度々旅
INDEXpastwill


2005年04月27日(水)

 だいぶ職場に慣れました。というか、バイト身分なのに色々なことをやらせていただけて、ありがたい。しかし、バリバリこなしている先輩が契約社員とは驚いた。うちの職場は、いろいろな会社から役員として短い期間派遣されている人が多いので、契約といえども先輩はそこではかなり長い人の1人で、とても私を心配してくれていた。何もわからないうちに担当の仕事を持たされ、次から次へと仕事を与えられている私を見て、アルバイトなのにそんなに仕事をさせられて。。。と心配していたようだ。どうやら、フルタイムバイトを本格的にうちの部署で雇うのは初めてなので、他の職員が私にバイト以上の責任を与えてしまっていることが、私に負担になることを心配してくれていたようだ。
 確かに、軽いバイト気分じゃ勤まらないなぁ、かつてのバイトと同じ給料とは思えないハードっぷりに、責任っぷりだなぁというのは正直な気持ち。けれど、一年という一つの区切りがあるので、その間に吸収できることはしてやろう、安いお給料なのは社会経験の無い私にとって勉強代みたいなもんだという気持ちでいられる。それに、気遣ってくれる先輩がいるってだけで、かなり心強い。バイトが一番主張しにくいお給料や、残業や休日等についてのわからないことを、すぐに察知して聞いてくれる。ああ、さすが契約で苦労しているだけあるわ。。。。
 そんな中、昨日は仕事で六本木ヒルズへ。展望台で外を眺めてるとき、仕事じゃなければ一生こんな所来てないだろうなと思った。こりゃ、本当に良い社会経験だ。でも、まさか働き始めてばっかりで、他の会社の人と接して名刺をもらうなんてことがあるとは思わなかった。他の会社の人に私を紹介するときに、うちに新しく来た・・・の後アルバイトって言葉を職員の人が言ってくれないのは、本当はチョットどきどきしてる。 


2005年04月23日(土)

 学部の頃の友達と会食。この間までは、現状への文句だったけれど、今日はもっぱらこれからのことが話題。
 社会の風に当たりながら、不安不安の嵐。30過ぎてから本当の勝負と思ったり、いやもう遅いと焦ったり。それぞれが、その間で揺れながら暮らしている。そういうお年頃。どこかに一貫性を求めつつ、それゆえに恐怖を感じ。憧れだけで突き進むこともできず。流れに身を任せているように見える私達は、ただ必死にもがいているだけで、それが結局どこにも辿りつかないのではないかという恐怖の日々。けれどもしかしたら、もがいてさえいないのではないかという不安。不安と恐怖が入れ子になり、不安定を引き起こし、安定を求め、再び不安に落ちる。結局、私達が対象とするものは何だろう。
 私達がやった学問はあまりにも大きい。私達は共に学生時代をすごしたが、一緒に研究をしたわけでも、議論したわけでもない。個々が何かを抱え、向かい合った学問。そして、それから離れたと思っていても、それを選択する契機となった感覚は消えはしない。そして、それゆえに結局生き方そのものにベットリと学問が染み付いていることに気付く。自分でいられないことへの不満は、自分を壊す。それが再び自分への嫌悪を引き起こす。そして、最後自分を愛しむのは自分のみだと気付く。
 複雑な心境を抱えつつ、それを解釈してしまい、解決を図ろうとする私達。理性と感性がいつも絡み合い、対立しあう。そして、どちらか一つにはなりきれずに、その間を私達はさまよう。言語にすることが困難な思いを、言語を借りて語り合う。
 さまよわない1人の女性のお腹には子供。魚がぴちゃぴちゃ跳ねているみたいだ。あ、手だ。足だとわかる。
 私達にはわからないことが多すぎる。自分の中にあるものさえもわからない。けれどお腹の中に生命を宿し、自分の中に何があるのかわかっている彼女は神々しかった。 


2005年04月19日(火)

 今日から新しいお仕事。この間は、かなり不安だった。すごく不安だった。そして、仕事を探しているときも、恐かった。正社員雇用じゃなくて、バイトでも良いと思っていたのに、恐かった。また、人の繋がりの無い、信頼関係が全くない所だったらどうしよう等々。
 でも、面接の時に感じた雰囲気のお陰か、昨日の夜も、そして今日の朝も憂鬱さは無く、寧ろワクワクしてた。もちろん、また数日で逃げたらどうしようという不安はあったし、今はちゃんと仕事をこなせるだろうかという不安があるけれど。
 出勤して、いろいろ説明を受け、すぐに仕事を渡され、やっていた。この間に比べ、なんて気持ちが穏やかなだろう。不思議だ。この間と同じく、パソコンに向かって作業をしているだけなのに、全く違う。周りの雰囲気で、こんなにも自分の精神的負担は軽減されるのかぁと思った。
 やっぱり、人なんだなぁと、つくづく思う。それと、大きな窓があるのだけれど、これが良い。すごく良い。陽光が入ってくるって、一日中働いていても、気分が違うものだ。
 とにもかくにも、あせらず、明日。あさって。一週間、一ヶ月と頑張れればと思う。


