enpitu




   

 


フブキ  2009年02月24日(火)
十字架を握りしめて祈りを捧げて、それで救われるものか! 両手を合わせて殊勝に祈ったところで、それで救いが与えられるものか! 時の流れが四方八方から吹き付ける吹雪のようにこの心を切り刻んでゆく。ただ一分一秒をごく普通に生きているだけだというのに。

自覚すること、認識することは、次なる位相へ足を踏み入れるために必要な、言わば他国への入国手続きなのです。
進化を意識し、志向し、それをしっかりと目で捉えるならば、進化と呼ぶに足るものが現われてこの身を拉致していってくれるはずです。
それが叶わない間に訪れる膨大な時の流れは、なんと痛々しいことでしょうか。身を切り刻む吹雪の中で、心の表皮が実はものすごくもろくて弱かったのだと知ります。

大した修羅場も知らぬままに生きてきたこの肌よ。
己が性向と力弱さを知るがいい。

私は何処へ向かおうとして此処で立ち尽くしているのでしょう、
そんなこと知ってる奴は皆無なのです、
弱さを知るがいい。




ロスト・マイン  2009年02月21日(土)
自分が自分でどう思っているかをロストしているようなのです。いったいどういうことでしょうか。そんなはずはない。確信に満ちていたはずなのです。ここにきて目はいっそう開かれ、ついに視線は他の様々なもの全てへ切り替わり始めたのでしょうか。私が魔性に心を預けたい、などと不埒なことを希った自業自得なのでしょうか。ならばなぜ。これでは、かつての、私から目を逸らしてどこかへ赴いていったあの人と全く同じではありませんか。


過去は立場を変えて、繰り返される。
その過去を乗り越えようとした私自身が否応なく捕らわれている、というのですか。
不愉快なことです。そんなことはあってはならない。どうしたというのですか。何を私は求めているのですか、いや、求めないというのですか。ならばたった一人、この世に佇んで、一体何をしようと言うのですか。
その答えもないままに、我が心まで失って、どうしようというのですか。願わくば私に教えてほしい。そこからどうしようと? 




トキニカナシク トキハコウソク  2009年02月20日(金)
やはり早かった。目もくらむような通過で、この一週間が終わりました。

ごく短い5日間という時間の枠の中には、様々な現象や事態がありました。どうすればいいのか考えあぐねたり、手探りで動いてみたり、考えをうち棄ててぼんやりしたり、ちょっとした指摘によってパッと展望が開けたりしました。

それらは濃密な体験だったはずですが、圧縮され、ただ吹き飛ぶように通過してゆきました。
呆然と立ち尽くすばかりです。

週末で休みに入るのでそれは嬉しいのです。
しかしあまりに速く、虚しいまでに、痕跡も残さずに通過を決め込む日常の姿に、呆然としています。
高速で撃ちつけて煌めくがままに流れて去ってゆく音楽のように。

成長する前に色んなものがただみしみしとひしめきあって通過を決め込んでゆくようで、少し怖いのです。そして、その日々を糧とするだけの構えも取れぬまま、無我で踊ってばかり、ひとつ、ふたつ前の曲は何だったのか、思い出せないままその場をこなすだけとなってしまっているのが少し哀しいのです。
時に哀しく。時は高速。
集中力が上がれば上がるほど、その場に拘泥し格闘すればするほど。意識は点として凝集され、流れと広がりを持った俯瞰の視点は失われます。そしてひとつひとつ、流れて去ってゆく煌びやかな曲の記憶は失われ、気がつけば膨大な曲数を通過したという事実だけが残るのです。clubで果てしなく音楽と交わり、戦ったときのことを思い出します。似たようなことが日常の生活で起きているようです。

愛おしいのか、厄介なのか。清々しいのか、苦々しいのか。 でも決して不快ではなく、忌避すべきものではないのです。それが昔との最大の違いです。がっぷりと組み合って、戦い、抗うに足るものです。

