一昨年、集中的に読んだ須賀敦子さんの本。昨日、思わぬところでその「言葉」とであいました。京都新聞の夕刊「現代のことば」です。この、書き手日替わりのコラムは欠かさず読んでいます。昨日は国際日本文化研究センターの猪木武徳教授。
簡単に説明すれば、氏が友人の年賀状の言葉にいたく刺激され、覚醒をおぼえた、という内容。その「言葉」が須賀さんのものでした。 最近の「もうひとつの抱負」という日記で、井坂洋子さんの言葉を紹介しましたが、今回の須賀さんの言葉にも共通している言葉があります。 「想像力」です。
では須賀さんの言葉とは
「なにかひとりよがりの匂いのぬけきらない『やさしさ』や『思いやり』よりも、他人の立場に身を置いて相手を理解しようとする『想像力』のほうにわたしは魅力をおぼえる」
ぼくの捉え方としては「理解」がキーワードです。 猪木さんはこう続けます。 <理解することより理解されることのみを求めがちな世にあって、他人の立場に身を置いて相手を理解しようとする『想像力』を持ちつづけることは難しい>
『理解することより理解されることのみ求めがち』、これはまさにそう思います。 想像力の欠如は、決して届かずとも人を理解しようとする努力のないところから徐々に来るのではないか。そんな思いもします。 そういうところから発せられる「言葉」がいかにむなしいか。そうも思います。
人に理解されないことを嘆く前に、人を理解しようとしてはどうか。ほくはそのことのほうに価値を置きたいです。文章や発言、いや生き方にまで通じる「骨」となりうる考え方だとも思います。
猪木さんも指摘されていますが、そのことは、とてもしんどいことです。だけど、そうしなければわからないことは必ずあり、そうすることが何かのマイナスになることは絶対にない。 ぼくの「姿勢」として、その言葉をいただきました。
覚醒。まさに自己陶酔からの覚醒をうながす言葉です。 ところで、猪木さんも亡くなる前の須賀さんにお会いした経験がおありで、その様子を語られるのだけれども、それはとても静謐で、「やさしさ」に満ちているとしか形容できないものでした。
新年。いい言葉をみつけて嬉しく思っています。
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