日記ふう雑感 ひとりごと
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寒いと言えば、 子供の頃、寒い朝の挨拶は決まってこうであった。 「今朝はしみるねー」 考えてみると、結婚後10年ほど住んでいた大阪はもちろん、 関東圏でもこの言葉にはほとんどお目にかからない。 長野独特の方言なのかどうかは定かではないが、 しみ豆腐(凍り豆腐のこと)をはじめ、 水道が凍りついたら”しみてて水が出ない”、 窓ガラスに氷が張り付いているのを見て”窓がしみてる!” 外に出してあった野沢菜漬けのたるに氷が張っていれば ”野沢菜しみちゃった”。
方言と言えば、長野ではりんごを長く置いておいて瑞々しくなくなった状態を ”ボケてる”という。 毎年冬場にはダンボールいっぱいのりんごを送ってもらうのだが、 さいたまでは1ヶ月くらいするともう瑞々しくなくなってしまう。 (ので、冷蔵庫で保存する) そういうりんごをうっかり食卓に乗せると、 家族は口をそろえて言う。 「ボケてるよ、かあさん」 「こりゃだめだ、ボケてる」 「うわぁー、ボケボケ」 なんで私の顔を見るかなー。 そりゃ、長野から送ってきたんだしぃ、 私が親切にも皮をむいてあげてるのだしぃ。 だが、りんごを食べてなくても同じ会話を何回か聞いた覚えがあるのは、 気のせいか、ボケのせいか?
もうひとつ長野独特の方言がある。 「ずくがない」というのだが、 これはなんだかだるくてやる気が起こらない、 身体を動かす手間を省きたい気分の時に使う。 (これについてはどこかで書いた気がするが・・) お使いを頼んだかあさんが、なかなか動こうとしない子どもに向ってこう言うのだ。 「まったく、この子ったら!ずくがないんだから」
「ずくがない」がすぐわかったら、長野県人である。 ・・と、思っていたら、この言葉は柳田国男の著書にちゃんと載っていた。 長野以外でも関東の一部で使われているらしい。 案外ポピュラーな言葉なのだ。
ところで明日も凍みるらしい。 ボケたりんごはシナモンで煮ると美味しいが、 そんな手の込んだ事をするずくもないこの頃である。
掲示板の場所をまた元に戻しました。 わがままなサイトですみません。 懲りずに感想など書き込んで言ってください。
************************** 今日も寒かった。 東京でもちょっとだけ雪が降った。 こよみ通りの気候だ。
最近若いお姉さん達の間で長いマフラーが流行っているらしい。 確かに、長いマフラーをぐるぐる巻きにして、 短めのコート(なぜか白が多い)をきっちりと着て・・・ ここまではいいのだが、 それに合わせて(合わされているのか?)ミニスカートにサンダル履きというのはいかがなものか。 人間頭寒足熱というではないの。
夏場の地下鉄の通路ではミュールのカスタネット歩きに 思わず眉間のしわ数が増す思いだが、 冬のサンダルはさすがのおばさんも、小言すら出ない。 胸のうちでつぶやく
「寒かろ〜に・・・(軽そうだが)」
ルーズソックスを明らかに二枚重ね(いや、ひょっとしたら三枚?)にして履いている女子高生にも遭遇する。 分厚ーい木綿のかたまりをふくよかーな足に巻きつけた状態だ。 しかも輪ゴムで止めてある。 必死に役目を果たそうとしている輪ゴムには悪いが、どう見ても足には見えない。 頭寒足熱という言葉が浮かんだ途端に吹っ飛んでいった。
「重かろ〜に・・・・(温かそうだが)」
どっちがいい? そういう問題ではない、ハイ。
1月も22日だというのに、日記は3日目である。
工芸展に行って来た。 最近芸術から遠のいていたので、 久しぶりに脳みそのいつもと違う部分に刺激を与えた気分だ。 絵を見るのも好きだが、空間芸術も面白い。
特に、空間が線で区切られるという事そのものが興味い。 区切っている線自体も面白い。 その全体がまた面白い。 そこにあるでこぼこが面白い。 同じ空間を共有しているという事実がある。 じっと見ていたくなるというまた別の事実がある。
