俳人、坪内稔典さんの詩に関するコラムを読みました。 最近、『詩が老年にも合うという事が示されている』と坪内さんはおっしゃる。 俳句では老人ならではの句境というか作品が、かなり前から生み出されつづけているけれど、詩においては近年、特に顕著だといいます。
坪内さんもひいておられるけれど、ぼくも詩人−老人というと、とっさに天野忠さんを思い起します。京都の詩人で、1993年に83歳で亡くなりました。晩年の詩にはなんとも飄々として味わいぶかいものがあります。
淡々としていてユーモアが滲み出ているのだけれど、よく読むとそのたくましさが伝わってきます。そして言葉が澄んでいるのです。 なにより他に対する目線が愛に満ちていますね。
詩は若者に向いていて、難解であることも魅力ですが、こういう魅力もあるのだ、ということですね。 最近読んだ山田稔さんの「リサ伯母さん」という短篇小説集も、老いゆえの姿が、ユーモアを忍ばせて淡々と書かれていました。 読み終わったあとも、じーーん、と。
そんな大袈裟なことが書かれているわけではないのです。題材はごくごく身近。それでも若い人とは書く内容が違います。世界を見る角度が違う、というか。 やはり自らの死を意識している人は違うのかな、と思う時もあります。
地下でつながっているような文脈で読みたい詩人はいます。ぼくの先輩世代。 詩集の名は「胡桃ポインタ」。鈴木志郎康さんです。 読んだら絶対、影響受けるぜ、と思っていたから。ちょっと読むのを中断してました。
だけど、今となってはむしろ積極的に読もうと思ってます。どうやら、ぼくの詩はどう書いてもぼくの詩以外に成りようがないようなので。 鈴木さんの世界の掴み方を楽しんでみる気になりました。
作家だと、金城一紀さんの「対話篇」。よみたいですね。
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