2005年04月14日(木)

 面接に行ったところから、採用というお電話をいただいた。思わず、ありがとうございます!と声を張り上げる私。体中から力が抜けた。といっても、正社員ではなく、1年契約なのでその先どうなるのかはわからない。けれど、それはそれで私には合っているのかもしれない。旅に出る資金くらいは、貯めることができるだろうし。
 あまりにも精神的にヤバイので、来週から授業に出ようと思っていた。先輩が、授業においでよと言ってくれた言葉にどれだけ救われたか。テキストを準備してくれると言った言葉で、ああ私にもいる場所があると思い、涙が出そうだった。
 自分の中に二つの思いがあって、身分を確保しなければという自分と、別に好きなように、その日を過ごせばいいやという自分。けれど、後者の自分は特定の身分じゃなくても、何らかの自分の場が無いと、結構精神的に辛いものだと思った。まだまだ、私は精神的に弱い。突き抜けてない。何をしたら良いのか、何をしたかったのか忘れ、したかったことなど無いのではないかと思い、ヤバくなる。毎日行く場所が与えられて、これだけ嬉しいとは思わなかった。だって、毎日やることがあると憂鬱になる子だったから。でもそれは、やることが常にあるという前提が無ければその憂鬱さも生まれてこなかったのだなと。そして、その憂鬱さは幸せなことだったのだなと。
 とは言っても、この間のことがあるので、正社員じゃないとしてもかなり不安。逃げ癖をここでつけてはいかんという感じ。
 ちなみに、当分フルタイムで仕事が見つからないかもしれないから、バイト雑誌で載っていた古書店で週2、3回バイトしようかなぁとも思っていた矢先だった。店まで見に行っていた。それを母親に話したら、いいじゃない!古書店なら、そういう取引の勉強すれば役に立つわよ!と。なんて前向きな母親なんだ。どうやら、引き篭もりへの才能があり過ぎる私が、本当に引き篭もるのではないかと、かなり心配していたよう。だから、何でもとにかくやって、新しい所を見て目的を見つけて欲しいと思っていたようだ。
 こんな歳になってまで親に心配掛けて申し訳ないなぁと思いつつ、なんてありがたいのだろうと思った。
 それにしてもだ。事務職のバイトさえ書類で落ちることが続いていたので、やっぱり職歴無しのこの年齢ってかなりヤバイのかもしれんと思っていた。学歴を言われ、この学歴なのに?みたく言われるたびに、だからそう言うならば、雇えよと強く思った。でも、まだ学歴や年齢のせいにするのは、早すぎるのかもしれん。
 ああ、皆さん私が逃げないように監視しておいてください。でも、ここ数ヶ月で本当にお金が無いことって本当に辛いと思った。残高三桁の状態にもなった。その上借金だ。これが、お金さえあれば旅に出てリフレッシュってことにもなるのだが、そういうわけにもいかん。なぁーんと、逃げるにもお金が必要で、働かなければならんわけで、世の中って甘くないわさ。


2005年04月13日(水)

 浮き沈みの激しい日々。お日様が無いと特に。履歴書を書きつつ、あああ、また間違えた!と1人騒ぐ。なんで、最後の方に間違えるのさ。1ヶ月前よりも、履歴書に書く文字が確実に3文字減った。「修了見込み」の「見込み」。今まで結構苦労していた。やけに長い名前だったので、たった3文字減っただけで、ラクになった。何してんだか。。。
 そんな中、何tもあろうかと思われる重い腰を上げ、ハロワへ。登録以来行っていなかった。転職でハロワを利用した先輩からアドバイスをもらい、いろいろ探す。前行った時は雪の日だったので、人が少なかったが、今日は多くて待った。私と同様、新卒で決めることができなかったと思われる若い子も何人かいて心強かった。
 一緒に修了した友人と電話で話し、互いの現状を報告。彼も苦労しているよう。そして、数日働いた仕事場での前任者からもメールが来たり。私が無事辞めることができたと聞いてホッとしましたとか。なんか、たった数日しか一緒にいなかったけれど、この方とはずっと関係を続けたいなと思った。そういう人と巡り会っただけでも、私は幸せだ。彼女のメールで、「新しい仕事が決まり、やっと自分を取り戻せました」の言葉で、私もすごく嬉しくなった。自分が納得して、安定した気分で過ごせるって素晴らしい。
 そういや、父が帰ってきた日、仕事のことを話したら、ただ頷いて聞いてくれた後に、わかったと言ってくれた。父は、仕事が決まったときすごく喜んでくれただけに、すごく申し訳なかったのだけれど、私を責めるどころか、あせるなという言葉と共に小遣いをくれた。泣けた。父はいつもそうだった気がする。何かをするのに力は貸してくれない。アドバイスもない。相談しても、何も言わない。自分の考えで、自分の力で自分が納得するようにしろという感じだ。でも、いつでも戻って一度休む場所を与えてくれる。そして、私はまた歩ける。ありがたい。 


