日記ふう雑感 ひとりごと
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このところ小春日和で気持ちがいい。
最近他人からよく相談を受ける。相談に乗る。 頼りにされる。請け負う。 年を取っていくパターンに乗っかってしまったか???
このところ自分を語らないことが苦でなくなってきてる。 実は私という人間は自分の理解者を強烈に求めるタイプである。 にもかかわらずだ。 やっぱ、年を取っていくパターンの始まりか・・。
以前本ばかり読んでいて、或る人に言われた事がある。 そろそろ自分の頭で考えろ。 ひたすら形而上学的本を読むで何年か過ぎ、 形而上的にモノを考えて何年か過ぎ、 人間の身体的弱さに遭遇して現実的な本を読むようになり、 現実的にモノを考えるようになった。
自分を開示する必要があると思い始めたのは現実に放り出されてからである。 そこには出会いがあるのだ。 他人でも物事でも自然物でも何でもいいだろう。 自分以外の何かが契機となる。 開示するとはそういうことだ。 何かに向う。個人の中で終息する事柄ではないのだ。 但し宗教的なことでは決してない。
私の変化にははっきりとした契機があるが、それは語らない。 それを語ることが開示ではないと思っている、
か〜っちょいい!! なんのこたーない、人間いくつになっても変わりうるってことである・・・よ。
秋から冬にかけて大学の研究室は色々な面で忙しい。 正念場である。
必死に何かを形作ろうとしている若者は愛しいものだ。 がんばれ!・・・とは言わないが、○○○”○!!
レッズ優勝だそうだ。 最後の2試合はつまらなかったが、シーズン通しての成績の結果なわけで、 やっぱり強かったんだろう。 大宮アルディージャもJ1昇格だそうだ。 今は両方ともさいたま市のチームである。 実際その地に住んでいるとこの2チーム、一括りでは語れないのがあるのがよくわかる。 最初から一つに括れないから2チームになっているわけだが。
この2つの町はかなり性格が違うのだ。 浦和は埼玉大学や県内でも有数の進学高校などがある文教都市。県庁所在地。 大宮は中山道と氷川神社の周りに発達した商業都市。 私は大宮に住んでいるが、実は赤いダイヤモンドの垂れ幕はほとんど見ない。 オレンジ1色である。 個々に聞くとレッズファンが多いのに、町としてはオレンジなのだ。 変なモンである。
ま、どちらもがんばって欲しい。
知人のライブを聴きに行った。 この知人アマチュアのジャズピアニストだが、 演奏はプロも出演するライブハウスにて。 チャージもちゃんと取る。
プロとアマの違いの曖昧さが具現されている。 しかし要は聴いてよかったーと思うかどうかだ。 昨日は楽しかった。
ジャズライブが自分に合っていると意識し始めたのは、 遅ればせながらつい最近、キースジャレットのコンサートを聴いてからだ。 演奏後のあの爽快感に、はたと気がついた。 自分は知らず知らずにこういう感覚に飢えていたのかもしれない。
性に合ったジャズを聴くと身体の中の悪い部分だけが洗い流されたような感覚を覚える。 これが病み付きになって、 「次ぎ、行ってみよ〜!」 ということになるのだが、 この爽快感は上手いとか素敵だとかそういう言葉さえも残さない。 頭はからっぽ、なのに心地よい。 こういう感覚は日常という現実から一番遠いところにある。
極度のストレスを感じた時に、真っ先に思うのは 「くそ〜、ナマの演奏を聴きてぇー!」。 (下品で失礼。何しろこういう時はものすごい嫌悪感の中にいる。) うまい具合に日を置かずお気に入りのライブに行ければ、 嫌悪感の中にいる時間が短い分非常に身体にいい。心にもいい。 おそらく美容にもいい。
ということで(?)、 ありがとうジャズライブ!
