木の芽通り
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2002年06月10日(月) 鼻と虹

イザナギは「みそぎ」をする。そして
左眼を洗うときに太陽神−アマテラス、
右眼を洗うときに月神 −ツクヨミ、
鼻を洗うときにスサノヲ
を生む。

この左眼・右眼・鼻、なにか意味があるのだろうか、という疑問は
「万葉集」に「虹」が何故読まれなかったか、ことと一緒に、
もう何十年も私の頭から、離れてくれないのである。


2002年06月06日(木) 師の師。

「ににん」という雑誌で岩淵喜代子氏が、石鼎を書きはじめた。
氏にとって、石鼎は師の師にあたる。

生前どんなに名があった俳人でも、死後、誰も語ることがなければ、その人は忘れ去られてしまう。それは師系においても同じである。
だから、弟子は師匠を語る義務がある。

だが、弟子は決していい”作家論”は書けない、と言われる。
時に冷徹な眼を以って探らなければならない作家像。
直に接してきた師に関して、その眼を曇らせてしまうからである。
師匠が亡くなって10年は書けないはず、とも聞いたことがある。

それでも、師系は語りつがねばならない。
だからこそ私達は、師の師を改めて学び、書き残す必要があるのではなかろうか。
最近そんなこと思い始めていた矢先の岩淵氏の執筆。
とても楽しみである。

ふ〜、やっと更新。










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