浮き沈み日記。

2002年07月31日(水) 幕張。今日の日記はGLAYのことばっかりです。

99年の今日、私は幕張にいた。
多くの人が「暑いのによく行くねー」って言った。

20万人ライブなんて、まったくどんなものなのか想像つかなかったし。
だいたい20万人という人ごみがどれくらいなのか分からなかった。

行ったら行ったでやっぱり想像を超える人波だったけれど、20万人ライブは人津波も人雪崩も起こらずに済んだ。
すごい数のスタッフがいたし、それのおかげかと思う。
しかしその年の末にあったカウントダウンライブ。
アレは5万人だったのに人雪崩が起こって、人が人に踏まれまくってた。
20万人が抑えられたから良かったと思ったんだろうか、今度は絶対的にスタッフ数が足りなかったと思う。

不満点をもう1つあげちゃうけどEXPO館!
規制退場後も見れますよ!ってスタッフ言ったのにー!
ちゃんと規制退場後行ったら、すでに撤収はじめてたー!!
ギャー!って感じだった。
しかもスタッフに言ったら「そんなのは知りません」の一点張り。
私と同じくしてキレたファンが「私はJIROと知り合いだから文句言ってやる!」と言っていたコがいたが、、それはどうよ、、、。
いくら知り合いとはいってもねぇ、、、。

リベンジとして、2001年の石狩でしっかりとEXPO館見てきた。

それはともかくとして、暑かったけどとてもイイライブだった。
暑さがちょうどいい気だるさを残して、イイ思い出。
私はTAKUROファンなんだけど、ライブの1曲目「HAPPY SWING」がTAKUROからのイントロだったから、なぜかこちらまでもドキドキして見てた。
見事成功して、すごい盛り上がってよかった〜。
花火もすごい印象的だった。
終焉後、会場近くのホテルからステージを見ると、結構遅くまでステージのライトつけていて、なかなかライブの興奮とれなかったし。
次の日にはすでに撤収はじめていて、「祭り」が終わったんだなぁというしみじみさが残った。

私には、次の日から腕の筋肉痛というお土産を残して幕張は終わった。

「音速ウエーブ」こと「手ふり」は上から見るとスゴイ。

次回、GLAYのライブにいけるのはいつだろうな。

それを思うと楽しみだ。



2002年07月30日(火) 「UNITY ROOTS&FAMILY,AWAY」

GLAYのアルバムが出るんだよね。
予約してこなきゃー、、そして「逢いたい気持ち」買わなきゃー、、。
今年はGLAYのライブに行かないのでズルズルです。
去年のいまごろは「東京スタジアム終わった!今度は石狩!」ってはじけてた。
東京スタジアム2日間みて、北海道まで飛んだからね。
今みたく病気発症してなかったし。

今日の調子は万全です、いまのところ。

以前付き合っていた彼が、「行き詰まると行くところがある」と言っていた場所があった。
私はそこに一度も行ったことがない。
一緒に行こうな、とずっと言っていたけれど結局無くなっちゃった。

結局はすれ違いばかりで、向こうの仕事と私の仕事のズレも生じて別れた。
今の病気を患うようになってから、彼のことを愛することも愛されることもわからなくなったからというのも一因している。

けれど不思議なもので、また彼のおかげで少しは愛することが理解できるようになってきた、、?

遠距離っていうのは難しいものだって周りから腐るくらい言われてきたけど、私たちには関係なかった。
まさか、遠距離という以外の理由でわかれてしまうとは思いもしなくて。

愛して、愛されて生きることは難しいのか。

それを気づいて生きていくことは、なおさら難しいのか。



2002年07月29日(月) しまったこまった絶不調。

不調です。

SMAP缶どころじゃありません。
診察行って、直帰して寝てました。

私は私。

他人から見ても私。

どう行動していても私。

さりとて、中身は私じゃない場合、どうすればいいだろう?



2002年07月28日(日) 「がんばって!GIANT STRONG!」

ようやく手に入れました、「またここであいましょう」。
うだるような暑さの中、へろへろと買いに行ってきました。
カップリングがいいです、さすがHISASHI。
smap缶を買おうか迷ったけど、明日もまた病院で出かけるしなぁ、、と思い明日に延ばす。
ちゃんと自動販売機で売ってた。すべてsmap缶。
炭酸らしい。
美味いのかなぁー、、、明日チャレンジします。


軽い離人が起こって、バカなことをしでかしたと気づいたときにはもう遅く。

身体にしたたる汗と足に残る疲労感と引き換えに、私は何をした?

私は生きている。

死にたくない。

なんで、過去にここまで反芻されなきゃならないんだ。
無意識に動いた身体と、悲鳴をあげている精神がバラバラになってる感じがする。

今のところ、右腕も左腕もキレイなのが救い。
爪でガリガリ腕を引っかく癖が出来たのが困ったものだ<それも自傷?

