浮き沈み日記。

2002年09月30日(月) 引っ越しました。

昨日着いたんだけど、バタバタしてたもんだからパソコン触れず。
今さっき区役所行って転入してきた。
国民保険にも加入してきた。
これで「住所不定」なんてことはなくなった。

国保の口座振込み用紙を銀行に出してこようかと思ったが、15時で閉まることを思い出しどうにも間に合わないなーて諦め、明日行ってくることにした。
あと20分で銀行閉まっちゃうしね。
(日記書いてるウチにさっさと行ってきやがれー!と言われそうだ)
結構大きい区のわりには私の口座がある銀行の支店がないんだもんなぁ。
そこの銀行のATMはたくさんありますが。

明日は、、通う病院のアテがついているので、そこへ電話して新患予約を取る。
それから銀行へ行って今日出せなかった用紙を提出する。

でもとりあえず、荷解きをしないといけないんだな。



2002年09月28日(土) いよいよ

明日に引っ越すことになった。
既に荷物は送ってあるので、あとは私だけ移動すればよい。
愛している飼い猫を抱きまくり&撫でまくり、7キロの重さをかみ締めた。

以前に性的暴行を受けたあの場所から遠く離れられる。
病気の治療が思う存分できる。

「死ぬ」なんてことは考えないし実行しない。
一番の逃げ道だし、いつも考える選択肢に入ってはいるのだが、、、。

親と約束したし。
何ゆえに大事な人の涙は見たくないし。

病気、治すんだ。

迫りくるフラッシュバック、出来上がってしまった人格、走り回る黒い犬。

事件の記憶がなくなることはない。

しかし、それを思い出したときに流せることができたなら。

「がんばる」ことは私にとって苦痛なのだけれど(この言葉が以前、かなり枷になったので)「がんばる」以外にイイ言葉って、、みつからない。
ボキャブラリー、もう少し増やしたいものだな。



2002年09月26日(木) 別れを惜しんで遊んでみた

市役所から呼ばれて保険料のことで最後の言い合いをした。
26日の時点で私はこの市の住人じゃないんだけどな。

それから友達と3人で遊ぶ。
パルコ前でクレジットカードの申し込みの勧誘にひっかかっていて、加入してた。
私もしつこく勧誘されたものの、「無職ですし」「引っ越すんで」という理由で断る。
すでにクレジットカード1枚あるし、1枚あれば別にいいし。
カード払いよりも、いつもニコニコ現金払いの人です。
でもカップラーメン3個とヤカン型のキッチンタイマー(可愛いんだ、これが)をもらってるのはうらやましく思ったさ。
ミスドのドーナツ1個無料券までもらってたしなー。

カラオケに行き、3人ともGLAYファンだからニューアルバムの曲を歌いまくってみる。
歌うことが好きなんで、3時間思いきり歌いまくる。
それからプリクラをとりまくり、、。
女子高生、たまりすぎ、、、ゲーセン、、、。

餞別としてプレゼント&手紙をもらった。
うう、いいヒトたちだー!!!

帰宅して本を縛り上げる。

引越しって大変だよなぁ、、、、。



2002年09月25日(水) 荷物整理&部屋の掃除

近所のスーパーに行って段ボールをもらってこようと思い、買い物へ行った。
「巨人優勝セール」がやっていて、靴が安かった!
親に夕飯のカレーの具を買って来いと言われていたので、じゃがいもやらを買い、段ボールを拉致るために探したら小さいヤツしかない。
これではあまりにも小さいので郵便局で特大のヤツを3箱買う。

だいたいの服は送っていたのだが、細々とした物や靴、カバンなどを入れたらすぐに3箱うまってしまった。

部屋の掃除をしたら市の指定袋(大サイズ)に5つものゴミが、、。
私ってばゴミの中で生活してたんかい(苦笑。

部屋の掃除をしまくって、ついでに本も捨ててやる!と息巻く。
ナイスタイミングなことに今度の土曜日に廃品回収がある。
私は「幼少時代、日本語を本で覚えた」くらい本好き(エンゲル係数よりも本代のほうが高いだろう)のため、たまりにたまった本がいっぱいある。
明日はそれらをたばねまくらなければならない。

