日記ふう雑感 ひとりごと
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「今年の阪神強いね。」 阪神ファンに話しかけると、 今年は返って来くる言葉が違う。 「いつものこっちゃ、期待したらあかん。」
去年の今頃も同じような状況で、返ってくる言葉はこうだった。 「あったりまえや。ことしは優勝や!」
阪神のチームそのものも去年とは違って地道に勝っている気がする。 今年優勝したら18年ぶりということだ。 前回優勝したときは我々家族は当の大阪にいた。 娘は3歳と1歳だった・・らしい。 なにせ子育て真っ最中の大変な時期だったので、 何歳を相手にしていたのかさえ覚えていない。 今年優勝したとして、 次が18年後だとすると今度は彼女達自身が人生真っ最中だ。 ことわっておくが、 ”優勝したら””優勝した時””優勝したとして”の主語は全て「阪神」である。
― それにしても横浜はすごい!― (“すごい”には色々な意味がある。 丁度土居健郎の「甘え」の構造を読み返していたのだが、 やはり、日本語は相手の読み方に甘える事のできる言葉である。)
私が今家で使っているパソコンは、 VAIOの小型ノートパソコン・カメラ内臓のC1VS/BWである。 購入するにあたって色々と調べた結果どうしてもこれが欲しくて あちこち探し回りやっと手に入れた一台だ。
メール用にドコモのPHS・P-in m@sterを使っていたのだが、 最近インターネットもどうしてもC1で繋ぎたくなった。 (Webは家族用のパソを使用していた)。 m@sterではさすがに使用料が高く付く。 AirH”かb-mobileかなどと考えていたら、 ―これらの通信機器の使い勝手は実際どうなのだろうか― この4月ドコモから定額制データ通信P-inFreeが出た。 機種変の手続きをするだけでOKと聞いて買い替えを即決。
ところが簡単と思っていた設定に思いの他時間がかかってしまった。 もう一台のパソも時期を合わせた様に調子が悪い。 きのう一日どんよりとした気分の中悪戦苦闘し、 今朝ようやく接続に成功した。 何のことはない、ちょっとしたミスを繰り返していたらしいのだが、 ともかく繋がってからは今日の天気と同じように気持ちがよくなった。 自分の浅はか、早とちり、単純さを思い知らされた2日間だった。
調子が悪いと気分も塞ぐがパソコンを相手にするのは嫌いではない。 特にこのC1には愛着がある。 小さいが多機能で頑張っている感のあるところがいい。 できるだけ長く使ってあげたいと思う。
PHSを買い替える時にパンフレットを何種類かもらった。 サカグチケンジでいっぱいになった。
昨日の話しの続きだが、 私の身近には男性で甘い物好きが多いということを一日たって思い出した。
まず、兄である。 私の辛党に対して、兄は小さな頃から甘党であった。 私は柿の種、兄はマシュマロのイメージをなぜか自分自身が持っている。 おそらく周りの大人たちが面白がってそうインプットしたのだろう。 兄の子供の頃の夢は「世界中のケーキを食べ歩く事」であった。 今も甘いものには目がない。そしてアルコールは全く摂らない。 ちなみに私自身の子供の時の夢は覚えていない。 「柿の種を植えて柿の種を大量生産する」でなかった事だけは確かだ・・ろう。
