度々旅
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2004年03月31日(水) 漢字

 気付かぬうちに、漢字が書けなくなっている。もともと漢字テストなど苦手だったのだけれど、よーく考えたら大学に入ってから、新しい漢字とか覚えたのかなぁ。それこそ、中学生位で漢字能力は止まっているような気がする。手書きなんて授業中のノートやらメモくらいだから、確実に書けなくなっている。読むことはできても書けないものが多い。その上、誤読しているものも多いかもしれん。恐ろしい・・・・。
 語彙が少ない少ないと思っていたけれど、これって努力してなかったり、調べる癖がついていないからだ。きっと。すごく反省。もっと意識して、漢字を見よう。そして、見るだけでなくて、記憶するようにしよう。


2004年03月29日(月) 3日目 京都

 朝起きたら10時過ぎてた。。。急いで支度して駅へ。コインロッカーに荷物を押し込めて、さぁ観光へ出発。前回と同じで、500円の一日バスカードを買った。昨日の暖かさで桜が咲いているに違いないと、嵐山へ行くことに。目の前でバスが行ってしまったため、30分も待っちまったよ。しかし、どこに行っても人だらけだ。嵐山もたくさんの人。みな、桜の木を携帯電話のカメラでパチパチとっている。山の方はまだあまり咲いていなかったけれど、青いお空にピンクの桜を楽しめた。やっぱり、桜は青空が似合う。桜を楽しんだ後、大好物の湯葉を食べた。うめえぇ。くみ上げ湯葉最高。
 お腹もいっぱいになった所で、次の目的地を考える。前回お金がないので、入口まで行って諦めた金閣寺へ行くことに決定。けれど、バスで寝過ごしてしまった。こういう時一日バスカードはとっても便利。あっちや、こっち回り道しながら金閣寺へ到達。なんだこりゃってのが正直な感想。実は、修学旅行の時も親との旅行の時も、お腹がいたくなって入り口に座り込んで見れなかったのだ。それだけに、期待は大きかったのだけれど、うううううん。変なの。金閣寺を出たところで携帯のメールに母から朗報。その内容は内緒。
 で、金閣寺の後は、錦通り?に食料を買いに行き、あとは念珠を買って帰ろうってことになったのだけれど、途中ジュンク屋で本を買ったり、祇園をうろついて櫛に見とれているうちに、もう時間切れ。Tとの今回の旅の目的は、大仏・鹿・念珠だったのだけれど、諦めた。
 帰りはビューっと新幹線。新幹線に乗ったのなんて何年ぶりだろう。すごくワクワクしてしまったのだけれど、夜なので風景は見れず。
 しかし、なんて忙しい旅行だったのでしょう。眠いと、お疲れで、帰りに電車でも乗り過ごしてしまった。
 あ、そいえば、鴨川で気付いたのだけれど、なんであんなにカップルが綺麗に等間隔で夜は座っているのでしょう。印とかあるのでしょうか。


2004年03月28日(日) 2日目 奈良

 朝起きて、祖母の弟であるおじさんに岸和田界隈を案内してもらった。城があったなんて知らなかった。なかなか立派。天気も良く、桜も咲き始め、青空と城の白さと桜のピンクがとても素敵だった。
 10時頃親戚宅を出発。土産物を大量にもらい、お小遣いまでもらっちまった。あああ。本当にごめんなさい。ありがとうございます。なんばまで再び出て、たこ焼きを買おうと思ったのだけれど、荷物が多いので面倒くさくてやめて、奈良に向かうべく近鉄に乗り込んだ。が・・・。奈良行きと書いてある電車なのに、誰も乗ってない。あれ、と思ったところで、ドアが閉じた。あれれれれと思っていたら、車掌さんが来て、ここは降車専用のホームだと言われ、奈良行くならこのまま待っててと言われた。ん?と思っていると、電車は奥のトンネルの方へ。そうか。始発だけれど、すぐに折り返すのではなくて、一端奥にひっこんでから線路を変えてホームに戻ってくるのね。真っ暗なトンネル内電車に取り残されること数分。違う車掌さんがやってきて、もう少し待っててねーごめんねーと。いや、すみませんは私です。車庫に帰る電車でなくって、ホント良かったです。ホームに再び戻った電車。乗ってくる人から見られて、お恥ずかしい気分いっぱいでありやした。
 奈良には12時頃到着。友人Tと出会い、奈良の目的大仏と鹿を楽しんだ。春休みで日曜日で良い天気ということもあり、大賑わい。鹿って、なんであんなに首をふるのでしょう。写真がなかなかうまくとれません。デジカメ内は、鹿だらけになっちまった。
 春日大社、興福寺を見て、奈良はおしまい。本当は飛鳥や斑鳩、吉野に行ってみたかったのだけれど、相談の結果今回は断念。京都へ向かうことにした。といっても宿も決めていない。しかし、寝不足もありめちゃくちゃ疲れていたので、本で決めて、なんと今回はホテルと名のつくところへ泊まることにした。京都第三タワーホテル。あたし達としては、大奮発。部屋で奈良で買った柿の葉寿司を食べながらごろごろした後、四条や祇園に繰り出した。祇園は夜桜見物の人もいて、大賑わい。酒でも呑もうと店をさがすけれど、どれもこれも惹かれない。で、うろついた挙句入ったお店。お茶漬けの名に惹かれて入ったお店。あああ。またやっちまった。店内は、もとスナックみたいなつくりで、壁一面に統一感のないお品書き。どして、こういうところを毎回毎回わざわざ選んでしまうのだろうあたしたちは。。。と、失敗したと落ち込んだけれど、加茂ナス田楽の美味しいことといったら!やっぱ、店はつくりじゃないわんとグビグビビールを呑んだ。安いし美味しいし、場末感さえ楽しめれば良いお店。京都鴨川、三条とおり傍の裏道にあります。
 あとは、ホテルで再びビールを呑んで、ぐへーと寝た。


