独白「文字式」

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2002年08月25日(日) でんぷん讃歌(楽しい夏合宿編2)


じゃがいもが異様に安い時はそれを買いこんで、
みそしるに大量にぶちこんで、
他に主食を用意しなかったりと、なかなか切ないのである。

今回のカレー作りは、一人のためのご飯作りではなかったので、
昔の辛い思いを払拭して、なかなか楽しい気持ちで取り組むことが出来た。
スーパーに行って、カレールーを購入する。
買ったルーの名は「こ○まろカレー」
ちゃんと作れば、名前の通り、コクがあってまろやかなカレーが出来る代物である。

キッチンにたって、いも、にんじん、なす、たまねぎ等を切る。
カレーに適した切り方があるのだろうが、
悲しいかな、一人暮しの自炊は食べれればいいというものなので、
いまいち野菜の切り方まで勉強することは無く、
したがって今回のカレーも、なんとなくざくざくと切ってみる。

切った野菜と肉を炒めて煮こみ、カレールーを投入
意外と味にうるさい私なので、完成間際にしっかりと味見をする。
おお、まろやかだ。さすが「こ○まろ」
しかしどうもカレーのまろやかさじゃ無い気がする。
まるやか、というよりも、まったり、
もっといってしまえばもったりとしている。
妙に優しくほっこりとした味わい。そのためカレーらしくねえぞ。
もしや…。

「こ○まろ」に書いてあったレシピと、自分がつくったレシピを比較した結果、
じゃがいもをいれすぎたことが判明したのである。
大量にいれたじゃがいもが、カレーにとけこんで、
妙にまろやかなカレーになってしまったのだ。
すこしでも味をリカバーすべく、隠し味にケチャップを入れてみたりしたが、
基本的な部分は変わらず、最終的に
「でんぷんまろやかカレー」が完成したのである。

じゃがいもは好きなので、
結構うまかったんだけどね。

このカレーをエネルギーにして
翌日より散歩に向かったのである。
(つづく)


2002年08月21日(水) 妄想音楽(楽しい夏合宿編1)

ああ、楽しい夏休みが終わろうとしている。
が、ため息ばかりついてはいられない。

と、いうわけで、
夏休みについて、日記にまとめようかと思う。

この夏休みは「合宿」と称して某宅に泊まり込み、
さまざまな活動をつうじて、新たなる詩の地平線を目指す。
ということをコンセプトにいろいろ遊んでいた。

で、合宿のオープニングを飾るのは、
デートである。
ライブである。

といっても
デートは妹とだが。
ライブは「たま」なのだが。

「たま」を聞きはじめて、かれこれ10年以上になる。
思春期の、一番吸収する時代に、
あの個性ある旋律と詩にであえたことは、
幸不幸はともかく、影響は大変に大きかった。
特に、私が詩を書きはじめたのは、「たま」の影響が大きい。

もし、あの時、
出会っていたのが「ビートルズ」だったりしたら、
今ごろ、英語好きになって、世界を飛びまわってたりして、
なんて考えたりするとくらっとするが。

まあ、いいや。
で、ライブの内容である。
オープニングの曲は「パルテノン銀座通り」
やや、音がしっくりいっていないような気がした。
なんか微妙に音ずれしているのか、響きがわるいのか…。
(このしっくりこない感は、ライブ中盤まで感じられた)

その他、「かわいい流れ蛸」「健さん」など渋い曲が続いたのだが、
今回の選曲は、4年前の夏のライブと同じ曲、とのこと。
それは、だれかにとってお得なことがあるのだろうか、
という疑問をかかえつつも、
4年前の夏、昼休みに、会社の近くのテニスコートのそばで
一人、「青空」(←これもたまの曲)を口ずさんでいたなあ、
なんてことを思いだし、一瞬トリップしてしまった。

まあ、なんのかんの言っても、ライブは楽しかった。
「もののけ番外地」とか「ざらざら恋の歌」とか聞けたし。
で、妹が思わず買ったライブビデオ3本を無理やり借りて、
ビデオ片手に某宅へと向かったのである。
(つづく)