栗まんじゅうが大好きという叔父がいる。 手土産を選ぶのに悩みがないといつも母が言っている。 好物がひとつだということは何て人助けになるのだろうと子供心に思って育った。
さらに大学の頃ちょっとだけお世話になった先生が甘党である・・らしい。 教室のガス栓につまづいても持っている豆大福は離さない、 という噂を聞いた事があるとご本人から聞いた・・・・と言うのは冗談だが、 頂いたシュークリームを研究室の人たちが全部食べてしまったのを何年も根に持っていて エッセイまで書いているという事実をそのエッセイを読んで知った。 ご本人が書いているのだから事実なのだろう。 何が事実だかわからなくなってきたが、 これはこの先生の話をすると必ず陥る心境であると悟ったので、 最近はここから先には進まない事にしている。 つまりその先生も甘いものには(名実ともに)うるさいという事だ。
適量に甘いものを摂取するのは脳にいいらしい。 適量とは何かが難しいところだが、それは脳が判断してくれるのだろう。 適量を判断する脳のために適量の甘いものが必要になりそうだ。
Mさんに誘われて都内ホテルのケーキバイキングに行った。 ひとり1800円で100分間ケーキ類食べ放題。 15人以上だと1500円になるというので、 回りに声をかけたところ人数がそろったという。 甘い物だけでもOKという人は意外に多いのだ。 アルコールにどっぷりよりはずっと健康にはいい・・・と思う・・
若い人達の集まりということで、娘も誘って頂いた。 私と娘ふたりの年をたして2で割ってもまだこちらの方が上であろう人達 11人の中に図々しくも入れてもらい結局13人の集まりとなったが、 1500円でOK、おなかいっぱい食べた。おいしかった。 実は私は甘いものの食べ放題は初めての経験である。 最近のケーキ類はあまり甘すぎないせいか結構な量を食べられるものだ。 久しぶりによく食べよくしゃべりそしてよく笑った。 (一年ほど前のこの日記のページに同じような文章を書いた気がする。) 最近たまっていたと思っていた疲れがうそのようだ。 今回声をかけてくださったMさんには心から感謝である。
甘いものの食べ放題をこの年まで経験していないという事は、 多くを語るまでもなく、いわゆる辛党のアルコール好きだったからである。 ところがここ数年は自らすすんで飲みたいとは思わなくなった。 飲まなくなったのではなく、“飲めなくなった”のである。 すぐ酔いが回る、しゃべりがあやふやになる、 そうでなくても心もとない記憶力が更に低下する、 翌日がチョ〜辛い等々を自覚するに付け以前ほど飲みたいと思わなくなった。 (“つらい”と“からい”は同じ漢字だ!!) 誰にだったか“それは年のせいだ”と言われた。 (“辛”という漢字の認識についてではない。) 自分のせいでもなく、人のせいでもなく、年のせいなら仕方がない。 ついでながら、記憶力・判断力の貧弱さ、許容度・感情的限界度の低さに比べ、 うっかり・ちゃっかり・ひとりよがり行動の頻度が増しているのも年のせいである。 私の本来持っている人間性の問題ではないということを、 昔からの私を知らず且つ現在何らかの被害を被っている方々には協調しておきたい。
話はケーキバイキングに戻るが、一番沢山食べた人はいくつ制覇したのだろう? 他称“Mr.ケーキ”の君曰く、 「全種類1巡は楽勝。2巡目はさすがにちょいと辛い。」 のだそうだから、小さいものも入れて30個近く食べているのだろうか?
