日記ふう雑感 ひとりごと
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久しぶりに家でゆっくりした。 年末なのでやらなければならない事が沢山或る。 にもかかわらずゆっくりした。 (・・・なんで、年末だからと言って盛りだくさんのことをしなければならないのだ?)
山下洋輔の『風雲ジャズ帖』を読んだ。 面白かった。 面白い人だ。文章も面白い。
テレビで、全国高校駅伝(男女)を見た。 面白かった。 男女ともレベルアップしている。 持って生まれたバネやリズム感の或る選手(もちろん日本人)が何人か目に付いた。 素人にもわかる軽快さである。 頼もしい。 ”必死の走り”も好感が持てるが、 生まれついての運動能力の発揮される様はさらに気持ちがいい。
ビデオで『キル・ビル2』を見た。 ヘンな映画だ。面白かった。
年末なのでやらなければいけない事がいっぱい或る。 にもかかわらず久しぶりで家でゆっくりした。
掃除と片付けもゆっくりじっくりやらなければナぁ、年末だしー。
所用があって、金沢に行って来た。 きれいで整備された街という印象を持った。 まず、駅がいい。 デザインからして最近建てられたものだと思うが、 すべてがスムーズに流れている・・というか、そうしようという意志が感じられて気持ちがいい。 旅先でまず印象に残るのは、駅の様子である。 古びたたたずまいと不便さ、新しい建物とスピーディさというのは ある意味納得のいくものである。 違和感を感じるのは新しい雰囲気なのに不便である場合。 気持ちよさを感じるのはスピーディなのに伝統が失われていない場合。
娘達に、金沢に行くなら是非見てくるべしと言われ、 うわさの21世紀美術館を見てきた。 これもすごい。 何しろ彼女等それぞれによると、美術界でも建築界でも今注目の美術館だそうで。 確かに面白かった。 丸いガラス張りの美術館は世界初だそうで。
この美術館も含め金沢という街は、 街全体としてこうありたいという主張が統一されているという印象を持った。 わがふるさと長野も伝統の或る市だが、 このところイベントの度に取って付けたような開発が単発的に行われて、 統一感がなくなって来ているような気がしている。 金沢の駅、街並みなどを見て思わず長野の今を思い浮かべてしまった。 やっぱ加賀の百万石には適わないか。
伝統が新しいものに吸収される、これはある意味しかなのないことだが、 古いものも大切にして行こうという意思の見え隠れするところに、 私たちは新しさを受け入れることへの心地よさを感じるのだ。
あそこまでの美術館とは言わないが、 わが長野、交通の便を含めた駅周辺、あれはナントカしようよ。 建物は新しいのに昔と変わらず狭苦しく不便である。 だったら以前の、鳩だらけの瓦屋根のほうが主張があってまだいい。
「鍋パーティ」といえば、 今日は娘が学校で鍋パーティだそうな。 学生さんしてますな〜ぁ、ええこってす。
ちょっとした心理的揺さ振りというのは、 私にとってはやっぱり、言葉ではないです。 気持ちが動かされたと思うのは、 こちらの投げかけた行動に、行動で答えてくれたと感じる時です。 口では立派な事を言ってもそこに座っているだけの人間て結構多いです。
言葉少なでも、次に会った時に必ず変化している、 その変化がこちらの問いかけに呼応している、 そしてさらにそれに対して何らかの変化を試みたくなる。 そういう状況に置かれると心地よく気持ちが動きます。 そういう時は問いかけと呼応の間に時間の経過があっても、 全く不安にはなりません。 言葉だけのやり取りは、相手がずっと目の前にい続けたとしても不安になることがあります、なぜか・・・。
問いかけっぱなしでも不安にならない相手というのは数少ないです。 数少ないそういう相手に出会ったときに、自分の存在感が確認できます。 そういう相手に対しては自分をわかって欲しいという感情は二の次になります。 自分が表現できればいい。 おそらく相手もそうだと思います。 そうするとその関係は”自分をわかって欲しい”という我の擦り付け合いではなくなります。 それはとても気持ちのいい関係で、ストレスはありません。
そういう相手は大切にしていいんではないかい、と思う今日この頃。 「刺激がなきゃつまんな〜い」とか「そんなに悠長に待ってんのやだ〜」 「自分をわかって欲しいが一番しょ、やっぱぁ」 も否定はしないが。 安穏志向かなぁ、これって。
