日記ふう雑感 ひとりごと
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2002年09月30日(月) スポーツの秋3

アジア大会が始まり、サッカーの試合がひとつ終わった。
2−0でかろうじてパレスチナに勝ったが、
田中達也をもう少し早くから出場させてほしかった。
田中はわが地元浦和レッズの若きストライカーである。
彼の活躍というわけでもないが、今のところJリーグでは1位である。
その小さな身体とシュート力、突破力は
(こういう言い方はあまり好きではないがわかりやすく言えば)
和製オーエンといったところだ。

最近どうも気になるのだが、このレッズの田中達也が
元バレーボール日本代表のリベロだった西村晃一に似ているような気がしてならない。
さらに、ジュビロの西が陸上ハードルの為末大に似ているし、
今ベルギー・ゲンクにいる鈴木隆行は歌手の徳永英明に似ていると思うのだが、
こういう話題を出すと娘たちは両側から耳元で「エー!」と叫ぶ。
特に為末のファンであるため西の話題は禁句になりつつある。
為末の方が“ずーっとかっこいい”のだそうだ。
じゃ、西はかっこよくないのか。彼だって頑張っているではないか。
眉毛のたれ具合がちょっとだけ違うのだそうだ。


2002年09月25日(水) スポーツの秋2

野球といえば、今年の日本シリーズは西武対巨人になったようだ。
昨日の星野阪神は最後まで粘ってよく頑張ったが、
巨人優勝決定にもかかわらず印象に残ったのは、
ただただ甲子園球場(のお客さん達)の礼儀正しさである。

そして、どーもよくわからないことがもう一つある。
優勝が決まった翌日、つまり今日のニュースでアナウンサーが
「巨人ファンの皆様おめでとうございます。」と言っていたが、
声をかけられたファンは「ありがとうございます。」と答えるのだろうか。
奇妙だ。
ファンであるならば
「やったね!」とか「どンなもんだい!」とか言いたいはずなのだ。
「おめでとうございます」と挨拶するアナウンサーはこの返事だけは聞きたくない、
つまりアンチ巨人ということなのではないか?

こんなくだらなーいことが頭に浮かんできた。
やはり今年はプロ野球以外のスポーツの印象が強かった。


2002年09月24日(火) スポーツの秋

一昨日、地元のTVで高校バスケウィンターカップ地区予選をやっているのを見た。
野球もそうだが、サッカー、駅伝、ラグビー、など、高校生の試合はいい。
完璧でないところがいい。
まさかーと思うような展開になるところが面白い。
そのまさかの時にどんなプレーをするかがまた面白い。
と言うわけで、今スポーツ界で活躍している選手の中には高校の時から知っている
(テレビで試合を見ているという意味で)人たちが何人もいる。
その成長ぶりを楽しめるのもまた面白い。

バスケットの試合を見終わって考えた。
なぜ、こんなにスポーツが面白いと思うのだろうか。
おそらく、見ている分には理屈も屁理屈もないからだ。
スポーツを見ている時の頭の中には理屈はもちろん屁の字も浮かんでこない。
なんと心地よいことか。
(もちろんプレイヤー達にとっては緻密な戦略や論理的な方法は大事である。)
普段から自分を称して屁理屈人間などと言ってはいるが実は私は、
理屈などない世界のほうがずっといいと思っているということなのかもしれない。

サッカーといえば、今のところJリーグの得点王は高原だ。
高原が出るたびに同じことを言うので家族にはウンザリされているのだが、
“随分前から私は高原のファンである!”
ゴール前でのあのガッツと、
最近身についた顔にアンバランスなあの落ち着きは高原ならではのものだ。
ナントか症候群で飛行機に乗れないのは
ファンにとって残念なのかラッキーなのかわからないが、
海外で活躍のエリート組にもまけないオーラが
君の坊主頭からちらちらと見え隠れしているのは確かだ。


2002年09月10日(火) 記念写真

今日のできごとではないのだが、3,4日前に娘の二十歳の記念写真が出来上がってきた。写真を取ることさえもあまり乗り気でなかった本人に、母のソンケーイする大学の某先生のピアノのジャズライブに連れて行ってあげるからと、好きなものを目の前にチラツカセテやっとの思いで日程を組んだ。

もちろん振袖などではない。ちょっとしたスーツ姿だが、さすがに専門家の手にかかるとたいしたものである。写真を受け取りに行って、思わず
「馬子にも衣装ですね」と呟いてしまった。
すると写真屋のおじさんもすかさず相槌を打った。
「本当にねー。最初はどうなるかと思ったよ。」
江戸っ子だーね。正直だ。
何しろ写真屋のドアをまたいだ娘はTシャツ、ジーパン、何やらぎゅーぎゅーに中身を詰め込んだ大きな布袋を3つも持った、いかにも美術系それも裏方といったイデタチである。

