薔薇園コアラの秘密日記

2002年12月29日(日) やれやれ・・・

 昨日、夜10時過ぎ、常夏の島から、凍てつくワルシャワに戻ってまいりました。現実の生活を目の前に、自分がこれから何をすべきか、今、思考中。
 
 休暇ボケです。天然ボケかも・・・。いや、痴呆かも?



2002年12月20日(金) I am Michel Jackson.

 昨日、ちょっとした会の会合があった。

 同席された男性が、
「こんなこと女性の方に質問するのは、本当に恐縮なんですけど・・・、もし失礼にあたったら本当にごめんなさい」
と前置きをして、妙にはにかみながら私に質問された。

「あのー、先日の忘年会は、マイケルジャクソンを意識されたメークだったのですか?」
ですって。きゃははは〜。
「いやいや、あまりにもそっくりだったものですから・・・」

 この件の顛末は、HPの裏日記のほうで書いた。
ただ、それは単に内輪の友達同士だけでの会話だったけど、こうして年配の方からも言われるということは、あの晩の私、相当似ていたのであろうか?
 友人のご主人あたりは、家に帰ってもふつふつと思い出し笑いをしていたそうだ。

 みなさん、これから私のこと、ワルシャワのマイケルって呼んでください・・・。



2002年12月19日(木) お姑さんの心境

 ただいま、深夜。
荷造りがてらに衣類の整理していたら、こんな時間になってしまった。
 
 同じくクリスマスを休暇先で過ごす知人に、次男の正装服一式のお下がりをあげるために準備もしておいた。ヨーロッパのリゾート地では、クリスマスディナーに全員フォーマルにおしゃれしてくる。幼い子供の果てまで。
 その知人の息子は、うちの次男より2才年下だから、サイズはちょうどいいくらいのはず。

 人にあげるのに、皺のままだと失礼なような気がして、小さなブラウスにアイロンがけをした。そして、テーブルの上で、その子にそれを着させたときの感じを想像して深夜に一人で楽しんでいた。
 暖かいところにいくから、蝶ネクタイにベストで十分かな? あの子が着てもきっとかわいいだろうな。 今度の入学式用にブレザーも一緒にあげようかなぁ。 ズボンは次男の丈のままでいいかな? などと我が子のように・・・いや我が子ではないな、そう、甥か孫のように、想いをめぐらせていた。
 え? じゃぁ、私はおばさんか、おばあさんってこと? うんうん、小さな子への親愛の情を持って想うという点においてはそんな感じだったよ。

 他にもいろいろあげるため、はりきってTシャツなんかも一枚一枚アイロンがけなんかしはじめた。他には、パジャマのボタンがひとつなくなっていた。このまま渡すと彼女のやんわり困った顔が瞼に浮かぶようなので、別の服から付け替えて、すぐに使えるようにしておいた。

 多分、お姑さんやおばさんの心境ってこんな感じなんだろうな、とふと思った。普段、自分のためにこんなことするのは億劫だけど、嫁や孫のためなら妙に張り切っちゃうの。そもそも人のためにやるのは案外楽しいものだけどね。

 なーんか、これって娘を育てたことのないお姑さんの心境だよ、本当に・・・。母性を振りかざして、何でもいいからあれこれかまいたくってしょうがないの、嫁の立場からするとおせっかいかもしれないけどね。

 私なんか、絶対に予備軍だと思う。でもそれは、まだまだ先の話だけどさ。
 
 
 
 



2002年12月18日(水) おっぱい山テイデ 〜テネリファ島〜 

 クリスマス休暇に訪れる島・テネリファ島には、スペイン一高い山がある。
テイデ山 標高 3,718m なんともいえず、官能的な形をしている。
 どの方角から見ても、女性のおっぱいのように見える。
 
 山の片側斜面がふくらみをもつように盛り上がり、その反対側は裾野がゆったり広がるように緩やかな斜面。山頂に至っては形状が妙にリアル。乳輪部と乳頭そのもの。しいていえばやや陥没気味の乳首のよう。
まるで、横たわった若い娘の固いおっぱいを遠目に見ているみたい。
 
 ギリシャ神話によると、かつて島神のテネリファが、想いを寄せた若くて美しい女神・テイデをいつまでも傍で愛でていたくて、その女神の片方の胸を山の形にしてテネリファ島のシンボルとして残したという。

            ・・・なーんてうそですけど。
 
 でも、あの山は本当に女神が宿っているかのように官能的である。大西洋上で仰向けに浮かんだ女神テイデが、海面から片側の乳房だけをつんと出して、天を仰いでいるかのように・・・。 って、ホントに作り話なんだけど。

