日記ふう雑感 ひとりごと
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2002年11月24日(日) 眼鏡

最近、眼鏡をかける時間が長くなった。
といっても近眼になったからではない・・・・らしい。

ものが見えずらくなった気がして、眼科で診察してもらったことがある。
医者に、
「老眼鏡でしょうね、やっぱり。」
と聞いたら、
「衰えた視力が気になるようなら、眼鏡で何とかなることはなります。」
と言われた。
上手い事を言うものだ。
最後までその医者の口から老眼鏡という言葉は出なかった。
最近では「老眼」という言葉も“よろしくない語”に入るのだろうか。

私は衰えを表す表現にあまり敏感ではない。
耳が少し聞こえづらいとか、物忘れが激しいとか、物をよく落すとか、
肌がやけにツッパルとか、何気ない傷も治りにくいとか、
この年になるとこんなものだろうと思う。
人間こうやって年をとっていくのだなぁと興味深くさえある。
周りのものは少々迷惑だろうが、本人は気楽なものだ。

(欠伸をしただけで首の筋肉がつる等の症状も最近よく出るが、
 これは周りには迷惑をかけない反面、
 本人は気楽ではないので別項目である。)

ただ、本を読む時は昔に比べて格段に眼が疲れると実感する。
ややマイナーな気分の実感だ。
やはり、“衰えた視力が気にならないように”眼鏡を作ったのは正解だった。

ここ10日間ほどで読んだ本をメモとして書き留めておきたい。
上野千鶴子「ザ・フェミニズム」
上野千鶴子「ナショナリズムとジェンダー」
鷲田清一「現象学の視線」
丸山圭三郎「言葉と無意識」
内田隆三「ミシェル・フーコ」
船木亨「メルロポンティ入門」


2002年11月13日(水) お笑いエッセイのファン

何日か前の事だ。

夜中に夫から電話があった。
「仕事が遅くなったんで○○に途中まで車で送ってもらった・・・ちょっと今代わるから・・」

○○氏 「こんばんは!○○です。」

わたし 「あ、はじめまして。」

○○氏 「いや、はじめてじゃないんですけど・・・」

わたし 「あ、そうですか。し、失礼しました。」

○○氏 「私実は、ツ◎ヤケNジの大ファンなんです。
         週刊B春のエッセイ毎週読んでます!」

わたし 「あー、そうなんですか。それは、それは。・・・・」
     ありがとうございますとも言えず、言葉がない。

○○氏 「ツ◎ヤケNジって、本当にピアノ弾くんですか?」

わたし 「えっ?あっ、・・・本当に(?)弾いてましたよ。
        少なくとも音は出してました。」

○○氏 「へえー、本当なんですか。それで、うまいんですか?
         エッセイではあんなこと言ってますけど」

わたし 「うー、うまいんだと思います。そのー、素人としてはー、えー、
     プロ並とはいかないまでも、味があるって言うか・・えー、そのー、
      つまりー」ツチヤ節になってきた。

○○氏 「へぇー、そうなんですかー。」(感慨深げ)

わたし 「はぁ、ええ・・・・」

○○氏 「ところで、奥さん、今寝起きでしたか?」

わたし 「トンでもない!しっかり起きてましたよ。」
      (たしかに電話の受け答えは上手い方ではないが・・・)

ここで、電話の向こうは夫に代わり、話は終了したのだが、
実際このとおりの会話であった。
○○氏の言葉に私の脚色はほとんど入っていない。
さすがにツ◎ヤケNジのファンである。どこか違う気がする。

後で聞いたところ、
以前、まだ我が家がパソコンを使い始めて間もない頃、
それが調子が悪いというので、夫の知人に見に来てもらったことがあるのだが、
その彼が○○氏だという。
たしかパソコンにはかなり詳しく、
プロ並とはいかないまでも、味が、いや相当の技術があると聞いていた。

ああ、あの○○氏だったのか。

パソコンをいじって(下さって)いたシルエットは思い出した。
そうと気が付けばお礼のひと言も申し上げたものを。
失礼なことをしてしまった。
“夜中の生ツ◎ヤファン登場”に少々我を忘れてしまったのが不覚だった。
ついでに言えば、そのパソコンは結局復活せず、ほかのに買い換えた。


パソコンはさておき、
こんなところにまで、ツ◎ヤ菌ははびこっていた。
驚きである。


2002年11月11日(月) 文化の日について

“知り合いの中年女性”(某所での呼び名に準ずる)から
文化の日は明治天皇の誕生日では?とのご指摘があった。
彼女は私と同世代(注:私よりほんの少し若いが・・・)であるにもかかわらず、
明治を中心に大正、昭和初期の出来事について非〜常に詳しい。
同世代であるにもかかわらず、
特に明治時代のことについてはリアリティがある。不思議だが。

ということで、もう一度調べてみた。
11月3日はやはり明治天皇の誕生日であるらしい。
さすがである。
「たしか戦前は『明治節』と言ったのではないのか?」
某知り合いの中年女性はこう付け加えてくださった。
リアルである。

結局、うら覚えとはいえ、娘の
「誰かの誕生日なんじゃない?」は正しかった。
ただ、憲法公布の日というのも間違いではなく、
典型的な“元々は何の日?”型祝日ということのようだ。