大事な本たちは段ボールに仕舞い、持っていくにも捨てるにもしのびないのは実家の本棚へ直行。
あまり持っていけないので「ブギーポップ」シリーズと、原田宗典氏のは厳選して自分のお気に入りのやつのみ持って行く。

こちらに住んでいる友達と、明日は遊ぶぞー。
楽しみだ。



2002年09月24日(火) 疲労困憊

引っ越すことになった。
親に了承をもらい、ちゃんと順序立ててね。

了承をもらうまで、見たくなかった親の涙を見たり自分がパニックになったり人格がいることも言ったりと、いろいろと大変だった。

日曜日の夜に会話を切り出し、昨日の夜に親から了承をもらった。
かかった時間は二日間だが、一週間くらいたったようなくらい濃い時間だった。
親友にも迷惑をかけまくった上、これからも親友には迷惑をかけまくる、、。
申し訳ないなって思いまくり。

「死ぬんじゃないよ」(直接的にこの言葉は言っていないが)というのが、親との約束である。

親友といえど、他人と一緒にすむことは、やはり大変なことである。
喧嘩もするかもしれない、気のすれ違いも起こるかもしれない。
これについては、ちゃんと過ぎるほど話し合った。

何はともあれ、、、これで本格的に治療ができるんだ。

いつ引っ越すかはハッキリと決まっていないが、はやく引越したいものだ。



2002年09月22日(日) CM1つでフラッシュバック、、

今日は一日、自宅で掃除をするつもりだった。
午前10時ごろに目がさめて、テレビをつけた。
今思うと、テレビ見るんじゃなかったって後悔している。
あるCMが流れたのだ。

女性が缶詰を半分あける。
缶の中には裸の男女が抱き合ってキスをしている。
女性がギョっとして缶を閉めるが、また開く。
まだ裸の男女が抱き合って、「はぁー」っと爽やかな息(?)を吐き出す。

そんな感じだったように思う。

以前受けた性的暴行と重なった。
キスしている女性が私に重なって、自分がキスしているように思えた。
そして結局はフラッシュバックが起こった。

自分の体は汚いと思った。
セックスなど、気持ち悪いものだと思った。
心底、死にたいと思った。

それから記憶がなくなって、気が付くと出かけていた。
東急ハンズにいて、カッターナイフを買っていた。
レシートがあるから万引きしたわけではない。お金も減っている。
(いつの間に、何でカッターナイフ買ったんだろう、、?)
そう思った途端、また記憶がなくなった。
今度はトイレでカッターナイフを封から出して、さぁ腕を切りつけようってところで気が付いた。
非常に驚いたが、とりあえずカッターナイフをゴミ箱に捨てて、、、。

途中で人格交代なんかもあり、現在はなんとか落ち着いた。

まさかCM1つでここまで影響を与えるとは思わなかった。
テレビ見るのにも大変だなぁ、、、。
ますますテレビから離れていきそう。

<個人的引越し情報>
明日、親が仕事休みだったら親友がやってきて話をつけにきます。
もしも仕事だったら、、、と思うと今から落胆。
今日はコンサートに出かけているので、まだ明日が仕事かわからない。
帰宅次第聞いてみよう。

どちらにしても明日は運命の日。



2002年09月21日(土) 海外サッカーのお話。

今日は趣味話。

サッカーを見てきた。グランパス対ガンバ。
特にどちらも応援するほど肩入れしてないんだけどね、、。
ガンバが1対0で勝った。グランパス、連敗はかなりキツイ。

私はどちらかというと海外サッカーのが好き。
チャンピオンズリーグが現在はやってますね。
リーガエスパニョーラ(スペインリーグ)のレベルが高すぎる。
そこのリーグに「レアル・マドリード」というチームがあるのだが、W杯でも話題になったロナウド(彼は「インテル」というチームのファンにかなり嫌われているが、、彼も問題があると思う)、ジダン、フィーゴなどまさに世界のスター選手かき集めみたいなノリのチーム。
これで強くなかったらウソだろ!?って感じ。
プレミアリーグ(イングランド)も好きだけどね。
稲本が所属するフルハムよりも、私はリバプールが好きです。
オーウェンがもともと好きなんで、、、。
本当はブンデスリーガ(ドイツリーグ)が見たいんだが、放映しているチャンネルに加入してないから見れないよー。カーン、、、。
スペインリーグもプレミアもセリエAもオランダも見れるんだが、、、。

