独白2
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2007年01月29日(月) まとまりの無い散文 恋を

している瞬間というのはとてつもなく苦しい
それは選択、選択、続く選択を常に強いられている
流されてしまうような人生の、惰性
見えない選択を常にしているにもかかわらず、恋の選択とは常に自己の満足をいかにえるかをとてつもなく意識し、そしてどうすれば自己満足を充足させられるかが実に曖昧で、ある
自己の事であるにもかかわらず

可能性が多数あるのが、またその選択を強いるような感覚をよりいっそう意識させられる
私が求めるものは、何か
選民意識からくる優越感に浸りたいのだろうか
誰かが私を、常に意識している事に対しての優越感を求めているのか
それとも私は誰かを愛しむという行動を、種を存続させる為に本能が求めるものが最優先なのか
自己の意識と他の意識が交じり合う、孤独という感覚から目をそらしたいのか
どれも本当なのだろうけれども、どれを一番に最優先にすればいいかがわからない瞬間
それを考えると、頭がキンとする
その頭がキンとする瞬間が欲しいのか

自分の事なのにわからないというのはなかなか不思議な瞬間である
私が求めるものは、相手のその存在で心穏やかになる事ではないだろうと思われる事は確かである
なので私の求めるものは相手の意識だけで、体はいらない事が多い
多いというか、体を求めた事がない
意識のみ
私の恋は(現段階では恋かどうかの判断は付かないので、仮として恋と記述)意識にのみ有効だと思われるので、容易に同性にも向くんだろうな、と思った
ただし私は同性だろうが異性だろうが常に体は求めないので、同性に向こうが異性に向こうがさして変わりはないのだと思う

常に私は求める立場にいなくてはならない
これも必須のようでもあり、私が求めた後どうでも良くなってしまった後、相手がどうするか恋の延長なのかもしれない
恋をして、多数出る選択肢の中で、この執着が終わった後、これを見る
という選択肢もすぐに出てくるわけです

成就と共に終わりを求め、平穏と共に不穏を求め、幸せと共に不幸を求める
なるほど恋とは人そのものであると
理解するとともに、特別性は失われる
失われた特別性を求めてまた恋をする事を求める
嫌なループである


世界は廻る歯車で
大きな歯車はずっと廻っている
という妄執から離れられない

全てのものは鮫等のように廻っていなければ消滅してしまうんだと思う
私は廻りが悪い
だからダメなのだと思うが、このマイナスしこうにより廻るものもある訳で
それを思うと私はそういう役割をした歯車なのだと、思う
世界と一つになりたい
誰かと一つになりたい
何が違うのだろう

全ての意識あるものは、常に恋をしている


2007年01月27日(土) Energie

エネルギーというものは厄介ではあるが、無ければ全く動けないものでもあるわけで
私のなかにも常にあって、常に何かに変換されて、ぐるぐる廻っているわけです
世界はエネルギーが廻っていて、私の中でも廻っていて、世界は巨大な歯車のよう
と、いう事を考える

エネルギーは金と同じだね
止まったエネルギーなんかきっと価値がない
私の中に溜まったエネルギーも価値が無い
私の中に溜まった思いというエネルギーは常に何かに変換され、外に出ている
けれども内に溜まったエネルギーには価値がない

私から人へ、人から人へ
人の関連性がそのままエネルギーの流れで、エネルギーに溢れている人はより価値のあるものである
誰もがエネルギーを求めて価値のある人間に集まる
その人間はエネルギーを自分の中から変換し、発散し、それを皆に渡して、みんなはそこからまたエネルギーを作って、別な人に渡していく

さて、そうなると人の中身の何が一体そういうエネルギーを作り出しているんでしょうか?
人のエネルギーは想いから、というのであれば、その想いの発生源はなんなのでしょう?
想いがあるから、エネルギーが出来るのか
エネルギーがあるから、想いが出来るのか
卵が先か、それとも鶏か
そういう話になってくるわけですね