 この島は何故かわからないけど、ファミリーで訪れる、というよりラブラブカップルで行くところ、といったイメージがある。それもいわく付の。
 グラン・カナリーでなく、クレタでなく、マヨルカでもなく、テネリファなのだ。この島にはそう思わせる何かがあるのだ。

 知り合いのドイツ人女性が、「新しいパートナーができたら、テネリファに行く!」と常日頃いっていたせいかもしれないし、知り合いの威勢のいい太っ腹おじさんが「愛人と行くならテネリファが一番!」と豪語していたせいかもしれない。
 とにかく、開放的にロマンティックな気分に浸りたい人は、誰でも彼でもまずテネリファに行ってください、ってなかんじの島。

 確かに、ホテルで周りの人を観察していると面白い。
 まともな家族(夫婦+子供達)は私たちぐらい。例えば、老人とその愛人らしき若い女性+幼児(父親は誰?)。中年カップル(大きい連れ子有り)。バツイチカップル(連れ子託児所預けっぱなし)。現地調達熱愛カップル。
他いろいろ。
 ドイツ人は・・・というより欧米人は、磁石のように男と女がくっついたり離れたり、ふむふむ、お忙しいことねぇ。自分の人生に堂々と正当にエゴを通すことに関しては、この私めも感服の至りです。

 ヨーロッパのクリスマスというのは、日本のお正月のように、大抵家族単位で一緒にお祝いして過ごすものである。でもその家族というのも、ばらばら好き勝手にしている人々の寄せ集めだったりもする。子供たちが独立して両親それぞれに新しいパートナーがいたり、離婚してしまって家族の形態さえない人もいるだろう。

 家族でお祝いしている巷のクリスマスを避けるかのように、そういう人たちが新しいパートナーとテネリファ島の太陽の下に集まるのであろうか? 確かにテネリファの太陽の笑顔と島の表情は、俗世間のしがらみなんかもすべて吹き飛ばしてくれるようなおおらかさがある。

 島神・テネリファと女神のテイデの愛の力が、新しいカップルの前途を祝福してくれるのだろうか? 




            ・・・だから作り話だって・・・。

 
 



2002年12月17日(火) クリスマス休暇 2002

 今年のクリスマス休暇は、テネリファ島(スペイン領)で過ごす。アフリカ大陸の西側、大西洋上に浮かぶカナリア諸島のひとつ。二年ぶり。

 海の水は水温20度くらい。冷たいけどかろうじて泳げる。朝晩は少し肌寒くて、長袖が必要だけど、日中はじりじり日焼けするほど暑い。
 
 10年前に避寒のためグラン・カナリー島を訪れた。ヨーロッパの冬の天候にうんざりしていた矢先に、南国のこの強い日差しが病みつきに。たった三時間半のフライトでトロピカル。太陽の下でエネルギーを充電する。 以来 ”冬の休暇はカナリア諸島で” というのが、我が家のライフスタイル。

 今までに訪れたのは、グラン・カナリー島3回、フェルテヴェンチュラ島2回、そしてこのテネリファ島はこれが2回目、2年ぶり。どんよりとした空の下で毎日を過ごしている身にすれば、この南国の青空と力強い日差しは、本当に全身の隅々に生命の息吹を吹き込んでくれるような気がする。

 ドイツ人は、この休暇(ウァラゥプ)を取るために半年間精進して働き、次の半年間の精気を南国の太陽の元で養ってくる。お金持ちから一般庶民まで、猫も杓子も休暇を取ってリゾート地へ出かけて行く。
 ポーランド人はまだ一部のお金持ちぐらいしか、旅行でリゾート地に出かけないかな。でも、ワルシャワから南のリゾート地への直行便があるくらいだから、旅行者は少なくないのであろう。
 
 主人などは、普段はハードに働いているから、たまには仕事からすっかり解放されて、十分リフレッシュする必要があるみたい。今回久しぶりにゴルフもしたいといっている。今までそんな暇すらなかったしね。一方、奥様のほうも、たまには家事からすっかり開放されて、リフレッシュする必要があるみたい。今回久しぶりにテニスもウインドサーフィンもしたいといっている。週4回お手伝いさん付の専業主婦は運動不足ぎみになるしね・・・なーんて言ったら舌を八つ裂きにされるかもしれない・・・。あはは、私はお気楽マダムなの・・・なんていうとホントに今度はハリツケにあうかもしれないな・・・。

