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2005年08月04日(木) アナログ機器には愛を感じるけどデジタル機器には愛を感じない

僕はiPodやPDA、PC、携帯電話なんかを愛しすぎる人々だと思われているんだろうな、と思う。
「Wired」の記事を読みつつ、さすがにコレはないだろう、と思いつつ、僕自身は他人からこういう人間だと思われているんだろうな、と。

全然違う。

僕は、iPodもPDAもPCも携帯電話も全く愛していない。
ハードウエアに愛を感じる事はない。
好きだけど愛してはいない。
ほんの少しバージョンが変わっただけで、買い替え(買い増し)をするくらいなのだから、愛しているわけがない。

僕は、ハードウエアが壊れたり、古くなったすると何の感慨もなく捨てる。
何の感慨も持たない。
僕の住む横浜市は粗大ゴミの回収は予約制なので、コンビニでチケットを買って、ネットで回収日を予約して、サクっと捨てる。

一方で、モノに愛情を持つことがないのか?、と問われるとそうでもない。
愛の対象となるモノもたくさんある。

ギターなんかがそうだ。
僕が古いギターを粗大ゴミに出す事は「絶対に」ないだろう。
生まれてから今までに20本くらいのギターを買った。
手もとにあるのはそのうちの14本。
手もとにない数本のギターは友人に売ったり、親戚の子供にあげたりした。
行き先はわかっている。
そして、ここ10年以上は一本のギターも手放していない。

たぶん、ギターは増える事があっても減ることはないだろう。
僕にとっては14本のギター全てが宝物なのである。
精神構造が一夫多妻制なのだろうか?
それぞれのギターには特徴があって、向き不向きはある。
それは、欠点ではない。
個性だ。
全てがギターが愛の対象なのだ。

で、本題に戻る。
僕は、とうしてiPodにもPDAにもPCにも携帯電話にも愛を感じないのか?
それは、これらの機器がメディアだからだ。
媒体だからだ。
僕のゴーストはデータに宿っているのであり、ハードウエアに宿っているのではない。
iPod、PDA、PC、携帯電話に共通して言える事は、これらはデータストレージを備えていたり、コミュニケーションのツールである事だ。
iPod、PDA、PC、携帯電話は、蓄積されたデータをきちんとバックアップしておけば、ハードウエアを失っても、同じ環境を再現できる。
ハードウエアが変わっても、僕の環境はそのまま引き継ぐ事ができる。
不死の存在とでも言おうか。
ハードウエアが変わろうと僕のゴーストはそのまま生き続ける。
僕にとっては、脳の拡張であるiPod、PDA、PC、携帯電話は、完全なコピーを作ることができる点において愛の対象とならない。
そこにはハードウエアの持つ「個」が存在しない。
「個」が存在しないモノに対し、ゴーストが移植可能な記憶媒体に対して僕は愛を感じる事はない。

アナログなギターがそれぞれ個体差による個性を持っていたり、それぞれの時代に応じたクセを持っているのに対し、デジタル機器にはそれがない。
ギターは1950年代にある程度の完成されている。
1980年代になり、フロイドローズやEMGの登場により、また進化を遂げるのだけれど、進化はまたそこで停止している。
そして1950年代に完成されたギターは今も健在である。
ギブソンレルポール、フェンダーストラトキャスター。
今の僕は、古いタイプのレスポールにEMG、という50年前の木工技術と電子技術を混ぜ合わせ、自分で組み直したギターをメインに使っている。
僕の欲しいギターは、「吊るし」にはなかった。
自分で組み上げるしかなかった。

そして、それは愛の対象だ。
僕のギターは僕の音しか出ない。
先日組み上げた、ギブソンカスタムショップ製の1968年モデルのレスポールにEMGを装着したギターは僕にとってのひとつの完成形だ。
コスト度外視で、理想のギターを組み上げたつもりだ。
吊るしのギターでは自分の理想をかなえられなかったので、自分で組み直した。
ここから数年かけて、小さな点もいじっていき、自分の身体の一部になるまで調整を続ける。
新品のギターが完全に自分のモノになるには数年の時間が必要だ。
自分以外には理解不能な微妙な調整を数年間続け、弾き続けて、ようやく自分のモノになる。

僕は、デジタル機器においても僕独自の環境設定を行っている。
だけど、それは数時間かければ再現可能だ。
数年かけて自分の理想が実現できるギターとは時間軸が全く異なる。
数時間と数年間の違いはとてつもなく大きい。
アナログ楽器であるギターは、ちょいちょいっ、と調整したくらいで自分のモノにはならない。

僕はデジタル野郎の癖に、愛用のギターアンプも未だにフルチューブである。
デジタルどころか、トランジスタすらも使っていない真空管モデル。
マーシャルのJCM2000のスタック。
電源を入れて通電してから5分間待ち、ようやくメインスイッチを入れて音を出す。
21世紀になってもギターアンプはいまだに真空管。

そして、もうひとつの愛の対象はバイク。
Ducati998。
これまたアナログの極致。
国産バイクとは全く異なり、理不尽とも言える神経質さ。
走っている時間よりもカウルを空けて、メンテナンスしている時間のほうが長い。
おかげで工具だけはたくさん揃った。
少しだけ、バイクのメカニズムにも詳しくなった。

最近の僕は、デジタル機器をキーボードやソフトウエアツールを使っていじっている時間よりも、アナログな機器をはんだごてやスパナ、ドライバーを使っていじっている時間のほうがずっと長い。
僕の指を、腕を見よ、傷だらけだ。
ギターの改造のために、慣れないはんだごてを使って、火傷。
クルマやバイクのエンジンが熱い状態でいじってまた火傷。
バイクのカウルをはずし、クルマのエンジンフードをはずし、マニュアルには「メンテナンス工場にご相談ください」と書かれている部分をいじる。

AudiTTは、ブラックボックス化されている要素が大きくて、ほとんどいじりようがないのだけれど、Ducatiは自分でもメンテナンスできる要素が多い。
アナログ万歳!

アナログ機器はゴーストを持たない。
だからこそ、僕はアナログ機器を愛する。
デジタル機器は、ハードウエアには愛は感じない。
僕の脳の延長線上にあるデジタル機器が持つのは、複製可能な環境であり、データだ。
身体の拡張であるアナログ機器は、複製ができない。
だからこそ僕はアナログ機器に愛を感じ、デジタル機器にはドライに接する。

デジタル機器を「愛しすぎる」人々と僕は微妙に違う。
他人から見りゃ同じかもしれないけど。

■iPodやPDAを「愛しすぎる」人々
http://hotwired.goo.ne.jp/news/print/20050802201.html




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