「そんなもん、忘れればいいのよ」
「気の持ちようじゃない?」

簡単に忘れられる方法、教えてよ。
気分の変え方、教えてよ。
フラッシュバックが起これば、すべてされた当時の気持ちに戻ってしまうんだ。

せっかく生きてるんだから、楽しまなきゃ損って思ってた。
今でもその気持ちは変わらないが、時々揺らぐ。



2002年07月27日(土) 眠るのが怖い

このごろ、眠りが浅い。

眠れないなーと思いつつ、とりあえず午後11時にはベッドに入る。
でも結局午前3時まで起きていて、さすがに寝ようと思って横になる。
そして目がさめるのはだいたい午前6時近く。

午前3時まで起きているとき、どうしようもない考えばかりがさえぎるし。

ご飯をまともに食べているのは夕飯ぐらいか。
お腹がすかないから、食べる気も起こらない。
体重も減るか、、、、。

眠剤を飲んだほうがいいのかもしれない。
主治医が毎晩、眠剤を定時にのんだらイイんじゃない?と言ってくるが、、。
それはイヤ。

眠れないと完璧に言い切れなくて、眠ったら深く眠れるときもある。
深く眠れたときは心底ホッとするものだ。
見る夢は悪夢ばかりだから。

眠るのが怖い。

夢にまでフラッシュバックが起こるのか。
夢の中でまで過去が襲うのか。

今日は昼間に誰かさんから送ってきた楽譜に目を通した。
昨日のように音譜が踊りだしたらどうしようかとも思ったが、無事だった。
感想を適当に文章にしてメールで送る。
私が歌う曲ではないんだけど、気になる相手の作った曲。

「ねぇ、、、鎌倉はいいところ?」

ついでにメールチェックしたら相変わらずのウイルス到着。
サクっとデリートしておいた。
世の中、ウイルスってたくさんあるもんなんだなぁ。

ワクチンソフトのアップデートしておかないと。



2002年07月26日(金) キャプテン翼と、聖闘士星矢、、、読めず、、。

体調がものすごく悪くて、ダルダル状態な1日。

今週って月曜日しか外出してないことに気づいた。
引きこもりがまたスタート?

非常に健康的じゃないのねー。
体重も減ってきたのねー。

健康的に痩せたかったんだけどな。

家にあるマンガをことごとく読み漁ろうかと思って、キャプテン翼と聖闘士星矢をごそっと持ち出してきた。
(楳図かずおもあるし、あずまんが大王もある我が家っていったい、、、)

だがしかし。

どちらかのマンガだったか忘れたが、1ぺージ開けたところで頭がクラクラしてきたのだった。
文字が廻っていた、ぐるぐるぐるぐる。
あっという間に気持ち悪くなって、残念ながら今日は読むのを控えた。
明日こそ読もう、、、。

好きな音楽も、今はまったく聴く気が起こらない。

いつになったらGLAYの「またここであいましょう」は手に入れることができるんだろう、、我ながら謎であります。



2002年07月25日(木) ファッ○ベリー。

ネットだけで限定販売していたTシャツが届いた。
ファッ○ベリー(いちおう伏字)とエレク○リックというブランドとWネームで作ったTシャツ。
Tシャツ、何枚あるだろう、、、GLAY関連だけでも。
久保Tも着る機会なかなかないなー。
普段着てる人いるのかな?見たこと無いな。

うれしいことにトリートメント無料券をつけてくれた。
FUBERあたりでも行ってみたいもんだ。
KINGSしかいったことないからな、、。

ファッ○ベリーは美容室です。
KINGS,FUBERというのは支店名です。あとHEARTSもある。
GLAYのヘアメイクを担当しているお方が開いているお店です。
エレク○リックというのは、GLAYの衣装を担当している方が開いている洋服屋です。メンバーは私服でも着ていることが多いです。
説明終わり。

GLAYの新曲が既に出ていることは知っている。
でもなかなか外出することが出来ずにいる。
「何か」が怖くて外出できない。
すべてにおいてやる気も出ない。
(やる気が出ないというのは、今の薬の副作用でもあるらしい)

人を信じるということが、どれほど難しいのかこのごろ痛感している。
今でも「精神科」に通っていることを差別的意識を持ってる人がいることを忘れていた。

誰だって風邪をひくし、怪我もする。
心だって風邪をひくし、怪我もする。

ただ、見えないだけだよ。

本当に、よっぽど、どんな状態なのか見せられればいいのに。

今の状況に私は甘んじているわけじゃない!
怠けているわけじゃない!

闘病してるようには、やはり見えないんだよね、、、。
ただ寝て、おきて、何か食べて、、っていう感じにしか見えないんだよね、、。

失礼しました。



2002年07月24日(水) 「ごめんなさい」というコトバ

「ごめんね」
「ごめんなさい」

ここ最近この言葉を多く発しているように思う。
病気が発症してから。
それまでは、当然ながら謝らなければいけないところでは言ってきたがそんなに連発してはいなかったはず。

うつ状態になったときに「死にたいよう」というメールを親友に送ったあとにも「ごめんね、変なメール送ってごめんね」。
母親に休職がしばらく伸びたときも「ごめんね、まだ仕事できないんだ」。