 少なくとも、ポーランドのこのどんより空とはしばしお別れさせてください。せめてパパが休暇を取れる間くらいは。


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 それにしても、我が家のボーズたち(9歳、7歳)も以前に比べて旅行に連れて行くのがかなり楽になった。最近では子供用のスーツケースをそれぞれに買い与えてあるので、親が着替えから何やらを全部親が持っていくことはなくなった。

 昨日、ワルシャワで一番新しくておしゃれなショッピングセンター・ガレリアモコトフに買い物に行った。旅行用のカバンをどうしても買ってほしい、と子供たちにせがまれ、甘っちょろいママは何のためらいもなく、リュックと肩掛けカバンを買ってやった。(思ったより高くてびっくりしたけど・・・)

 帰宅早々、二人で楽しそうに荷造りをはじめた。リビングと子供部屋を行ったり来たりしている。で、あとで見てびっくり! なんと、中身はぜーんぶ、ぬいぐるみとおもちゃ。そういえば、店頭で選ぶときに、長男はなにやら宙を見つめてあれこれ算用をしていた。大きいぬいぐるみのどれとどれが入るか計算していたようだ。ぬいぐるみのひとつひとつが家族の一員だから、全員旅行に連れて行ってあげたいらしいが、全部は無理。熟考の上、厳選されたぬいぐるみだけがはいっていた。それもすし詰め状態。
 ママ、思わず苦笑。

 きっと、旅行前日になって、置いていきなさい! イヤ、もって行く!! ダメ、置いていきなさいってば!!! イヤ、絶対に持っていくぅ〜、 絶対に置いていきなさ〜い!!!!・・・・・・と親子間で押し問答になるのが見えている。さぁ、たいへんだー。

 

 
 



2002年12月16日(月) 大嘘

 朝っぱらからポーランド人に大嘘を付いてやった。

 毎日OCSから新聞が配達されるのだが、届くのが遅い。いつも夕飯を食べ終わるころ。うーむ・・・そんなに遅くに持ってこられてもねぇ。
 そこで耐えかねて朝一番にOCSに早く配達してくれるように依頼の電話をした。そして最後にポーランド語で言い放った大嘘。
「私はジャーナリストです。毎日、新聞を読んで仕事をしないといけないのです。新聞が遅いと困ります」
だって。ククク、よく言うよ・・・。すると、
「ハイ、わかりました。それではこれから毎日一番にスタッフに届けさせます」
先方は、少し慌てた様子。今までも、何度も配達をすっぽかされたり、遅かったりして、OCSに苦情の電話を入れてきたが、この大嘘は絶対に効くであろう。嘘も方便。

 私は基本的に、嘘はつかない。つかないというより、単細胞だから、何か指摘をされるとつじつまが合わなくなってすぐに嘘がばれてしまう。だからはじめから嘘はつかない。
 日本人同士で、嘘を介する付き合いは息苦しいが、外国人相手になら案外平気でもある。マンションの上に住む大家さんとお手伝いさんには、私は作家の卵だ。と言っておいた。これで一日中パソに張り付いていても、ボーっとしていても、朝グーグー寝ていても何の不思議もないであろう。テニスのコーチには、今は左膝を痛めているから速く走れない、と言っておいた。ただ単に太りすぎで走れないだけなのに。ポーランド語の先生には、ドイツ語だったら全く支障なくしゃべれるんだけど、と言っておいた。これは年とともに脳の働きが退化して、語学が上達しないだけ。ドイツ人たちには、いつも実年齢より少なくとも6歳はさばを読んで、年齢を白状したものだ。この程度の嘘なら許してもらえるだろう。でも、なんだか私の嘘は、法螺に近いかも。

 日本人特有の嘘に、虚栄と謙遜がある。
 虚栄は論外だが、日本人の間では謙遜は美徳だと思っている人が多いかもしれない。でも私は決してそうは思わない。なぜに日本人はうまくできることでもあえて「私にはできません」や「下手で恥ずかしいのですが・・・」などと見え透いたことを言うのだろう。私はこうこうこういう事ができます。皆さんにどうぞごらんいただきます。ときっぱり言い切ることができる人のほうが、絶対に潔いし、自己主張ができていて個性があっていいと思う。
 
 などと、自分の法螺を正当化するわけではないが、ただ、自分がこのように自己主張するに至るまでに、こんな私にも長いドイツ滞在生活をとおして、いろいろ紆余曲折もあったのだ。

 ドイツで学生みたいなことをしていた頃、初めて知り合った人には必ず、職業か趣味について「あなたは何をする人か?」「大学で何を専攻したか?」または「あなたは何が得意か?」と単刀直入に聞かれた。正直なところ、返答に困ってしまった。当の私といえば、無趣味、無資格、無職(専業主婦とも言う)。学歴も遊びほうけてきた自分の学生時代を振り返ると、人に何を専攻したか口が裂けても言えたものではない。これは謙遜以前の問題で、これでは全くの無知無能な人間ではないか? 
 
