日記ふう雑感 ひとりごと
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教えるという事は面白いと書いたが、↓ 教えられるという事も面白い。
誰かによって何かを教えられることを自分がどのように受け入れ、 どのように反発しどのように変化していくか、、、、 自分の心持を自分が観察し、興味深いのは 教える⇔教えられるの間に物事の現実的な変化を認識できるという事である。
義務教育終了後ン十年経った今だからこそ経験する”教えられ”である。
最近自分は素直になったと思う。 そしてよりずうずうしく口が立つようになった。 素直に図々しいって・・・あんまり可愛くないが・・仕方がない。 箍を取り払ったらこうなった。 いや、箍っていうのは取り外してはいけないのかなぁ。 形が崩れ去るから・・・。
わかるとか、わからないとか、、あまり人に問い詰めたくないとも思う。 わかる人はひと言でもわかるのだ。 わからない人は言えば言うほど”わかる”から遠のいていく。 自分が”わからない人”の場合ももちろんあるし・・・・。 コミュニケーションは言葉だけではないと最近実感している。 人間は複雑だという事だろうか。 むしろ単純だという事かもしれない。
| 2004年10月27日(水) |
最近出会った人達や事など |
”教える”という事が面白い。
特にその道のプロが自分のフィールドでその技を人に教えるということはとても興味深い。 最近いくつか新しい出会いがあったが、 出会った人達は偶然にも皆その道のプロであり教師でもあった。
表現者・知識者としてのプロの部分と教育者としてのプロの部分を同時に持てる人というのは魅力的である。 最大限自分を主張し最大限に相手を引き出す--職業として。
才能も豊かで人格円満でないとできないことだと思うのだが、 彼らは逆にこういった評価に対しては控えめだ。 現状に満足をしていないからと言うことになろうか、そこがまた魅力的である。 真の教育者は全てにおいてプロでなければいけないのかもしれない、、なぁ。
傍観者私としては彼らを応援する能力しか持ち合わせていないのだが、 複雑で繊細で少々(いや、かなり)頑固だが前向きな彼らの行き方を常に理解できる人間でいたいと思う。 そういう環境に身を置けるということは幸せである。 ーーーなどと何だか青臭い表現になってしまったーーー。
話はガラット変わるが、 昨日から乗る予定の電車が遅れてばかりである。 昨日の朝はドア故障とかで30分遅れ、 今日は人身事故が2件、いづれも30分以上の遅れ。 何と今日の一つはまさに私の乗った電車の私の乗った車両が事故を起こしてしまった。 初めての経験だったが、二度と味わいたくないものの一つだ。 ガツンという感覚と運転手の一瞬の叫び声が身体と耳に残っている。
台風といい地震といい、人質事件といい、落ち着かないことばかりである。
ーー。。。。。、、、、、、。
だから、音楽とか芸術とか学問とかスポーツとかが大事なのだよ。
面白かった! 学問の世界にじっくりと座り込んでいられる時間を満喫した。
まず、話が具体的でわかりやすい。 無駄な言い回しや繰り返しがないので聞き易い、と同時に、 ひと言の聞き漏らしも許されないので緊張感が持続する。 (とても眠ってなどいられない。) 質疑応答を想定した話であるというのが明らかなので、聞きながら思考できる。
その質疑応答がまた面白い。 やり取りを聞くことによって、問題点が明らかになる。 これは当たり前のことのように思えるが、 「Aはどういう意味ですか」「それはBです」「わかりました」式の 質問者が満足を得られる終息型ではなく、 出された問題点を講義する者がどのように問題にするか式の、 ”答える方が何かを得て帰ろう”という発展型である。 これは面白い。 講義の本音が語られる。 そして次へのステップが垣間見える。
話手が誰であれ(自分に近しいとかそうでないとかは関係なく)、 ああいう講義は非常に楽しい。
レジュメを見ただけで、与えられた時間がどう推移していくか想像できてしまう講義ほどつまらないものはない。 そんなことはなかろうと思って望んで全く想像通りだった時のあの空虚感。 時間を無駄に使ったーという後悔の念。
そういうものとは全く無縁の講義スタイルである。
アメリカの大学では当たり前のことのようであるし、 最近は日本でも外国の先生が講義を持つことは少なくないので、 そう驚く事でもなかろうと思うだろうが、 ナマのアメリカンスタイルが日本語で為されるというのは興味深い。
本当に久しぶりで脳みそに刺激を受けた。
何と講演の後、そうそうたる先生方との食事会にも参加させていただき、 更に脳みその別の部分を揺すぶられた。 聞いているだけでも我を忘れて面白いと思うという経験はそう多くない。 話題すべてが自分にフィットするのだ。 そういう場があったという事が本当にうれしかった。
今月31日(日)金沢大学で同じ内容の講演が為される。
わかりました! 決まったコードの中で、アドリブするってどういうことか。 頭で考えるんじゃなくて。。。。。 目から鱗!!!!面白いです! ・・・・これ、ピアノの世界の話です。
そんで・・・M氏もほんと面白い。 そう来たか、英語の日記ね。 むーー、日本語じゃなきゃいけないっていう決まりもないか。 力強い子育て役です。 しかし、”面白い”っていのは大好きです。 ・・・これインターネットの世界の話。