謝ることで、自分の非を償っているのだろうか、、などとも思うのだけれど。

生きていることに対しても、ごめんなさい。
こんな病気になってしまって、ごめんなさい。

謝ることで、それを許してもらおうと心のそこで思ってるのかもしれない。
許してもらえることで、私が存在していることを証明してほしいから。

今までは、死のう、消えようって思ってた。

今では、死のう、消えよう、じゃなくて、「消えてしまいそうだ」。

ところで。

夏休みに入ってからというもの、私がよく行くサイトが荒れだしました。

なんであんなことしかいえないの?
いがみ合うことや悪口しかいえないの?
イヤなとこばかりが目に付く。
書き込む前に自分の書いた文を読んでみようよって思った。

毎年、夏休み・冬休み・春休みになるとどこのサイトも荒れるようだけど、、毎回見てられない、、、、。



2002年07月23日(火) 陽炎

家でのんべんだらりと過ごして(フラッシュバックには当然ながらさいなまれつつ)いるわけなんだけど、たまらなく暑い。
たった今、天気予報みたら明日の予想最高気温39度、、!?
地球温暖化、深刻な問題かもしれない。

頭からまるでソフトクリームのように溶けていきそうだ。
アスファルトが溶けてしまって、横断歩道が同化してしまっているのをみかけたことがある。
陽炎で揺らめいている様を見るのはスキだ。
あの陽炎に混じって自分も揺らめいてみたいとも思った。
所詮、陽炎など大気と気温の関係で揺らめいていると分かってはいるのだが、それでもあの揺らめきはまるで現実ではないみたいだから。

昨日の日記にも少し触れたけれど、最近の私って現実逃避ばかりしているように思える。
現実から目を離しても、現状はかわりはしないのに。

私、なにをやっているんだろう?

いつでもPTSDに対して思っていたら気持ちがヤラれてしまうのは当然思う。
でも、今の私はまるで逃げている。

投薬中心の現状が、果たして功をせいしているのか。
薬で無理やり、気持ちを落ち着かせている感じがする。

これが精神病の治し方なのかな?
カウンセリング要素というのは、PTSDには必要ないのかな?

、、、なんだかなぁ。



2002年07月22日(月) マンガネタ。しかも楳図かずお、、、(汗。

『14歳』と『洗礼』という楳図かずおのマンガを読んだ。
この人は奇才という言葉がよく似合うと思う。
『まことちゃん』はものすごすぎて私はついていけないからほんの少し読んだだけでギブアップしたけど、『漂流教室』は違った意味ですごいと思う。
ついこの間、ドラマ化されていたけどやはり原作は読むべき。
ただのホラーマンガでなく、けっこう考えさせられる。

発想の展開がものすごいと思う。
イラストもかなり奇をてらっているから最初は非常にとっつきにくいが、、。

『14歳』。
まだ完結するまでは読んでいないから終わりがどうなるかわからないけれど、いざ地球が滅亡するとなればこのような感じになるのかなぁ、と漠然に思う。
人間の思う「平和」を追求したことにより地球の生命をとめてしまった。
このマンガで破滅した現代を『漂流教室』の主人公たちが来てしまった、という設定になっているとかいないとか。
ササミの細胞からチキン・ジョージなる万能科学者が生まれることが非常に謎。
なんでササミ、、、そしてチキン、、、。

『洗礼』。
一斉を風靡した女優が娘を産み、美しく育てる。
その娘の脳と母親の脳をすげかえて女優(母親)は娘と入れ替わる。
見るからに謎すぎる話だ。
このマンガの最後の言葉がねー、すごく強烈だった。

『漂流教室』
生きること、というのがやたらと気にかかるマンガ。
小学生のときに読んでイイショックを受けた。
文庫版で販売されたのを知って、すぐさま買っちゃったよ、、、。
多くは語りません、よければ読んでほしい。

現実逃避してるよ、、、今日の日記、、、。

見たくないから、現実を。



2002年07月21日(日) パソコン関連ネタ。

デジカードなるものが我が家に届いた。
形は四角くって、CD-ROMのような、、というか、CD-ROMと同じ。
でも、初めて知った。
CD-ROMってべつに丸くなくてもいいんだ!っていうことが(苦笑。

ただ起動音がうるさい。
ガーガーいってる。

ウチのパソコン環境が悪いだけなのか!?というオチもあるけどね。
そんなに容量は入らないみたいだけれど。
デジカードが普及するといいかも。
だって普通のCDよりも小さいし、それこそMDくらいの大きさだしね。
でも、そこまで普及していないということはやはり何かがあるんだろうな。

世の中ではコピーコントロールCDも少しずつだけど着実に増えていっている。
私はMP3に変換してウォークマン(病院に行くときに電車に乗るとき必ず必要、、そうしないと気分が悪くなる。意識を飛ばさないと、、)で聴いているのでCCCDはつらい。
それに音的にもかなりCCCDは劣化する。
でも違法がはびこってるこのごろだからなー、、、。

今日はパソコンネタに集約してしまったからもう1つ。
ほぼ毎日、同じ人からウイルスメールが届く。
まったく知らないアドレスからだ。
ウイルスのワクチンソフトが撃退するから特に問題はないし、プレビューもみないから感染はしないけど。
これはお知らせするべきなのか、私がその人に恨みを持たれているのか。