2005年04月11日(月) 父のインド

 父親がインドへの出張から帰って来たということで、実家へ。会った途端笑ってた。初めて行った場所があまりにも面白い場合、やっぱりその面白さがわかる人に話したくなる。父の笑いはそれだった。
 行く前は、かなり不機嫌で憂鬱そうだった。インドに行くからというよりも、あと数年もすれば退職の日を迎えるのに、なんで今更新しい事業のために、長期海外出張なのか。下手したら、これから何度も行かなければならない。。。ああ、憂鬱だ。という感じだったようだ。
 けれど、帰ってきた父は、仕事云々のことはよくわからないが、インド自体はお気に召したよう。
 父のインドでの写真を見て、いろんな謎が解けた。あたしは、インドでテレビを見たときに、どこにこんな綺麗なところがあるんだよ!と思い、列車に乗っているビジネスマンを見たときに、いったいこの人たちはどんな所で働いているんだろうと疑問だった。働く人と旅行者では会う人、見るモノが違う。街を歩いているだけでは、あそこがIT大国だなんて、ちっともわかりやしない。けれど、父の写真に写る会議風景やら、いろんな機械、オフィス、そして高級?ホテルを見て、なるほどなぁー。やっぱり、そういう場所があるんだよなぁーと。で、そこにいる金持ち達は(本当に金持ちかは知らないが、あたしが旅先で戯れた人よりは金持ちだろう)どんなだったかを聞きまくった。でも、ビジネスマンも、ノープロブレムってすぐ言う?と父に聞いたら、言ってたなと笑い、時間守る?と聞いたら、守らないなというお答え。その辺はビジネスマンもその辺のインド人も同じらしい。
 父は、若い頃仕事で行ったフィリピンや台湾を思い出したと言っていた。インドもあと20年もすれば、今のフィリピンとかみたくなってしまうのかもなと話し、けれどそれではインドの良さが無くなっちまうというのが二人の感想。そして、なんだかんだ言ってインドはインドだろうという結論。
 父と私が興奮してインド話に華を咲かせている横で、母が仲間はずれ気分で悔しがっていた。父がいずれみんなで行こうと言っていたが、あれだけ嫌がっていたのに、なんだかんだ言ってこれからインドでの本格的に始まるかもしれない仕事にあんた関わる気だねと思った。確か、あたしがインドに初めて行ったとき、いつか父とは行きたいと言った気がする。父は気に入ると思うよ。でも、母は無理だと思うよ。ブチキレるよと。もしかしたら、いつかそれが実現するのかなぁと思ったら嬉しくなった。
 そんな父は、あっちでパートナーの会社の人に、娘が2、300円くらいの宿に泊まってたのだが、そういう所を知っているか?と尋ねまくり、そんな所は知らない。いまどきそんな所があるのか?と言われたそうだ。。。。お前、いったいどんな所に泊まってたんだよ、よく泊まれるなと言われ、よくあの水を飲めたなと言われ、若いうちはいいなと言われた。どうやら、食事は殆どホテルでとり、果物も温水で洗って食べていたのにも関わらず、かなりの下痢に悩まされたようだ。
 


2005年04月10日(日)

 時間があることをいいことに、桜を堪能しています。金曜日は、母親と隅田川へ。そして、土曜日は同居人と近くの大きな公園へ。どちらも、素敵だった。隅田川沿いで宴会をしているのを見て、ちょっとうらやましくなった。ああ、結局やろうやろうと言いつつ、今年もやれなかったやと。桜満開のまさにその週末に、皆で予定を空けるというのは、なかなか難しい。