| 2004年11月13日(土) |
音によるコミュニケーション |
音で或いは音楽でコミュニケートできるか、と、よく考える。 二人の人間がいて、お互いに音を出すだけで音楽を奏でるだけで、 お互いの言いたいことがわかる。 こういうことはないことはない。 しかしながら、 お互いの言いたいことがわかるのは思考上の了承ということだ。 つまりそこには、言語的理解が介在する。
音だけでコミュニケートできたら面白いだろう。。。。なぁ。 思考も音だけでというわけにはいかないだろうか。 いくわけないかぁ。 思考という概念を取っ払わなければいけない。
A「これからこの曲を演奏します。」 B「あ、その曲は今私にとって特別なものです。」 A「私がこの曲を表現するとすればこうなるのです。」 B「・・・・、了解。私のはこうです。但し、表現技に限界アリ。」
この、4つの応答が全く言葉無しに行われたとして、 これらは音によるコミュニケーションというよりはボディラングウェッジである。 言葉より更に”その人風”に触れた気がするわけだが。 ・・気がするだけか・・・。
最近の疑問。 音を自在に操れる人は、言葉と同じで、理性で音を、表現を操れる・・。 つまり、その時の感情に左右されず、出したい音が出せる、表現ができる・・。 ・・・・のだろうか。 私にはとてもできないが、そういう世界は在り得る。
つらつらとそんなことを考えた一日だった。
久しぶりに小説を読んだ。 「ティファニーで朝食を」の原作である。 映画との違いがよく話題になる一冊であるが、 確かに結構シビアな内容だ。
常に「旅行中」が書かれた名刺というのはシャレている。 私も心はいつも旅行中でありたい・・・ などというと、 「アンタの頭はいつだって旅行中だろう既に。いつも上の空だよ。」 とは家族の言葉。 「心が旅行中?確かに。何考えてるか分からない時がよくある」 とは身近な知人達。
はあ、じゃ私は自分としては理想的な毎日を送っているわけだ。 えへっ。周りの皆様ありがとうございます。
知り合いの若夫婦に赤ちゃんが生まれた。 これが手放しで可愛い! 赤ちゃんは皆可愛いものだが、両親を知っていると可愛さが格別になる。 君は美男子になるぞ。 数多くのイケメンを見てきたオバちゃんが言うのだから間違いない。
ほほ、、、、心ココニ在ラズである。
じゃ、ここにいるのは一体何であるか・・・・。 哲学的になってきたので止める事にする。
| 2004年11月04日(木) |
芸術の秋、スポーツの秋 |
ナマの演奏が聴きたい症候群に駆られている。 この兆候は以前は2週間毎くらいに訪れていたのだが、 最近間隔がどんどん短くなってきた。 ナマの音(つまりライブ)を聴きたい、(特にピアノ)これって何なのだろうか。 理屈では説明がつかない。 こんなにも自分は音楽が好きだったのかなぁ、とは最近の発見である。
少し前に娘と(ふむ、2週間以上前だ)某ライブに行ったのだが、 ほーんとに至福の時を過ごした。 何の気兼ねも要らない相手と、 音楽好きが集まる場所で(お客同士が互いに干渉しない、気にならない)、 大好きな演奏を聴く〜〜♪♪!!
ライブの間中何回も娘に念を押していたと思う。 「ね、ね、最高でしょ!」
納得のいったライブを聞いた翌日は体調も心理状態も非常にいい。 単純極まりない。 元が単純なのだなぁ、きっと。うれしいことだ。 単純に喜べる自分は大好きである、貴重でもある。
スポーツの話題になるが、 サッカーナビスコ杯決勝、接戦だった、いい試合だった。 が、浦和ちとガッカリ。田中達也の調子がイマイチだったかなぁ。 ああいう試合を見ていると、本当にスポーツ選手は我慢強いと思う。 結果が出るまでは、”グッと我慢”で動き続けなければならない。 その姿がまた共感を呼ぶ。 けなげだし、力強いし、可愛らしいし、かっこいい。 スポーツ選手の魅力はこの辺にある。
アメリカNBA田臥、やったね! 高校の頃からの注目株だが、今でもやっぱり注目だ。 この背の高さで(というか低さで)多少ともバスケの経験のある私としては、 彼のこだわりとか意地とか辛さとか希望とかがちょっぴりわかる気がする。 "頑張れ"は田臥にとっては、背中の後ろから聞こえてくる言葉だろう。 彼もまたプロの表現者だ。
孤独、技巧、見せ方を知っている。 自信を持ち続ける術を身につけている。
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