恨み、、、だったらかなり悲しい。
知らないうちに、人を傷つけてしまったのだったら。



2002年07月20日(土) 静かなる日常へ。

親友が新幹線に乗って会いにきてくれた。
先週も会ったんだけどあまりに私が不甲斐なくて名古屋駅のコンコースで大泣きしたのが、心配させちゃったみたいで「土曜日も行くからね!!!」と電話が飛んできた。2時間半かけてわざわざ来させちゃって、申し訳ない。

私は人前で泣いたことなんて小学生以来、記憶の限りではない。
いくら感情のコントロールが人よりも難しくなったとはいっても、泣いている姿を見せたことは無い。
自分のこもった部屋から外へ一歩でも出ると仮面が知らぬ間に装着されているのだ。
笑顔を見せ、自分を亡くす。
一番私のことを知っている親友でさえ泣き顔を見せたことが無い。
だから泣き顔を見た親友が心配しちゃうのも判る気は、、する。

大泣きっていっても「ビエー!!!」じゃなくてポロポロというかボロボロというか静々というか、、、、淡々と涙を流しつつっていう感じだった。

笑うのが苦手なのに、いつも笑ってるなんてまるでピエロみたいだ。
心は泣いているのに。

自分がバラバラになったような気がする。

今日は親に昨日、症状を説明できたことが少しでも吹っ切れたのか泣くこともなく過ぎていった。
それだけが今日の救い。

親友、ありがとう。



2002年07月19日(金) 日々暗くなってないか?この日記

親に、うつ症状以外のことを話した。
フラッシュバックが起こること、涙が止まらないこと。

PTSDという病名は伏せた。
それでもフラッシュバックとしてイジメのことが思い出されるということは告げて、レイプされたことは言わずにおいた。
知り合いに自分の子供がやられて、自分が気づかなかった、、などという自責の念が押し寄せてくるだろうと思ったから。
まだ幸いにも幼いときだったので、妊娠ということはなかったから未だに親も知らぬままでいられるのだろう。

希死念慮のことは、言うかかなり迷いながらもやめてしまった。
私は看護をやっているときに人の臨終する姿を何度も見てきた。
エンゼルケア(遺体をきれいにするために綿球など、処置の必需品がセットになっているもの。あるいはその処置)も何度もしてきた。
亡くなった患者さんは、まるで寝ているかのように横たわっていた。
別に宗教を取り立てて信じているわけではないけど、肉体というものはただの器に過ぎないのかもしれないとも思えるときがあった。

自殺という行動には出たことはない。
それでも記憶がなくなり、気が付けば線路に落ちそうになっていたことはある。

疲れたということは言いたくなくて、助けてということも言いたくなかった。
ましてや親の前では絶対に言いたくなかった。
何度も言いたかったけど、仮面をかぶった。
元気ある言い方をして、笑顔を見せて、病気を底に沈めた。
これからもきっと言わないと思う。

育て方を間違えた娘は、どう生きていきましょうかね。



2002年07月18日(木) 部署移動?

職場に2か月分の休職届を出してきた。
総婦長に「部署移動もありえる」と言われ、移動先を教えてくれた。
以前いた部署だった。
しかしそこはイジメられた職場だったりする。
最後に私がブチ切れたので、イジメたヤツは今じゃ手のひら返したように接してくるからイジメはないのかもしれないが、ウマの合わないヤツがいる。

仕事というのは、仕事の内容ももちろんだけど同僚の良し悪しでかなり仕事へのやる気がそがれるか、がんばれるかのどちらかにあると思う。
やはりある程度、同僚の良し悪しというのは比重される点はあるのではないか。

「部署移動もありえる」と言われるとき「じゃぁ辞めようかな」という思いがかすめたのは事実。

私はあの職場で必要とされていないのだろうか。
まぁ、確かに結局5ヶ月ちょっと休職するようなヤツは要らんだろうけど。

辞めたとしても、それからどう動くのか。
フリーターという身分じゃいられないからなー。

今はまるでモラトリアムな感じです。

考えても考えても頭が白くて、まったく考えられない。

♪思考回路はショート寸前♪

、、、、セーラームーンまで歌いだす私はヤバメな展開。



2002年07月17日(水) 賽を振る時は訪れ。

賽を振る時は訪れ 人生の岐路に佇む
今いる自分を支えてくれた人 この歌が聴こえているだろうか?
祈るような毎日の中で もっと強く生きてゆけと
少しだけ弱気な自分を励ます もう戻れぬあの日の空 

[pure soul song by GLAY words&music by TAKURO]


賽を降る時と人生の岐路が今そこに来ていると思う。

休職を求めに職場へ行くと、総婦長に言われた。
「いっそのこと仕事から離れてみて、しっかりと休んだら?そして新たに再出発するという手もあるんじゃないかな」
それらのコトバは言われるだろうなとは思っていたが、やはり言われるとつらいものがあった。
職を失うということが、むしょうに心配でならない。
確かに仕事が今はできる状況ではないのは判る、、、のだが。
そろそろ兄も期間工の期間が終わるから現状無職状態になる。
親のパートの給料なんてたかが知れている。
そんな状態で、自分まで無職になんてなれない。
生活費・光熱費・家賃を払えるのにもカツカツになるはずだ。
一時期の「家族の中で私だけが働いて大黒柱状態」よりもひどくなる。

違った意味での「死ぬ気」でPTSDを治さねばならないのかもしれない。

自分は甘えているのか?
甘えなどなくせばこの病気は治るのか?