願わくばさらにいささかの狂人を、脱線者をとは思うのですが、食堂でカレーウドンにプロザックやクラウドを入れてかきこむような香ばしい狂人なんてこんな職場には勤めたりしないでしょうし。
どことなく哀しさと高速を以って、私の手を、肩を、後ろ髪を掠めて過ぎ去ってゆく日常。それに対し、妖艶な毒蛇のような悠揚さと不気味さで立ち向かう華々しい狂人の感覚域を広角に開いて。そして私をその中に取り込んで立ち尽くさせていただければ。

ああ。それは手に入らぬ美しい恋愛への妄想に似ています。狂気、狂人が真に美しく、ただ華麗で新しいだけで済むはずがないのです。
しかし私は鋭く、艶のある美しき狂気を要請します。この、まっすぐで、ひたむきに、ただただ高速なる日常に対し、自由自在に時を圧縮、あるいは停止、さらには逆回転などを仕掛けられるように。
闇に咲き乱れる猛毒の薔薇が月光を浴びて、紅と青で密かに輝きを帯びるように、この日常に、美しき狂気の領域を広げていただければ幸いなのです。そこに私は両足を佇ませ、浅瀬で静かに波を感じてはこの世の圧倒的高速の時の流れに、静謐に対抗してみたいのです。

土台無理な話でしょう。
さらばこそ私はこうして家に帰ると痛飲します。
フォアローゼスが美味しいのです。
許して下さい。

そして正しい恋や愛をも忘れてしまいそうです。私の傍らに付き添ってくれる人のことをも裏切ってしまいかねない邪悪な衝動が生まれます。私はただ静かに立ち尽くすだけで、時の河の中で、抗っていられるのでしょうか。
きっとただ立つだけでは流されてしまいます。実験を、研究をと、私は様々な手法を試さざるを得ないでしょう。そこでは、相方の優しく差し出してくれるその手を、握り返す余裕が無いように思われて仕方ありません。

そして彼女はきっと一緒には抗ったりはしないでしょう。彼女は前を向いて生きています。また別の生活を歩んでいます。歩調を乱し、止めたり陥ったりすることに心を傾けてしまうようになったら、きっと二人は一緒にはいられないでしょう。

それも承知なのです。


昔、帽子(しかも鉄板の入ってそうな)の似合うキュートな女性に「俺を、俺という機構を、破壊してくれ!!」と言ったら「自分で壊しなさい」と静かに諭されたことを思い出します。左様ですね。己が手斧で、この諾々と流れゆく時の河へ一撃、二撃と、振り下ろして食らわさなければならないのでしょう。わかっています。いいですとも。


( ー_ー)ノ ゴルベーザ風に。
           いいですとも!




ジュウリョク100  2009年02月19日(木)
けだるい。

ゆうべドキドキがおさまらなくてほとんど眠れませんでした。邪悪な妄想に唆されて、心臓が残酷さに目覚めました。迷惑です。眠らせてくれ。今日もどうなるかな・・・。


今日は昨今の私を振り返って、つきぬけorまもりの話になりました。

「つきぬける」と「まもりにはいる」を横軸に、縦軸に度合の強弱をとった時に、横軸の両極端に行こうとしたときにはおそらく色々な人との離別が待っています。そのどちらに行こうとも。

人との別れはまだ怖くないですが、そうなったときの私自身を見るのはおぞましいです。この歳で、どっちに行っても悲劇っぽいのが悲しいです。

たとえ「つきぬける」で超尖鋭的になったとしても自分自身の問題はなにも解決されません。せいぜいヤク中に落ちてODで心臓停止するのが関の山でしょう。「まもり」にも入れるけれど「つきぬけ」た、というのと、何も出来なくてまっとうに生きることさえできないがために、追い詰められて「つきぬけ」たというのでは、意味がありません。ただの犯罪者予備軍かキ印です。