 こういう会話を何度も交わすうち、このままではいけない、自分は変わらないといけない、と自然に思うようになった。いつかは何か堂々と自分の特技や趣味を言えるようにならねばと。 
 
 それからの私は一念発起して、マールブルグ大学で学生の資格を取得して、ドイツ語学を専攻するために邁進(ちょっと大げさだけど)した。ただの一海外駐在員の家族がそこまで我武者羅にドイツ語を勉強する気になれたのも、周りの仲間たちの熱心に勉学にいそしむ姿に大きく影響を受けたからであった。
 彼らは、誰もが先の将来の目標を定め、そのための準備として、勉強したり、学校に通ったりして、青年期を送っている。行き当たりばったり的に、私のように狭く限られた選択肢の中で自分の身の振りかたを決めるのではなく、先のビジョンを明確に持って生きているということである。

 私のほうは、ドイツ語学を専攻して二学期目に入った頃、長男の妊娠とともに、結局すべてを投げ出してしまった。育児と学業を両立させている人もいるし、みんなも産後また頑張ったら、と励ましてくれたりもしたけど、やはりどこかに「語学留学の友達とは違って、私は駐在員の家族だから、何もそこまでしなくても…」という甘えが心の隅のどこかにあったのだと思う。今から思えば、ドイツ語学を専攻する目標もあやふやだったかもしれない。

 あれから十数年。今の自分はどうだろう・・・。
今は住んでいる国も環境も目指しているものも違う。でも相変わらず、自分を前面に出してるかも。
 まだ、自分の目標をここで語るには及ばないけれども、その目標に向けての努力は常日頃怠ってはいない。現在進行形。あとは飛翔へのチャンスとタイミングと神の手を待つのみ。

 それよりも、今日ついた嘘、やがて実現しないかな…。おもしろいじゃない、ジャーナリストだなんて。やっぱ無理かな、新聞ちゃんと読まないもん。アハハ、私って、ほんとに大嘘つき!



2002年12月15日(日) 一期一会

 昨晩、突然知人から連絡があり、夕飯に招待された。
 そのお宅では、私たちの世代よりはるかに若いお兄さんが、台所で包丁を握ってなにやら手際よく食材と格闘していた。私たちを驚かそうとしてか、いろいろ質問しても、なかなか素性を明かさない。
 テーブルには、えびしんじょう、牛たたきサラダ、雑炊、焼き豚ほか、彩りよく並び、この料理に合わせた最高のおもてなしワインが添えられた。
「うっわ、おいしいわー、これ!」の連発であった。
なんか、すごいよ、すごい! おいしーい! 
 
 で、そのお兄さん、なんとマレーシアの有名ホテルのシェフだそうだ。
はぁ、妙に納得。確かにどれもこれも普通の人には出せない味だったよ。
 ワルシャワの某Hホテルに、近々オープンする日本レストランに「和の味」を伝授しに、はるばる南国から極寒の地に2ヶ月間出張にいらしていたそうだ。そして、それがワルシャワ滞在最後の晩であった。
 私の知人とはどういう繋がりかというと、四日前に、ちょっとした所用で出会っただけの、何の利害関係もない間柄。普通だったら、何事もなかったようにそのまま忘れ去られてしまう出会いかもしれないけど、その出会いには何か運命的なものを感じると思ったようで、最後の晩に自宅に招待したようだ。そこで彼は、では、お礼に何か作りましょう、ということに。そんなプロの味は自分たちだけで頂くのはもったいな過ぎると思った知人は、即、私たちにも声をかけてくれたのだった。

 なんだか、すごく不思議な繋がりなんだけど、私たちにとってもおもしろい出会いだったような気がする。もしかして、次の赴任国はアジア圏で、彼のレストランで食事をすることがあるかもしれないし、単に旅行者として訪ねていくかもしれない。
 昨晩の出会いがなければ、今後の人生に何にももたらすものが無かったであろう。

