいつも、 「ママの作ったのは何でもおいしいよぉ」 といってくれるんだ。うちのボーズたちは。
2003年02月12日(水) |
ログハウス風のパン屋さんで |
今日所用で昼過ぎからずっとワルシャワの中心街にいた。 きれいな冬晴れですこんとした青空だけど、外気は−3℃。まだまだ寒さが肌を突き刺す。 一人で街中をうろうろ、カフェでぼんやり、ブティックのバーゲンを物色。久々に新世界通りなども歩いて楽しい午後だった。
街の中心部から我が家に帰る途中に、電飾チカチカでログハウス風のパン屋さんがある。おいしいパンが置いてありそうな雰囲気。前々からずっと気になっていたのだ。 ただ問題は、交通量の多い幹線道路沿いにあるため、駐車場がない。面倒だけど、裏道をぐるっと遠回りして裏に車をとめないといけない。 さきほどカフェで頼んだトマトスープにパンがついていなかったので、ちょっと小腹がすいている。何だか無性においしいパンが食べたくなった。 たまには一人で新しい何かを開拓していくのも楽しいし、初めてそのパン屋に寄ってみることにした。今日は時間的な余裕もある。
ドアを開けてみると、お店の外装の割には、内装は拍子抜けするぐらいにどうってことの無いシンプルで地味なしつらえだった。金網のパンかごの棚が売り場の中央にドドンとあり、周りの壁際には、こまごまとした食料品も売っていた。 日本にあるような、田舎のお爺さんが足を踏み入れるのに一旦躊躇してしまいそうなほどの、鏡張りに金の手すりがぴかぴかの、異常に明るい横文字よろしくハイカラパティシェ・・・というのとは程遠く、色使いを抑えたいかにもポーランド、ってな感じ。
ぱっと見渡したところ、白い丸いパンは売り切れてほとんどない。せめても5、6個の残っているパンを袋に入れようと思ったら、な、な、なんと、どのパンも木っ端のように堅い。 うーむ、いくらなんでもさすがの私(?)もこれを買う気はしなかった。 ライ麦パンの大きな塊はあったけど、ボーズたちは好んで食べないので、買い控えた。 パン棚の周りをぐるぐる回って考えあぐねた挙句、リングシューの砂糖掛けを二つ買った。
レジにはお店の老夫婦が仲睦ましく座っており、愛想よくお金を受け取った。 そこに、家業を継いでいるらしい息子が、皿に盛ったファヴォルキというお菓子(薄いビスケット生地を焼いて砂糖をかけたもの)を老夫婦のおつまみとしてもってきた。 お爺さんのほうが私に、 「まだ暖かいから食べて御覧なさい」 と言う。私はちょっと微笑んで遠慮なくひとつつまんだ。 本当に暖かくて、さくさくおいしかった。
めぼしいものはなかったけど、きっと、このパン屋さんは、おいしいパンを焼くのだろう、と思った。ただ私がお店に行ったときは、ちょうど焼きたてパンが売り切れで、かごに残っていたのは、前日か前々日の売れ残りのパンだったのかもしれない。 今日たまたまいったときに私の欲しいパンがなかったからと言って、この店はダメだ、もう行かない! と一見の客が決めてしまうには忍びない、と思った。 客商売の勘でわかるのだと思うけど、私の商品を見て回る態度から 「お店は気に入ったんだけど、今は買うものがないわ、どうしよう・・・」 と言うのが伝わったのであろう。 店番をしている老夫婦の無言の笑顔には、 「今度またパンがあるときに買いに来てくださいね」 と言った表情のしわが刻み込まれていた。
お店を出て、車のカギをバックから出しながら、ふと思った。 あの店の老夫婦は感じのいい人たちだったし、黙って店を去らずに、せめて何か一言でも、 「いつ焼きたてのパンが売り場に並びますか?」とか、「週末も営業していますか?」とか月並みだけど、相手とコミュニケーションを取るべきだったかな、とちょっと反省した。
もうそれぐらいは話せるほど長くポーランド語を習っているというのに。物怖じしないで、こちらからどんどん現地の人とコミュニケーションを取るように心がけなければ・・・。 ドイツではできたことが、なぜポーランドではできないのだ。 がんばれ、祐子・・・。
2003年02月11日(火) |