2004年03月27日(土) 1日目 大阪

 大阪に用事が出来たので、奈良、京都もともに楽しんでまいりました。車中1泊、他2泊です。
 大阪にバスで着いたのは朝6時半。高速バスは、チケットをギリギリに予約したために、一番後ろの席で、あたしの前には足置き場がない。ついでに、イスも壊れているのか、あたしのだけ倒れない。殆ど眠れずに到着。コーヒーを飲んだりするものの、用事は10時から。それまでどうしようと思い途方にくれ、とりあえず会場まで来てみた。案の定会場は空いておらず、その傍の川沿いにある公園のベンチでごろごろ。その公園、空き缶拾いのおっちゃんとかの溜まり場らしく、ベンチで寝ていると、次々おっちゃんたちが集結してきた。不思議そうに見られたが、こちとら眠いし、足はだるいしなので、顔を隠して1時間くらい目を閉じたりしてた。しかし、寒さに耐えられず、再びコーヒーを飲みに。。。こんなことなら、お知り会いS氏の家で時間を潰させてもらう約束をしておけば良かったと後悔。
 用事が済んだ後に、S氏に会場まで迎えに来てもらい、心斎橋へ。美味しい魚料理などを食べさせてもらった。その後、えびす橋やら、カニやら、くいだおれ人形やらを満喫し、なんばの駅まで送ってもらった。
 知っている人がいると、なんてラクちんなの!と感激。交通費まですみません。短い時間で、大阪を堪能させていただきやした。
 その後、岸和田にいる親戚宅へ。到着してから思ったこと。あああ、親戚には挨拶だけにして、S氏宅にやっぱり泊めてもらえばよかった。親戚って、気を使う。それも、親しい親戚なわけではないので向こうも気を使っていろいろして下さり、大恐縮。とても快適に過ごさせてもらったのだけれど、なんだか精神的に疲れてしまったよ。。。


2004年03月26日(金) 支度

 今日の夜大阪へ向かうのだけれど、未だ予定たたず・・・とほほ。用事が終わった後に、知り合いに会いたいし、けれど親戚宅にも泊めてもらうからお茶飲むくらいの時間しかないし、けれどワザワザ予定を空けていてくれたらしいし、翌日は奈良で別の友達と会い観光。となると、親戚宅を夜遅くに訪ねて、朝早くに去る・・・。これは、申し訳ないし。困った!近い親戚ならばまだしも、初訪問なわけで。うむむむ。
 と、いつも通り何も決まっておらず、ネットで路線図みながら格闘中。とりあえず、天気は良いとのことで、安心。
 

追加

 親戚宅に連絡して、少し遅くに着く了承を得ました。しかし、どうやら大歓迎モードのようで、別に住んでいる娘さん家族も来てくれるらしい。お好み焼き大会も開いてくれようとしているらしい。観光も考えてくれているらしい。お知り会いの方も、翌日も空けていてくれたらしい。あああ。なんだか嬉しくて、申し訳ない。お知り会いの方はかつてのバイト先の上司。親戚は祖母の弟家族。どちらも、すっごく親しい間柄ってわけでもないのに、宿を提供してくださった。その上、食事やら観光やら。ふと思ったのだけれど、アジア旅では、見知らぬ人によくされたりして嬉しかった。日本でも、こうやっていろんな人と戯れることができればって思ってた。しかし、国内でもあたしは行く先行く先で、受け入れてくれる人がたくさんいるではないか!とても幸せだよ。あたしゃ。


