度々旅
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2002年08月31日(土) 見知らぬおばさん

 本日、今年初めに使って、ほったらかしにしておいた使い捨てカメラを現像に出しました。そして、現像された写真を見て驚いた。知らないおばさんが写っているのです。・・・・誰?

 おばさんが、大きな机に向かって何やら作業をしてる。写真の隅の方には、別のおばさんが切れて写っている。よぉ〜く写真を見ると、おばさん達が向かっている机の上には、カバーをしてない使い捨てカメラが。。。。

 どうやら、私が買った使い捨てカメラは、私の手元に来る前に、店に並ぶ前に、工場から出荷される前に、一枚の写真を撮ってしまっていたようです。こんなことってあるのねー。それがわかって、写真をよくよく眺めると、おばさん達はカメラに電池を入れる作業をしている模様。

 写っていたおばさんは、顔や化粧や服装から日本人のようです。使い捨てカメラは、使い捨てと言いましても、そのボディーは繰り返して使われていると聞いたことがあります。そのリサイクル作業は、日本でやっているのねぇー。てっきり中国でやっているのだと思っておりました。

 それにしても、こういうことってよくあるのでしょうか。こんな形で、使い捨てカメラの組み立て?の様子を知ることができるとは、思ってもいなかったです。

 


2002年08月30日(金) 訪ちょう

 小泉氏が北朝鮮を訪問するそうな。北朝鮮を観察し続けている私としては、なんとも現実味がなく、不思議な気持ちだ。
 外務大臣は連れて行かないということには驚いた。一年前から事は進められていたということにも驚いた。そして、この時期なのも驚いた。9月初旬に不審船を引き上げる予定だが、不審船に関して国民に知らされていないことが多くあるのだろう。それを切り札に強気でいってくれるのではないかと、期待をしてみたりもする。切り札は違うことかもしれないが、何せ、首相直々に行くのだから、成果を出せるという確信の下での訪朝なのだろう。

 しかし、国交正常化と拉致問題解決。どちらが先になるのだろう。並行して話すことは可能なのだろうか。日本としては、国交正常化を目的とする訪朝としながらも、拉致問題解決への期待が一番強い。国交正常化を国民がどれ程望んでいるのかさえ疑問。

 拉致問題を解決しないで小泉氏が帰ってくるのでは、という声も大きい。実際、首相自ら出向いて前進なく帰ってきたとしたら、これはどうしようもない。。。拉致家族の方々も、今まで色々あったため、解決に結びつく!と素直には喜べないと言われていた。しかし、言葉は悲観的であっても、笑顔なのだ。その笑顔を見ていると、絶対に解決へと前進して帰ってきて欲しいと強く思った。小泉氏にこんなに期待をしたのって、彼が首相になって初めてかも。。。

 


2002年08月29日(木) 外に出てみた

 さすがに、部屋に閉じこもってばかりもいられない。よく考えたら、この部屋に帰ってきて一週間、閉じこもったままだった。コンビ二さえ行ってない。週末に買い物を買いに行ったくらいだ。
 どうも、時間の流れが止まっているかんじ。

 これはいかんと、夕方ご近所に写真の焼き増しへ。そして、驚き。30分で出来ると言われ、世の中そんなに進んでいるのねぇと。。。それを待っている間、新しく出来たジェラート屋へ。

 帰ってきて、お風呂に入り、ゆっくりしていたら、涙が出てきた。なんだか、私の心は途方に暮れているようです。

 夜は友人を久し振りに招待していたのですが、こんな気持ちなので断ろうと思っておりました。が。。。涙が出た後は、反対に机に向かう気持ちが盛り上がり、心がすっきり致しました。ああ。やっぱり、原因はこれだったのね。。。

 やはり外を歩く、太陽に当たる、空を見るって大切だ。窓から風にあたるのではなく、外で風の中に立つことが必要。緑を眺めるだけでなく、緑の中で匂いを感じ、川を眺めるだけでなく、川の音を聞くのが必要。

 そうやって自然と出た涙は、心地良いもの。
 
  


2002年08月28日(水) アルバイト

 そろそろアルバイトを真剣に探そうかと。。。近所の個人経営飲食店でバイト募集の張り紙があるという友人からの情報。思い切って電話をしてみるものの出ない。出ないことに、「ほっ」としたのが内心・・・。しかし、これではいかん!と思い、店が空くであろう時間に再びチャレンジ。しかし、出ない。あれぇ。今日は定休日だったのでしょうか。やる気がそがれた。とほ。