持って行ったスーツに着替えさせていただき、靴も履き替えて撮影のスタジオに立った娘は親が言うのもナンだが、まあまあの見栄えであった。

出来上がった写真を見て、無理を言って撮ってよかったと思った。豪華な着物姿ではないが記念である。既成の年齢像にはこだわらない親にとっても、やはり20年の区切りというのはちょっとしたできごとだと自覚した。

私のこの”既成の年齢像への反抗”は若い頃からあり、私自身は自分の改たまった成人式の写真を撮っていない。私が何も必要ないからと言ったら親も一度で納得した。
それが自分の子供の写真は半分無理やりに撮らせている。
まあ、子供の自分と親の自分は違うのだとここでも屁理屈る私である。


2002年09月08日(日) 自分のサイトについて

最近「本」のページを改装した。時間とともにあちこちに粗が見えるようになり、手を加えたり修正したりするのだが、なかなか思った通りのものにならない。これに関しては「素人の哲学」のページに追記した。

あるサイトを管理者しているMさん(主婦である)がその日記に、「主婦のつくるサイトは家族の写真をUPしたり子供の成長記録をつづったりするものだというのは大いなる偏見である。」というようなことを書いているのを読んだ。私もこれには大賛成である。Mさんは子供さんもまだ小さい母親真っ盛りの主婦であるが、サイトの内容は、家族や子供についてというより彼女自身が何をどう考えるかについてのものが多い。

私も必ずしもそう意識したわけではないが、“自分“が中心のサイトになるだろうと予想してこのサイトを立ち上げた。意識しているわけではないが、予想通りの現状である。

だが、主婦である以上、家族が大優先であることは間違いない。(Mさんにもそう書いておられた)。ここが主婦の強いところである。家族にも自分にも同時進行で関わっていける技を心得ているのだ。私の場合は技が有効に機能しているかどうかは甚だ疑問だが、気持ちだけは十分あることを表明しておこう。

さて、私の個人としての目下の興味はやはり「知る」ということであろうか。文章にはまるっきり自信がないので、一番長く付き合ってきたものに焦点をあてる道を選ぶとすれば、出会った本を書き出していくくらいだろう。本を選ぶという行為はその人の興味の現れであると思っている。読んだ本を列挙することで、その人の人となりの一部分が見えてくるのではないだろうか。敢えて感想を書くことを自分に強いることにした。これで今まで読んだものの再確認になり整理できれば頭の中も多少はすっきりするだろうという期待からだ。

 何回か作ったり破棄したりを繰り返えしてとりあえず今の形になったが、これからもいつどう変わるかはわからない。流動的なところがウェブサイトを利用する利点なりと私は勝手に考えている。


2002年09月06日(金) 健康診断

今日は職場での健康診断の日である。
基本的な項目の診断なので、そう緊張することもないのだが、
朝飯は抜きなのだ。
貧血・低血圧のわたしにとって朝飯が抜きというのは
ガス欠の車のような状態だ。
辛いことこの上ない。(車に気持ちがあるとしたらおそらく辛いに違いない)。

ましてこんな日に限って久々の雨である。
家から駅に向う道のりで、3回車に水をかけられた。
それも派手に顔にまでかかった。
以前はこんなに大胆にかけられたことはなかった。
たいてい私の横で車の方がゆっくりになるか、水溜りをよけてくれていたものだ。
なのに今日の車たちの無礼なる走りはどういうことだろう。
雨の中を運転していても、
若い女性か中年のおばさんかが区別できるとでもいうのだろうか。
実に不愉快だ。

おかげで、(かどうか知らないが)乗るべく電車にことごとく乗り遅れた。

電車を降りて傘を差そうとしたら、折りたたみの骨がなかなか開かない。
おかげで、(これは確かにこのせいである)かなり濡れてしまった。
車にかけれらた水しぶきがやっと乾いたところである。

お腹が空いていたので、早々に保健センターにおもむく。
階段を上る時につまづいた。明らかにお腹がすいているせいである。
階段でコケるなど、さすがのわたしでも久しぶりのことだ。

血液採取の場面に来る。採取係りは4人である。
ベテランに見える係りの人に視線を合わせるべく努力する。
私の2人前の人が血が止まらないといって大騒ぎをしていた。
朝から今までの私に降りかかった状況から、
その人の座った番号には絶対行くまいと判断した。
(血が止まらなかった気の毒なその人の)おかげで、
その後は何事もなく無事全過程を終了した。

それにしても、なけなしの血を採られるのは大変辛い。
今日は一日中、ガス欠の中古車の気分だった。
(おそらく中古車がガス欠になったらこんな気持ちだろう)





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