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2002年11月29日(金) アラン・ケイとカウンターカルチャー

アラン・ケイがHPに移籍した。

今から10年近く前、表参道で小さなパーティーが開かれた。
出席者は30人くらい。
そのパーティーにはアラン・ケイがゲストとして出席していた。
アラン・ケイの他にはマウスの発明者であるダグラス・エンゲルバート。
当時のマックカルチャー系の有名人や編集者達が出席していた。
筋金入りのマックオタクだった僕は、カバンからパワーブックと油性マジック(事前に用意していた)を取り出し、サインをお願いした。
僕は自分はI○M社員(当時)ではあるが、マックオタクであり、アラン・ケイは自分にとってはアイドルであることを伝えた。
アラン・ケイは快く僕のパワーブックに大きくサインをし、握手をしてくれた。
アラン・ケイのサイン入りパワーブックはさすがに10年以上昔のモデルなので、クローゼットの奥で眠っている。

アラン・ケイとは現在のパーソナルコンピュータの原型を作った人物である。
パーソナルコンピュータの父と呼ばれる。
1968年に未来のコンピュータのイメージを「ダイナブック」というコンセプトで表現した。
「ダイナブック」は先日から発売が始まった「タブレットPC」に近い。
ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)時代にはMacintoshの原型となった「アルト」を開発。
今となっては当たり前となったGUI環境を実現。
アルトを接続するためにイーサネットの原型、プログラミング言語として初のオブジェクト指向言語と呼ばれるスモールトークも相次いで開発された。

PARCはユビキタスのコンセプトを最初にマーク・ワイザーも生んでいる。
PARCは現在のコンピューティング環境の主要なコンポーネントを生み出しながら、自らはビジネスには結びつかなかったという悲しい施設でもある。

70年代から80年代にかけての初期のパーソナルコンピュータ業界にはカウンターカルチャーの影響が大きい。

パーソナルコンピューティングとはデータセンターというお城の牢屋からコンピュータを救い出すための戦いであり、ビッグブラザーから個人へとコンピューティングパワーを奪い取るための運動でもある。

特にMacintosh/Appleなどカウンターカルチャーのそのものである。
悪の帝国と化してしまったマイクロソフトだって創業時の集合写真を見れば、ヒッピー集団である。
マイクロソフトも初期は大企業に対抗するカウンターだったのだ。

インターネットもパーソナルコンピュータもみんなカウンターカルチャーの産物である。今でもそのカルチャーは失われてはいない。

僕自身もカウンターカルチャーの影響はとてつもなく大きい。
僕はエスタブリッシュメントの仮面を被りつつ、本性はカウンターカルチャー野郎である。

世界を変えるのは「テクノロジーと経済」。
僕はテクノロジーだけではなく、そこに経済が加わってはじめて世界を変えることができると信じている。
僕が今の仕事を選んでいる理由はそこにある。
テクノロジーが起爆材となり、経済が進化する。
経済の進化によって更にテクノロジーの進化が加速する。
「テクノロジーと経済」は世界を変える最大のドライバーなのだ。
日本のネットベンチャーには吐き気を催すが。

ふーむ。HPか。
確かAppleの創業者のスティーブウォズニアックはHPの出身だったな。
でも、HPにはカウンターカルチャーの残滓はほんの少しでもあるのだろうか。
せめてジョルナダの後継製品くらい出せよな。

■アラン・ケイの移籍に関するHPのニュースリリース (英文)
〜Computer Pioneer Alan Kay Joins HP
http://www.hp.com/hpinfo/newsroom/press/2002/021126b.html




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