しかし、実を言うとセリエAで審判をしているコッリーナがかなり好き。
W杯で日本対トルコ戦を審判していた、あのスキンヘッドな方。
九州限定で放映しているたこ焼き屋の宣伝に出てる方。
コッリーナのオフィシャルHPを発見したときは嬉しかった。
残念ながら今度のW杯は審判できないんだよね。
定年なので(45歳で審判は定年)。
だから今度のユーロでおしまい、、大きい試合は。
生で見たいぞ、コッリーナ。
彼は審判は副業で、本業は貿易関連の仕事をしております。

死ぬ前に1度はF1(特にスパ・フランコルシャンで!)とサッカーを海外で見てみたい。
やっぱりスポーツ観戦は面白いね。

趣味について語りすぎてしまった、、、、。

<個人的引越し情報>
兄に、月曜日に母と話をすることを言う。
そして受けていれてくれる親友と母親が話をしなくちゃね、ということを話す。
もともと親友は母親と話してくれる気でいるので、それは良かった、、、。



2002年09月20日(金) ワカラナイ

最近、自分が『正常』か『異常』かワカラナイ。
激しくベクトルは『異常』に向いているかと思うんだが、、。
異常バンザイ。あはははは。

『普通』と『正常』は意味が違うんだよな。
『精神病』と『神経症』も意味が違うんだよな。

私は神経症患者です(PTSDは神経症)。

さて、、、微妙にこのノリは黄色いので下げねば。

GLAYの限定ライブの結果が今日出たんです。
見事に外れました。
これで当たってたらもっとはじけてたんだろうけれど。
まぁ、いいや。
横浜アリーナ2日間見れたしね。
来年長いツアーやるって聞いたし、それを楽しみにアルバム聴きつつ待ってます。

<個人的引越し情報>
市役所で転出届をもらってきた。
すぐにもらえたのでビックリ。
保険証も削除してもらった。
以前、10割負担時に私が負担したぶんを返せー!と市に言いにいったら、審査があるようで、それ待ちだったんだけど、、それはどうなったんだろう?
いっさい連絡ないんだけどね、市役所から。
郵便局と銀行と航空会社のマイルカードの住所変更も行ってきたし。
あとは携帯会社と、、、わすれてた!
GLAYのFCにも教えねば、、、。

そして、あとは問題の親でございます。



2002年09月19日(木) 2001年9月11日のこと&GLAYのアルバム

いまさらながら、2002年9月11日のことを書く。
なぜ2001年のテロ発生の日時ではないのか?と思われるかもしれない。
しかし、この事件での被害者のことを考えると2001年9月11日以後のことを書きたいからだ。
このテロ後、PTSDという名前が世の中に特に浸透したそうだ。
(日本では阪神淡路大震災のあとで広まった)
被害者はもちろん家族、災害救助者に至るまでPTSDを発症したと聞く。
フラッシュバックもひどいと聞く。
発生直後はさすがにニュースやらがどれもこれもテロの様子や被害者の様子を映し出していた。

そして、1年。
いやがおうにも流れる、飛行機がビルに衝突する姿。
貿易センタービルが崩れ行く姿。
吹き上げる噴煙。
呆然と立ちすくむ市民たち。

ニュースや特集がその日当然ながら、やたら多かった。
11日よりも前から、それらの映像はイヤなくらい流れていた。
被害者に1年たった心境はどうか聞いていた。
「あまりビルがあたったときの画像は見たくないんだ」
貿易センタービルから命からがら逃げ出してきた被害者が苦い表情でカメラに向かって言っていた。
確かに追悼式も大切だし、この事件が風化してしまうことはいけないことだ。
けれどあまりにも過剰にメディアで流すことは被害者にとって苦痛の何者でもないと思うのだ。
触れないで欲しい人には、そっとしてあげて欲しいと思う。

私はちなみにドラマ等でレイプしようとしている場面を見るとすぐさま、反射的にチャンネルをかえるかテレビを消します。
それでも一瞬は見てしまうので、イヤでもフラッシュバックがくる。

話を変えて。

GLAYのアルバムを買った。
「UNITY ROOTS&FAMILY,AWAY」
このアルバムタイトル、最初見たときはあまり好きじゃなかった。
だがTAKUROが雑誌で語源を言っていたのを見て、好きになったのだった。