もっと強く生きてゆきたい。

弱気な自分を、未来の自分がどう思うのだろうか。

現在、23歳。

10年後の30代になった私は笑顔を見せているだろうか。

今日は総婦長に『考えてきます、明日また来ます』とだけ言い残してきた。
明日、この間書いてもらった2か月分の診断書を出してくる。

そして2ヵ月後に、どうするかの決断をしなければ。



2002年07月16日(火) 人には翼がはえている。

人には翼がはえていると思う。
もちろん見えないけど、自分にも見えないけど。
でも思えばどこへでも飛んでいけるものなのかもしれないと思った。

今の自分は翼がいわば、調子が悪いっていう感じだろうか。

昨日の診察で8月末までの「要加療」という診断書が出されて、明日職場に出してきます。
先月、職場で「出社できます」って言い放った自分、、そんときは本当に来月からは出社しようと心に決めていた。

それが今はどうだ?

涙は止まらない、フラッシュバックに毎時間定期的のように襲われる。
SSRIと某薬の相互作用でフラツキがある。

それでも親や他人の前では「イイコ」を演じる。
だからこそ「もう大丈夫だし、休んでるなんてただの怠けじゃない?」と思われても不思議じゃない。
不意に病院近くの駅であった職場の人にもそう思われたのに違いない。

昨夜、『狂う』ということが本当に理解できました。
奇声をあげたりすることも『狂う』ことだけど、感情鈍磨も『狂う』ことなのだな、と。

こんな私でも、人の役にたてることはないかと模索中。



2002年07月15日(月) 『浮き沈み日記』

日記を書いていて、不安に陥ります。

私の日記は闘病日記ということもあり、病気に関することが多いです。
あと病気の特性上「私が」「私が」という内容が多いです。
それと内容的にも浮き沈みが多いです。

こんな日記で良いのだろうか、と思うときがあります。
見ている方々にこの日記がどう読まれているのだろうか、などなど。

最初のときに書いていた感じとは現在、異なった書き方をしています。

結構テンション高く書いてましたね。
それと反比例して、現在は暗め、、、かな。

浮き沈み日記というタイトル通り、日々の気持ちは浮き沈みです。

この「えんぴつ」に書いている以上、他の人に読まれることを、、、、、。

結構、私の気持ちがリアルに出ていることが多々あります。
なので不快に思われる方や暗い気持ちになる人もいるかもしれません。

このごろは特に人生最大のビッグウエーヴ到来中です。
しばらくはこの暗さで続くと思います。

「ごめんなさい」って病気が発症してからよく言うことに気が付いた。

親、兄、友達、、、このごろは生まれてごめんねって気持ちです。



2002年07月14日(日) 嗚呼。

「ほぼ24時間過去ビデオ鑑賞会」が行われている蓮華です。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
昨日はマジで暗黒ワールドで旅立っていたため、日記はお休みしました。

本当に狂いそうだったから。
今まで、異世界の扉を見つけることはあったけれどそれが少し開いていたから。
白い光が漏れてて、「君という光が私を見つける」どころじゃない。

今日、JR名古屋駅コンコースにて泣いてました。
凄いことしてんなー、私。
親友が関東からやってきてくれて、相談に載ってくれたんです。
そして感情のコントロールが激しい&起伏も激しい私は泣いてしまった。

今現在、「家」というものが自分にとって安息の地ではないのです。
休職して家にいるけれど、それは休む行為につながっているわけではなくて。
17日に職場復帰するよ、と母に言ったけれど。
母や兄に対しては気丈に振る舞う自分がわからない。
なんで元気よさそうに対応してしまうんだろ。
一家離散とか、裏切りとか、いろいろと体験させてくれた家族。

明日、診察に行ってきます。

台風が思いきりやってくるようです、うう。



2002年07月12日(金) ほぼ24時間ビデオ鑑賞会in私の頭。

ようやく診察へいけました。
台風だったし休診だったしで、なかなか運がなかったんだよな。
自分が間抜けじゃー!っていう突っ込みも無きにしも非ず。

フラッシュバックの数が増えたことを主治医に言ったら苦笑されました。
パキシルやらテグレトールやら、確かに2日間はのんでなかったからそのせいでひどく数が増えたんだろうと言ってはくれましたが。
たった2日間断薬状態になっただけで、グワーっと恐ろしい量のフラッシュバックになるもんなのか、、、!?
まぁ、とりあえず今日、薬をもらえたので様子を見てみます。
現在は変わらず「ほぼ24時間過去ビデオ鑑賞会」に頭の中がなっています。

本を買いました。3冊。
1冊はPTSDについての本、「心的トラウマの心のケア」。
ネットでちょっとだけ調べたんだけどパソコンさえも電源がなかなか入れられないときもあるので、本だったらまだ開けられるかも、、と思い購入。
この日記だけはなんとか日課にしようとがんばっているのですが。
本当になんとか日記は続いてるのが不思議です。
今見たく躁転しているときは書くのが楽なんだけどね。
うつ状態のときは4時間くらい下手したらにらめっこしつつ、うだりつつ、ワケわからない文章をつらつら書いてたりします。
読んでくださってる方、ありがとう。