研究室の鍋パーティでした。 久しぶりで楽しかったです。 何よりも美味しかったです。
暖かい冬だけど、やっぱ鍋はいいね〜。
久々日記UPです。
サッカードイツ戦、惨敗ですな。 楢崎く〜ん。
山下洋輔のライブ聴きに行った。 面白かった。 ああいうピアノは嫌いではないです。 めちゃくちゃなようで、めちゃくちゃじゃない。 新しいモノを追い求めているようで、実はとても自分の歴史を大事にしている。 やっぱりある年齢に達した人間の分厚さか・・。 プラス、あの”やんちゃ”っぽさがいい。 やんちゃな中年大好きです。 超素早い指の動きがつくりだす独特のメロディ(?)は、 何分間も続くと言葉のように耳に響いてくる。不思議だ。
別の日、恩師の作曲したジャズナンバーのお披露目ライブも聴きに行った。 面白かった。 プロの方々の演奏最高でした。 先生の演奏はある意味それ以上に最高でした。 なんたって素人があんなに沢山の人の前であの腕前を披露してしまうのだから。 実際すばらしい演奏でした。改めて脱帽。 しかし大変な人気ぶりで驚いた。
恩師のこととは直接関係ないが、 偶然にも、知名度が上がる、ファンができる、人気者になるって何なんだろう、 と考えてしまう場面に出くわす事が最近2,3あった。 そういうことで本人が得るものってあるのだろうか。 本やCDの売り上げが上がるとか仕事の量が増えて収入が増すとか、 経済的効果があるのはいいことだろう。 好きと言われれば悪い気はしないだろうし、 でも、それってそんなに大きなことだろうか。
たとえば音楽や絵画なんかの、ホンモノの理解って何だろうとも考える。 そんなものないっちゃーないか・・・ホンモノなんつうのは。
私の周りの芸術家達は真剣に自分の作品を理解してもらえる事をとても大事にしている・・・と私は勝手に思っている・・・ ・・ので、その人の真髄に触れてみたい一心で演奏や作品に出会いに行くのだが・・・。 その人の演奏や作品がいいと思うとその人自身もいいなぁと思うようになる・・・ようだ、ファン心理としては。 それが高じて作品よりその人自身がターゲットになる。 ヨンさま現象がいい例である。(芸術として語る例ではなかったか・・。)
求めているのはその人の作品なのか、単にその人なのか、有名人に近しくなった自分自身なのか。
そういう渦の中には巻き込まれたくないなぁ、厄介で。 ぶらっとライブハウスや展示会に出かけていって、 好きな音楽をぼーっと聴いて、好きな作品をほわんと鑑賞して、 頭が空っぽになってちょっとうれしくなって、何でそれだけではいけないのだ。
私の満足度は自分勝手の手中にある。 やっぱ、それって自分勝手かなぁ。
とにかく一応一件落着でよかったです。
若いうちに苦労は沢山しておけとは言わないが、 年をしてからするよりはまだいい。
例えば年をしてから深刻に悩む事ばかりの毎日では、 まず体力的にしんどい。 悩み終わった後の平穏な日々が残り少ない。 何よりも”悩める中年”というのはかっこ悪い。
自分を擁護するわけではないが、 或る程度の年になったら、 働こうが遊ぼうが、頑固だとか家庭的でないとか他人の知ったこっちゃない。 孤独を楽しめる中年でありたい。 孤独とは周りと協調できて初めて真に受け入れられるものだ、 と最近実感している。
苦労の真っ只中にいる若い人に、 「若いうちの苦労は無駄にならない」などと言うと、 「殴ったろかー」と、 本当に殴られそうだが、 若い時フツーに苦労しておくと最低限フツーの中年になれると思う。 若い時にチョー苦労した人間はチョーフツー(超普通)の、 つまり、かなり面白い中年になれると思う。
| 2004年12月03日(金) |
雑念、師走、人それぞれ |
12月である。 久しぶりに書く気がする。 ここ数日、色々な事があった。。。ありすぎた。。。HPを開く暇さえなかった。
結論:人生捨てたものじゃない・・・かぁ?
魅力的な人あり、”えっ!”という人アリ。
魅力的な人が身近に多かった・・安堵・、という意味で人生捨てたもんじゃない。
とにかく人は生活していくしかないのだよ・・・。
・・・・・美しい音が聴きたい・・・。
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