それが道具であればまた面白い。 道具ほど人間の日常に密着したものはない。 日常とは愛すべき厄介ものである。 その役に立ち尚且つ美しくあろうというのだから、 けなげだ。
有名な彫刻や何百万円もする伝統工芸品だからいいと思うのではない。 小さな無名のスプーンでも、 面白いものは面白い。 面白いと思うのはただ一個の気持ちである。 じっと見ていたくなる唯一一個の気持ちである。
| 2003年01月18日(土) |
Bianca has made it! |
久しぶりの日記で、ページを開く暗証番号も忘れそうだ。
今日はセンター試験第一日目である。 55万人が受けたという。 私自身は一日家でのんびりといつもの週末を過ごさせてもらったが、 知り合いに、受ける方でも受けさせる方でも忙しい人間が何人かいるので、 他人ごとではない。 ・・・ような気がした・・・。
先日BS放送で見た何年か前のサイモン&ガーファンクルの ニューヨークセントラルパークのコンサートのライブに集まった人数が 53万人であった。 ウ〜ん、 いずれにしてもたいした人の数だ。
今日は朝からインターネットへの接続が思わしくなく、 夜になってやっと正常に戻った。 センター試験の影響か? と勘ぐりたくなるようなタイミングであった。
ところで、当サイトにTシャツがらみで登場してもらっている Biancaがロスサンゼルスタイムズのウェブサイトに載った。 やはり話題はTシャツがらみである。
”Bianca has made it into Los Angeles Times in image and in print.”
こちら↓。
http://www.calendarlive.com/galleriesandmuseums/cl-et-macgregor15jan15.story
Biancaらしい後ろ姿だ。 連絡をもらってサイトを開いたら一目でわかった。
我が家でも、ブッシュの評判は芳しくない。 喧嘩をしたくて仕方のない駄々っ子の如しだ。
Bravo Bianca! We agree with you!!
今年の仕事始めはとてもキリがいい。 正月3が日までで一週間が終わったせいだろう。 金曜日が終わったと同時に正月も終わった気分で丁度いい。 何が丁度いいのかよくわからないが、キリのいい仕事始めの月曜日である。
6日といえばまだ正月が抜けないような気がしていたものだが、 今朝ふと気がついたことがある。 門松が少ない。 しめ飾りが少ない。 住宅街を抜け商店街を通って歩きながらの駅までの10数分間に、 玄関にしめ飾りのあった家は1軒だけであった。 大きな門松が置いてある料理屋が一軒。 謹賀新年の印刷物が張ってあるお店が2軒。
不況のせいか、キリのいい月曜日のせいか、人々の意識が変わったきたせいか。 既に、正月気分などほとんどない。
もう一つ、 行きかう車も駐車場の車もしめ飾りをつけているのが一台もない。 我が家では車に正月の飾りをつける習慣がないので、 ちょっと前までは、駐車場などで目立って仕方がなかった。 だからと言って右へ倣えはしたくない。 この点に関しては夫婦意見の相違はない。 今日、歩きながら意識して見たみたが、飾りをつけている車は一台もなかった。
こういう状況だと飾りをつけている車は目立って仕方がないに違いない。 だからと言って右へ倣えもつまらなかろう。 私たちも右へ倣えをしたようでつまらない。
無駄を省くのは悪い事ではない。 近所が一斉にクリスマスのリースを玄関に飾り、 あっという間にそれが門松、しめ飾りになるのを見ながら 面白いとも思い、違和感も覚えたものだが、 今年のようにまわりの空気にあまりに凹凸を感じない年初めは また違った違和感がある。 勝手なものだ。
ただ、富士山はさすがにきれいだった。 天気がよければ通勤電車から毎日でも見ることのできる富士山だが、 冬の富士はいい。 正月の富士はことさらにいいぞと思う大和心が私にもまだ少し残っていたようだ。 実際に登ればゴミばかりなどという現実は棚に上げである。
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