あとの2冊は「よからぬ話」という恐怖体験の話です。
別に恐怖体験に興味があるわけでもなくて(私は別に霊とか幽霊は怖いと思わないので←お化け屋敷はものすごく嫌いだけど)作者さんが好きなので、、。
私は以前はよく霊(のようなもの)を見ていました。
高校のときにおさげのセーラー服の女子高生とか。
ウチはブレザーだったんだけど、大昔はセーラー服でした。
あとは病院の夜勤中に廊下に手だけが浮いてたり、、。
はたしてあれは幻覚だったのかな?とも思わないでもないです。

今日の日記は謎だわね。



2002年07月11日(木) 空しい

病院に行ったら(予約をすっぽかしたでの午後診察に間に合う時間にちゃんと合わせて)休診でした。
片道590円が泡です。往復にすると千円簡単に越すし。
悲しくなったので、近くにあるソニプラでスターウォーズのTシャツを見つけていたので買って帰りました。
あと、宇多田ヒカルの楽譜コピーを全30枚。
MILKかスーパーラヴァーズか、キャンディストリッパーでリストバンドを買おうと思うんだけど、、どうもそこまでは怖くて行けない。

だいぶ外に出ても大丈夫になってきたのが救い。
パニック発作はほとんど起こらないし、予期不安もほとんどないし。

ただ、フラッシュバックの種類が増えてやってられない。
強姦のことだけだったのが、小学生のときにあったイジメのことが追加。
昨夜はそれのせいで、涙が止まらなかった。
イジメの理由はきっとダントツトップでこれです。

片親だから。
左利きだから。

今でこそ引っ込み思案なんていう性格はなくなりましたけれど(本来はサバサバした性格なので)、小学生のときは引っ込み思案だった性格も災いしていた。

左利きの矯正は辛かったですよ、結局直らなかった私も悪いんだけど。
教師が言い放った言葉が忘れられませんね。
「左利きにはロクなヤツがいない」
その教師には保護者会で親にも言ったそうです。
「左利きのまま育つと、ロクに育つわけがない」

性格悪い、、ですね、、、私(苦笑。

左利きの矯正は、私にとって地獄でした。
片親については、女で1つで育ててくれた母には感謝こそはしている。

でもこのごろ、母が私のことを時々無視するんだよなぁ。
何か私が言っても返事しないときがある。
もともとソリがあわない母子だけど、ますます溝が開いた感じ。
向こうからは話し掛けてくれるんだけど。



2002年07月10日(水) 台風

台風のせいで大雨がすさまじく降ってます。
これからますます接近するみたいで、もっと雨が降るらしい。
県内の川が決壊してすごいことになっていたのをテレビで見ました。
友達がその決壊した川の近くの市に住んでいるので、心配になってみたり。
現在は小康状態だからなんとか、、って感じです。

もしも避難勧告が出て、避難所に行くことになったらと思うとゾッとします。
パニック発作が起きたらどうしようとか。
涙が止まらなくなったらどうしようとか。
下手したらそれで新たなトラウマができるかもしれないとか。
天災でPTSDを引き起こすことは多々ありうりますし。

、、、そんな考えだからいかんのだよな。

台風だし、電車が止まったら困ると思って病院すっぽかし!
明日は台風一過で晴れると思い(別に予定ないから明後日でもいいんだけど)、明日行くことにします。
前回も予約すっぽかしたんだよな。

今日はネットやって、久しぶりにCocco聴いて、、って感じの日です。

フラッシュバックなんだけど、過去の強姦事件以外にもイヤーなことを思い出してかなりつらい、、。



2002年07月09日(火) 死に対する5つの段階

エリザベス・キューブラー・ロスという精神科医が書いた「死ぬ瞬間」。

末期患者に莫大なインタビューを行い、それに対してに死について5つの段階に分かれるということについて書かれたものだ。
今の状況になって読み返してみると、とても感慨深い。
看護学生だったときに習ったものだが、あのときはただテストに出るというくらいでそこまで深く考えなかった。
そう思い返すと、今の自分と以前の私の差が判る。

「死ぬ瞬間」「続・死ぬ瞬間」はベストセラーにもなっているので、読んだ人もいいるかもしれない。

死に対する5つの段階。

改めて、書き出してみようと思う。

〈第1段階〉否認と隔離
予期しない衝撃的なニュースをきかされたとき、そのショックをまともに受けないために、まず否認がおこる。

〈第2段階〉怒り
死という現実を認めざるをえなくなると、次に怒りや恨みがこれに取って代わるようになる。
この怒りが八つ当りとなって看護師に向けられ、そのためまわりの人間はよけいに患者を避けるようになる。

〈第3段階〉取引
次に人は神や仏に対して、自分がどうしたら延命できるか取引し始める。

〈第4段階〉抑うつ
以上の段階を経て、それらが無駄であることを知り患者はうつ状態におちいる。
病気が進行し、衰弱も進み無力感が深刻となる。
それとともに、この世との別れを覚悟するために他人から癒されることのない絶対的な悲しみを経験していく。