 楽しい晩であった。
 知人夫妻の「もてなしの心」にも見習うべきものがたくさんある。
彼らほど「一期一会」を大切にする人をいまだかつて見たことが無い。



2002年12月14日(土) ポーランドのバザール(市場)

 ポーランドに赴任して、もうすぐ二年近くになる。言葉はまだ苦労しているけど、何とか元気に暮らしている。
 私は、ワルシャワの街が住みやすく、便利になってから赴任した世代だと、在住暦の長い方々からいわれる。
 ここ3〜4年のうち、カル・フールやジェアンほか西側資本のハイパーマーケットや、IKEAやOBIなどの大型チェーン店がワルシャワ郊外に次々オープンし、確かに便利で、ドイツにいたころと生活レベルは変わらない。

 しかし、たとえハイパーマーケットがあちこちに乱立していても、実際に一般市民の生活の拠点となるのは、やはり近所のバザール(市場)のようだ。
 居住区画には必ず大なり小なりのバザールがある。野菜、肉、パン、くつ、衣類、家電、その他諸々なんでもある。一年中、終日ものすごく混んでいる。
 赴任当時はあのごみごみとして薄暗く汚ない雰囲気に馴染めず、怖いものなしのこんな私ですら気後れがして、バザールに買い物に行くのに二の足を踏んでしまうことがあった。

 先週のこと。クリスマスも近づいてきたことだし、ドイツの代表的なクリスマスのお菓子、シュトーレンを作ろうと思い立った。ところが材料のドライフルーツの砂糖漬けが、どこのハイパーマーケットを探しまわっても無いのだ。ドイツ時代は、市販のものを利用していたし、ポーランドでもドライフルーツ入りのお菓子はポピュラーなはずだから、無いわけは無いんだけど、おかしいなーと思いながら、途方にくれるしかなかった。
 友達同士の集まりにあわせて作ろうと思っていたのに、材料が集まらないから仕方が無いや・・・と完全にあきらめていたところ、思いがけないところで見つかった。
・・・バザールで。あ、こーんなところにあったんだぁ〜なーんて。もう、笑っちゃうくらいおかしかった。あそこにいけば、ハイパーマーケットに売っていないものでも何でも売っているのだ。頻繁に足を運んで、何がどこに売っているかを把握しておけばよかった。

 快適で便利だから、ハイパーマーケットのほうをついつい利用するけど、結局は野菜にしろ、生活必需品にしろバザールにしか売っていないものがある。ちょっとしたものでもバザールのほうが品揃えがよかったりする。屋根が無かったり、ほったて小屋風の店構えに出入りするのに躊躇してしまうけど、扱っているものは、専門店と変わらない。

 赴任したてのころは、バザールの雰囲気が受け付けなかったけど、今では私も、こちらの生活にすっかり順応して生活を送っているせいか、必要に応じて、どこの地区のバザールへでも車で乗り付ける。
 バザールに堂々と出入りできるようになったということは、私も現地に同化するための垣根をひとつ乗り越えた、ということなのかもしれないな。



2002年12月13日(金) 手相(13日朝)/日本人学校 日本国大使館訪問

 最近、気づいた自分の能力。
 人相とか手相で、大体の相手の性格や人生が見えること。
人相を見て直感的に思うこともあるし、手相に表れたその人の将来を読み取ったりできる。
 私は手相を勉強したわけではない。ただ、手相の本を参考に自分の手相を見ると、いろいろ当てはまっていることに気づき、そのうち次第に面白くなって、人の手相まで(おせっかいにも)見てあげたりするようになった。
 海外で駐在しているビジネスマンには、とてもいい手相の人が多い。それぞれ第一線でバリバリがんばっているから、自然に手相にもそれが現れるのだと思う。いい手相は、見るだけでこちらの気持ちもスカッとする。