 今まで、だいぶいろいろなバイトをやった。一日で逃げた?ものもある。長く続いたものもある。その中で一番自分のためになったなぁと思ったのが、先日まで続けていた事務のバイトと、お祭りでのテキヤだ。
 私がやったテキヤは、食べ物を売るのではなく、遊戯系だ。いやいや、ヤクザなお仕事ではありましたが、非常に社会勉強をさせて戴きました。本日は、バイト探しに本腰を入れるべく、あの辛い辛いバイトを乗り越えた記憶を思い出そうかと。。。

 テキヤのバイトは、売ること自体は非常に楽しい。基本的に遊戯系(射的やヨーヨーや輪投げ)は、目玉商品はゲットされないようになっている。大人はそれをわかって客になってくれ、どちらかというと、売り子との掛け合いを楽しんでいるので、「お兄さん!彼女にいい所見せてきなよ!」「かっこ悪いなぁ〜。負けたまま帰っちゃうの?」などと、財布の紐を緩ませていく。しかし、子供相手だと、ちょっとごめんね。というかんじ。でも、彼らにとって、社会勉強になるでしょう。。。
 しかしです。先ほども述べましたが、「売る」ことは楽しいのです。しかし、売る影には、店の設営と解体がありまして、社長は刺青をしておりまして、機嫌が良い時は、「○○さん」と呼んでくれるのですが、一つでも何か社長の気の食わないことを致しますと、「おい!ね〜ちゃん!」「おらおら!」ってなかんじになるわけです。

 私は、売り上げが非常に良かったらしく、社長に気に入られ、連休以後も度々頼まれてやりました。携帯に、社長に名前が出るたびにびく!っとなりながら。。。断ろうと思いつつも、社長の優しい天使のような声を聞くと、断れない私。

 ある時は、川原での花火の日、夕方大雨が降り、びしょびしょになり、ビニール袋をかぶりながら、誰も救援に来てくれない中、必死に店のテントから水を追い出し、雨の後は、とんでもない数の虫たちに店を占拠され。。。また、ある時は、車に乗ってもどこに行くかなかなか教えてくれず、下ろされた場所が、富士山のふもとだったり。。。客の中に、以前塾で教えていた生徒がやって来て、「何してるんすか?大学やめたんすか?」と言われてみたり。寝坊した日は、殺されるかと思いました。このまま逃げちまおうか。。。と思いつつ、自分が行かなければ、店が一本立たないわけで、20万以上の損失です。泣きそうになりながら、社長に電話をかけ、「たるんでんじゃないのか!」とどなられ、「どうするつもりだ!」と言われ、内心、だから、もうやらないって言った所を、頼んできたのではないですかと思いつつ、「自力で、祭り会場まで行きます。。。」と答え。泥と、汗にまみれて。。。よくやったなぁ〜あたし。

 やっぱり、あれより辛いのは、なかなか無いかもな。「トイレ行ってきます」と言って、帰って来ないで逃げた奴もいたのだし。。。

 まぁ、社長も不条理な怒り方をしているわけではなく、時には、りんご飴をどこからか持ってきてくれたりもした。社長の父親の会長は、私が隣の見世物小屋を見たい!と言い続けている言葉を聞いて、券をもらってきてくれたりしたこともあった。祭りを、内側から楽しむのもなかなかものでありました。

 あぁぁぁ。テキヤ復帰しようかな。。。。でも、夏も終わってシーズンオフだし。いや、もう若くないから無理だ。やっぱり、無難なバイトを探しましょう。どなたか、雇ってくれる方がいらっしゃたらご一報を。
 薄給でもかまいませぬ。


2002年08月26日(月) 深夜の会話

 はい。本日から午前中に起きるつもりでした。そして、起きたものの、再び寝ました。しかし、リハビリ程度のことはできたので、良しと。いちいちこういうことで、ああ、もっとやらねばなどと精神を消費していてはしょうがない。

 ということで、今日こそ早寝と思っておりました。が、、、。人との会話は素晴らしいものです。素敵なお友達との会話は、私に知識を与え、知的欲求を引き起こします。本を読むのも良いものですが、自分がそこで何かを発しても著者は答えてくれません。しかし、人間との会話は、すぐに私の投げた言葉に次の言葉を投げかけてくれます。そういうやりとりが生み出すものは、素晴らしいなと。

