浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2003年04月23日(水) 追悼特集

24日夜、NHKトップランナーで、加藤大治郎追悼特集が放映だそうだ。

....オレには、見る勇気がない。

書店で、セナを表紙にしたF1誌を目にする。
まー、WEB広告画像で知っていたけどさ。
でかい判の誌面を手に取ると、そのインパクトは大きい。中身もまた、セナ一色だ。
怒りで、侮蔑で、暗澹たる思いにかられる。
何故に今もなお、アイルトン・セナ・ダ・シルバなのか。

セナ個人にうらみはない。彼を愛する人達を貶めようという気持ちもない。
オレは彼を知らない。彼が消えることでこの世界に残った大きな空洞を通して彼を知るのみだ。
これは、この感情は、毎年3月に音楽誌の表紙をランディ・ローズが飾ってしまったときに感じるのと同様の、とても個人的な反応でしかない。
怒りを、侮蔑を感じるのは、それを表紙にすることを選んだ商業誌の商売っけに、であり、それを選ばせた世の中の趨勢に、である。
栄光は「今」ではなく「過去」の中にあるのか。
語るにたる存在を、生きてある人々の中に見いだせないのか、と。

彼らの死は、悲劇だ。
彼らは、その絶頂期に不幸な事故で命を落とし、彼らが築いたであろう未来を断ち切られた。
彼らの死は、そこに残された人々に大きな心の傷を残し、後にまで続く変化と波紋を生ぜしめた。
彼らの死は、ひとつの時代を語る切り口である。
それでもなお、彼らを英雄に、伝説に、神話にしてしまうことに、どうにも我慢ならないのだ。

語られるべき死者は、彼らだけではない。その思いもこみ上げる。
彼らだけではない。道半ばにして、失われていった人達は。
大好きな人、崇拝するような思いを抱いて、その人生を見つめ続けた人が失われる痛みを、喪失感を、オレもまた知っている。
知っていて、それでも、残酷な言葉が口をついて出てしまうことを止められないんだ。
ちくしょうめ、すでに死者の列に入った者達が、こちらの抱いた理想を裏切ることはないんだ!
ちくしょう、どれほどいっしょに生きたかったか。英雄などと名づけられない人生であっても、失望を抱いて苦笑いすることがあっても、どれほどいっしょに老いたかったか。いっしょに時代を歩みたかったか。
ほしいのは、英雄じゃない。伝説でも、神でも、天使でもない。
生きて悩み、苦しみ、それを乗り越えてともに微笑み、同じ時を刻むことが、どれほど大切で、どれほど輝かしいことであったか。

....逝ってしまった人々を思う。
彼らが忘れられていくことに、耐えられない。
彼らが偶像とまつりあげられることにも、侮りを受けることにも耐えられない。
なにを言われようと反論する手段を持たない彼らが、彼ら自身の真のありようを明かすことはもう出来ないのだから。
それを受け入れることは、彼らが現在にではなく、歴史の中にある存在となってしまったことを、受け入れることなのだ。
....そして、オレの心は引き裂かれる。
そして、オレは、怒り狂う。
オレ自身もまた、書くことでなにかを理想化してしまっているのだから。
ドラマが、歴史が、多面的な分析が、美意識に貫かれた画面や文が、好きでたまらない面をもっているのだから。

数日前、ひとつの命が、ひとりの未来が、失われた。
それが悔しい。それが悲しい。
それが、いつもより私を過敏に反応させているのか、とも思う。


2003年04月20日(日) サンマリノGP/大治郎、逝く

帰宅して地上波放映を待ちきれずにネットをつなぎ、ネット観戦の今日。
ライブタイミングでレースをチェックしながら、シューマッハ兄弟の母の訃報を知る。

彼らの苦悩、彼らの悲しみ。
その胸に抱く思いがどのようなものであろうと、レースは続く。
F1サーカスは巡り行く。
彼らとともにひとつのもののために力を尽くし、彼らが闘いとることを渇望する人々がある。
あまりにも多くの人々の思いが、その肩にかかっている。