「手相というものは常に変化している」これは誰に対しても私がまず最初に言う言葉である。自分の理想を強く掲げて手のひらに念ずれば、幸運を導く線が出てくるものであると。
 私の手のひらには、知能線、感情線、健康線がバランスよく描かれ、人気・社会的な成功をもたらす「太陽線」が、薬指に向かってくっきりと勢いよく伸びている。そして、先端でやりのように三またに枝分かれしている。これは地位や名誉を得て開運する良相らしい。人差し指の付け根の土星丘には太い「目上の人による引き立て線」なるものがある。我ながら単純だとは思うけれども、私はこの自分の掌に表れているいい相だけを信じて、いつかは自分の元に幸運が舞い込んでくると念じて毎日を暮らしている。
 おかしなことに、自分に自信がなくなったり、ふと疑心暗鬼になったりすると、てきめんに手相に今の心境を言い表すかのごとく細かい障害線が出る。だから、手相に表れたサインはないがしろにはできない。たとえ、現在、不幸・不運の障害の相が出ていたとしても、手相はその人の今後の運命を予知しているのだから、そうならないようにはじめから不運を避けるべく自分で気をつけるか、そうならないための努力すればいいだけのことである。いつも自分の胸にはそう言い聞かせている。
 実際に、私のある知人は、華奢な手に薄くてはっきりしない手相を持っていた。彼女の「影」がなぜかしら薄く感じられた。彼女には、「もっと強く自分に自信を持って」とアドバイスしたところ、驚いたことに、彼女は半年後には見違えるように深い手相になり、表情もどっしり落ち着いた印象がでてきた。自分自身に暗示をかけて、潜在意識下で彼女も生まれ変わったのだな、と思った。

 手相に表れた良相はポジティブシンキングを与えてくれる。
ポジティブシンキングだから手相がよくなる。相乗作用かな。

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息子たちが通うワルシャワ日本人学校は、全校生徒20名。
大半が1、2年生の低学年児童が占める小規模校である。
こまかくてにぎやか。


在外で暮らす間にしか経験のできないようなことを
日本人学校の生徒たちに体験させてやりたい、という教員や親の願いが
かなってか、今年度、子供たちはいろんな行事をこなした。
キャンプ、低学年児童ポーランド大統領に招待(子供の日)、天皇陛下ポーランド公式訪問お出迎え、ごみ処理場、警察署訪問、学習発表会、
そして、今年の締めくくり、12月12日(木)大使館訪問だ。
教育方針の一環、「コミュニケーション能力の育成」のために、
大使夫妻への質問を前もって用意し、質疑応答の時間もあったらしい。
そのときの様子は後日、学級通信で先生から詳しく報告があると思うけど、
相手が大使であろうと、大統領であろうと、大勢の人前であろうと、
物怖じすることなく、堂々と振舞う子供たちの姿には感心する。
小さいころからそのような訓練をするのはとても大切なことだと思う。
この一年で、驚くほどの子供たちの成長振りが垣間見れて、
親としても頼もしい限りである。

今日は大使のご厚意により、日本大使館の見学のあと、大使公邸まで見せていただいたそうだ。大使館員夫人方に点てていただいたお抹茶をご馳走になったり、持参したお弁当を大使夫人を囲んで一緒に食べてきたりしたそうだ。
子供たちは、元気に帰宅し、それぞれの言葉で大使館・公邸訪問のことを
報告してくれた。素直な心で楽しかったらしい。

もし私だったら・・・、短い時間だけでも、普段立ち入ることのない場所に
出向いた時などは、帰宅するころにはぐったりするのにね。あははは。










2002年12月12日(木) はじめまして!

ずーっとまえから、このエンピツ日記の存在が気になっておりました。
私がお気に入りに入れているHPの管理人のほとんどが、
ここを使っているのです。
やっと私も遅ればせながらも参入させていただくことになりました。
どうぞよろしくお願いします。

現在、ポーランドの首都、ワルシャワに住んでいます。
2004年のEU加盟に向けて、国全体が変わりつつあります。
ポーランド南部に日系メーカーがたくさん進出するので、
在ポ邦人は今後どんどん増えていく予定。でも南部に日本人が増えても、
首都のワルシャワに住む人は少ないのかなぁ・・・。

さてさて、日本に雪が降った頃、ヨーロッパにもどかーんと
寒波がやってきました。かっる〜くマイナス10度以下。
外気を吸って呼吸するのもつらいです。
雪も降ったりして、本格的な冬到来。
体がこの寒さに慣れていないから、一年のうち一番寒く感じる季節。
極寒の2月にもなれば、お、今日はマイナス3度?ちょっと暖かいかも・・・。
なーんて思えるんですけどね。

略歴:
1990年から11年間、夫の赴任に伴いドイツの片田舎で暮らす。
2001年にポーランドのワルシャワに転勤。今日に至る。
3年生と1年生の男の子のママ。
新婚以来、ずっと海外生活なので、感覚が半分ヨーロッパ人的・・・かな。



2002年12月10日(火) 過去の日記はこちらへ

HP「ワルシャワの青い星」の『ワルシャワ日記』より
http://efinie.cside7.com/warszawa.html






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祐子 [MAIL]

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