2004年03月25日(木) すごい人

 お知り合いの家のお通夜へ。見たことある気がする人が何人かいる。よく考えたら、父の会社の友人のご家族の葬儀なのだから、先日の祖父の葬儀の時と同じ顔がいるはずだ。○○さんの娘さんですよねと言われ、あああ、先日は有難うございましたというかんじ。で、その父の会社の人達にいろいろ言われた。○○さん、面白いですよねーと。こんなこと言われました、あんなこと言ってましたと。「呑むとしつこいでしょ」と言ったら、「そですね」と言われた。とにかく、すみません、すみませんと謝っておいた。しかし、父よ・・・。もしかして、あんた、会社で慕われているんでないか?上司の娘やら妻なんて面倒くさいだろうに、こちらが気付いていないにも関わらず、あんたの部下たちはわざわざ私に声を掛けてくれたよ。そして、あんたのこと楽しそうに話してくれたよ。そして、あの父親に育てられた娘っていったい・・・っていう視線をあたしはビシビシ感じたよ。余程変わり者としてうちの父は通っているようだ。
 まぁ、あたしから見ても、うちの父は変わり者だと思う。社長と駅で会って、「あら、嫌な人と会っちゃった」と本人に言う男だ。結婚して名前が変わった部下に、「前の名前なんだっけ?」「随分安っぽい名前だね」なんて言ってしまう男だ。それでも、会社の人にあたしは「君のお父さんはすごい人なんだよ」と言われた。父はそのすごさをちっともあたし達家族には見せない。母も私も父が会社で何をしているのかわからない。時々家の中に名刺が落ちているのを見て、あれま、知らない間に昇進してるよと驚いたりしたことが何度かある。その辺に置いてあった古い本に、父の名前が出てたりしてなぬ!と思ったこともあった。
 そいえば、父は子供のことを親が褒めるものでないと母に言っていたらしい。親が子供をよく思うのは当然なのだからと。外の人に褒められるのは、親として一番嬉しいことだとも言っていた。最近、その意味を理解できるようになった。昔、友達に親の自慢とかされたりして、うちはしがないサラリーマンさと何も言えなかったけれど、こんなに人様に慕われているなんて、うちの父やるじゃん!と、とっても嬉しくなった。そうかそうか、こういう気持ちを父もあたしに対して味わいたいんだな。味わってもらうべく、がんばるよ。あたしゃ。


2004年03月24日(水) 転換期

 昨日母から電話があり、親戚が亡くなったとのこと。25日に秋田へ日帰りすることになった。が、今日は家族ぐるみのお付き合いをしている家の方が亡くなったとの電話。葬儀の日が重なったため、親戚の所へは父が行き、お知り合いの方には母と私が行くことになった。というわけで、秋田行きはなくなった。この時期って、多い。
 テレビを見て長さんの告別式のカトちゃんの言葉にジーンときた。ぶーのインタビューが印象的だった。長さんの出棺の時、思わず泣いてしまったよ。
 小さい頃の土曜夜八時。明日も休み!という嬉しさとドリフの相乗効果で、とにかく楽しかった。父が爆笑していたのも覚えている。確か、母が一度だけ抗議電話をしたことがあった。といっても、もちろん母も楽しんで見てた。ドリフってのがもう大きなイベントだった。
 ドリフの頃のことを考えていたら、変な話だけれど、あたしもそろそろ大人と自覚する時なのかしらんと強く思った。そして、今年はあたしにとって転換期かもしれないなと、ここ最近のことを考えて思った。
 
 


2004年03月23日(火) あたしの目的地

 あっちこっちフラフラしているようだけれど、確実にその中で得ているコトモノってあるのだな。力になっているのだな。そう思った一日でした。すぐに目に見えないもの程、後々大きな力となるのだろうな。つまり、見えないからってやってないと、いつかそれで泣くんだろうな。
 その時、その時をしっかりと生きて、正面から受け止めよう。それで、思うがままの方向に行けば、そこがあたしの到達点、目的地なのだろうな。