初めて彼にひかれたとき、彼の背には、とてつもなく重い荷が課せられていた。
幾度もの失敗と失望と多くの苦悩をこえて、彼は彼自身の誇りを勝ち取っていった。
絶望しそうになるたび、予想をこえた力でチームを引っ張り、信頼を築き上げ、驚くべき軌跡を見せつけていく彼を、私たちは見た。
彼は悩み、彼は泣き、彼は笑い、そして、彼は彼自身を作り上げていく。

勝つ彼に惚れたのではない。
わずかでも勝つチャンスに近づくために、挑み続けることをやめない彼に惚れたのだ。

今日また、彼は闘った。今日また、彼は勝ち取った。
今日また、私たちは見た。
彼を。
彼の走りを。
彼の目の中にかいまみえる、その思いを。

彼は、今日も、彼自身であり続けた。
闘いをやめない、せつないほどに痛ましい生き物であり続けた。

それで充分だ。
こみあげる愛しさに、この胸を張り裂けさせるためには。


--

ネットでのライブタイミングを終え、ニュースサイトの巡回へ。
悲しいニュースに出会ったのは、その時だった。

加藤大治郎は、ついに目を覚ますことなく、逝ってしまった。
あまりにも若く、あまりにも早く。
残念だ。ほんとうに、残念だ。

この2週間、うちの日記にも、彼のニュースを求めて訪問なさった人達がたくさんいらしたことに気づいてはおりました。
たいした情報を書くことも出来なくて、ごめんね。
ずっと祈っていたけれど、祈りが届かなくて、悔しいよ。悲しいよ。

書きかけていた日記も、ネタも、頭から吹っ飛んだ。
ニュースの詳細を探しながら、涙が止まらなくなってしまった。
森に助けを求めに行って、マダムに慰めてもらい、なんとか涙を止める。
ニュースを巡回して、また泣いてしまう。
私自身は、彼のファンというほどではない。
2輪のレースは、時折その映像の断片を目にするおりに、その美しいライディングをただうっとりと眺めていたくらいだ。
何度かTVで目にした笑顔。いくつかのインタビュー。そこに感じていた親近感でさえ、このショックを与えたんだ。彼を愛していた人達にとっては、どんなに恐ろしく悲しい事件だったことだろう。

ニュースを探し求めた先で目にした、慟哭のようなファンの言葉。
かつて失った若いドライバーのことを思い出してしまう。
泣いてしまったせいだろうか。今日も眠れそうにない。



2003年04月06日(日) 加藤大治郎クラッシュ/ブラジルGPの波乱

休みを取る予定が、けっきょくかわりの人がいないってことでつぶれちゃいました。連日6時半起きで休みナシ。私のカレンダーにはとうぶん休日がありまへん。(滝汗)
仕事から帰ってたまったレスを書いていたら、レース開始の時間になりました。ええと、午前6時半起きでもやっぱりレース見るのか、もしかして見る気満々なのかよ?(^^;)>自分

。。。。んなことを思いながら巡回していたら、加藤大治郎クラッシュのニュース。意識不明で重体だそうです。
MotoGPオフィシャルサイトのニュースのコーナーには、レースディレクターとメディカルドクターのコメントが載っていました。
こちらは海外のレポート。
もうレースどころの気持ちじゃなくなって、カラダがふるえてきました。どうしよう。泣きそうです。
どうか元気になって、あの笑顔をまた見せて。お願いだから!