 もともと、深夜に会話をするということが好きでした。深夜の会話とは、時間を忘れさせどこまでも続いていきます。私の家に友人が訪ねてくる時は、だいたい夜10時を回った時間であります。そして、一晩中、あれやこれやとお話。時には、地図帳を見て、敵はアメリカ!と大騒ぎしてみたり、テレビを見て、一つ一つ毒づきあったり、「食べていけるのかねぇ〜この先。」などと、心配してみたり。しばしば、研究の話もしますが、直接的に議論をたたかわせるというわけではありません。違う分野同士、刺激し合うということが多いようです。

 深夜の会話は、どこまでも続きます。地球を一周するほどの話題になることだってあります。そうやって、知らず知らずのうちに、多くの新たな関心事が発掘されます。それを、太陽のもとで、一つ一つ思い起こし、確実な知識にしてみたり、物事の観察の新たな道具として使ってみたり。

 昼間に独りで勉強し、鬱々となり、モーターは疲れ果て、なんで走っているのかも忘れてしまうのですが、それを夜に新たなモーターを搭載して、私は日々発進しているようなのであります。そのモーターが、深夜の電話であったり、友人の訪問であったり、メールや、掲示板に書き込んで戴いた言葉や、チャットであったりするようです。となると、人嫌いのような私も、やはり、人が大好きなんだなと思うのであります。

 


2002年08月25日(日) 東洋の神様

 気持ち的には、本日までお休というつもりです。そろそろ現実世界と再び向かい会わねばなりません。

 もう東北の方の小中高生は学校が始まっているのでしょうか。私は、小学生の頃から、8月の二桁日に入ると、日曜日にさざえさんの音楽を聞く時のような、なんとも言えぬ気持ちになっておりました。今まさに、その気持ちでもあります。幾つになってもこういうものは変わりません♪

 それにしても驚いたことが。たった数週間で、日本語が下手くそになっております。いえいえ、決して英語が話せるとかではないのです。ただでさえ、私の言葉は要領を得ず、言葉を捥がれたような、もどかしい状況に出くわすことが多いのですが、今まで以上にもどかしい現在であります。

 そして、そして、日記を書いている私と普段の私がなんとなく、しっくり来ておりません。さぞかし、読みずらい文が、ますます読みずらくなっていることでしょう。申し訳ありませぬ。

 ちょっと、部屋に祭壇?みたいなものを作ってみました。といっても、別に何かを奉っているわけでもなく、今までばらばらにあった曼荼羅や、神様絵葉書や、数珠を一箇所に集めてみたわけです。ついでに、小さな置物も一緒に置いてみたら、象の祭壇になってしまいました。。。旅先で、帰ったらこういうものを作ろうと思って、3センチくらいのブッダの像も買ったのですが、今見当たらず。。。あれぇぃ。

 しかし、東洋の神様は、一緒に置いてもケンカしない関係で、素晴らしい!と思ったのでした。しかし、どうも私は、仏像とか、曼荼羅とか、好きらしいということが判明。これも歳のせいなのでしょうか。でも、それぞれの国の文化は宗教と密接に結びついているわけですから、行った土地のそういうものに興味を持つのも、当たり前なのかも。






2002年08月24日(土) 旅後の作業

 旅の写真が出来上がってきた。そして、とほほという気分。やっぱり、実物にはかなわないなぁぁぁ。

 写真は実はあまり好きな方ではなく、写るのもあまり好きではない。旅でよく一生懸命写真を撮り、レンズを通した風景にばかり気が向かい、心の中に風景が残っていないという話を聞く。数年前に一緒に旅行した友人は、頑張って写真をとっていたが、今だに現像していないとのこと。

 やっぱり、写真を撮る腕もセンスもない私としては、風景は絵葉書を買うという今までの方針で良いのだなぁと思った。結局のところ、私などが撮る写真は、記憶を呼び起こすきっかけにすぎないのだなぁ。

 それにしても、写真を撮るのは良いのだが、今回はいろいろ送る相手もできてしまい、そのために英語で手紙を書くわけで、うううん。ああ。英語のメールも来ていた。あんまり、旅先で正体を明かしたくないけれど、また行くことを思うと、仲良くなって親切にしてくれた方に嘘をつくわけにも行かず、写真を送ってくれと言われた約束を破るわけにもいかず。

 そんなわけで、これから出来た写真を焼き増しして送るという作業があり、アルバムをつくるという作業があり、ネットに載せるという作業があるわけです。まぁ、最初の一つ目以外は、気が向いたらやることとしましょう。あ、旅に行く前にテキストを読むぞとはりきっておりましたが、最後の方は完全放棄してしまいました。その上、絶対行ってやるぞと思っていた場所もあったのですが、当初の予定と違うルートをとり、行くのが面倒になり、だんだん義務感になってきて、そんなやることが決まっている旅なんて、私の旅ではない!などと、行くことを辞めました。