2004年03月17日(水) 空き地

 暖かい。今、夜中の1時すぎ。窓を開けたままです。気持ちがよいです。昼間、近所の気になっていた小料理屋へ行ってみた。ランチ500円から600円。カモそば美味しくズズズと食べました。その後、急にタラの芽のてんぷらを食べたくなって、無人販売に行ってみたけれど、まだでした。ちょっと気が早かった。ちちち。
 そういえば、うちの実家の斜め前には小さな空き地があって、ずっと祖父や近所の人が畑として使っていたのだけれど、とうとう売られることになりました。遠くに住んでいるその土地の持ち主が、「私が死ぬまでは売らない」と言っていたので、最近亡くなったのかもしれません。東京で、あんな土地を無料でずっと使ってこられたことは、とても贅沢なことだったなぁと。かつては、そこで焼き芋などしていたなーと。少しずつ小さくなっていた空き地なのだけれど、これでとうとうお別れ。悲しいけれど、定めだったような気がしないでもない。とにかく、すべてが新しく動き出しているようです。
 で、その土地にタラの木があるのだけれど、それを庭のどこへ移動するか思案中。あと、柿の木も。現時点で、庭は、もともとある木と、父の鉢植えでごったがえしているし、車庫の上にはアケビとブドウがなってるし、うちはどうなっていくのでしょうか。。。。こうなったら、家の壁一面に、ツタでもはわせてしまえばいいのに。
 そういえば、犬が、家から飛び出して、その空き地まで行って、「売出し中」の看板におしっこをかけて、家に帰って来ました。犬は、祖父の骨を家から持ち出すときにも、箱をペロペロなめていました。バカだバカだと思っていたけれど、こいつが一番いろいろなことをわかっているのかもしれない。なのに、酔っ払った父と散歩に出かけて帰って来たら、鼻にケガ。1センチくらいの切り傷。父はまったく覚えてない。たぶん野良犬とやりあったのだろうけれど、この間は、ウンコを我慢しすぎて、階段から落ちて鼻を腫らしていたし。。。


2004年03月16日(火) ちょっとメモ

 日記を書く気分ではないのだけれど、記録しておきたいので、ちっとばかり。
 3月13日、祖父の納骨。右が祖父の骨、左が祖母の骨。父のいとこにあたる親戚が初お目見え。議員秘書らしい。そんな親戚がいたのかと驚いた。
 父の兄弟のことで、父と言い合いになってみたり。あの人たちが犯した過ちをあの人たちにわからせて欲しかっただけなのに、あたしをつくってしまって申し訳なかったってどういうことよ。
 まぁ、いろんなことがあったけれど、いいや。あたしも父も母も家族なわけで。ついでに犬も家族なわけで。それだけでいいや。


2004年03月11日(木) 体とのお付き合い

 連日の夜更かし、野暮用での自分消耗で、だいぶお疲れだったらしいあたくしは、今日はすべてのことを放棄して、テレビを見て寝てた。鼻水出るし、頭はぼーっとするし。これは、花粉症?と不安になったのだけれど、少しばかり熱があっただけのようだ。なんだ、風邪かいぃぃ。
 呑みに行くのはお断りして、ガガガと寝てた。この時期、眠るのはとても気持ちが良い。昼間、窓を開けっ放しで、眠るのが特に良い。なんだ、春が嫌いと言っておきながら、しっかり好きなことを見つけているではないか。さすが、あたし。
 今週は、何も進まなかったなー。
 けれど、心は結構穏やか。ちょっとの風邪は、自分に言い訳せずに、理由ありでガツンと休めてありがたい。今年はなんだか、うまい具合に体を壊し、休むことができそうだ。去年は、うまく行きそうになると、体壊してたからな。体との付き合いってのは、とっても大事で、難しい。


2004年03月10日(水) 文章を書く

 野暮用がすんで、ちょっと一息。ツカレター。後は、野となれ山となれ。ダメだったら、またやり直せばいいさ。とりあえず、明日からは再びレポート書きに専念しよう。
 しかし、勉強のことにしろ、他のことにしろ、文章を書くというのは、自分を消耗するなぁと実感。この日記を書いている時でさえ、少しばかりは自分を消耗している気がする。何かを表に出すときには、どんな形でも、自分のどこかを削ってると思う。だから、自分に補給をしないと、どんどんペラペラになってしまう。こんなことは、当の昔に思ったのだけれど、すっかり忘れていた。それを思い出しただけでも、野暮用で文章を書いたことは良かった。何でも、何かを得させてくれるのだな。
 昔思ったことを思い出したついでに、その頃聞いた言葉も思い出した。「美しいことは正しい」って言葉。この言葉を聞いたとき、なんでか涙が出た。言葉で泣いたのは、後にも先にもこの時にしかない。もし、今初めてこの言葉を聞いたら、私は泣くのかな。