ちなみに、 私も兄にメールを送る時は英語だけど、とても人様の目に曝すなどできない。 めちゃめちゃ英語だからなぁ。 兄だから恥も掻ける。
もひとつ、そんで・・・・明日は台風で大荒れの天気なの? 誰とは言わないが雨男が・・。 これは何の世界の話になるのかなぁ、、、現実の世界だ。
暗号のような日記になってしまった。
TakashiもBiancaも元気そうで何より。 15日は13時35分着のはずの飛行機が4時間も遅れた。 やきもきしたが、なんとか無事到着。 相変わらずの二人である。
人生の転機という言い方は好きではないが、あるんだなぁ、 大きくインパクトを与える言葉というのが。 ン十年間積み重ねた来た自分の性格をズバリ言い当てる言葉。 密かに仕舞っておこうと思っているあまり好きではない自分がむき出しになるような言葉。
ありがたいことだ、感謝、感謝。 本当は私は仕舞い込むのは苦手なのだ。
ちょっと用事があって夕方、表参道辺りをウロウロしました。 Biancaを連れてきたら喜ぶだろうなぁ、などと思いながら、ふふ。
あさっての午後彼らが成田に着く予定。 久しぶりだ。 前回会ってから互い色々な事があった。 人生50歳前後は盛り沢山だ。 楽しさも大盛りだが、その逆も少なくはない。
<話の脈絡は全くないのだが・・・> 住んでいる環境やら、仕事の種類やら、家族構成やら そういうものを取っ払って関わることのできる関係はホーント貴重だ。 気がつけば大学に進学した辺りから、 ナマミの自分以外の肩書きばかりで人と付き合ってきた気がする。 ○○出身、○○の妻、○○の母、○○勤務・・等々。
私ってコンだけのもんだし、これ以上のことはできないし、 できそうにないことは望みたくないと堂々と表現できるのは何と気持ちのいいことか。 感謝です。
突っ張って生きて来たなぁと思う。 これからも突っ張って生きていくんだろうなぁと思う。 実はこれも必要なんだけどね。
人間半世紀も生きてると突っ張り棒を外す技を覚える・・ ・・・というか外す技が欲しくなる・・ という事か・・な。
さて、また今日から仕事です。
今週以降月末まで出て歩くことが多くなりそうで嬉しいです。 (仕事でではありません、念のため。 趣味と実益を兼ねて・・実益かなぁ・・ま、何でもいいや)
つまり出歩くことが好きなんでしょうね、私って。
いやー、やっと秋晴れが来ました。 ちょっと暑いくらいだったが、晴れ。 つかの間の晴れらしい。
ピアノ:「アドリブ」は難しいとか何とかいう世界ではないね。 美しいアドリブを弾ける人、尊敬と羨望の念。 アドリブれない自分、情けないを通り越して可愛いもんだ、トホッツ。 ただし、丁寧にアドリブの練習をするのは面白い。 微妙な違いで曲想が随分と変わってくる。
ほんと、プロはさすがです。 厳密に言うと同じ演奏は二と度できないのだそうだが、 つまり、 2回3回と弾くだけで美しい音の並びが2つ3つと増えるという事だ。 聴く方はそれがたまらなく楽しい。 おっと、聴くんじゃなくて練習するのだった・・・・ 聞くに堪えない音の流れが3つ4つ・・と。
Yaisawa Takashiの講演会をトップページお知らせ板に載せました。 正式にはまだ通知されていませんので、予定という事で。 興味のある方はどうぞ。 後日さらに詳しくお知らせできると思います。
女心と秋の空とかナントカ言うが、 今年の秋の空は移ろわない。 雨ばっか。
女の方が男より心は移ろうのかなぁ。 道を歩いていると、すれ違う女すれ違う女にロトロトと目が移ろってる人間種を知っているが・・。 ま、可愛いもんである。 女は冷淡に心を移ろわす・・。
ととと・・・・っと。 えー、ゲノムは言語構造を持つという。 人間は発生そのものが言語的なのか? じゃなぜ、言語ですべてを表現できないのだ?不完全なのだ? あ、「不完全」も定義不完全。
社会性とはコミュニケーションの積み重ねで身についていくものだという。 人間は元々コミュニケーション能力を備えて生まれて来るものなのだろうか? 社会性とは全く後天的なものか?
イチローのすごいところは、 自己分析、自己コントロールが厳格にできるところだ。 ”自分の成功も失敗も自分自信の責任で為す” スポーツ選手たるやこれである。 スポーツ選手に限らず。
秋だというのにスカッとしない天気である。 雨がやたらと多い。
今年は病院にお見舞いに行くこともとても多い。 お見舞いに行くということは自分は元気だということだ。 そして知人に病人が多いということだ、同然のことながら。 年のせいかなぁ。 病院が身近になった。 病院の様子に慣れるというのはいいことなのだろうか? 娘が交通事故にあって入院した時はどうしても好きになれなかった。 お世話になった先生や看護士の人達はとてもいい方達だったにもかかわらず。
くらーい気分は置いておいて・・・っと。 ライブ行くぞー! ピアノ弾くぞー! おいしいもの食べるぞー! 色々な人と会うぞー! 色々な話を聞くぞー!
薄情なくらい元気・・・だと思う・・・ねばならない・・・ ・・と書いているのは薄情な証拠。
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