 気の赴くままに過ごすために行っているわけですから。そんな人間らしい時間を持ててよかったなと。そんな人間らしい時間を与えてくれた、旅先の人達に、感謝の気持ちで、写真を送る作業を致しましょう。

 でも、泊ったゲストハウスのマネージャが、非常にナイスガイで、恋?をしてしまったのですが(笑)そんな彼からdon't forget meなどとメールが来ていて、結構嬉しかったりしてもいるのでした。

植物日記更新
HPのtop写真更新
 
 


2002年08月23日(金) 時の流れ

 窓を開けて寝たら、寒さで目が覚めた。しとしとと雨が降っている空を見上げながら、もう夏は終わってしまったの???と寂しい気持ちに。去年の夏、北海道に一週間位滞在し、帰ってきてみたら涼しくて、夏の暑さは待っても待っても戻って来なかった。今年の春は、台湾旅行中に、桜が咲いて散っていた。そして、夏。。。

 少しの期間いつもいる場所から離れる。帰ってきてみると、知らない間に季節は移り変わっている。そんなことを感じるようになったのは、いつごろからだろうか。

 日本という国は、次々と季節が巡り、それが素晴らしくもあり、悲しくもあり。季節の移り変わりは、時の流れを感じさせ、いつも私をあせらせる。去年の夏より私は前に歩いているのだろうか、季節の移り変わりと共に、私も変化しているのだろうか。私は、ちっとも何も変わりはしないのに、どんどん季節は変わって、私は置いてけぼりで、でも一方向の時の中でしか生きられないので、がむしゃらにぱくぱくと時を食べているだけなのではないだろうか。

 そんなことを思いながら、しとしとと降る雨音に耳を傾けつつ、お友達の最近の日記を読み、みなさん、生きているのね〜、などと。

 大切なお友達の日記の中で空のことが書いてあり、ある感覚を思い出した。太陽のある空を見ていると、その広がりは本当に気持ちが良い。しかし、夜空の広がりは私を恐怖へと引き込むことが多々あった。夜空を見ていると、その先に光る星々は美しいけれど、それ程遠くまで宇宙は広がっているということで、その光が私まで届くには信じられないような時が流れているわけで、その上その先には、もっともっと宇宙が広がってもいるわけで。。。夜空は、空間だけではなく時間も私へと感じさせ、自分の寿命、地球の寿命、宇宙の寿命、宇宙の始まり、終わり、無、といったものへの恐怖が、どっと私の中に流れ込み、ただただ目の前にある時間だけに視点を戻そうと、必死になる。

 中学生の頃から、死ぬのよりも何よりも、時間が怖かった。自分が死んだとしても、土に返り、地球がなくなっても、宇宙の中にそれは漂い、しかし、宇宙がなくなったら。。。そんな無へと運ぶ時間が怖い。

 この感覚は、小学生の時から少しずつ持ち始めた。小学生の時、田舎で、従姉妹と寝袋に潜り込み、庭で星を見上げながら寝ようとしていた。しかし、二人とも急に怖くなり、空の広がり、時間の流れを一生懸命納得のいくように理解して、恐怖を取り除こうとしていた。その時の二人の答えは、この宇宙は、きっと誰かの体の中で、私達の中にも宇宙があり、もしかすると、私達がいる宇宙の体の持ち主は、死んだおばあちゃんかもしれないなんてことを言い出していた。

 体の持ち主が祖母かどうかは別として、私達の体が宇宙ということは、実際間違いではなく、外にも中にも、わけのわからない無限が続いている。本当の点なんてどこにもありはしない。でも、点がなければ、物体は創造されない。大昔から、人々はずっとこんなことを考えてきて、それをなんとか恐怖ではなく理解し、納得しようとし、その理解はあらゆるものを関係づけるために、神話は生みだした。

 いまだに、そういう恐怖はわぁっと私の中に広がることがあるが、そんな時は神話の知をかりることにしている。大昔からの知は、私を安堵させ、反対に、そんな恐怖も宇宙も全部飲み込んでしまったかのような、穏やかな広がりを私の中にもたらすのだ。