音楽鑑賞会 ギタートリオ |
今日、日本人学校で音楽鑑賞会があった。 今回の演奏者は、ギタートリオ・アルヒェ。ワルシャワショパンアカデミーの卒業生で、プロとしてポーランド国内外で活躍中だそうだ。
アルゼンチンタンゴをはじめ、ピアノ曲をアレンジしたものや、オリジナルの曲など、8曲。 子どもたちは、ちんと澄まして最前列に座り、最後まで熱心に聴き入っていた。音楽の授業で奥住先生に事前に手ほどきをしてもらった曲もあり、ピアノとギターではどのように違って聞こえるか、おのおのがやわらかな耳で聴き分けていた。
夕食時に、子どもたちと音楽鑑賞会について話し合った。 それぞれ印象に残った曲を口ずさんだり話したりした。 私が一番気に入ったのは、「カリンバ」という指ではじく特殊な楽器を使った、アフリカのリズム曲。 このトリオのマルチンさん作曲のオリジナル曲だそうだ。 カリンバは、昔、霊を呼んで死者とお話をするときに使われたという。 あのままずっと聴き続けていたならば、なるほどあの脳の髄に訴えるように響く独特な音階と音色は、本当に別の次元とトランスできるような気がした。
「ね、死んだ人とお話できるとしたら、誰とお話してみたい?」 と、子どもたちに聞いてみると、二人は声をそろえて、 「エフィニー!」 と、すかさず答えた。 エフィニーとは、ドイツに住んでいたときに飼っていたシマネコのこと。 ちょうど二年前、こちらに引っ越す直前、ネコの不治の病で死んでしまったのだ。 子どもたちがあまりにもかわいげのあることを言うので、思わずまぶたに涙が浮かんでしまった。
コロンパロンポロンコロンパロン・・・・・・。 本当にカリンバが霊を呼ぶ道具だったらいいのにね。
最近、アクアエアロビクスに通っている。 是が非でも継続してやらねば・・・と思ってしまうくらい身体にいい。今では毎週月曜日が来るのが楽しみ。
アクアエアロビクスのメリットは、まず第一に、水中では浮力があるので、ひざに負担がかからない。水圧で大根足も太っ腹もきゅっと締まる。脊髄はすっきり伸びて、姿勢もよくなるし、普段めったに使わない二の腕も、これでもかー!! といわんばかりに鍛え上げられる。 フフフ、きっと、数ヵ月後には、ピシッと引き締まったボディになるであろう。 プールから上がると、身体にかかった重力をもろに感じ、思わずよろけてしまった。よほど身体にまとった脂肪が重かったのだろう。 地上で45分間ステップを踏み続けろといわれたら、きっと、息もあがるし汗だくになって途中でギブアップしただろう。これは水の中だから軽くやり遂げられるのだ。 今日、一緒にやっているポーランド人おばさんと少し話をした。顔なじみのおばさんに「ジェン・ドーブリィ!」と笑顔で挨拶するのも気持ちいいものだし、「あぁ、今日も来てよかった」と思う。 正真正銘(?)のおばさんたちなんだけど、すごく愛嬌のあるはつらつとした顔をしている。きっとアクアエアロビクスで身体を動かして、心身ともにリフレッシュして楽しんでいるのだろう。 水の中で身体を動かすのは、シェープアップだけでなく、心の澱もいっしょに洗い流して元気にしてくれるようだ。 私ももっと早くにはじめるべきだったかな。
今日、市内の小さなホールで奥住先生と仲間の、ピアノと弦の五重奏のコンサートがあった。 そこは、こじんまりとした王宮風の素敵な建物だった。スタニワフ・モニュシュコ(ポーランド出身のオペラ作家)記念館とあったが、ショパンともゆかりの深い建物らしく、廊下には、ショパンの像や写真、直筆の手紙や楽譜などが展示してあった。 コンサートの演目は、シューマンのピアノクィンテットEs−dur op.44とブラームスのf-moll op.34 私はピォトルさんのヴァイオリンの音色が好きだ。ワックスを塗ったように滑らかで艶やかな音。それが胸の奥で音が広がるように入り込んでくる。 耳だけで聴く音はいずれ忘れてしまうけど、ピォトルさんの音は体全体で聴くから、胸のどこかがいつまでもピォトルさんの音色を覚えている。室内楽として、生で間近で聴くからなおさらなのだと思う。 ピォトルさんの生演奏のヴァイオリンは、今回が三回目であった。