少し前になるが、仕事場でのことである。 4月から他機関へ移動される方が、 「持っていた本の一部を処分したいので、読みたい人があれば譲ります。」 ということで、近場の人たちに声をかけていらっしゃった。 “本”と聞いて私も見せていただいたところ、 中に知っている著者の本が何冊かあった。 以前書いた「知り合いの中年女性」の知人がその著者である。
ちょっと前まではその著者の名前を出しても返ってくる返事は大体決まっていた。 「聞いたことないなぁ」「すいません、知りません」「ふ〜うん」 それが最近では、 「どっかで聞いたことありますよ」「あっ、知ってるかも」「へぇ〜」 になってきている。
こうやって本は世の中に広まり、著者は有名になっていくのか。 それにしても地道な自己PR時代が長かった。 「中身は読む必要はない。とにかく買うように。」 「たかが数百円をなぜそう惜しむのだ。」 「昼食のカツ丼を一回抜くだけで、買えるではないか。理想的なダイエット法だ。」 等々の言葉を何度も目にしたような気がする。 ひょっとしたら耳にしたのかもしれないが、気のせいかもしれない。 文庫本を持ち帰った人が、 「面白かったです。電車の中で笑いっぱなしでした。」と言っていた。 なぜか嬉しかった。
文庫本の著者繋がりでもうひとつ。 夫はジャズが好きで、 家にあるレコードやCD・録音テープなどかなりの割合がジャズがらみだ。 休日は私もこれらをいっしょに聞くのだが、 先日聞いていたFMラジオの録音テープの演奏者が、 あの「知り合いの中年女性の知人の本の著者」の知り合いのプロピアニストだった。 なぜ知り合いということを知っていたかというと、 その著者の著書にそのピアニストのことが出ていた(と思ったが)からである。 小さなソロライブをされているという情報を得て、先月実際に聞きに行った。 そのとき購入したCD(トリオ演奏)がなかなかいい。 何度も聞くうちにジャズにあまり詳しくない私もファンになった。 偶然の出会いが世界を広げてくれた思いである。
で、夫の知り合いでやはり音楽好きのAさんが、 「好きな演奏を集めて編集した」というCDをくださった。 やはり夫と共に回何か聞いていたのだが、 その中のサクソフォーン演奏が、どうもあの「知り合いの中年女性の知人の著者の知り合いのピアニスト」のCDで聞いた音によく似ている。 聞けば聞くほどこれは同じ人の演奏に間違いないということになった。 夫がAさんに尋ねたところやはりそうであった。
こうなってくると偶然というよりは、人の繋がりに不思議を感じる。 いや、考えてみると不思議というよりは当然で自然なことなのかもしれない。 感性が近しいから親しいと感じる。 親しいから“知り合い”と言える。 自然に“知り合い”が増えていくことが嬉しい。
ここ数ヶ月で色々なことを学んだ。 考えるとはどういうことか。 感情とは何か。 記憶とは何か。 自己とはなにか。 社会性とは何か。 成長するとは何か。 言葉とは何か、信頼とは何か。
なぜ人は一日3食食べるのか。 なぜ朝起きるのか。 なぜ人と関わることが大事なのか。
一日3食食べるのはおそらく、 4食食べるのはめんどくさい、2食だとおなかがすく、からだろう。 朝起きるのは、夜眠くなって寝るからだ。 人との関わりが大事なのは、そうすると楽しいから、ということだろう。
満足に食し、ぐっすり寝て、毎日人と楽しく関わっていれば、 重力に従順な余分な脂肪を抱えた気弱で感情的で記憶力の衰えた中年女でも、 何とか生きながらえることができるに違いない。 死なないということは、結構大変な事だが、単純な事でもある。
精神科医和田秀樹氏の著『大人のための勉強法』によると、 “一般に「推論は自己を守りたがる」傾向がある”そうだが、 こうして書き出してみると、 私の推論はかなり客観的に認知されている。 小学生に聞いても同じ答えが返ってくるであろう説得力のある推論だ。
多くのことを学んだこの数ヶ月は無駄ではなかった。
下の娘の大学の入学式を覗いてきた。 まさに覗くといった感じだった。
親は子供達とは別の建物に用意された大型スクリーンで式の様子を見るのである。 ゆったりと座れて、色々な角度から見ることができる点はいいが、 入学式に同席しているという実感はほとんどない。 スクリーン上に娘の頭髪だけでも映らないかと探したが、わからなかった。
ただ、式の前の準備段階から公開されていたので、 こちらは楽しめた。 入学式準備の興とでもいったところか。 「個性的であれ!自己主張せよ!」 をまさに地で行っているような若者達の姿を垣間見ることができて 雨と強風の中無理をして出向いていった甲斐があった。 入学式とこの興の時間配分を逆にしたらどうだろう。 それなら大型スクリーンでも、自分の子どもの顔が見れなくても親は納得だ。 (いや、納得する親と心配する親が両極端に分かれるかもしれない)
男であれ、女であれ、 競争して自己を磨き強烈な個性を作り上げていくというのには大賛成である。 雨でびしょびしょになったが、 散りそうな桜がしっかりと目に残った一日だった。
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