♪HPのトップページの写真を更新。殆ど更新してなくてお恥ずかしいかぎり。どなたか4444を踏んでくださったようで。


2005年04月06日(水) 上野

 同居人が休みということで、午後花見を見に上野に行った。そう、花見が目的なのではなく、花見をする人、そしてそれに群がる人を見るのが目的。相変わらず、ひねくれた感じ。
 昔私が祖父と桜の時期に動物園に行ったとき、上野の山には面白い人がたくさんいた。酔っ払いや、カラオケしているオッサン、戦争に行って片腕を無くしたと書いた紙の前に座って金をせびる、片腕隠しているオッサン等々。とにかく楽しい人がたくさんいたのだ。それをかねてから同居人に話していたので、是非見てみたいと言うお言葉。
 なのにだ。今はカラオケは禁止だし、片腕のオッサンはいない。それどころか、こんなに混んでたか?平日だぞ。テレビで毎年やる花見の様子がただ繰り広げられているだけだった。つまらなーい。芸を疲労しているのは、日本人ではなく外人だったし。それも、バイオリン弾きや動くマネキンパフォーマンスだ。何か違う・・・。ちなみに、動くマネキンには人は群がるものの、誰もお金を袋に入れてあげないのでマネキンも動くにも動けない。かわいそうになって、同居人が100円あげたら少し動いた。
 一通り花見見物を終え、上野動物園にも寄ってみた。すっごい久しぶり。新しい(といっても、既に日本に来て数年経っているけれど)象とご対面しようと思ったら、象のオリ変わってるし・・・。何もかも変わってしまうのねと寂しくなった。
 上野動物園は私にとって特別な思いのある場所だ。祖父との思い出が詰まっている。それが、ちょっとずつ変わっていくのはやっぱり寂しい気持ちになる。仕方ないんだけれど。でも、そんな中モノレールは以前と同じように動き、動物園の外にある小さい遊園地もどきも昔ど同じく子供達が遊んでいた。あの二つが無くなったら、ショック大きいなぁと思いつつ、上野を楽しんだ。
 それにしても、アメ横で昼間から飲んでるスーツのおじさん達。かなりイカしてます。花見の席取りしている新入社員君たちとは観勒が違います。


2005年04月05日(火)

 春だ。あたしは、春がいつも嫌でウツウツとしてしまうのだけれど、昨年の引き続き今年も大丈夫なようだ。この間まで住んでいたところは、そこかしこに桜があって、ああそろそろだなぁ、来週だなぁなんて思っていたのだけれど、この辺は桜を見に行こうと思わなければないのかも。
 春が嫌だった私は、大学の桜に助けられていた気がする。大学内の桜の広場で1人ボケーっと座って、青い空と桜を眺めてた。時々山も見えて、いろんなことが小さく思えて、ぽかぽかした春の陽気の中、あまりにも気持ちが良くて、私って生きているだなぁーなんて心の底から満たされる感があった。
 そういう感覚って何かのきっかけでふとした時に生まれてくる。案外そういうものに支えられて生きて、歩いているのかもしれない。
 去年は、京都で桜を楽しみ、就職試験の会場で桜を楽しみ。その前は、
ちょうど春に嫌なことが重なって、学校の桜を1人で見て支えられ。その前は、バイト先のおじさま達と近くの会社の庭までお昼休みに出かけていって、お弁当食べながらお花見。そういや、この時って座るためのシートなんてないから、木の根本にある石に座って、全員木を囲んで外側向くしかなくて、変なお花見だなんて笑った。
 不思議なもので、桜と一緒の記憶は鮮明だ。


2005年04月03日(日)

 おかげざまで、昼夜逆転解消。規則正しい生活になった。親との電話、ニートにだけはならないでよと言われた。父親が出張中だし、母親は実家に帰っているし、その間は辞めたことを黙っていようかと思ったけれど、心配しているだろうと思い、母親には正直に話した。
 お父さん・・・。ああ、インドでどうしているんだろう。インドに行ってなければ、社会人先輩としてどんな言葉をくれたのだろうと思ったが、いても結論しか私は言わなかっただろう。それに対しての言葉はだいたい想像がつく。

 それにしても、なんて恵まれた環境なんだろう。その環境に甘えてはいけないという思いだけで、ここ数ヶ月やってきた。甘えは罪悪だと思ってやってきた。けれど、その環境があったからこそ、今の私が出来上がってしまい、それをただ単に否定するのは、困難であると痛感した。それを支えにして、その環境から脱する、否定するではなくて、肯定して歩くのも一つの歩き方かもしれないと思った。
 人の目や、名前、形を追ったとき、だいたい私は失敗する。


2005年04月02日(土)

