右京区の妙心寺といえば、禅宗の臨済宗妙心寺派の大本山である。 多くの著名人のお墓もあり、ぼくも夜の散歩をしていた頃は、西田幾多郎の墓所を示す石碑の脇をとおっていた。
寺の広大な境内の中は、本堂や講堂以外のほとんどが「塔頭(たっちゅう)」とと呼ばれる寺院である。 ちいさな寺の集合体の大寺院、という感覚である。
小さいとはいえ、それぞれが素晴らしい庭園と簡素ながらも美しい建物とを持つ立派な寺院であり、墓所のある院もある。 さきほどの西田幾多郎の墓所もそうだし、春日局の墓所のある塔頭もある。
その塔頭の中でも、紅葉の時など特に訪れる人の多い塔頭が「退蔵院」のように、ぼくはおもう。 その退蔵院のご住職の長男が、京都へ、妙心寺へ帰ってこられた。 埼玉から歩いて、である。
今日の京都新聞でこの記事を読み、おもわず快哉を叫んだ。 彼は27歳。東大大学院農学生命科学研究科を修了された。 しかし進路はバイオテクノロジーへの途ではなく、二十歳から僧侶を志していたのだという。
このキャリアだから、周りの進路は華やかなものだったろう。 「私にできることは」と考え、出た答えが「僧侶」だったのだ。
大学院修了後、禅宗の専門道場、埼玉の平林寺に入る。 厳しい修行生活をおくること三年半。 今年、行を修めて京都へ帰ることになったのだ。 が、しかし、そこで彼が選んだのが 托鉢をしながら京都への600�劼鯤發�ことだった。
記事から引用する。 『京都へ戻ると出歩くことが少なくなる。昔は僧堂への行き帰りは徒歩だった。自分を見つめるためにも行脚したい (中略) つらい道中を支えたのは人との出会いだった。 車中から手を合わせてくれた人。手作りのリンゴあめを持ってきてくれた人。 困っているときに泊めてもらった民宿のあるじ。雲水にどう接したらいいのか分からないおばあちゃん。つばを吐く人…。思いを巡らせながら歩くと涙があふれた』
一日20�劼鯡槁犬砲靴討い燭韻譴鼻∋容�目には7�劼曚匹靴�あるけなくなったという。 足下はもちろん草鞋で、いわゆる雲水の恰好である。 それでもほぼ一月で歩き切った。
そんな記事を読んだ今日の夕暮れ時、妙心寺の前のセブン・イレブンで買い物をしながら、 「退蔵院さんにも、よい跡取りさんができたなあ」と知りあいと語っていたのだった。
彼の言葉を再び引用。 『この体験を糧に、地に足をつけた僧になりたい。農業のように、宗教も日常の中にあるものであってほしい』
松山大耕さんという。 この名を覚えておきたい。
|