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2002年12月31日(火) 2002年は「ゆで蛙の最後の1年」

2002年が終わった。
僕にとっては何もない1年だった。
とてもつまらない1年。
きっと将来、思い出せない年になるだろう。

2002年は「ゆで蛙の最後の1年」だ。
蛙は熱湯に放り込まれると熱さにびっくりして熱湯から飛び出すが、水の状態からじわじわと熱してやるといつまでも気づかず、最後には茹で上がって死んでしまうという。
2002年は世の中も僕自身も茹で上がる直前の最後の年。
いや、もう茹で上がってしまっているのかも知れない。

好景気だった時代は思い出せないほど過去の事となった。
今の20代以下の人たちに至っては好景気を経験したことすらない。
ずーーーっと不景気の状態におかれ、僕らの感覚は麻痺しつつある。
不景気であることが日常と化している。
もはや不景気が当たり前になり、好景気がどんなものだったのかさえ思い出せない。
不景気に慣れきってしまい、死に近づきつつあることすら認知できなくなりつつある。
茹で上がるというより、静かに凍死しつつあるのかもしれない。

長く続いた不景気が日常と化した結果、僕らは前進する事を忘れかけている。
大きくなること、強くなること、前に進むこと。
僕らの興味は小さくならないこと、弱くならないこと、後ろに戻らないこと、それだけ。
いや、小さくなっても、弱くなっても、後ろに進んでも構わない、本当の幸せは前進することだけじゃないのかも知れない。

「スローライフ」という言葉に代表されるように停滞を認め、そのなかで幸せを見つけて生きていこう、という社会にかわりつつある。
確かにそれはそれで一理ある。
今のままでもじゅうぶん幸せじゃないか。

だけど、本当にそれでいいのか?
日本は老人国家をめざすのか?
ヨーロッパのいくつかの国々のような、過去の栄光にすがって生きていくのか?
中国に代表される周辺諸国の激しい追い上げのなかで、日本は20世紀の遺産を食いつぶして生きていくのか?

僕自身もこの1年は前進のスピードを緩めてしまっていた。
自分のなかでは「戦うべきときと、じっと身を潜めているときがあるのだ、今はじっと身を潜めているべきときなのだ」と自分に弁解をしつつ。

僕らは茹で上がりつつある蛙だ。
このままじっとしていては永久に不況から抜け出せず、停滞したまま、死を迎えるだけ。スローライフを送ることすらできない。
僕らが乗っているベルトコンベアは常に後ろ向きに動いているのだ。
しかも後ろ向きのベルトコンベアの速度は加速しつつある。
前に進まなきゃ、今の場所を維持することはできない。
前に進む努力を怠っては現状維持すら不可能。

日本の多くの人たちが既に前進することをあきらめつつある。
走ることをやめ、戦うことをやめた。
自分が駄目なのは世の中のせい。
自分が悪いんじゃない。
無駄な努力をしても何も得られない。

2002年は本当に駄目な年だった。
世の中にとっても、僕自身にとっても。
特別に悪い事件が起きたわけではない。
でも、僕らは茹で上がる直前の蛙だ。

僕は茹で上がって死ぬのはごめんだ。




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孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように

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