「まもりにはいる」でガチガチに鉄壁の布陣を固めれば怖いものなしです。しかしクソ面白くなくなるのは確実です。「ねえ君、人生は守備力が命だよね」「蓄財と保守に勝るものはないよ!ねえ君!」とか人に滔々と語るようになったら自害しようと思います。遺書遺書・・・。


しかし中庸に徹するにはいささか力の氾濫が激しいのと、面白くないのとが問題です。できれば両極とも諸手に握って一挙両得で収めたいものです。

しかるに採るべき戦法は「自重力を増大させ、場を歪ませて強力なひずみを生み、古来SFで説明されてきたワープ理論のように、X軸上の両極を引き付けてしまう」というものが有効と考えます。

その自重力の強烈な増大をどうやって引き起こすのかはちょっと方法がまだ解明されてないので皆さんしばしご歓談ください。


ヽ(`□´ )ノ 人から棄てられるぐらいなら私から棄てましょう。が、今は執着すべき時です。もう切ったはったで刹那的に生きてもしょうがありません。他者にも自分にも執着を。ただただ、中空に向かって刃物を振り回しているだけの営為なら、虚しさが漂います。

守りつつ攻め、攻めつつ歪み、落ち入りながら、重力の作用で縦軸横軸を球体回転させて引き込みに引き込み、最終的には星の生成に近い形でのエネルギー収束を試みるのが一番物理的に無理がなかろう、というところに考えが落ち着きました。

だからそんなエネルギーどこから持ってくるのかという    しょうがありません。太陽の塔を拝みに行きましょうか。

ああドキドキする。なぜか胸が焦燥感でドキドキする。いやだ。
あああ。なんですかこれは。


世迷いごとよ。たとえ私が薄情なまでに試行錯誤を繰り返しても、私だけは自分を見棄てないとたぶん誓う。・・・・たぶん。




tinpo-yaro.  2009年02月17日(火)
このチンポ野郎が! と激しく人をなじる瞬間というものが人間にはつきものです。こんにちは。それがたとえ職場だろうが、食堂だろうが、市バスの車内だろうが、「このチンポ野郎が!」と声を荒げたくなる時はどうしようもなくなるものです。その昂りを、猛りを、指数で表すと単位はtp(チンポー)ですか。たいていどういうときにそんな猛々しい怒りに身を任せるのでしょうか。それは同じ男子として見ててくそしょうもないとき、生煮え感が否めないときなどです。異性について意識しつつもぐちゃぐちゃと言い訳がましいことを言い、なかなか踏み込もうとしない人を見ていると「何勿体ぶってんだ、このチンポ野郎!」とつい声が粗ぶってしまうのです。


何気に「ちんぽやろう」が変換一発で「チンポ野郎」になるのが心強いです。日本のPCの漢字変換能力は侮れません。

私は平生から何かについけて苛々としています。チンポ野郎に散弾銃を!
腕のいいスナイパーに撃たれて、死後も焼却炉で焼かれるがいい!





歩み寄ってゆく実感  2009年02月14日(土)
世間ではバレンタインでしたね。
付き合いも歴史を少しずつ重ねてゆくたびに、お互いのふれあい方がどんどん次の段階、次の段階へと進んでゆくので、目新しくて面白いです。それが顕著に出るのが、やはり贈り物ですね。

贈り物の性質が変化してゆくのは面白いです。

最初は一般的な、皆の行うような共通の「型」から。相手の趣味、好みが解ってくると、それに応じたもの。更には、相手の生活の様子や、必要なはずだけれど足りていないもの、あれば良いと思うけれど本人が気づいていないもの、等々、歩み寄っていったんだという実感を伴う贈り物へと移り変わってゆくのです。

1年もきっちり付き合えば、およそ所見では誰もこのチョイスは思い付かないだろう、真似できる人はいないだろう、というところまで来るものですね。驚かされました。正直、ここまで自分のことを相方が見ていてくれていたとは思わなかったのです。