2002年08月11日(日) 連絡事項

先日、海に行ったのだが、
肩の部分に日焼け止めを塗るのを忘れて
肩がいたくてしょうがない今日この頃。
日焼け止めの威力をあらためて確認である。

と、まあ、前置きはさておき、
これから夏休みなので、夏合宿に突入することにした。

合宿前半は、感性を高めるがため、
ライブに行ったり、映画に行く。
で、後半は、その高めた感性を実践するため、
「さんぽエム」と称して、
(↑この表現の段階で感性が問われるような気がするが)
散歩をして、感じたことを詩にする、
という取り組みにのぞもう、と思う。

請うご期待、などといいつつも

結局、この日記の目的は
しばらく自宅のパソコンは触らないので、
メール等チェックできないかもしれない、ってことなのだ。


2002年08月03日(土) ゆるやかな白い液体、牛乳(牛乳党がやってくる編6)

お腹もいっぱいになったので、
とりあえず最寄駅に向かってブラブラと歩く。
通りすがり、たまたま夏祭りを行っていた神社に立ち寄ることにした。

暑くて、餃子で喉も乾いていたので、
屋台のかき氷を食べる人が多かったことはさておき、
(私も一口貰った。うまかった)
立ち寄った神社は、とくに有名な神社、というわけでもなく
どこの町にでもありそうな神社なのだが、

ちょうど夕暮れどきで、あたりが薄闇に包まれ、
屋台が出ているものの、けして人でにぎわっていないところが
妙に郷愁をそそられる。
たたずんでいるうちに、お神輿が神社に帰ってきて、
神殿の前で、笛をふいたり拍子をとっている。
ちょっと非現実の世界に入りこんだ感覚を
各牛乳党員は楽しんでおられるようであり、
その勢いの中、私もいつもの神社を楽しんだ。

もし、私が一人で散歩していたとしたら、
このような状況を楽しむようなことはなかったであろう。
まず、いつもの町のどこにでもある神社、という意識で
神社に立ち寄ることはなかったであろうし、
立ち寄ったとしても、
日常の中の風景という思いこみで、
心が楽しむモードに入らないであろう。

だから、何人かあつまって散歩するのは、というのは
たまには良いもんだなあ、と思う。
みんなそれぞれ考え方や見方が、ちょっとづつ違うのである。
Aさんがあまり興味ないことでも、
Bさんはものすごく面白がったり、
微妙に違うからこそ、
思いっきり感情がシンクロした時は妙に可笑しくなったり。

一人旅のように一人で過ごすこと、が、
自分の見方、興味の再確認、深化だとしたら
党大会のようにみんなで過ごすこと、は
いろいろな見方、面白さの集積なのだろう。

さらに、ここで付けくわえておきたいことは
面白さを集積するためには、
一緒に過ごしている人を、そのまま受け入れることが必要なのである。
ある人に対するなにかしらの情報を意識しすぎて、その人を見てしまうと
面白いことも面白く感じられなかったり、
たいして面白くないことを有難く感じてしまうことがあるであろう。

で、牛乳党の良さ、というのは
なんだかいろんな人が集まっているわりには、
ぼんやりとしていて、そのため、
なんだかそのまま感が漂うところにある、と私は思う。

正直、集まっている人の経歴や状況を聞いてみると、
聞く人が聞けば「なんだか凄え」と
いわざるを得ない人ばかりである。
でも、そんなことはお構いなしに、
みんな、飲んだり食ったり語ったり呆けたりしている。
そのため、何がなんだかわからんけども、家に帰ってみると、
「ああ、なんだか党大会は楽しかったなあ」ってなるのである。

そして、今回のN市の大会も、やはりなんだか楽しかった。
神社にいってからも、さらにどこかで飲んで
にぎやかにしゃべったり、某氏の作品を回覧したり。
(個人的には、某氏より革命談義を聞いたりしてたのだが)
全工程を振りかえってみても、
某氏が変な帽子をかぶってあらわれたり等、
それぞれがそれぞれの個性を発揮して…。

じつにゆるやかな連帯。さすが牛乳なのだ。

以上、牛乳党編は終了です。
またしばらくはHPの更新は詩を中心にして、
夏休みの思い出でもたまったら、報告のかわりに
日記を書きだそうかなあ。


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