 さて、果たして夏は戻ってきてくれるのでしょうか。もしすぐに戻ってきてくれなくても、一年待てば、また確実に戻ってきてくれる幸せな土地に生まれていることを感謝しつつ、夏の終わりに、時の流れに身を委ね、眠ることとします。 


2002年08月22日(木) 来年の夏も

 祖父の誕生日。88歳で、米寿のお祝い。本人は、だいぶぼけてきてしまっているので、「今日何の日?」と尋ねては教えるということを繰り返しても、すぐ忘れてしまっていたが。。それでも、やはり、嬉しい。

 私は、おじいちゃん子だ。私が実家へ帰るのも、おじいちゃんがいるからというかんじ。母の話によれば、私が小さな頃、ベビーカーでおじいちゃんが私を散歩させるのだが、私はすぐにベビーカーに立ち上がり、大変だったとのこと。小学校1年生の時交通事故にあった私。足の骨を折り、松葉杖で遠足に参加した私を、心配して自転車で追ってきて、先生に注意されても、追い続けたおじいちゃん。

 母に怒られると、私は祖父に言いつけたりもした。私が一番怒られてショックな相手もおじいちゃん。

 今では、その頃の元気さはだいぶ失われてしまったが、それでも、いてくれることは嬉しい。しかし、この年齢になっても、いまだ曾孫を持てないでいることに、少し申し訳ないかんじもする。テレビのCMで、赤ちゃんがうつる時の祖父の笑顔を見るたびに、ああ、曾孫を見せたいなぁなどと思ってしまう。まぁ、当分無理そうだけれど。。。

 でも、それまで、生きていて欲しいなぁ。ここ10年、祖父は長生きして良かったというようなことはなく、寧ろ、悲しいことばかりだった。

 そんなことを、ずっと思っている。毎年、家族で、今年の夏が最後かもと言いながら、過ごしている。
きっと来年も、そう言えることを、願いつつ。おじいちゃん、お誕生日おめでとう。

 というわけで、この日に間に合うために、旅から帰ってきました。そのうち、記録をUPしたら、笑ってやってください。


2002年08月11日(日)

it went on raining everyday.
therefore,I have nothing to do especially,Igo for a walk around the guest house,read books and chat over a cup of milk tea.
I`m planning to extend my stay in Kathmandu for a few days.
it is comfortable to stay here.
my stay area is Jhochhen where is near Thamel area that is famous as the tourist area.
in contrast,Jhochhen has few tourists.
so,people in Jhochhen are different from in Tamel.
they are very kind,almost honest,and help me.

But!everyday some peple say to me "Happa?""Hasisi?""Ganjya?".
I respond to them "No""Iranai!"
I think this is a way to communicate.

I will show here another term of their communication.
"no takai, tomodachi, chotto mate,mirudake,no takai ne--"
"genkidesuka?tokyo?osaka?tokyo is very big city ne---"
"ikura kau? yasuine- tomodachi price!"


2002年08月09日(金) in kathmandu

now I` m in Nepal.

this internet is not free.so what follows is in japanese,

watashi no english deha kore wo kaku tameni jikan ga kakaru node, nihongode...

delhi kara india ni hairu noha kiken to kiite ita node,
kakugo ha siteitaga,damasareta!!!
sonotame,yotei wo ookiku kaenakereba naranaku natte simatta.
kuyasiikeredo,syouganai.

nepal deha,ikuninkano friend ga watasi wo oboetekureteori
sinnsetu ni sitemoratteiru.sikasi,taityou ga omowashikunaku sukoshi
komatteiru.

kinou yoga no sensei wo yatteiru hito to siriaeta,
lesson wo sitekureru toiunode kare no tokoro ni asa itta.
shikashi taityou ga kanzen deha nainode yoga wo surukotoha yame
sonokawari kare no siriai no Dr.Osho(famouse na Dr.Osho no deshi no deshi)
ni free de sinsatu wo site moraeta.
indian to tigatte nepalee ha sinsetuda!!

sonna kanji de every day furafura siteimasu.
sorenisitemo ro-maji de utu nomo yomu nomo menndouda.
kotiraha,itaru tokoroni netcaffe ga ari,haitte mitakute haittemitaga tokuni yarukotomonaku kekkyoku korewo kaiteiru wakede...
tohoho....

toriaezu mail wo kureta kata arigatou gozaimasita.
suujitugo ni india ni modoru tumori.
mou tukaretekita node idou ha sitakunai toiunoga honne...
mada mijikai kikan sika inainoni...
saisyo ni damasarerutte kekkou ato made hibikumonodesu...



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