歩み寄ってゆく実感がまた再認識されてしまいました。自分のことを見ていてくれる人がいるなんて、とことん光栄で嬉しいことです。関係性というものは距離、歴史によってどんどん変性し続けるものとは知りませんでした。この深く歩み寄ってゆく感じは友情、仲間関係にはなかったことですね。こちらの実生活や性癖までしかと見極めた上での贈り物とは。いや、参りました。

女性には勝ち目がありませんね。
呼び寄せようとしていた魔性の妖しい力も胡散霧消してしまいそうです。




Hi-shi.  2009年02月12日(木)
寒い。暖房をけちるとロクなことがないですね。寒いです。これはどうしたことでしょうか。寒いのです。すでに宴で酒をしこたま注入し、腹の底から滋養が満ち満ちてくるように、月が満ちてふくよかな真円を描くように、ほっこりとした多幸感に満ちているというのにです。寒いのです。

起因するはおそらくこの、ひとりで部屋にいるということなのでしょう。できれば冬の真夜中、部屋の温度ぐらいひと肌に温めてしまいたいところなのです。しかし温める人間など私以外にいるのでしょうか。いません。孤独というのか何と言うべきなのか。ともかくエアコンをつけるのも癪なので、じっと耐えていますが、しかし寒いです。おかしいです、腹の底はじんわり暖まっているのに。

肩が寒いのです。誰もひしと抱きしめてくれぬこの両肩が。願わくばひしと、強く、私を奪いつくすほど抱きしめて呉れれば好いのに。なぜ誰もそうはしないのか。誰も此処にはいないからです。そんな冷たい空気の夜には、かつてのことを思い浮かべてしまって止まらなくなります。そう、私などという人間を、捨て置くではなく、ひしと抱きしめてくれる人がいたことを・・・私のほうからも、ひしと抱くことが許された間柄であるような人のことを。それはもはや幻なのでしょう。白昼夢より鮮やかに浮かび上がり、そしてそれより儚い夢なのでしょう。ええ。存じております。だからこそ次へと歩みを進めたのです。しかし。

この寒さ。およそ気温、体温だけの問題ではなさそうですね。儚いものです。失って初めて気づくようなものがあろうとは。とりあえず、私を抱いて呉れる誰かを想ってみましょうか。否、それは嫌です。私とて一人の人間。淡い欲望や希望に身を委ねる程はまだ弱ってはいないのです。矛盾したことを言っていますね。強がり? 虚勢? 認識不足? まあどれでも良いのです。

ひしと抱きしめられる・・・ひしと抱いてくれる・・・それが許される人。。。この世に星の数ほど、砂の数ほど、人間たるもの溢れ返ってはおりますが、なかなかそうそういますまい。げに、難しく考えるほど、この世と人のなんとやらは難しくなってしまいます。それでも、私はこの寒さに対して無防備を貫いています。
誰に会おうか。誰と会おうか。そんなことを考えながらまとまらぬ妄想を駆けては、明日というマサカリが時系列に振り下ろされるのを唯諾々と待つのみです。




syoukan.  2009年02月10日(火)
崩れ落ちた理性の欠片で考える。懐かしいすべては過ぎ去った。太陽の輝きに胸を焦がすことも当分は無さそうだ。風が通り抜けるときに頬や肩を撫でられるのを幸せに感じることも。感性は一旦は全開で爛漫と咲いた。そして花は枯れて落ちてゆく時期を迎えた。季節がめぐってきたのだ。眼はくだらないものにいつまでも向けられたままになり、言葉は特に陳腐で面白くなくなるはず。

銀色の未来の世界が目に浮かぶ。それを現世に呼び寄せることが出来なくて苦労している。確かに見えている。理性ではなく魔性に魅入られた箇所が盛んに呼び寄せる現実にはない世界が見える。視神経を奪ってそれに見入る脳の耽溺を止める気はない。世界が閉じていく。外部は意味を持たなくなる。