人間というのは失ってからそれの存在がいかに大事だったか解るんだな。



2002年09月18日(水) 「あずさ」がメールを出した

親友から電話が昼にかかってきた。
「あずさ」が親友へメールを送ったとのことだ。
私にはまったく記憶のないことだし、メーラーの送信トレイをみても一切メールを出したことが残っていない。
あずさへ問い掛けてみると、『送りました』と認めた。

初めてこのような、私の記憶がないところで他の人格が行動を起こした。
そのことがひどくショックで、最初は信じられなかった。
でも親友が嘘をつくとも思えないし、、、。
(それ以前に、人格がいるということ自体演劇のように思えてしまうかもしれない)

親友へ送ったメールの内容は、「私は本当は○○○(私の本名)さんを差し置いて表に出たくなかったが、無理矢理でも出ないと『楓』がのっとりそうだった」という感じだったそうだ。

楓くんはかなり過激だからなぁ、、、、彼に任せるともれなく死にます。

なお、今回のこの件により私は無理矢理ながら引越しをすることになりそうです。
親友がある意味、キレました。
家族と私を引き離した方がいいと。
そこで治療に専念すべきだと。

「解離性同一障害」とは、まだ私は思えない。
それに病名がなんとなろうが、ふぅんって感じだから。
虐待とか受けた記憶はいっさいないしねぇ、、、、。



2002年09月17日(火) 人格まとめ

私の中にいる人格についてまとめてみようと思う。
実を言うと、かなり混乱しているのでまとめてみることで多少は落ち着くかもしれないからだ。

○楓 
男、17歳。
黒髪、短髪。真ん中分け。
非常に口が悪く、乱暴。自殺志願者。マイナス思考。
いつも不平・不満をぶちまけている。
性的暴行の加害者、劣等感を植え付けた教師、いじめたクラスメートたちを殺したいほど憎んでいる。
フラッシュバックを引き起こす。
機会があれば私自身を殺そうとしている。
「生きていてもムダだ」「オマエは生きている価値がない」「死ね」など今まで私が悩まされてきた幻聴を言いつづけていたらしい。
親友と元彼氏のことがすごく嫌い。
私自身が思うには、抑圧されてきた負の感情が固まって出来たのかと思う。
一度、私は記憶がなくなりカミソリを振り回して暴れたことがあるのだが、それも楓の引き起こしたことらしい(あずさ談)。

○あずさ
女、25歳(年齢教えてくれた)。
黒髪、ストレートのロングヘア。
管理者的存在。かなりしっかり者。丁寧語で話す。
私には「あずさ」と言ったが本当は漢字で「梓」というそうだ。
他の人格を抑える役割を果たしている。
助言を与えてくれるのだが、楓とお下げの女の子を抑えるのに必死で忙しいらしい。
あずさがいなければ、私は今ごろ破綻していたかもしれない。
今までの「記憶」をすべて知っている人格らしいが、その件は多くを語らない。
親友と元彼氏のことを心配している(バーンアウト症候群について)。

○おさげの女の子
女、9歳前後(?)。
いつもうつむいて体操座りをしているため、顔はわからない。
女の子が座っているあたりだけ血まみれでまっかっかである。
あずさが私が近づこうとするのを止めている。
「必ず悪いことが起こるから、話し掛けないでね」と怒られてしまう。
泣いているようにも見えるし、笑っているようにも見える。
詳しくは、わからない。

あと、なぜだか猫っぽいのが1匹いたりするんだが、よくわからない。

あー、、、まとめてみたが、やっぱりイマイチ混乱している。

いつ表面に出てくるのか、怖かったりする。



2002年09月16日(月) 鏡が割れた

自分の中で「鏡」が割れたような気がしてならない。
その割れた欠片からも、こちらの様子が映し出されている。
すべて私なんだけれど、割れた「鏡」の向こうにいるのは私じゃない。

人間の頭って、精神って判らないよね。
そんじょそこらの迷路よりも難しいよ。

DID(解離性同一性障害)についてHPを流浪の民状態で流れてみた。
私はまだ、DIDとは言い切れない感じ。

そう思うんならば病院行け!って言われそうですね。

実を言うと病院へ行ける体力というものと、、、精神力がないのです。
このごろは1日グダーっとしていることばかり。

以前行ってた病院の紹介状持ってるから、PTSDになった経緯はまとめてあるんだけれど、このごろ起こり出した「楓」と「あずさ」と「おさげの少女」について語るのが難しくてね。
それに、また新たに病院を探すのも難しくてだね、、、、。
その医者と合うのかどうかなんかは、通わないとわからないんだけどさ。