私的見解ではありますが、私はエネルギーがあって、想いがあると思っている
人の感情というのは確かに膨大なエネルギーを生みますが、それ以前に世界はエネルギーで溢れている
想いが先にあるという考えは、人間中心でおかしい
なんて思うのです


どうでもいい話だな


2007年01月21日(日) 冬は恋の季節なのかな

最近の自分を見ていると、たぶん私は恋をしているのかもしれないと、判断する
一般的に言う恋とはどんなものか、よくわかりはしないが、きっと私の今の状態を言うと、人は私に「恋をしているのね」というと思う

大多数がいうのであればそれは紛れも無く恋というものなのかもしれない
が、その対象、その方向性とも言うものがなんとも曖昧で、雲をつかむようなものである


簡単に言えば一人の人に思いを馳せているとういうのが現在の状況です
人は恋をして、相手に思いを募らせるといいますが、私の場合もそれに該当するのかはよくわかりません
ただいえることといえば

私は相手に対し、どのように接すれば私に興味を抱いてくれるかという事を考えています
私は相手はどのように世界を捉え、また世界に対しどのように折り合いをつけているかを必死に考えています

もし相手が私に近い思考を持っているのであればそれは容易であるし、また、近い思考を持っているのであれば私が惹かれるのもうなずけます
私は自分を嫌悪すると同時に、自分に似たものに惹かれている
愛憎は表裏一体とはよく言ったものであるが、私の中では本当に、正と負、どちらも同じであるのだと思う
だから私に似たものを求め、私は私を嫌悪し、私に似た私と同じような部分を求め、同時に殺意を抱く
そのような物を欲しているわけです

恋をしているというのは
現段階ではまだはっきりとは判断がつけられてはいないのですが、もし、相手が私の求めるような人であったら
こういう思考、嗜好、志向
しこうを持っているのなら、私は私の中のプライドと、信念に折り合いをつけ、言い訳をして求めてみようと思うからです

そのためにも、いかに自分に興味を引かせ、いかに自分の求めるように動いてくれるかという事を常に考えてしまう
どうすれば近づいていけるのかどうかと考える
けれども、きっと私は相手が自分の求めるしこうを持っていないのならばその場で興味の対象からはずしてしまうのだろうと思う
こういう事が、愛情、恋慕の終わりとして一般的にいう醒めてしまうということなのだと思う

だから私は今恋をしている
私には、私に似たしこうをもち、私が大切にしたいと同時に、殺したいと思うほど
それほどの執着を見せるような相手が欲しいです
恋と執着の差は良くわかりませんね
私の感情はむしろ恋というよりは執着といったほうが適切だと、思います


その期待を持っていられる相手が、今いるわけです


誰にも言わず、この恋がうまくいったのならば、5年前に終わってしまったものが、また得られるかもしれないという期待
なくしてしまった粘着質なドロドロとした執着心
それに伴う感情の揺れ
感情の揺れに伴う鋭敏さ

普段私は感情が抑えられないということはあまり無いのです

それを得た時の陶酔感、苦痛と共に訪れるその陶酔感というのは、酸欠の脳内のようでとても魅力的に感じます
感情に振り回されて、自分のやっていることしか見えなくなる
そんな瞬間
瞬間をそのままに、終わらせたい


2007年01月06日(土) いまさらながら

年が明けました
今年は年女です
めでたいのかめでたくないのかわからないですね


祖父母と母と干支の話になりまして
妹は寅年なのですが、何気に五黄の寅だそうで
気が強いかは不明ですが、私はあの妹とはかかわりたくないとは思っています

家族仲は悪くはないのですが、日常的に人とかかわるに当たって分類する
仲良くなりたい
そこそこ付き合っとくべき
関わり合いたくない
どうでもいい
の分類でするのならば、他の家族は大体「そこそこ付き合っとくべき」になりますが、すぐ下の妹は「関わり合いたくない」に分類されます
まあどっちにしろ今は気ままな一人生活なので、家族は関係ないのですけどね


今年も始まってしまいましたが、今年も何をしようという気持ちもなくて困ったものです
年をとったので時間がたつのが早いなあ


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