日記ふう雑感 ひとりごと
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特に理由があったわけではないが、珍しく日本テレビの「24時間テレビ」を見た。癌で逝った9歳の男の子のドキュメント・ドラマを見て、娘が交通事故に遭った時のことを思い出した。そしてこんな事を考えた。
次女7歳の夏、横断歩道を渡っていて大学生の運転するバイクに轢き飛ばされた。何箇所か骨が折れ、運ばれた病院で即手術を受けた。脳内出血、内臓損傷も心配され、医者から「今日一晩がヤマだ」といわれた。娘は幸い全て良い方向で回復し、今に至っているが、ほんの少し、何かが違っていたらあの男の子と同じ運命を辿っていたろう。辛い手術やリハビリに耐える様子を見て病院の先生は「今までにない我慢強い子だ」と言ってくださった。テレビで紹介された男の子の頑張る姿が重なった。番組の中でも主治医が「奇跡に近いくらい強い子だ」と言っていた。子どもにはこういう力がある。
子どもにとっては生きていくことはただただ生きていくことなのだ。病気であろうが、大怪我をしていようが、彼らにとってあるのはただ生きていくことだけなのである。子どもは未熟であり、成長するものである、とは大人が作った文言だ。これを一番よく知っているのは子ども自身である。大人になると自分がそういうものであった“事”は思い出すが、どう足掻いてもこの生物本来の感覚を取り戻す事はできない。 だから文言にする。だから我々は子どもを慈しむのだろう。そういう中で子どもは只々生きて行くことができる。人は生物であること、社会的で在らざるを得ないことを思うと、子どもを大切にできない社会はその存在自体が自己矛盾である。
大変興味深く読ませていただきました。 道元って、ふむ、、、、デカルト的?
「語りえないモノ」・・無理やりすぎてちと違和感が。 それにしても1200年代の日本の思想かぁ。。。 思想と宗教の違い・・などなど。 哲学という言葉は当時はないよなぁ、もちろん。
ところで、永平寺って女人禁制でした?
私はもちろん女人です。。たばこも麻薬もやらないが、 アルコール大好き、理屈大好き、徒党組むのは大嫌い、、、の女人のまま 道元さんに会ってみたかったですねぇ。
哲学と宗教の違いは、「他人にもこの考え方を広げねば」という姿勢があるかどうかだと思うのですが・・・如何に・・・。 学問の真髄の真髄は自己満足にあるような気がしますが・・。
最近夏季一斉休暇というのがある。 字のごとく夏に一斉に休暇を取るのだ・・主に事務を中心に。 強制ではないが(にもかかわらず)、お盆の2日間、構内の建物は一斉にロックされる。 ハイテク(?)なロックなので一斉に人がいなくなっても安全である。 不法侵入者も一度入り込んだら、2日間は安全である。
私はといえば、今年は盆休みがありません。 強制ではないゆえ、一斉休暇もH研は右へ倣えしません。
・・とは言え、前後で何日か休みをとる予定だったので返ってよいです。 必要な時に働き、必要な時に休む。 休んでいる時も実はあちこちと飛び回っているので、 ”休み”ってどういう状態なのかよくわからなくなっているこの頃。
はっきりしているのは、 私は夏バテはしても夏痩せは決してしないタイプだったという事でした。
故あって、知人から、NKH出版の哲学シリーズ『道元』という本を頂いた。
哲学といっても私はこの筋には疎いのだが、 頂いた方といい、著者といい、色々と繋がりがあるので、 素直にありがたく読ませていただくことにした。
副題「自己・時間・世界はどのように成立するか」
当時の思想家の書という観点で読むとなかなか興味深いが、 読み下し文がないと、さっぱりわからない。 全て母国語で書かれた本のはずなのに、 英語の原文が引用された研究書とそう変わらない。
ただし、著者が比較的若い研究者で解釈に馴染み易い哲学用語が使われているので、そういう意味では身近なものとして読めそうだ。 50年前の研究書であったならばこうはいかないだろう。
ふむ、、、原文とは何ぞや、解釈とは何ぞや。
少し落ち着いたらこの種の本もじっくり読んでみよう。 頂いたのも何かの縁だろうし。
| 2007年08月04日(土) |
ヴィトゲンシュタインの火かき棒 |
最近Mixiの“足跡付けっぱなし”について、話題になっているそうだ。 人の日記を覗いて何もコメントを書かないのは失礼だと思う人が増えているとのこと。 面白い事に、少し前からMixiをやっている人はそういうことには無頓着の人が多いのに、、なのだそうだ。 私自身はコメント付けようが付けまいが、その人に自由で、それを失礼だとは全く思わないが。
大体、こういうことって失礼だとか失礼ではないとか言う問題なの? 日記を”見せてもらった”のに礼を言わないとか、人のサイトに“足を踏み入れた”のに挨拶も無いとか、そういうことなのだろうか。 私の場合は日記を読ませてもらって、なるほどと思い、笑わせて頂き、考える刺激になり、ありがとうという思いでそのまま去ることがほとんどなので、逆にこちらのサイトに足跡だけ残している方たちにも同じものを感じるのみで、そこからナニカニと想像したり望んだりは全くしない。そもそもそういうことがお互い了承できる仲間ということの限定社会なのではないのだろうか。だから、この話題を聞いたときはヘンに興味深かった。
礼=社会のきまりに合った、付き合い上の行動や作法。で、このコミュニティでは”社会”を“Mixi”に置き換えるのだろうから、そういう決まりを作ったらいいのだ。で、いやな人は参加しない、と。そうすれば昨今の話題など存在しようも無いということになる。
失礼に思わない人もいると言う事は、そういう決まりはないのだろう、よく知らないが。 よく知らないで参加しているのかと言われそうだが、実際、私のような者も参加可能な事は事実である。 日記にコメントを書かないと失礼と言う人にとってはコメントの返事が無いと失礼で、その返事に返事をしてその返事は?なんて言い始めたらキリがない。
こういうことに首を突っ込み始めると“理屈屋のヴィトゲンシュタイン”のような心境になりそうである。 彼は最後は振り回した火かき棒を残して退場した、、らしいが・・・。
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