引っ越すか!って思ってたら以前の病院に「東京精神科マップ」(どこへ引っ越そうかと思ってるかバレバレじゃん)をもらって、PTSDに詳しい医者がいる病院を教えてもらった。
早くそこに通いたいなぁ、、、。

その前に親が引っ越すことを許してくれないのでどうしようもないんだけど、、。

前途多難すぎっぞ。



2002年09月15日(日) 人格形成?

以前から頭の中で声が聞こえることはあった。
幻聴だと思い、そのまますごしていたのだけれど。
それがこのごろ、人格を持ち出したようである。

話し掛けてくるのだ。
頭の中で、普段私たちが話すように。

「楓」男。17歳。
「あずさ」女。年齢は私(23歳)よりも上なのは確かだがわからない。

この二人が今のところ、「私の中」で話し掛けてくる人格。
しかし外見まではさすがにわからない、、、。

もう一人、お下げの髪をした小学校3年生くらいの女の子が体育座り(体操座り)をしている。けして顔をあげない。
彼女だけは座っている様子が不思議とわかる。
暗闇の中で、座り込んでいる。
座り込んでいる場所だけは血まみれで、そこだけは真紅に染まっている。



まだ解離性同一性障害などというところまではいっていないだろう。
それに、これは私の想像かもしれない。
想像であってほしい、と願うばかりだ。

判らないのである。
今まで暮らしてきた中で、本当に始めての経験だったから。

まだ、本当に記憶がなくなって人格が私の身体を動かしているとまではいっていない。
それだけが救いなのであるが、、、。

過去、いきなり記憶がなくなって気が付いたらワケわからない場所にいたという経験をしたことがある。
それに繋がっているのだろうか。



2002年09月14日(土) 保険料&GLAY話&よもやま話。

昨日、ようやく重い腰をあげて母親が保険料のことで市役所へ行った。

無事に国保が3割負担になった、、、。
これで公費負担も生きるってもの。
ココロからホッとした。
10割負担で払った医療費を市役所へ申請すれば返ってくるとのことなので、火曜日あたりに行ってくる。
離職票も届いたから職安いかないとね。

ここからはGLAY話。

今度、19日に販売されるアルバムの全歌詞を見る機会があった。
「father&son」の歌詞がものすごく良い。
私も片親で育ってきたし、TAKUROも片親で育ってきた。
だから、とてもこの歌詞の意味が判るような感じがする。
音の方は、アルバム買うまで聴かないようにしてるのでよくわからない。
(「航海」だけはライブで聴いた&HSSSを開けば聴けるけどさ)


この間元彼氏が近所までやってきたということで久しぶりに会った。
日焼けしてて、やたらと健康的だった。
そのわりには風邪ひいていて咳こんでいたが、、大丈夫だったんだろうかね?
新しい彼女の写真を見せてもらったが、とてもキレイな人だ。
今度はうまくいくといいなぁと素直に思った。



2002年09月13日(金) 申し訳なかった。

前回の日記で、かなり悩んでショックを受けた、、などと書いてたら引用させていただいた日記書きさんが『違います』と訂正されていた。

正直、ホッとした。
反面、悪いことをしたなぁと思った。

「メールを出そうと思っていたが」と記載されていたが、きっとそれこそ私のことだろうと思う。

日記書きさんに謝らせてしまったし、私も悩ませてしまった。
私のほうこそ、ごめんなさい。

今回のことは私にとって、「日記」とは何ぞやということを考えさせてくれた。
それが、すごくありがたかった。

日々、生活していくうちには楽しみ、悲しみ、怒り、、などなど、いろいろと浮き沈みがある。
それらを一度、自分の頭の中で言葉として紡ぎ日記に記載することは結構、難しいことだ。
(私は時々、怒りに我を忘れて脊髄反射的な文面になっていることもあるが)