2004年03月09日(火) 空を見る

 久し振りに学校に行ったついでに、学割を発行してもらおうとするも、財布の中に学生証明書が入ってない。あれ。。。この間、学籍番号を確認するために、家で財布から出したのだけれど、そのまま家に置いてきてしまったようだ。あああ。また、来なければ。
 研究室で、久し振りに会った先輩から象の顔がついた小物入れをもらった。「お店で発見して、どうしてもあげたくなった」ですって。誕生日でもなんでもないのに嬉しいなぁ〜。この間も、お知り合いから象の置物をいただいた。モノを戴いたことも嬉しいが、そこに寄り添っている気持ちがとっても嬉しい。
 本の合評会だったのだけれど、途中で挫折。頭がついていかなくなった。それと同時に、あたし達がやってることって、いったいなんだろうっていう疑問やら不安が途中から沸いてきて、ちょっといるのが辛くなった。タブーに触れたみたいな気もした。部屋を出ると、あたしより先に退室していた先輩がまだいた。帰らないんですか?と聞いたら、長くなりそうだから、ちょっと自分のことやってからまた戻るとのお答え。こういう、自分の時間を自分で使える環境、すべてが強制ではないこの状態。それが良くて、ここにいるだけなのかもしれんと思ってみたり。あさって呑む約束などしつつ、学校を去る。
 帰り道、一人の先生が言葉にした「言葉の力」ってのを考える。考えることを頭が拒否し始めた所で空を見た。そういえば、最近空を見ることが多い。夜、半分眠りそうになりながら見てたテレビで石原義純が、一日に一回空を見てくださいって言ってた。不覚にも、ぐっときてしまった。
 さて、あたしの学生証よ、どこに行ったのだい?机に上にもないではないか。


2004年03月08日(月) ラーメンスープ

最近、毛布がとても気持ちよくて、生まれ変わったら毛布になりたいと言い、その度に、友人には、毛布は毛布の気持ち良さはわからないのだよと言われながら過ごしております。そうか。毛布は毛布なのに自分の気持ちよさがわからないのか。私も私のことがわからんよ。一緒だね♪
 そういえば、ここのところ日記のタイトルをずっとつけてない。これは、あたしの現状をとってもよく表している。モヤモヤな生活。けど、充実しているといえばしてるし、ギュっと詰まっているといえば詰まってる。ラーメンスープみたいだ。最近のラーメンスープは、頑張り過ぎていて、美味しいのか美味しくないのかよくわからない。どんな味と聞かれても、思い出せない味が多い。いろんなものが一体化した結果生まれた味。けれど、いろんなものが入り過ぎて、結局このスープの味はどこにあるんだ?ってかんじ。どこにあるかわからないから、美味しいのかもわからない。そういう、モヤモヤした生活をあたしは送っている。
 それも良いのだけれど、後から読見直す時に困るので、タイトルを出来る限りつけようと思ったりして。


2004年03月02日(火)

 昨日、野暮用でちょっと文章を書いた。疲れた。相変わらず稚拙な言葉しか並べられない。けれど、気付いたことがある。なんだか、かしこまって書こうとすると、抽象的にしか書けなくなっている自分がいる。ある意味職業病?しかし、抽象的にしか書けないなんて、ちょっと悲しすぎると落ち込んだ。
 昨日書いた文書もそうなのだけれど、なんだか最近やる気がみなぎっていて、思いもしなかったようなことを、やったりしています。けれど、やっぱり向いてないかと、始めて数日なのに思っていることもあります。そうやって、いろいろ手を出しては、今いる場所に帰ってきているのだなぁ、あたしってやつは。時々他の場所にムショウに行きたくなっては、やっぱり今いる場所が一番だと思うのだ。旅行から帰ってきて「やっぱり家が一番」と言っているようなものだな。そういや、研究もそうだ。メインテキストに対して、もう、お前とはわかりあえん!と思い、今度こそ本当にお別れだ!と他のテキストに移っても、結局戻ってきてしまっている。まぁ、その回り道で拾ってきたいろんなものが、あたしという人間の半分以上を創っているような気もするけれど。
 といっても、やってみたいなーと思ったことが、今しか出来ない場合は、少しでもやっておかないと、後々、あの時やってれば・・・と思うので、やっぱり嫌だと痛感するまで、やってみようと思ってます。数日で痛感するのか、それとも数週間なのか。それは、あたくしにもわかりません。けれど、ちょっとやってみたいなぁと思って入り込んだ今の世界で、ダラダラ長いこと過ごして楽しんで苦しんでいるわけで。何がどうなるのか、わかったもんではないとも思っております。


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