生で素敵な音楽を聞いて、居合わせた知り合いたちと和やかにお話して、演奏後の余韻にほわぁんと包まれながら、会場を後にした。 久しぶりに気持ちのいいひとときだった。
昨日の日記で、「戦場のピアニスト」に知人の知人がエキストラで出演していると書いたけど、何を隠そう、その人がそのピォトルさんのことなのである。 映画の最後にコンサートのシーンがあり、オーケストラをバックにピォトルさんがソロでバイオリンを弾いている。
2003年02月08日(土) |
「戦場のピアニスト」ポーランドでもう見たもんね〜 |
日本では、「戦場のピアニスト」2月15日公開だそうだ。 友達のメールで、日本ではしきりにCMで広告をしている旨連絡があった。私たち、ほとんどのポーランド在住日本人は、封切された夏にすでに観てしまっている。
この映画はフランスのカンヌ映画祭で最高賞を受賞している。 監督のロマン・ポランスキーは、自らがユダヤ人であり、幼少時代に強制収容所から脱走して生き延びた。自らの経験をもこの映画の主人公に託して訴えたいものがあったのだろう。
主人公・シュピールマンはワルシャワ在住の実在の人物、ポーランド国民なら誰にでも馴染みのある、有名な音楽家であった。 没2000年、享年88歳。
彼の手記(翻訳版・文藝春秋刊)をもとに映画が製作された。 主人公の名前、シュピールマン(Spielmann)とは、ドイツ語で”演奏家”という意味でもある。ぎりぎりの窮地を切り抜けて生き延びた、強運の持ち主のこの男性は、自分の名が宿命のように、成功したポーランド有数の音楽家として自分の人生を全うした。
ワルシャワが舞台なので、当然見慣れた街のショットがある。映画を通して大半のショットは、ヴィスワ河の東側地区、つまり私たちの住む街の川向こうである。その時代風にうまくCPUで画像処理がされている。ほかにも私の知人の知人がエキストラで出演していたり、ラストシーンが馴染みのあるフィルハーモニーホール(ショパンコンクールの会場)だったり、私たちにとって身近な感じがする映画である。
ホロコースト映画はシネマファンなら今までによく目にしたかもしれないけど、この映画は、老若男女の広い層に一人でも多くの人に観てもらいたい。 朝日新聞には、紹介記事が何度か掲載されているが、マスコミでの今後の反響に期待したい。
これから日本で観る人たちへ この映画は、ラストシーンのテロップが流れても席を立ってはいけない。最後の最後まで観ないと意味が無いのだ。映画を観終った後の余韻を、是非どっぷり味わっていただきたい。
2003年02月07日(金) |
何だか今日は元気いっぱい! |
今日は金曜日だから、ポーランド語の日。 授業の後、買い物がてらにガレリア・モコトフに寄ってうろうろした。腹ごしらえに、コーヒーヘブンでキチンサンドとカフェラッタをたのみ、一人でひたすらぼーっとした。
ちょっと考え事をした。そういえば目下、抱えている悩みも心配事もストレスもあんまりないなぁって。はぁ、なんとまぁ、おめでたいことでございましょう。でも、よーく考えたら、ホントにない。アハハ、幸せなんだ、私、きっと。 相変わらず祐子さんときたら、ノー天気にいい気なもんです。
今日、郵便局まで大雪の中、車を運転していった。普段は帰宅ラッシュ時にでかけるのは億劫に感じるのに、今日はなぜかしら一人なのに楽しかった。 前々から出そうと思っていた郵便物をポストに持っていき、身の回りがすっきりしたら、心もすっきりしちゃったみたい。ずーっと部屋に置いてあるのをみて、「早く、郵便局に持っていかなくっちゃ。」と気が気でなかったから。そんな些細なことでも、ストレスが軽減するんだな、って思った。 そういえば、ポストの帰り道から急にむくむく元気が出てきたような気がする。普段だったら、ポーランド語の日の午後はぐったりしているのにね。