つたなすぎる私の文章であるが、これからも日記を書いていくつもりだ。

私も病人だし、実を言うと薬がもうすぐなくなる。
断薬しようと思ってやってるわけじゃなくて、通院できないから。
それの兼ね合いもあり、、、。

今日は母親がようやく重い腰をあげて、市役所に保険料のことで出かけていった。

これで私も無事に通院することができるようになるのであろうか。



2002年09月11日(水) 日記について考える。

と、ある日記を覗いてみた。

「他人に説明できていない文章」というのを読み取れなかった。
書いている人の怒りにあてられた。
日記に書いて愚痴ることで、相手に何か言ったつもりでは駄目。

そのようなことが書いてあった。

激しくショックを受けた。
まさに私のように思えて仕方がなかったからだ。

確かにここ最近の私の日記は怒りばかり、愚痴ばかりだったように思う。
独り善がりで、読んでくれている方々のことを忘れたような日記だった。

ネットで公表している以上、誰か彼かは読んで下さっている。
それは非常にありがたいし、私としてもとてもうれしい。

このごろ、忘れていた。

「相手に何か言ったつもりでは駄目、現実には何も働きかけていない」

ズシーンときた。
客観的に見ると確かにそうだな、、、。


それらのことを書いた日記書きさんが、私以外の日記(私の日記かもしれないが、それはわからない)でそう思えたのならば、、、。

しばらく日記について、考えてみようと思う。



2002年09月10日(火) 引っ越すべきか

現在の病院で紹介状を書いてもらっていたので、受け取った。
そして国保のことを相談した。

やはり私はまだまだ通院治療が必要。
しかし我が家の国保だと10割負担。
それだったら通院しないよ。
家でグルグルしながら狂い死ぬさ。

1回7000円から8000円なんていう治療費、どこから出る!?
それが毎週1回なんて、毎月いくらかかる!?

だから我が家から転居して、私一人で国保加入してみようかと思うが、どうかと聞いてみた。
医者が言うには、『そちらの方がいいかと思う』とのこと。

あと、もう1つ相談してみた。

家族からはなれて生活してみたいが、どうかと。
このまま一緒に暮らしていてもきっと病気治らないだろうと思うから。
引っ越すといっても一人暮らしをするわけじゃないから、野たれ死ぬことはない(と思う)。
これについては『やりたいようにやるべきだと思うが、家族が一番の枷にもなっているかと思う』といわれた。

それに、PTSDについて今の医者はよく知りえていない。
だから詳しい医者の元で治したほうが良いだろうといわれた。
このごろは解離もひどく起こっているし、、と。

診察後、兄と出かけることになっていたので引っ越すことを言ってみた。
しばらくは呆気にとられていたが、兄は賛成してくれた。
私の考え方にもよると言われたが、、、、。
「治す気がないのならば行くな」とも言われた。
確かに治す気がないのに、引っ越すことはしない。
私が転がる先にもかなり迷惑かかるし(家賃・光熱費は出してくれるといってくれているのだが)。
もちろんすぐさまバイトを始めるつもりだ。
病気を治したら正社員として、会社に就職したいと思っている。
フリーターの状態など、一番気に入らないのだ、、。
やっぱり働きたい。

あとは母親。

非常に言うのが、言い出すのが怖い。
反対されるのは目に見えている。
「人生をなめている」とまで以前言われてしまったくらいだし。

きっときっと、大喧嘩。

それか、泣かれる。

私の未来はどっちだ?

と、いうか私があまりにも無謀なことを考えすぎてるのかなぁ。



2002年09月09日(月) どうなんだろうな

昨日の日記で、失踪することを書いた。
それからちょっと考えた。

私は自殺志願者である。

失踪する兄とどっちもどっちなんだろうな、と。

「死ぬ」こと。「消える」こと。

今のところ、兄は落ち着いている。
失踪しようとはしていない。

対して、私は?

私は、いつでも死のうとしている。
兄に向けて昨日書いたそのままを自分に向けてみようか。

そう思うと死にきれない。

私自身、やっぱり生きていたいと思うから?

やっぱり大事な人の流す涙を見たくないから?