 ここ数日いろいろなことがありました。なんだか、論文提出後やっと落ちついた気持ちになれた気がします。論文提出後、仕事を探さなければならない!ってこと、引越し等々、精神的にかなり焦り、地に足がついていないというか、自分との対話なしで不安だらけの日々の中、とにかく前へ歩かなければって感じで過ごしていました。
 そんな中で、やっともらった内定。迷いはありましたが、決めたのだし、資格と経験に無い私は、ここで頑張らなければと思い、決意して会社に行きました。そして、3日目にあたる3月31日、入社拒否宣言をしてきました。

 まさか、自分がこれをやるとは思ってなかったし、なんだかんだ言いながら、決めたら最後までやる性格なので、こんな行動をした自分にもびっくりなのですが、こういう会社があるというのもビックりでした。初出勤日、書類を渡されたり話をされたりしましたが、結局給与や待遇等は曖昧なままで、文書で渡してもらえず。仕事をする前から、給料給料って言うのも、気が引けたし、私的には雇って戴けたという気分いっぱいなので、そこは会社の人を信頼し、他の新卒が入ってくる1日まで待ってからもう一度しっかり尋ねようと思っていました。しかし、その最初の業務説明で社長の右腕の人から言われた言葉。「全ては社長だから。社長とわたしの言葉だけが正しい。他の人は信じるな。意味わかるわよね。」あれ??と思いつつ、女が多い会社なので何かあるのかもしれない。これは自分の目で確かめようと。けれど、すぐ気がついてしまった。社長は社員を全く信じていない。犬としか思っていない。
 で、いろいろ先輩にリサーチするうちに、社長の気分での給料カットあり。最初に提示された金額をもらったことがないという話も耳に。もちろんボーナスは無し。目つけられたら、無理なノルマ課せられて辞める方向に持っていかされる。で、新卒で入って長くいるか、中途や派遣で来て社員になっても半年くらいで辞める。私は中途枠で採用され、面接等々で最初は志望部署には行けないけれどいずれって話をされた。そりゃ、最初から志望部署には行けないのはわかるが、そのいずれってのは、かなり可能性はゼロらしく、みんなその部署に入りたくて、いずれと思い頑張るが、結局勉強目的で配属された部署で、ヒドイ目に。
 私の業務に関して言えば、前任者しかわからないことだらけなのに、たった一日で引継ぎ。ありえねぇ。で、一応その補佐をやっている先輩社員がいるので、なぜその人に引き継がないのか聞いたら、彼女は頭使えないからって言葉。入って数日の私に先輩についてそういうこと言うのも、私にはちょっと信じられず。
 まぁ辞めた会社に砂を掛けることになるので、詳細は書かないけれど、その他もろもろありました。結果的には私の前任者が辞めていくのに、挨拶を皆にしたところ無視同然だったこと。内定者が決まると、ああ、かわいそうという空気が蔓延していること。辞めろと社長に言ってもらえて、ホットして最後を迎えた人を見たこと。ビクビクしている社員が多いこと。そんなこんなを総合するに、社長が社員を信じていないのと同じく、社員間の信頼も築けていないということがわかり、こりゃダメだと。それで、お金さえ不確かだと思ったら。。。「ここは普通の会社じゃない」という、先輩の言葉の方が、社長達から聞いた会社像より、ずっと適確で私は信じられました。
 これでは、遅かれ早かれ私は辞めるか、完全に社長の犬になるかどちらかだと思ったら、採用承諾書にサインができませんでした。で、社長室に行って、辞めようと思いながら働くことはできないし、このままではサインができないってこと等々いろいろ話。最終的に、新卒が1日に入ってくる日に私が既にいない方が会社にとって良いのではないですかということで、入社しないですんだ。

 とまぁ、こういうわけです。ある意味すごい勉強になりました。でも、この会社ですごく前向きに働いている人も数人見て、それは本当尊敬した。すごいと思った。でも、私には人を信じずに働くことはできないと思った。小さい会社で、すべては社長の決裁が必要な中、その社長を信じることができずに働くのは、無理だと思った。

 で、本当に学んだのは、「あなたのために言うけれど」の言葉。これ言う奴にロクな奴はいないってことだった。というわけで、かなり恥ずかしいことではありますが、これからも職探しです。でも、全て捨ててすっきりした感じがある。それと、こういう時にテキヤバイトが、いつも基準な私がいることに気付く。テキヤは、金と人ってところをすごく大切にしてた。怒鳴ったり、かなりヒドイ扱いをするけれど、売り子がいるから売れるのだという精神はすごかった。だから、ヤクザが怒るというとんでもない図で怒られても、平気だった。


こげんき |MAILBBS

↑エンピツ投票ボタン
My追加