守りに入ったこの身は殻に覆われ、感性は内向きになる。外でたとえ暴虐の嵐が吹き荒れようとも知ったことではない。瞳の内側では恐るべき未来の世界が見えているのだ。数万年後の、重金属と配線とゆらぎだけが蠢き続ける、高密度で無機質な世界が。


二つに割かれた世界はいまだに統合を見ない。こちらの現世へ私の内側を呼び覚ますにはどうすればいいのか。召喚というやつ。どうすればいいのか。。いまだに策は不明だ。惜しいねえ。せっかくの金属だ。資源は重要だから捨てたくはない。何より、私の最も落ち着ける、生きている世界だ。




チカイ  2009年02月06日(金)
一体どこを彷徨っていたのか? 十年前におれは誓った。この世から呼ばれるのだ・・・俺こそがこの世に呼ばれ、祝福を受けるのだと。その誓いは時の流れが渦巻く闇の中に疾風とともに切り刻まれて吸い込まれた。炎のように煌めいて噴き上がる力を閉じ込めて作った何かしらかの誓いはどこに吸い込まれていったのだろう。代わりに次々に想いよりも早く現実というやつが流れ込んでくるようになった。この加速度は驚いたもので、おれが「こうしよう」「ああしよう」と思うのと同時かそれよりもやや早く既に、来ているのだ。誓いを述べる頃にはもう終っている。時間の主観と客観が逆転し、おれはわけのわからない波の中に両足を突っ込んでいる。誓いとやらはどこに・・・




劣悪な星の下で  2009年02月01日(日)
夥しい平和と安定の道のりを思い返すと吐き気がする。この胸の締め付けるような思いは何だ。おれがやってきたことは定められた道を切り崩し、眼前に立ちはだかる山を切り崩し、町が現れれば火をつけて、王も乞食も等しく呪い殺そうとばかりしていたではないか。それがいつの間にか、自分を殺すことの優先度を高めた挙句、「私は間違っていました、私はあなたがたを肯定し、敬愛します」などと日々言わなくては済まなくなってしまったのだ。おお、誰がおれにこのような狂える毒を盛ったのだろう? 緩慢に、しかし確実に効いていたらしい。友の忠告とはありがたいものだ。たとえそれが酒の席での景気の良い冗談でも、邪悪な挑発であってもだ。おれが蛮刀を振るうことを肯定する者は全て味方だ。否定されるべきものがこの世にいくつかあっても良い。そう言って憚らなかったのは何を隠そう、このおれ自身ではなかったのか? 博愛主義に身を染めて、あるいは有能な公僕を目指そうとして、うわついた綺麗言ばかりを崇拝する毎日だ。人生恐ろしいもので同じことを繰り返しているとそれ無しでは生きてはゆけぬ。また明日も昨日と同じでなくてはならぬと、己の中に法典を築き始める始末。だがおれはまだ冷静だ。地獄の黒い炎のような心のくすぶりが消えぬうちは。それがこの眼球の奥深くを黒く燃え上がらせ、おれから死の気配をぬぐい去ってくれるのだ。さあ、この劣悪な星の下で。少しだけ大きな声で言おう。不快で不穏でおぞましいことを。己自身をも毒牙に掛けて、むき出しの心と肌で言葉を取り出そう。何の頓着もなく生きて行ければ幸いだが。しかしおれは、そのようには出来てはおらんのだ。全くもって、劣悪な星の下で、おれは胎児のままでここまで大きくなった気がするのだが。今更帰るべき子宮など見当たらぬ。ゆえに脆弱なこの足で、羊膜を引きずりながら歩くのだ。這うようにしてな。憎むも愛するもない、まずは否定するのだ。さあ、手始めに明日という世界からだ。否定するのだ。この、劣悪な星の下で。




My追加
新サイトでアート、珍スポットのレビュー特集中!

★Link『マーでございます』★




writer*マー

★↓729参加・総合リンク↓★

☆テキスト・アート☆

零壱【01】ランキング

☆☆ダークゾーン☆☆

エンピツ