汚い身体、壊れた精神、ひどい劣等感の塊。

私はこのまま生きていてもいいのだろうか。

本当の笑顔を忘れてしまった。



2002年09月08日(日) 怖い

兄が期間工の仕事を終えて、自宅に帰ってきた。
またしばらくしたら、戻るらしい。

この兄が、ときどきキレる。
だからキレないように、機嫌を損ねないように対応する私がいる。
家族にも仮面をかぶらなきゃいけない。

別に家庭内暴力をするわけでもないんだが、失踪する可能性があるから。
3回失踪したことがある。
別に兄の命みたいなのはもうどうだっていいよって思える。
イイ大人だし、自分で生きていけるだろうからさ。
さすがに1度目の失踪のときは警察に通報したし、死んでないか、気が気じゃなかった。

でも、2回目になったら私もある意味キレたね。
母親のことを考えろよ。
後々のことを考えろよ。
残された方の気持ちを考えてみろよ。
寝床の中で泣いてる母親の姿、それを見た私の心情、わかって欲しいよ。

そんな兄だが、ときどき感情がブレるらしく怒った感じで部屋の掃除をする。
それが、失踪の用意で荷物をまとめてるんじゃないかってビクビクする。

怒らせたらまた出て行くんじゃないかって思うし。

怖いなぁ、、。


兄の命はどうでもいいよって書いてるけれど、それは言葉のあやです。



2002年09月07日(土) このごろは不調なり。

昨日、今日と寝ずっぱり。
宇多田ヒカル結婚!だとかGLAY北京上陸!とか、、。
そういうニュースが流れております。

普段の私だったらヒッキーファンなので、めでたいぜ!とか。
GLAYファンなので北京いったのね!とか。
きっとこの1つ1つのネタで日記が埋まるんだろうなぁーと思いつつ。

すんごく、うつ状態が続いている。
黒い犬が頭を駆け回っていて、私の身体を動けなくさせる。

このままだと病院にもかかれないしな。

いちおう以前行ってた病院には、紹介状を書いてもらった。

なんで国保は家族に1枚なんだろうか、、。



2002年09月05日(木) 泥のように

泥のように眠りました。

実を言うと活動始めたのが14時過ぎからで、それまではうんざりするくらいゴロゴロと転がってました。

頭がグラグラするし、気持ち悪いのは治らないし。
(頭がグラグラするのは寝すぎだからかも)

これからの当面の生活や、国民保険のことを考えると思考が止まります。

いっそのこと、引っ越したろうかいと思いもします。
行くあてはあるし、受け入れてくれるところもあるし。
もともとは、そこで住む予定があったのだし。
だからそこへ住民票移動すれば、、、。


好きな音楽も、今は聴きたくありません。

困ったものだ。

こういうときも、たまにある。



2002年09月04日(水) 気持ち悪い

昨夜、医療費で払った7000円は後から親がくれた。
市役所に請求すれば戻ってくるらしい。

今日はとんでもなく気持ち悪くて、吐きそうな状態が続いている。
夕食は1口、2口くらいしか食べられなかったし。

あまりにパソコンに向かっているときも気分がよろしくないので、ちょっと今日はここで終わる、、。

明日は治ってるといいなぁ、



2002年09月03日(火) 倒れそうになりました

社会保険から、国民保険に切り替えをしに、市役所に行って来ました。
1世帯に1枚交付になるので、私は親の扶養家族になるんだけど、、、。

うんぬんかんぬんで(それを聞いたとき、市役所で倒れそうになった)、医療費10割負担ですってよ!
つまり全額、払えってこと。
公費負担を受けているのでてっきり5%負担、もしくは国保だから0%負担になるのかなー、なんて鷹をくくっていたというのに。
フツーにやっていれば10割負担なんていうワケわからん負担額にはなりません。

親を心底恨みましたね。

貧血や立ちくらみ以外で目の前が真っ暗になって、倒れそうになったことなんて初めてです。
人間、精神的なことでも倒れそうになるんですね。

今日、ちょうど診察があったのですが7000円払いました。
今まで400円とかだったのに、、、。

もうこんなんじゃ診察もいけません。
狂い死ねってことかなぁって一瞬思っちゃったよ。

ますます波乱万丈な人生になってきた。

親、、、いいかげんにしてくれ。

これ以上、娘から何もかもを吸い取るな。



2002年09月02日(月) 決断しました

今日、会社辞めてきました。
親にも「仕事」が一番の重圧になっている、と言われた。

明日は印鑑持って保険証を返しに行かねば、、、、、。

昨日、すんごく悩んで悩んで泣いて、泣いて。
到底、日記を書ける状況でもなかった。

病気に逃げているのだろうか?

PTSDというのを後ろ盾にしているのだろうか?



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