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おかげで眠気が吹っ飛んで、眠れなくなってしまいました。ひさしぶりに完全徹夜だぜ。(ため息)
ニュースが気になりながらネットうろうろし、それでもレースはやっぱり気になるし....。
今回はもう波乱過ぎて、どうしていいんだか。そのうえ、赤旗。ケガの有無が気になって、また泣きそうになってしまったのでした。
いつの間にかミハエル兄さんがリタイヤしたのにもガックリきたけどさ〜。まあ、相変わらず肝心の所でずっこけてると、ナンバー1の道は遠いことよなあ。(^^;)>ルーベンス
実は、ルーベンスがミハエルにポイント差広げて欧州ラウンドに突入しないことを、ひそかに祈ってたりした私であったのさ。
ええ、あそこのチームのタイトルのための例のポリシーを適用されるなんて、許しませんことよ。
友よ、ゆがんだファン心理と笑いたくば、笑ってくれたまへ。
そんな屈辱は、我が愛しのエディ様を凌駕してポイントを捧げさせた男には、許されることではないのさ。(苦笑)
踏み越え捧げさせた物の大きさゆえに、我が君はこの地上の誰よりも強く美しくあり続けねばならぬのだ。
天が下、地の上にただひとり。我らが帝王が、その威容をもってサーキットに君臨し、その美しさをきわめ、強きライバル達と激しく競って戦うことが、我が喜びなのだけど。



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2003年04月04日(金) ナンチャッテタトウ/春の花に思う

いよいよブラジルGPですが、また雨ってほんとでしょうか?(大笑い)
欧州ラウンドまで波乱ばかりじゃ各チームの実力が見えんがな。どーしてくれましょう。
ミハエルはチャリティサッカーしておいでです。年に何回サッカーチャリティしてるんでしょうねえ。ドイツYahoo!のF1ニュース写真のコーナーには、試合中のフォトがほかにも何枚か載っておりました。さすが、新聞に毎日のようにF1が載る国だわなあ。
こっちはヘリで移動するとこ。.....また腕にナンチャッテタトウついてまーす。(笑)
腕をあらわにするような暑い場所では、オフの写真でもよくつけていらっしゃる。
始まりはヘンナで描いたホルスの眼やおまじないの魚だったかな。最初は本物かと思ってビックリし、(タイトルとれなかった頃だから)ゲンかつぎもここまできたかとあきれたりしたもんですが。奥さんのプレゼント?の漢字のつけてたり、家族巻き込んで、すっかりクセになってる気配。
よくつけてはるからこっちも見慣れてきて、きれいな肌の太い腕にこれがついてるのを見かけるとなんとも微笑ましい。30代半ばの世界で有数の高給取りアスリートが、ナンチャッテタトウの図柄選んで楽しくつけてる図や肩むき出しに見せびらかして歩いて「日焼け残ったー♪」なんて言ってる図を想像してみましょう。はーい、これ、かなーり微笑ましくありません?
まー、とんでもないセンスの私服よりゃ、肩むき出しのウェアや袖カットしたTシャツの方が可愛いですし。この辺は本人わかってるのかどうか疑問ですが。(笑)
サッカーに遊び、カートいじりが好きで年下のお子達とカートするにも減量してやる気満々で挑み、F1マシンに乗って勝つのが楽しくてしょうがない男。。。。
なんかねえ、やっぱり少年のようなとこがたまらないんですよね。

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このごろ通勤時間が長くなり、今日も始発に乗るためあわただしく家を飛び出しました。ギリギリまで寝くさってあわてすぎ、飲みかけの牛乳パックをテーブルに置いたままで冷蔵庫にしまわなかったのに気がついた時はすでに列車の中。1リットル入が半分残っててもったいなく、加工乳やし気温低かったから大丈夫やろー、と夕食にいただきました。腸の弱さには自信があるので、今頃になって明日の腸さんが心配になったりして。(←大バカ)