〈第5段階〉受容
来たるべき自分の終わりを静かに見詰めることのできる受容の段階に入る。

             エリザベス・キューブラー・ロス「死の段階」

これはホスピス等での、末期患者に対しての死の段階である。
なので一見すると精神病患者には当てはまらないところがある。

それでも、これは今の私にはガーンときたもの。
なので日記に転載させていただいた。



2002年07月08日(月) 楽譜をコピーしなくちゃならないが

バンドに使うための楽譜をコピーしなくちゃならない。
写譜じゃないだけいいんだけどね。
コピー機でシュインシュインと刷ればよいこと。
でも、コンビニまで行くのがつらいのです。

生活リズムが狂いまくっている。

早寝早起きに励まないといけないんだけど、寝れないし、、。
これじゃ職場復帰したときにつらいのが目に見えています。

やっぱりさ、現実から目をそむけているのかな?って思うわけです。
もちろん精神病は治したい。
病に追い込んだ犯人たちをどうにかしたい、という気持ちは萎えてきました。
犯人たちをどうにかしたって、症状が軽くなるわけでもなし。

現実からいつまでも逃げていては、どうにもならないのは理解しています。

「今日という日は2度とこない」なんて言葉は私は嫌いです。
(今ではすっかり後ろ向きな考えしかでませんから、書きませんともさ)

助けてほしいとはかきません。

結局、自分自身が過去のことを受け止め、流せるようになるまではPTSDはいつまでたっても現状維持のまま。

それは嫌でも理解している。

どう行動すればいい?どう考えを変えればいい?
いくら気分転換しようと、いきなり襲ってくる闇を、どう払えばいい?

薬を飲むことは確かに効果的だけれど、、、、。

理解しているんだけど、行うのはつくづく難しいです。

いつまでたっても暗中模索。



2002年07月07日(日) 再インストール

PCが調子悪くなり、再インストールをかましました。
しかもグラフィックカードもおかしいのか起動時の画面が出ないし、、。
BIOSの画面も出ないし、、。
なんだかんだと1日近く費やしていました。

昨日の夜からおかしくなって、もう知らん!って投げ出してたんだけど。
それじゃダメじゃん!ってことで再インストールしました。

やっぱりネットは便利だなぁ。

別にネット依存症になっているわけではないんだけど、メルマガとってるからメールは落とさないとエライことになりそうだと思ってました。

そういえば、昨日なぜだかB'zのライブチケットが手に入りました。
むむー、、、。

GLAYは、今年ライブ見れそうにないからB'zに浮気しております。
もともとB'zは好きだったんだけどね。
中学1年のときに初めてCD買ったの、B'zのアルバムだったし。
これで宇多田ヒカルもライブやったら最高なんだけどなぁ。

PCの再インストールをかましている間、自分の頭も再インストールできればどれほどよいかなぁって心底考えてました。

あー、今日の日記はダラダラチック。



2002年07月05日(金) 私は生きている

目が覚めた。
気だるくて蒸し暑い空気も、やさしく甘い声で鳴く猫も。
取り巻く全ての環境を、しっかりと見据える。

私は、生きている。

笑うことが、どれほど難しいことか。

泣くことが、どれほど簡単なことか。

後ろ向きで進んでいることを良しとは誰も言わないだろう。

誰も彼もが前を向いて上を向いて歩けという。

それでも、私は生きている。

サァっと血が流れる音が聞こえる。

私の頭に響く2文字が鎖のようにがんじがらめにしてくる。

笑う。

それでも、涙が勝手に出てくるんだ。

ゆがんだ笑いしか出来ない私を、あなたはまだ見ていてくれますか?



2002年07月04日(木) 1日ふて寝

今日はふて寝を決め込んだ。
1日、パジャマのままで過ごす。

怠惰すぎると、自分で自分を軽蔑しつつ。

昨日、診察で「自傷はしていませんか?」と言われた。
「そんなことはしませんよー」って笑って答えた反面、確かにそういうコトに走る場合もあるんだなと思い直す。

自分の身体は汚いのだから、それを抜いてしまえばいいのではないか?
身体も汚ければ、流れる血も汚いに決まっている。

「半そでが着られなくなるじゃない、そんなことしないよ」

などと、親友に笑って言えるのはいつまでだろう。

親友が笑いをくれる日が、それで終わってしまうかな?

カミソリを持って腕の1つでも切ろうかと考えた。

まだ、親友の顔が浮かんでやりきれない。

、、、私はただの、バカモノだ。

リスカさえも出来ないような弱いもの、か。



2002年07月03日(水) 記憶がない

今朝、病院へ行った、、はずだった。

気が付いたら高校生のときまで住んでいた場所の近くまで来ていた。
病院まで行くのに途中下車をして、なおかつ歩いてきたのだろう。
財布を確認したらお金が減っていなかったので、タクシーは使っていないようだったから。
途中下車して30分以上歩いていたことになる。
自宅から聴いていたCDが既に終わっていて自動に切れていた。
、、そういえば、電車に乗った記憶さえもあやふやだ。
自宅から出るときにカギをかけたまでの記憶は鮮明にあるのだが。

