昨日同様、きょうも一日、内田百�里鮹羶瓦北世永襪譴拭� といっても今日、家の中は犬と猫以外にぼくしかいないものだから、右往左往しながらなのだが。
ところで、ぼくは本のほとんどをレブン書房という本屋さんに注文している。この百万遍にある「ごく普通」の街の本屋さんは、しかし、時としてとてつもなく早く本を届けてくれて驚かされることがある。 今では、全国の「街の本屋さん」の多くが本の卸問屋と組んで大同団結した「e−books」というシステムがあり、昔とは比べものにならないぐらい本が届くのは早くなった。全国の都市に点在する大型書店に負けていない。
それにしても、早すぎる、といぶかしく思ったのは 「ガムテープで風邪が治る」と今回の内田百�里遼椶任△襦�さては「おやぢ」殿、密かな趣味を隠し持っているのではないかななどと想像しては、にやにやしているのだ。
とうとうムック本まで手を出してしまった。「KAWADE夢ムック」という副題のついた「文藝別冊」の「内田百�痢廚任△襦I住罎�ら着物姿にひげを蓄えた百�寮萓犬�不敵な笑みをこぼして、こちらを見つめている。それともう一冊は「集成3」である。
注文して大正解だった。おもしろいしためになった。 大の百�離侫.鵑任△襯咼奪哀諭璽狷鷽諭△修譴漏�川龍之介と三島由紀夫なのだけれど、彼らの書評がよかった。そして、「夢の記述」として同じ資質があるのであろうと推察される三人の中で、芥川、内田両名が自覚的であり、三島氏はほとんど無自覚に作品へと、その資質を注ぎ込んでいるようにも読み取れた。
ちょうど短い作品を書こうとして、うまくいかなかったのだけれど、そこに繋がるヒントもあった。 作品の描写をどこから書くかというヒント、である。ほとんど本能的にぼくが夢中になる起動のしかたがあるのではないかという仮設が出来た。 考えてみれば、芥川氏も三島氏も内田氏も実は同じ表現の元基を持つ「一族」ではないかという仮設でもある。で、そうでない人には内田百�里箸い�作家は、ただただつまらないかもしれない、ということにもなるのだが。
ぼくはたぶんに無自覚に書いてきた期間が長くて、やっと「光」という視点で書き始めてはいるものの、そうではないもう一つのポイントを教えてもらった気がしたのだ。書いてはいたけれど、そのポイントを徹底して意識はしていなかった、ということはわかった。 それは「駄目」という漢字をよーく見ているとわかると思う。しかも、それは次の本のためにぼくが用意していた課題でもあった。これは大事である。むしろ詩を書く人に見受けられるポイントかもしれない。言い換えるなら世界をどの感覚器官で理解するか、ということ。
しかし、それがすべてではないし、小説はそれだけでは成り立たない。しかし、面白い。たぶん、絵画的に思われがちな吉行淳之介さんもそうかもしれないポイントなのだと思う。ぼくは吉行淳之介という人は、小説を書かれたけれども本質的に詩人だと思っている。ずっと続けてきた読書からの直感なのだけれど。同じように、いやそれ以上に内田百�里箸いΑ嶌邁函廚六躾佑世隼廚辰討い襦�
芥川龍之介はこう書いた。 …真面目に内田百�了瓩了軼�天才を信じるが為に…と。
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