風も雨もまだ冷たいですが、通勤途中のあぜ道や日陰にも雑草が芽吹き、ひとさまのおうちの畑やお庭に、桃、木蓮、水仙やら(他のは種類がよくわからんですが)色とりどりの花が満開なのは春の楽しみ。
はっと息をのむような鮮やかな香りに思わず振り返ると、数メートル向こうに沈丁花が小さな花を咲かせてひっそりうずくまっておりました。(たぶん沈丁花だと思うんですが、自信なし(^^;))何度通ってもつい振り返ってしまう、これだけ鮮烈な香りは、秋の金木犀に比べても劣りませんな。沈丁花やクチナシや桃など、うちにも昔はあったんだけどなあ。なんとなく、香りある花がもっとほしくなる今日このごろ。花の種やら球根やら見てしまうけど、忙しいからまた今年も雑草ジャングルかな。(^^;)
通勤の途中、列車は人の手の加わらぬ山をいくつも越えていくのですが、朝靄に冷え込む山のまだ青葉のない枯れ枝たちの中に、名も知らぬ白い花をつけた低木。花は細い枝に群れなす白い小鳥のようにうずくまり、眺める目を楽しませてくれました。
ワイングラスのような形に枝を広げそのすべての枝先を天に向かってまっすぐにのばす大きな木もまた、そんな白い小鳥や蝶のような花をつけておりました。
列車の通過で回り込んでいく車窓からの眺めには、幹や枝は背景の木の色に同化して見え、ただ花々だけが宙に浮かびクルリとターンをしてみせる砂糖菓子の舞。
こういうものを見ていると、なんで少しは草木の名を覚えてなかったんだろう。木々の枝ぶりの違いやその美しさを愛でてなかったんだろうと、思うことしきり。
すでに咲き始めた桜もちらほら見受けられます。
よく吹雪となる大きな道沿いに植えられた桜並木には風雪のせいかひどく枝折れした木も見られ、痛々しい折れ枝の間から他の木々より遅めのつぼみを抱えた細枝が空を見上げておりました。桜はけっして真っ直ぐにはのびず、太陽の恵みを求めそれぞれの枝を斜めにのばしていくんで、枝に雪が積もりやすいのでしょうかねえ。
冬の寒さに耐えねば、よき花を咲かさぬ桜。その木の寿命は数十年ほどだと聞きます。
山奥に桜が一木そこだけ薄淡い色をまとってるのは、りんとした孤高の風情。奥深い山間に踏み込む人が視界を遮る木々の枝をかき分け出会う時、花吹雪はどれほどその目を驚かすことだろう。その感動が、桜をこれほど人に愛させたんでしょうか。
人に愛でられ、人の集う地に植えられ、その宴を見守るも桜。誰知らぬ場所に咲きながら、春霞に華やかさを奏でるも桜。桜にかわりはなかろうものを、なぜに雄々しい山桜。
土手道や駅周辺に植えられた桜並木には、あちこちに花見用の提灯がぶら下げられておりました。電線ぐるぐるにつながれた桜は、夜桜の宴の主役でありながら、どことなし脇役に追いやられてる心持ちがするのが艶消し。コードにつながれた提灯があっち向いたりこっち向いたり、風情があるんだかないんだか。(笑)

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「桜の下には、死体が埋まっている」。。。。って詩がありましたっけ。
椿の花の下を歩いたときに思い出しました。優雅に咲く花々の下には、冬に散り敷いた枯葉や枯れ草、落ちて醜く腐り始めている花びら。それが肥やしになるんですよなあ。
ふと、「理想」という花はナルキッソスのようだと思ってみたり。水鏡にうつる己の姿に恋して水仙の花にされたナルキッソスのように、自分の中に見える鏡像の「理想」は美しく、己の自負心と結びつくと「盲信」「狂信」になってしまうこともあり。ヒトが「理想」という花を握りしめ振り回すと、手の中に残るのは折れ崩れいずれは腐りゆく死骸にすぎなくなってしまう。
政治家の振り回す「理想」という花。彼らは次々に新しい花を取り替えて、どこまでいくのかと思う今日このごろ。



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