夕方、子どもたちが学校から直接、友人宅に遊びに行ったので、自宅で私一人でゆっくり過ごした。この静寂と広い空間が贅沢。日中は毎日がそうなんだけど、不思議と普段はそう意識しないものだ。 一人でゆっくりテレビを見た。 ZDF(ドイツ第二放送)の夕方のドラマシリーズ。子どものいるときは、日本語放送か、クレヨンしんちゃんのビデオしか流れていないから、この時間帯に自分の見たい番組がみられることはめったに無い。 ドイツ語を聞き流しているうちに、昔のドイツのことをいろいろ思い出してしまった。特に、今日みたいに一人で過ごす晩には、理人が生まれる前に学生をしていたときのことなどを。結婚した後も学生時代が戻ってきたみたいで楽しかったもんなー。 ちょっと前だったら、楽しかったあの時代はもう帰ってこないのね・・・と一人でこっそりため息ついてたけど、不思議や不思議、今日はちょっと懐かしむだけ。ふふふ、何だか今日はテンションが高いぞ。
今日は特別なーんてことの無い日なんだけどな・・・。 鏡に映った自分の姿、元気っぽいぞ! 祐子さんたら、どうしたんだろうね。
So geht mein Leben weiter.
2003年02月06日(木) |
今日のワルシャワは大雪 |
今朝から雪が降ってかなり積もったらしい。 らしい・・・というのは、夕方、友達からかかってきた電話ではじめて知った。今日一日外出しなかったし、終日、カーテンを閉めた寝室で読書をしていたので、窓の外さえも見なかった。
どのくらい積もったのか見てみようと思い立ち、家の前の小さなスーパーまで買い物に行った。家の前だから、ものすごく近い。 どのくらい近いかというと、マンションの出口から店の入り口まで、50歩。あはは、ホントに近いや。
小さな通りを斜めに横切るだけなんだけど、幹線道路から分岐した通りからさらに脇に入る小路なので、除雪が不十分でどっさり雪が積もっている。マンションの管理人さんが、一生懸命に除雪しているけど、追いつかないみたい。 我が家の下はオフィスなんだけど、玄関先で 「うわー、すごい雪、どうやって帰ろうか・・・」 などと話し合っている人や、携帯電話で市内の道路の状態を尋ねている人でごったがえしている。
夕刻、街灯に照らされた通りに出てみた。空から雪が舞いおちていても、気温はそんなに低くないので、外に出るのには抵抗が無い。いつもは薄汚れた感じがする近所の光景も、暗さと白さのコントラストがきれいに映し出す。 新雪に自分の足跡がつくのが嬉しい。すっかり童心に戻ったみたいに、お店までの短い道のりをウサギが跳ぶようにきゅっきゅっきゅっと雪を踏みしめてすすんでいった。
そういえば、こんな風に雪がきしむ音、久しぶりに聞いたかな。
2003年02月03日(月) |
神様が仕向けた自業自得 |
日曜日の夕方。 子供部屋から、週末の静寂を切り裂くかのような奇声。次男の清二のようだ。そのあと、火がついたように激しく泣き始め、泣き声で家中の壁が崩れ落ちるかと思うぐらいだった。 子供たちは、午後からずっとポケモンのゲームボーイをしていた。 清二は、もうそろそろ止めないといけないと思い、「レポート」の操作をしていた。そこへ理人が横から手を伸ばし、勝手にスイッチを消したらしい。 その結果、ゲームのレポートができないまま、今日やったところが消えてしまったようだ。 清二にしてみれば、時間をかけて苦労してバトルしたのに・・・・・・と怒りとショックを隠しきれない。
先月から我が家では、ゲームボーイは、一日一時間と決めている。子供たちは私があげたネコちゃんのストップウオッチで正確に60分を測っているようだ。 クリスマスにプレゼントされ、ずーっと長時間集中してやっていたら、わが子達にも案の定、健康上、精神上の問題が認められた。目や頭が痛くなったり、どきどきしすぎて心臓発作に近い症状も出た。 今まで放任主義であったけど、これにはさすがに私たちも慌てた。 自らは大げさには言わないけれども、各自胸に秘めた自覚症状があるのか、二人とも両親との約束をすんなりと受け入れた。
