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2005年03月19日(土) 「愛はあっても萌えがない」僕は敗残者なのか?〜電波男

「電波男」を読んだ。
重い。
ひたすらヘビーだ。

「電波男」は萌え万歳の本である。
「現実を見ろ、俺たちには二次元しかないんだ」。
自虐的な萌えオタ本である。
キモメンを自称する著者によるオタクによるオタクのための革命本。

僕は、この本の読む順序を間違えた。
僕は「まえがき」と「あとがき」を先に読んでから本編を読む習慣がある。
「あとがき」を先に読んでしまうとネタバレになってしまう場合もあるのだけれど、たいがいの本は僕のように「あとがき」を先に読む人種を想定して作られている。
僕は、「あとがき」を先に読むことにより、積極的に読書が可能なので、本編より先に「あとがき」を読む。

「電波男」は決して「あとがき」を先に読んではならない本だ。
「電波男」の「あとがき」は最後に読まなければならない。
「あとがき」には萌えの世界に閉じこもってしまいつつも、愛を求めてやまない著者のトラウマと魂の叫びが書かれている。
これを先に読んでしまうと「電波男」を読んで単純に笑い飛ばすことはできなくなる。
「電波男」の「あとがき」は、決して先に読んではならない。
「電波男」は近年稀に見る良著だと思う。

僕は、萌えオタの自虐的な笑いを求めてこの本を読んだ。
著者は書名を「電波男」としており、電波文として書いているのだけれど、決してただのお笑い本ではない。
著者の主張には筋が通っている。
論理も破綻していない。
著者が萌えに走ってしまったという現実を除けば、僕とかなり近い思想の持ち主だと推定される。
萌えの論理展開にはサブカルをベースにしている。
著者はサブカルを否定しつつ、根はサブカルだ。
引用されている論理の多くはサブカルがベースになっている。
サブカルは堕落したオタクなのらしい。
僕は、このサイトでは経済系のネタを扱う方針であり、サブカルサイトにするつもりはないのだが、僕はサブカルに分類されてしまっている。
「電波男」のなかでも「ナゴム」の話が出てくる。
僕は元ナゴムなので、固有名詞で堕落したサブカルに分類されてしまっている。

電波男のなかで、僕がひとつだけ、僕と見解が違うのはキモメンについてである。
キモメンは顔の美醜の問題ではないと思う。
モテる男は、ルックスやカネの力でモテているのではなく、モタせているのである。
ホストを見てみろ、決してイケメンホストが人気ではない。
女性だってそうだ。
本当にモテている人もいるけれど、ルックスとはあまり関係のないところでモテたければモテる。
才能もお金もいらない。
キモメンは、自らの意思でキモメンを選択したのだ、と思う。
電波男の著者も自らキモメンという生き方を自らの意思により選択したのだろう。

僕には愛はあるけど萌えがない。

僕は、二次元世界の脱落者。
三次元世界でしか生きることができない。

二次元世界が三次元世界を逆転してしまったら、僕は負け組みだ。
本末転倒な気もするけれど、僕らの生きている三次元世界よりもマトリックスの向こう側である二次元世界のほうに、本当の幸福はあるのかも知れない。
三次元の世でちやほやされる事が今後どれだけの価値をもちつづける事ができるのだろう。
二次元のなかで脳内補完された妄想の中で幸せを得ることの価値は、いずれ三次元の世界での幸福と等価になるかもしれない。
二次全の中で脳内補完されたもうひとつの世界は、三次元を凌駕する可能性を持っている。
二次元世界における幸福は三次元を凌駕することが可能なのかもしれない。

僕には三次元世界での愛はあっても、二次元世界での萌えはない。
「愛はあっても萌えがない」僕は敗残者。

電波男




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