いつから記憶がなくなったのかはわからないが、現実として以前住んでいた場所の近くにまで歩いていたのは確かなこと。
以前住んでいた場所の近くということは強姦された場所にも近いということ。

非常に、気味が悪い。
1つ深呼吸をして、タクシーを呼んで最寄の駅へと向かった。
車では10分くらいなのだが、歩くと結構時間がかかるものだ。

病院は月曜日に予約をしていたのだがすっぽかしたので、適当な時間に行く。
ライブへ行ったことは言わなかったが、東京へ出かけたことは話す。
月曜日・火曜日と身体が動かなかったことを告げると、「それはただの疲れ」とスッパリと言われた。
パニック発作はほとんどないし、不安症状は治まってきたのでそちらに関してはよくなってきていると言われる。

病院に行くまでに起こった「記憶がなくなった」事件は話さないでおいた。

このごろ、主治医があまり信じられない感じ。

いっそのこと入院させてくれ。

自虐に走る前に。



2002年07月02日(火) 雨の王冠

雨の日は王冠ばかり
アスファルトに叩きつけられた雨粒が 王冠になって弾けるから

それに気がついたのは あなたと別れたあと
ようやく一人に慣れたとき あなたの優しさを忘れたとき

雨の王冠をかぶりたくて外に出てみると 何もかもが新鮮に感じた
銀の針のような雨なのに 地に着く前は一瞬だけ王冠になる

きっと あなたが隣にいたら傘を差し伸べてくれるだろうけど

ぬれたってぜんぜん構わない

もう少しだけ 一瞬で消える王冠をかぶっている

泡のように消えてしまった あなたとの恋をだぶらせて
もう少しだけ 一瞬で消えてしまう王冠をかぶっているわ

傘は自分で手に入れるから そんなに私を見ていないでちょうだい
私は私で あなたはあなたで それぞれ歩いて行きましょう

雨の日は王冠ばかり
泡のように消えてしまった あなたとの恋をだぶらせて
もう少しだけ 一瞬で消えてしまう王冠をかぶっているわ

本当に一瞬で消えてしまう 幻の王冠を

-------------------------------------------------------------
梅雨だし、雨が多いので思いついた詩です。

結局今日も病院には行けず、、、1日寝てました。

明日こそは行かないと。

蒸し暑くて苦しいです。

そして、エアロスミスとB'zのアルバムを買いに行こうっと。



2002年07月01日(月) B'zとエアロスミスなのでした。

久しぶりですね、蓮華です。

B'zとエアロスミスのライブに行ってきました。
その日の昼には六本木のハードロックカフェに行き、松本さんのギターを見てきました。

ライブ観た当日のことを記しておいたので、載せておこうっと。

--------------------------------------------------------------
2002/6/27(thu) 『勝負』と『夏娘』。 
ライブ行ってきました。「FIFAワールドカップオフィシャルコンサート」(正式名称はもっと長い)。
2日間あるんですが、B'zとエアロスミスが出る今日行ってまいりました。
なんてビッグな2大アーティストの競演なんでしょー!って叫んで回りたいくらいです(笑。
ちなみに日記のタイトルにある二つの言葉はスティーブンのそれぞれの腕に油性マジックで書いてあったもの。
B'zのライブは高校生のとき以来だったんですが、かなり盛り上がりました。
ライブ前は雨が本降りで、天気予報では雨脚が強くなるとか言ってたんですがライブ途中から弱くなって、仕舞いには止んでました。そのぶんものすごく寒くて、体温奪われまくりでした・・・。
でもライブが始まると寒さのことなんかも忘れてしまうほどの盛り上がりでした!!!
稲葉さんやスティーブンのシャウトは圧巻だったし松本さんやジョーたちのギターテクはすごかった。
息をつく暇も無いほどの盛り上がりでしたよ。
ただ、英語は聞き取れればもっと楽しかったのかな?
聞き取れはできるんだけど、頭の中で翻訳するのに時間が少しかかり、リアクションしようとしたときには流れてしまっている状態で。
スティーブンが不機嫌だった・・・。
でもアンコールでは機嫌なおってたみたいなのが何より。
------------------------------------------------------------

本当はもっとグチャグチャ書いてたんですが、これ以上は割愛。

ライブの次の日には都内某所に行って、フレンチトーストを食べました。
好きなんです。

かなり、そう状態が続いてました。
今もそう状態です。
ここまで続いているのが、自分でも怖いです。
あはははって笑いたくなります。

彼と会いました。
本当は飛んで逃げたかったんだけど、どうしても会いたいということで。
(ライブは彼と行ったわけじゃありません)
それぞれの近況を話しあい、彼は彼女と別れたということを聞き。
はじめから別れることを知っていたのに付き合った?
逢いたい気持ちは不純だった?

でもね、私はあのころの私じゃないから。
同じように話をすることさえも辛かったんだから。
好きだった、愛したことが今じゃわからないんだから。

あ、そういえば今日病院、、、、すっぽかした、、、、、。
明日行こう、今日は家から出られない(出たくない)。



↑投票ボタンです。
My追加
 < 過去  INDEX  未来 >


蓮華 [MAIL]

My追加