更に体育の日に関しても、
東京オリンピック開会式の日で正解だそうだ。
これについては、別の知人の言わんとしたのは、
「晴れの確率の多い日を選んだら10月10日だったのに、
わかり易くかなんか知らないけど、第二月曜にしてしまったんじゃ、
“元々の意味”が意味ないじゃん」
ということだったらしい。

どうにもこうにも、知れば知るほどわかりにくい。
元々の意味はどんどん消えうせつつあるということなのだろうか。


※某知り合いの中年女性様、ご指摘ありがとうございました。


2002年11月03日(日) 国民の休日

サラリーマンノーベル化学賞受賞者の田中さんに文化勲章が授与された。
テレビを見ながら文化の日って元々なんの日だったんだろうという話になった。
こういう会話も考えてみるとおかしなものだが、ナントカの日というと最近では、
元々の意味を書き換えて祝日になっていたりするので、
実は自然な会話であるとも言えるのだ。

娘  「誰かの誕生日なんじゃない?」
母  「いや、それはないと思うよ。なんか、憲法に関係なかったっけ?」
娘  「憲法記念日って5月3日じゃん」
母  「そうか。じゃ、なんの日だ?」
娘  「だから、文化の日」
母  「ふーん、そんで研究者熱心な田中さんが勲章を貰うんだ。」

というわけで、再確認。
11月3日の文化の日とは新憲法が公布された日で、
5月3日の憲法記念日は新憲法が施行された日だ。
ついでにいうと建国記念日とは
神武天皇なる御仁が橿原に宮を建てたと日本書紀に書かれている日を
西暦に換算した日ということらしい。
考えてみるとよくわからないで祝う事になっている日というのが結構多い。
成人の日、子供の日、敬老の日など。一番分かり易いのが天皇誕生日だ。

体育の日というのは、
これまでの統計上晴れになる確立が一番高い日が10月10日にあたるので、
この日に大いに体を動かしましょうということだったらしいが、
それならば、さくら前線を目安に「お花見の日」、
統計上一番暑いとされる日を選んで「熱帯の日」、
台風の上陸する確立の高い日を「台風の日」、
一番寒いとされる日を「寒波の日」とでも名づけて“国民の休日”にしてもらいたい。

あと、子供の入学と卒業に合わせた
「入学式の日」、「卒業式の日」などもあってもいい。
また、衣替えの時期までよく頑張りましたという意味で
5月31日、9月30日を「衣替え前日休日」に、
さらに夏至や冬至、立春や立秋、八十八夜や十五夜も
それぞれ休みにしてもらってもいっこうに迷惑ではない。

文化混在国日本としては
「お盆中日を挟んで一週間」
「クリスマスイブ及びクリスマス」
「釈迦誕生日」
も休日ということで如何だろう。


2002年11月02日(土) 受験シーズン

常に何かの音楽が流れているというのが我が家の日常で、
生の音も例外ではないのだが、
さすがに受験生にとって追い込みの時期ともなってくると、
本人からの訴えを聞かないわけにはいかない。

「機械から流れてくる音楽は何とか聞き流せるとして、生の音だけは止めてほしい」そうだ。
なまじっか音楽好き受験生の最大の敵は生の楽器の音である。
最近、ケーナを筆頭に民族楽器に凝っている親達が、
その外出時を狙って音を出しているのを彼女は知っているらしい。
テレビやCDの音もおしゃべりの声も勉強中は極力ボリュームを下げるようにしている(つもりである)というのも、
何とか納得してくれている気配だ。
我々のできる協力といえばそんな慎ましいことくらいである。

土曜日は郵便局も銀行も休みである。
最近は学校も休みになった。
すっかり冬めいて来た(本格的な受験シーズンに入ったという言い方をする人もいる)土曜日のお昼時、
自分がご飯を食べに部屋を出て来た途端にCDの音を大きくし、楽器を鳴らし、
堰を切ったようにああだこうだと声高にしゃべり始めた親達を見て、
受験生は改めて両親の偉大さを思ったらしい。

「そんなにケーナが吹きたいのか・・・。」

わたし達はまっとうな受験生の親である。
(この”まっとうな”は”親”にかかる形容詞である)
だから休日であるにもかかわらず、
普通では考えられないくらいひっそりと息を殺して静か-な時間をすごしているわけなのだ。
彼女は十分それを理解していて、時々感謝の言葉もつぶやく。

「新しい楽器に手をつけるのはいいよ、でも、選りによってなんで今この時期なのさ・・」

いやー、そんなに誉められてもなぁ。
心配でご飯もろくに喉を通らない親の身にはじーんと染み入る言葉である。
「後は頼んだ、受験生。お前の人生だ。逆境の中でも強く生きて行けるよう育ててきたつもりだからね。」

親の腹の内を見抜いて、いや親の背中を見て育っているせいで、
彼女はしっかりした大人になるだろう。

一人目がいい例である。
こちらは親も一目を置くほどのダイナマイトねいさんに成長した。
心根も外見に違わず繊細でやさしい。家族の中で一番の気遣い屋でもある。
そのためかどうなのか、今は一人暮らしを満喫している。


Hiroko |MAILHomePage