今日、清二は朝とお昼頃に少しずつやった。更に午後から残りの時間をしているうち、時間を忘れて(私のお昼寝の間中)ずっーとやった。やった時間分だけ、先にも進めたようで、本人は内心、ご慢心だった様子。 そして、その矢先の出来事だった。
頑固な清二をなだめるのに、こちらも骨を折った。普段の兄弟関係にも及ぶことなので、半分お説教にもなった。 理人は、ずーっとやっているゲームをもう止めさせようとして無理やりスイッチを消した、と正当化して言っているが、本当は清二が何かをクリアーできたのが悔しかったのだろう。 お兄ちゃんのやっかみ半分の意地悪も日常茶飯事だから、清二がいつにもまして悔しがるのはわかような気がする。
でも、ママたちとのゲームは60分という約束を守らなかった清二にも非はある。レポートできなかった分は、明らかに超過した時間にやっていたものなのだ。 「神様はどこかでそれをちゃんと見ていて、理人を使って、その分をわざと消させたんだよ。これはきっと神様が清二に与えた罰なんだよ」 ちょっと無理のある発想だけど、切々と言い聞かせると、さすがに清二も泣き止んだ。
普段、神さまについて家庭レベルで話すことはめったにない。私は神道の家で育ち、主人は仏教、子供たちはプロテスタント系の幼稚園に通っていた。漠然と信じるものはインターナショナルな神様仏さまたちなのだ。 子供たちにしてみれば、何かを信じること、イコール宗教上の神様・・・とは密接に結びつけてはいないかもしれない。 でも、道理に合わないことをすれば罰せられるということは、誰が教えたわけでもなく自然に身についているようだ。
親には説明しきれないことは、神のなせる仕業ということにさせてもらおう。たとえそれが喜ばしいことであっても、嘆かわしいことであっても。
一方、理人は・・・清二のあまりもの嘆きぶりに心を痛めて反省したのか、ポケモンの何かをあげたんだ、といっていた。ゲームの中での話だけど。 今はすっかり仲直りした様子。
そのあと、みんなで「武蔵」を見た。 さぁさ、二人とも宿題終わった? 時間割あわせた?
こうして寺田家の週末は静かに終わっていきましたとさ。
スペースシャトル・コロンビアが大変なことになった。
今朝のおはよう日本(日本同時放送)で、毛利さんとの中継がつながっていた。 昨日、毛利さんはNHKのテレビ開局50周年の記念特別番組ににこやかにゲスト出演されていたのだ。ついさっきのことである。この事故の悲報を聞いて、きっと徹夜で情報収集にあたっていたに違いない。
毛利さんと一緒に訓練をした仲間でもある7人の乗組員全員が亡くなり、コロンビアという4基のうちの1台のスペースシャトルも無くなってしまった。今後の宇宙計画にも影響が出る。 毛利さんが乗組員のことに触れるときに、涙声になりそうになっていた。NASA関係者の喪失感はいかほどかと思う。毛利さんの涙袋がぼんぼんに腫れていた。こういうときになんと書いていいのだろう・・・。
16年前、大学生のときにチャレンジャーの爆発事故を見た。確かコンパの帰りで、友人宅のテレビで「うわ、すごー」といいながら見た。 まぁ、あれもショッキングな映像だったけど、今回は、毎日まんてんを楽しみに見ていたり、子供たちがスペースシャトルに興味を持つ年齢だったりと、白いロケットを以前より身近に感じていただけに、この爆発事故は、最近のニュースの中でもとりわけ重大なこととして自分の胸の中に刻み込まれた。 関連の報道は何度も同じことを繰り返していても、逃さず見るようにしている。事故が起きてまだ数時間だから、情報が少なすぎてじれったい。
爆発の原因は、今のところはっきりしないようだけど、それにしても何かにつけ、テロと結び付けて考えたがるアメリカ的な発想はどうにかならないだろうか?イラク攻撃へのきっかけを探しているだけじゃない。 NASAが必死で爆発の原因を解明しようとしているのに、そういうことで国民感情をあおってほしくないものだ。それは別の次元のお話でしょうが・・・。
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